工場見学に連れていくと、生徒が半分に減る
その1「見学はつらいよ」
授業の中で最もつらいのが、工場見学だ。といっても、何十キロも離れた場所に移動するわけじゃない。隣の工場にいくだけ。マイクロバスで、10分ほどの距離の所にある。
着いた直後は、まあいい。工場内に生徒を連れていくと、やがて1人、2人と消えていく。最後は半分くらいの人数にまで減る。教室に戻るときは、またマイクロバスに乗る。そのときは、またなぜか元の人数になっている。
「どこにいってた?」
と、ぼくが問いつめると
「トイレにいってた」
「タバコを吸いに」
「お祈りを捧げていた」
と、口実には事欠かない。
「お前らは、欠席扱いだ」
というと、また一悶着起こる。
工場内は、あちこちでポンプやコンプレッサーが回っている。やたらとうるさい。この騒音の中で大声を張り上げながら説明するのは、並大抵ではない。しかも例によって、何度も同じことを質問する。理解できなくて質問するなら、まだガマンできる。
ところが、そういう生徒はめったにいない。たいがいはよそ見をしたり、他の生徒としゃべったり、初めから聴く気がない。そんな生徒にもちゃんと応対しないと、講師の教えかたが悪いとなってしまう。そんなことが、必ず起こる。
しかも同じクラスが、何度も工場を見学することになっている。ポンプの授業で見学。配管で見学。コンプレッサーで見学。消防知識で見学……。同じ工場を訪ねては、説明をする。話す講師も聴く生徒も飽きてしまう。その上、何回見学しても生徒たちはまったく進歩の跡が見られない。ぼくは、毎回声を張り上げなければならない。
そんなわけで、ぼくは工場見学がすっかりイヤになってしまった。
その2「消防隊長」
工場の正門には、化学消防隊が常時スタンバイしている。消防知識に関する見学の際には、彼らにも協力してもらう。
ここの隊長、なかなか貫禄がある。腕っぷしもありそうだし、にらみもきくので、生徒たちは誰もが集中して聴いている。そこで初めて工場にきたクラスには、ここでいつも安全講話をやってもらうことにした。その間は、こちらも休める。いいことづくめだ。
生徒たちが隊長の話を聴くのは、怒ると怖いだけではない。話が面白い。
「工場では絶対あわててはいかん。走るな。走るとわれを忘れる。車の運転でもそうだ。こんな教えがある。
『10分早くあの世に着くよりは、5分遅く暖かい家庭に帰り着くほうがよい』
いいな、絶対あわてるな」
生徒もぼくも全員納得した。それからというもの、イヤな慣習ができた。遅刻した生徒は全員、こう言い訳する。
「10分早くあの世に着くよりは、5分遅く教室に着くほうがよい」
「ふざけるんじゃない! お前は1時間の遅刻だ。その分欠席にする!」
この慣習が、のちにとんでもない方向につながる……。
その3「クラスの問題児」
さて、どのクラスも特徴がある。その違いは、日本のクラスとは比較にならないほど強烈だ。クラスの個性といってもいい。
どこのクラスも、生徒のグループ構成は似ている。優秀な生徒が1人か2人。まじめだが成績はよくない生徒。おどけ者、人気者、リーダー格、その子分、一匹狼。存在感のない者。そして問題児。
印象的なクラスは、問題児を抱えたクラスだ。今までも何度か登場してきた。そんな教室にいくときは、本当に一大決心がいる。
一般的に多い問題児のタイプは、しつこく物をねだる生徒だ。どういう育てられかたをしたのか、不思議でしかたがない。
イスラム教には、喜捨の教えがある。しかし、あれは与える側の教えだ。
もらう側の人間に
「もらえて当たり前。どんどんねだれ」
なんて、説いてはいない。
ところが、彼らはどんどんねだる。並のしつこさではない。彼らの要求や主張は大きい。それに対して、自分たちから与えることができる物は何もない。
だから損はしないと考えるのか、何十回でもねだる。譲ることはない。そんなことをしても何ももらえないし、相手に不快感を与えるだけ。小学生も高学年になれば理解できそうなことなのに、彼らには通じない。すでに成人しているのに。
彼らとの間には、大きな認識のずれを感じる。しかし、対応を間違えると大変なことになる。
授業が終わりかけたときに、やっと入室してきた生徒がいた。
「ムッシュ、オレは出席だよな?」
「何をいっている。もうあと数分で授業は終わりだ。お前は欠席扱いだ」
「そりゃひどい! 10分早くあの世に着くよりは、5分遅く教室に着くほうがいいだろ!」
結局最後の数分は、この生徒とのやりとりに費やしてしまった。授業が終わっても、彼は食ってかかってきた。ぼくは取り合わず、職員室に戻った。だが、彼は職員室まで追いかけてきた。最後は
「バカヤロー!」
と捨てゼリフを吐いて、帰っていった。そのひとことが、その生徒の運命を変えた。その場にいた他の講師が、突然怒りだした。
「なんという、教師に対する侮辱だ!」
教務担当者に連絡されてしまい、彼は退学処分となった。
ぼくとしては複雑な気持ちだった。正直いって、その生徒がいなくなったのには、ホッとした。しかし彼自身の進路は、大きく変わることになる。
同僚の講師には、感謝したものかどうか迷った。かといって
「余計なことをしてくれたね」
ともいえない。結局黙ったままでいた。
あとでじっくり考えてみた。本当にあのひとことだけで、彼は辞めさせられたんだろうか? そうじゃないと思う。それまで他の講師に対しても、彼はたび重なる無礼を働いてきたんだろう。たまりにたまった怒りのマグマが、どの講師の心の中にもあったはず。あの同僚はすでに臨界点に達していて、たまたまあのひとことで噴火したに違いない。
その5「ラジカセ」
先ほどの生徒の退学は、たったひとことが原因だった。ことばは慎重に選ばなければ、取り返しのつかないことに発展しかねない。
ある生徒が、授業中にラジカセを鳴らし始めた。ぼくはすぐに怒鳴った。
「音楽を止めろ!」
すると生徒のひとりが、こう食ってかかった。
「おれはラジカセなんて知らないぞ。どうしておれが犯人だと疑うんだ?」
このとき、ぼくは暴言で退学した生徒を思い出した。彼が、これ以上ひどいセリフをいわないようにしなければ。ぼくは、慎重にこう答えた。
「おいおい、何をいっている。ぼくは音楽を止めろといっただけだ。お前がやったなんて、ひとこともいっていないぞ。それともお前がやったのか?」
「いや、あの、その……」
「関係なければおとなしくしてろ。よしよし、いい子、いい子」
これで、教室に平和が戻った。
そういえば、母はこういっていた。
「言葉は、言刃。口から出る刃だ。他人を傷つけ、自分も傷つくことがある」




