「お前はゼロだ」と言われて、ぼくは彼をほめた
帰国後の初授業は、授業にならなかった。
しかし日が経つにつれ、調子を取り戻すようになった。
当然、教室でのエピソードも増えていった。
よくいえば、生徒たちとのふれあいだが……。
その1「羊小屋」
講師を始めたころは、教室に入るとまず窓を開けた。教室中が、異様なにおいで充満しているからだ。
においの元は、生徒たち自身。羊の肉を食べ、羊の皮やじゅうたんに囲まれて暮らしているから、当然といえば当然か。その民族的体臭には、最初耐えきれなかった。
フランス小話にこういうのがある。
ある日、ドイツ人とフランス人、アラブ人が我慢比べをした。羊小屋で、誰がいちばん長くいられるかの我慢だ。まずドイツ人が挑戦した。1分と経たずに出てきた。
「いやあ、くさい、くさい!」
次はフランス人が入った。これもすぐに出てきた。
「とても耐えきれない!」
最後はアラブ人の番。3分経ったが、出てこない。5分たったら、やっと出てきた。ただし羊たちがだ。
「メー、メー、くさくて小屋にいられないよ」
この場合、アラブ人とはアルジェリア人、モロッコ人、チェニジア人を指す。帰国後、この話を生徒たちにしてみた。彼らは笑っていた。自分たちのことではないと思ったのだろう。
その2「教科書」
「教科書をただ読んではいけない」
というのは、以前書いた通り。じゃあ、何をすればいいのか? 講師を続けるうち、そのコツがわかってきた。
生徒が教科書を開いたら、そこに書いてないことをつけ加えること。さらに違った切り口で解説する。しかも解説は丹念に区切って、最低3回はくり返す。そうしないと生徒が飽きてしまう。やがてみんなが好き勝手な事を始める。まるで小学生低学年だ。
生徒の質問には、ていねいに全部答えること。今しがた解説したばかりのことを、生徒が聞いてなかった場合もある。でも、その質問を無視してはいけない。まして怒ってはいけない。怒っても、エネルギーが消耗するだけだ。それは講師の教えかたが悪いとか、わかりにくいという評判につながる。やがて検査官の耳に入り、最悪は講師が強制帰国させられてしまう。
バカな質問でも、笑ってはいけない。まじめに対応しないと、生徒たちの信頼を失ってしまう。むしろいつもほめて勇気づけなくてはいけない。
「ムッシュ、これはどうしてこうなんだ?」
「うん、それに気がついたか。いや、それはとても良い質問だ。実は……」
となる。別にたいした質問でも何でもない。ぼくの話をちゃんと聞いていれば、絶対出てこない疑問だ。ただそれをいうと生徒がやる気をなくす。反発してケンカとなる場合もある。それでは授業が進まない。
以前紹介した母のことばを、ここでも再登場させよう。
「ゴマスリとヨイショは、金のかからぬ最終兵器だ」
その3「通訳」
一度、通訳と2人1組で授業をしたことがある。フランス語より地元アルジェリア語のほうが、生徒が理解しやすいだろうという考えからだ。
しかし始めると、問題が浮かび上がった。いちいち通訳のことばが終わるのを待たなければならず、時間がかかり過ぎる。講師はなかなか授業が進まずイライラした。生徒も質問がしづらく、もどかしく感じたらしい。結局すぐにやめてしまった。
けれども便利な点もあった。ふたりの役割分担ができた。生徒に対して直接しゃべるのは、通訳だ。講師は生徒と一歩距離を置くことができた。ひとりが怒っても、もうひとりがなだめることができた。
通訳制度がなくなると、ぼくは3倍忙しく感じた。あっちこっちから質問がきて、それで授業時間の半分が過ぎるときがある。
「何で授業をちゃんと聞いてないんだ!」
あるときは大いに怒鳴った。だが、帰宅すると大いに反省した。
「もう通訳がいないんだ。生徒を直接怒鳴るのはまずい」
翌日は一転して、ニコニコしてほめた。しかし長くは続かない。次の生徒は、しかりつける。で、また別の生徒には優しく説明する。その隣の生徒には
「静かにしろ!」
と、大声で怒鳴る。しばしば、本当に腹を立てたこともあった。備え付けの木製コンパスで机をガンガンたたく。野生のトラのように、ぼくは荒れ狂った。教室だけでなく廊下までその音が響き渡った。
何事かと隣のクラスの同僚がのぞきにきたこともある。生徒もこのときばかりは、ただただ耳をふさいだ。じっと耐えるしかなかった。いつまでも怒っているわけにはいかない。かといって、いつもニコニコしているわけにもいかない。
いつの間にやら知らないうちに、ぼくは二重人格、いや三重人格になっていた。
それが日常化したとき、ある生徒がこういった。
「ムッシュは自分が俳優だと思っているんじゃないか。どうして、そうコロコロと性格が変わるんだ? アンタは芝居ばかり演じているが、アラン・ドロン※じゃないぞ」
(※1960〜70年代、世界的に人気のあったフランス人俳優)
ここで普通なら、いき過ぎた自分に気づくべきだった。しかし、そのときのぼくは違っていた。
「性格は変わってないさ。ぼくはいつもぼくなのさ。ただみんなの態度によって、こちらの対応が違うだけさ。芝居なんかしていないぜ」
両手を前に差し出し、ポーズを決めるぼく。それ自体芝居がかっていた。
その4「ゼロ」
ある生徒に、こうののしられた。
「お前はゼロだ! 何の価値もない!」
ろくでもない生徒に限って、そんなことをいう。特にその生徒はクラスの劣等生で、誰も彼に同調したことがない。ぼくは挑発に乗らないように気をつけながら、こう返した。
「何、ゼロだと? みんな聞いたか? 彼はぼくにゼロ(無価値)といったぞ!」
一瞬、生徒たちの間に緊張が走る。いった本人も顔を引きつらせている。ぼくは、おもむろにこういった。
「何というすばらしい生徒だ!」
全員、あっけに取られる。ぼくは彼を指差して、さらに続けた。
「彼こそ生徒の鏡だ! ぼくから学ぶべきものは、もう何もないということだ。いいか、みんなも彼を見習え!」
生徒本人は、もうどうしていいのかわからない。さらにぼくは、芝居がかった調子でこういった。
「ああ、生徒には、いつか独り立ちの日がくる。その時がきたら、もう先生は必要ない。さあ、みんな、ぼくを追い越すのだ! 他の多くの教師がそうであったように」
泣いたり哀れみの声を出しながら、大げさにポーズをつける。タカラヅカの男役のように。生徒は一同爆笑だ。彼は、2度とそれを口に出すことはなかった。とにかく生徒の挑発に乗らないこと。その秘訣は、怒りをゼロにすることだ。
その5「年齢」
日本人は、若く見える。あのころのぼくは、30歳手前。特に若く思われた。
ところが生徒のほうは、大半が20代前半。体格はみんなぼくより大きい。中にはヒゲを伸ばし、老けたおじさんといった風ぼうの者までいる。つまり生徒たちより、ぼくのほうが若く見える。しばしば同僚か、弟のように思われた。
それは親近感をもってもらうにはいい。しかし一方でけじめがつかなくなる。
いい例が、次のエピソードだ。
その6「カハバ!」
生徒たちは、基本的にアラビア語をしゃべっている。あるとき、生徒たちが
「カハバ」
という単語を、何度も口にするのを聞いた。ぼくは、ある生徒にその意味をたずねた。
「ムッシュ、それは『おいしい』ということだ」
「そうか『おいしい』か」
ぼくは、わざと何度も使った。そのたびにみんな爆笑する。ぼくはピンときた。
「ははあ、これは何かあるな」
それからは、コーヒーを飲むと
「ん〜、とってもカハバ!」
生徒からもらったオレンジを口に入れては
「これはカハバ! ほんとにカハバ!」
他の生徒が、ぼくにいった。
「ムッシュ、本当の意味を知ってわざとやっているんじゃないのか?」
「何のことだ? ぼくは彼から『カハバ』は『おいしい』という意味だと聞かされたから、使っているんだ」
その生徒は、他の生徒全員から非難された。本当の意味は『売女』だった。
日本でも、こんな話がある。ある野球選手が、助っ人外国人選手にこう教えた。
「日本語で『最高』というのは『ハゲ』というんだよ」
頭の薄い彼は、ホームランを打つたびに
「ハゲ! ハゲ!」
と叫びながら、両手を挙げてダイヤモンドを一周した。どこの国でも、外国人へのイタズラは変わらない。




