新車をこじ開けられた朝、街灯のない夜道を四十キロ
その1「引っ越し翌日の災難」
オランに移り住んだ、翌朝のこと。
「きょうから新生活だ。張り切って職場にいくぞ」
ぼくは勢いよく玄関を開けて、外に飛び出した。ところが……
「車がおかしい!」
近づいてよく見た。ドアの鍵が、ドライバーでこじ開けられている。ぼくの真っ赤なホンダシビックが、車荒らしにあっていた。ぼくは真っ青になった。
愛車は、通りに面した駐車場に停めてあった。かなり人目につく。しかも場所は、自分の寝室のすぐそば。少しでも音がすれば睡眠中でも気づくだろうと、そこを選んだのに。
駐車場には、ぼくの車の他に2台が停めてあった。真っ赤な日本車と、スイスナンバーの車が1台。計3台。確かに目立つが、高級車じゃない。そのどれもが、車荒らしにあっていた。後部ハッチバックの窓ガラスのゴムパッキンが、鋭利な刃物で切られている。ガラス自体はすぐ脇に置いてあった。
犯人は、そこから中に入ったらしい。靴跡がはっきりと残っている。ラジオが取り付けてあるネジの頭がつぶされていた。目当ては、カーラジオとステレオだったようだ。幸い、どちらも残されていた。泥棒たちは何らかの事情で、作業を中断したらしい。他の車も、似たり寄ったりの被害状況だった。
被害届はすぐに出した。しかし犯人が逮捕された報告は、その後なかった。幸いカーステレオもラジオも無事だったので、その車で出勤した。ガラスは応急処置として、ガムテープを貼った。新車が、一夜にしてオンボロに……。やはりどこの国でも、自家用車には盗難の危険がつきまとう。
その2「マイカー通勤」
引っ越し早々災難にあったオランだが、ぼくは住んでよかったと思った。マイカー通勤には非常に都合がよかったからだ。はるばるフランスから幾多の苦難にあいながら、新車に乗ってきたかいがあった。
オランから職場のあるアルズーまでは、約40キロ。一応舗装されている。ただし砂利道にアスファルトをしいただけのような道だ。白線もガードレールも夜間照明もない。
自宅を出るのは、朝七時過ぎ。毎時90キロから100キロの速度で走れば、車の流れに乗れる。車中でラジオは聴かない。現地の放送局はつまらない。流れる曲は、アラブの民族音楽。聴いていると眠くなる。代わりにカーステレオで、お気に入りの音楽カセットをガンガン鳴らす。気分をふるい立たせる。なんせ毎日がトラのオリに入るような心境だからね。
とはいっても、運転するのはなかなか楽しい。通勤路は直線あり、カーブあり、起伏あり。窓からは、心地よい風が流れ込む。さらにアルズーが近くなると、美しい地中海の景色が目に飛び込んでくる。その瞬間は、満足感を味わった。
帰りは、満足感どころではない。疲労感に満ち満ちている。授業と自習の監督、それに講師たちの無駄話と権力争い。毎日クタクタだ。そんなボーっとした頭には、この30分ほどの運転が必要だった。ちょうどいい気分転換となる。
ドライバーたちは、かなりひんぱんに追い越しや割り込みをする。割り込んでも平気な代わりに、割り込まれても平気だ。彼らは簡単に割り込ませてくれる。寛容なのか、あるいは
「お互い様だから」
という共犯意識なのか、よくわからない。最初は、まだそういう彼らの行動パターンに慣れていなかった。ぼくは一度割り込まれるのを阻止したことがある。
7、8台の車が列を作って走っていた時のこと。最後尾の車が、2台ほど抜いてぼくの車の前に割り込もうとした。ぼくは割り込まれないように、前の車との車間距離を詰めた。相手のアルジェリア人運転手は、ぼくの行動をまったく予期してなかったらしい。手のひらを回しながら空を切り、ぼくをにらんだ。
そのしぐさは
「なぜ割り込ませてくれない?」
と、少し非難めいた意味を示す。あとでそのことを知り、それ以来割り込み封じはしていない。
アルジェリアも、朝は交通量が多い。といっても、割り込みが多くて渋滞が激しくなることはない。単に急ぐ者が他の車を追い越してゆく。その過程で割り込んでは追い越し、また入っては出ていく。その繰り返しだ。ぼくも次第に慣れていった。
「ああ、この車は急いでいるんだな」
という程度に思えるようになった。
その3「恐ろしい夜間走行」
朝はまだいい。問題は夜。夕食に招待されたりして、帰りが遅くなることがある。そのとき通る道路は、非常に暗い。白線もガードレールも夜間照明もない上に、付近に民家もない。月が出てなければますます暗い。日本では考えられないほどの暗闇だ。いくらヘッドライトを点けても、前方が少し白っぽくなるだけ。いつ事故になるか、わからない。
運転はどうするか? ふたつの方法がある。ひとつは勘に頼るしかない。もうひとつは、たまにくる対向車のヘッドライトを目印にする。そこをめがけて一目散に走る。衝突寸前でお互いすっとかわす。さながらチキンレース、命がけのドライブ。しかし、これがいちばん確実で安全な方法だ。
路肩のアスファルトは、あちこちがくずれている。道幅は十分にあるが、支障のない限り、夜はみんな道路の中央を走る。
秋から冬にかけては霧が発生する。これがまたそのスリルに拍車をかける。手探り状態で40キロを突っ走る。4キロが一里だから、五里霧中でなく十里霧中だ。
こんなにひどい道路事情でも、時速80キロ以下では走る車はない。かといって運転が全員うまいわけでもない。当然事故が絶えない。通勤途中、街路樹に衝突した車をしばしば見かけた。あるときはその街路樹に巻き付くように、車体が折れ曲がっていた。前輪と後輪で、木をしっかり抱いているみたいだった。
その4「恐ろしいパンク」
ドライバーもよくないが、道路もよくない。どうしてもパンクしやすくなる。
幸いにもぼくの車では、1度しかパンクは起きなかった。しかし以前乗っていた会社の車は、何度もパンクした。それでも夜にパンクしたことはなかった。もししていたら……。
道路が陥没するのは、日常茶飯事だ。アスファルトが薄いのか、その下地が悪いのかはよくわからない。とにかく道路補修をしているのを、よく見かけた。
陥没の位置は毎日違ってあらわれる。スペアタイヤを積んではいるが、ひんぱんにパンクが起きると、スペアタイヤを修理する時間もない。そんなときは、とりあえず会社までヒッチハイクする。仲間を呼んで、スペアタイヤとともに車の所に帰ってくる。
しかしパンク事故の本当の恐ろしさは、パンク自体ではない。そうやって道ばたに車を放置しておくことが、怖いのだ。だんだんと部品がなくなっていく。まずバックミラーがなくなる。次にタイヤ、ランプ類、バンパー、バッテリー、エアクリーナー、点火プラグ……。何人ものドライバーが少しずつ盗んでいく。まるでハイエナが、死にかけた羊に群がってくるようだ。
細かい部品があらかた取られると、大物がなくなる番。エンジン、座席シートが外され、最後は骨だけになってしまう。そうした車の残がいが、通勤途中の道路脇には何台も転がっている。生き物ではないのに、思わず手を合わせ
「南無阿弥陀仏」
と唱えたくなる光景だ。車の上には、大きな鳥が何羽も止まっていたりする。まるでアイツらが食い尽くしたかのように。




