プチパリと呼ばれる街で、ラジカセを売り歩く
その1「4人が引っ越し」
帰国後、講師たちは偶然にも一斉に転居した。ヤイはフランス本国から家族を呼び寄せ、アルズーで暮らし始めた。アミエル一家も、ヤイの家のそばに一軒家を借りた。モーリスとテレーズ夫妻も、その近くに住むようになった。あと誰かもうひとりの講師も、そこに住んだ。
どの人物も、一くせ二くせある。きわめて個性的な面々だ。ムッシュ・ガリッグは彼ら4人のことを、当時の中国に引っかけて「四人組」と名付けた。
その2「オラン」
ぼくはオランに引っ越した。オランは、ノーベル文学賞作家アルベール・カミュの代表作『ペスト』の舞台となった街。地中海に面した港町で、首都アルジェの次に大きい。いってみれば大阪のような商業都市だ。ぼくはなるべく休日は外出し、街を観察するようにした。住民は自分たちの街を
「プチパリ(小さなパリ)」
と呼んでいる。街ゆく人々は流行に敏感で、洗練されたファッションをしている。どこか気取ったところがある。そういう意味では、神戸に似ているかもしれない。
海岸に面した崖の上を目抜き通りが走っている。歩道が広く、散歩にはもってこいだ。手をつないで歩くカップルが、いつでも見られる。男女ペアだけじゃない。男同士で手をつなぐペアも、けっこう多い。勘違いしてはいけない。彼らは同性愛者ではない。イスラム圏では、しばしば見かけるありふれた風景だ。20歳前後の若者がそうやって歩く姿は、最初奇異に感じた。でもすぐに慣れた。
気取った若い男たちが、ひと抱えもある日本製のラジカセを肩にかつぐ光景もたくさん目にした。流行音楽を目一杯ガンガン鳴らす。これが最も粋なスタイルらしい。なんだかとっても誇らしそうだ。見ているこっちも、こんな辺境での日本製品の活躍を誇らしく思った。
その3「小遣い稼ぎ」
彼らは日本人を見ると
「ラジカセを売ってくれ」
という。ここにくると、何度もそんな声をかけられた。そこで、ぼくも日本に帰るたびに新しいラジカセを買ってきた。ちょっとした小遣い稼ぎだ。
休日になるとラジカセを肩にかついで、海岸付近を散策する。歩いていれば、向こうから声をかけてくる。
「あっ、そのラジカセいいね」
「ほしいのかい? 売ってもいいよ」
「じゃあ、まず手にもたせてくれ」
彼らがラジカセを選ぶ基準は、日本人とは違う。性能や軽さじゃない。見た目と重量だ。とにかく重くて大きいほど人気がある。ズシリと重ければそれでOK。
「満足した。いくらだ?」
となる。これで交渉成立。すぐ買ってくれた。おそらく、日本製品を信頼しているから試聴なんかする必要がないんだろう。
その4「おしゃれな若者たち」
ジャケットの襟をわざと片一方だけ立てて、風を切って歩く男たちもいた。それが彼らの粋らしい。
「アルジェリアの流行は、俺たちが作っているんだ!」
といわんばかりだ。そんな若者が通りを埋めつくしている。人だけでなく、町並みもおしゃれだ。通りに沿ってカフェが立ち並ぶ。まさにプチパリの名前にふさわしい。そうした風景を見るために、たくさんの若い女性たちがくる。彼女たちは男性以上におしゃれで、着飾っている。アラブ人だけでなく、トルコ系やベルベル族もいる。金髪、青い目をしており、彼女たちはヨーロッパ人と区別がつかない。
若い女性たちは、もはやベールなどで身を包んだりしていない。彫りの深い顔にあざやかな化粧が映える。神秘的で、一種あやしげな雰囲気さえかもし出している。既婚の女性はベール姿が多い。このベールも地方によって色が違う。以前いた東部地方スキクダでは、みんな黒布を頭から被っていた。さらに顔を白い布で隠していた。
ここオランは違う。頭から被るのも顔を隠すのも、すべて白い布だ。そのすき間からのぞく眼差しは、はっとするほど美しい。車でノロノロ走っていると、そうした女性たちと視線が合う。あまりに色っぽい流し目なので、いつもドキッとした。自宅に帰ってから、
「あの人は絶対ぼくに気があったぞ。誘っていたんだ。もう少し積極性があれば、どうにかなったかもしれない」
と、しばしば後悔した。今思い返すと恥ずかしい。こういうのを、若気のいたりとでもいうのだろうか。イスラム教徒は、4人まで結婚できる。ただしそれなりの経済力がある者だけに許される。つまり彼女たちは、金持ちの妻。貧乏で貧相な日本人を、わざわざ挑発するとは考えられない。
おそらく彼女たちは
「あら、東洋人だわ。珍しい。どこの国の人かしら?」
と、好奇心から凝視しただけなのだろう。それを、自分に都合のいいように勘違いするなんて。あのころのぼくはダメ人間、ダメ犬サム並みだった。




