「男なら広い海で勝負しろ」と母は言った
全47話、日次投稿です。
ぼくは、リョウイチ。1953(昭和28)年、長崎県で4人兄弟の末っ子として生まれた。上はすべて姉。自分でいうのも何だが、皆美人だ。友人からは、かなり羨ましがられた。彼女たちもたった一人の弟だから、いつもかわいがってくれた。ぼくが何か頼めば誰かがいうことを聞いてくれた。3人もいるから、いつもぼくを取り合った。
父は菓子問屋を営んでいた。戦後間もない時代にしては、けっこう裕福だった。ぼくがただ1人の息子だったので、父は姉たちより断然ぼくをかわいがった。
その結果、しつけはかなり甘かった。お菓子屋だけにね。周りは、みんなぼくを甘やかした。
しかし家庭内でただひとり、ぼくに厳しい人がいた。それは母。彼女は、玄界灘近くの武士の家から嫁いで来た。高い理想をもった女性で「男たる者、質実剛健でなければならない」という考えの持ち主だった。女だけど“ザ・九州男児”といった感じ。ぼくは長男なので、母はかなり期待していたらしい。いつもこんなことばを口にしていた。
「男だったら、一度決めたらあきらめるな!」
「男だったら、勝つまで戦え!」
「男だったら、群れる羊より一匹狼として生きろ!」
「男だったら、狭い井戸より広い海で勝負しろ!」
他にも毎日のように名言を発した。
島田洋七の“がばいばあちゃん”は佐賀県だが、彼女はその長崎版だ。こうして、ぼくの基本的な性格ができていった。子どものころ大好きだったイチゴケーキにたとえると、こんな感じだ。坊ちゃん兼末っ子の甘え体質が、スポンジケーキ。その上に九州男児特有の押しが強く勇敢な性格が、クリームとしてべったり塗り込まれた。さらに西の人間特有のラテン的陽気さが、イチゴのように並んでいる。どう、おいしそう?
そんなぼくも、やがて青年となった。進学は、地元にある国立S工専を選んだ。母は九州に残るより、広い東京に出ていくことを期待していたようだ。けれども父や姉たちは自宅から通うことを願った。自分としても親元にいるほうが何かと都合がいい。最終的に、坊ちゃん兼末っ子の甘え体質が勝ってしまった。
しかし九州は狭い。自動二輪免許を取りドライブできるようになると、つくづくそれを感じた。だから就職先を決める時は、九州男児気質がまさった。東京、しかも海外勤務のありそうな企業を選んだ。東京の大手企業を受けるなんて、地方学校出身者のぼくには不利だった。しかも当時は石油ショックで就職難。ところが時代が味方した。みんなは無難な国内勤務の多い会社に入りたがった。
でも自分は海外勤務志望だったので、難なく内定をもらえたんだ。
ぼくは、これで世界という広い舞台で勝負できると思った。できればヨーロッパの中心、フランスで仕事をしたかった。ところが、簡単にはうまくいかない。フランスはフランスでも元植民地、地の果てアルジェリアに向かうことになる……。




