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スイスの会社に雇われて、アルジェリアで先生になった件について ~日本人はぼく一人。生徒は砂漠のプラント技術者たち~  作者: Ryoichi


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国境で門前払い、大使館まで七百キロ 後編

その4「バスターミナル」


 さっそくバスターミナルの案内所で聞いてみた。


「ラバトゆきのバスは、いつ出るんですか?」

「1時だね」

「あと1時間か」

「違う、夜中の1時だ」


 とりあえず予約をすませて、切符を買った。さっきお金を恵んでもらったのに、切符代を払うと一文無しになってしまった。350キロもの道のりだから、しかたない。あとは時間をつぶして深夜を待つ。


 待合室を見つけた。教室ほどの広さの小屋に、ベンチが並べてある。客が十数人座っている。ぼくは空いたスペースを陣取った。風通しが悪く、温度は外と変わらない。いやそれ以上に暑い。中には多くの旅行者が、たむろしていた。売り子もたくさんいて、こちらにも回ってくる。


「みやげ物はいらんかね?」

「タバコはいかが?」

「体が元気になる薬草があるよ」


 中には覚せい剤ではなかろうかと疑われる物まで、売りにくる。そのたびに、ぼくはいちいち断った。買う気はないし、お金もない。疲れから、何度も睡魔に襲われる。でも寝るわけにはいかない。ここは日本の電車の中ではない。眠ったとたん、誰が何をしてくるか、わからない。


 そのうち闇屋もやってきた。セウタで見かけたような怪しい連中だ。


「お兄さん」

「何も買わないよ」

「そうじゃない。どこからきたか知りたいんだ」


 何かを売りつけたいというよりは、好奇心を満たしたいらしい。こちらは連日の長距離運転と今回のトラブルで、頭がもうろうとしている。気分も投げやりで、まともに相手をする気はなかった。それからどんな話になったか、よく覚えていない。


 どういうわけか、気がつくと闇屋のねぐらで休めることになっていた。ぼくはバスターミナルを離れ、闇屋の後ろをついていった。7月半ば、真夏のうだるような暑さ。歩いているだけで、汗がダラダラとあふれてくる。やがて古びた建物の2階に通された。


「しばらくここで休めばいい」

「ありがとう……」


 日かげにいると、汗がひく。だが暑さが消えたわけじゃない。汗をかかない分、暑さは肌ではなく、頭にボーッと上がってくる。疲れはピークに達し、すでに自分の体が自分のものでない気がした。


「この数日間、非現実な悪夢の連続だったな……」


 4、5時間は寝ただろうか。いつの間にか夕方になっていた。ぼくはまたバスターミナルに戻って、バスの時刻を確認する。やはり深夜まで待たなきゃならない。


 考えてみたら、朝トマトを3個食べたあと何も口にしていない。夕食を取りたいが、手持ちの金はすでに底をついている。


 ぼくはふたたび闇屋の建物に戻り、さらに数時間眠った。深夜12時ごろ、またバスターミナルへ。すでにバスは到着。座席は満員だった。人を押しのけへし分け、乗り込んだ。


「350キロの距離を、立ったままか」


 ところが、いちばん奥に空席を発見。さっそく確保する。


「しかし、何で1席だけ空いていたんだろう?」


 その答えはすぐわかった。


 左側の大柄の男性客が、ドでかいラジカセをひざに抱えている。午前1時の発車と同時にアラブ特有の音楽が流れ出した。しかも割れるような大きな音だ。


 最初は耳をふさいでいた。だがしばらくすると慣れてくる。北アフリカの果てしなく雄大で平坦な大地には、あのいつまでも続く単調なメロディーが合っているらしい。


 やがて騒がしさの中でも、疲れのためかウトウトし始めた。あれだけ寝たのに。


 寝付く前にラバトの駅に到着。朝の6時過ぎくらいか。夏とはいえまだ暗い。そういえば、スペインとモロッコの間には時差が1時間くらいある。さらにスペインでは夏時間のため1時間進んでいる。合計2時間の時差。これは大きい。ぼくの体内時計は、かなり狂ってきた。



その5「ラバトの大使館」


 ラバトに着いたものの、まだ早すぎてどこも閉まっている。道をたずねることもできない。バスターミナルの周囲を歩いていたら、市内地図が書かれた案内板を発見。大使館の場所もわかった。ここから4、5キロは離れている。タクシーは走ってないし、停めても大使館へいくお金はない。


「どうせ大使館が開くまでは、時間がたっぷりある。歩こう」


 朝7時ごろ、ようやく大使館に着いた。もちろんまだ閉まっている。近くの芝生に寝転がって、開館を待った。やがてまぶたが重くなり、またぼくは眠りについた。


「シャー」


 突然顔に水しぶきがかかった。


「今度は雨か?」


 傘はないし、雨宿りできる屋根やひさしも見当たらない。


「どこまで運がないんだ!」


 目を開けて周りを見渡すと、作業員が芝生に水をやっている。その水滴の一部が風に乗り、顔にかかっただけだった。


 日はすっかり昇っている。大使館のゲートもすでに開いていた。さっそく中に入り、事務員に事情を話す。


「というわけで、車に乗って国境を越えられないんです」

「その通行所は入国管理事務所ですか、税関ですか?」

「さあ、どっちだったか……」

「入国管理事務所は法務省管轄、税関は大蔵省管轄です」

「えっ、国境は2種類あるんですか! 初めて知りました」

「あなたがこうしてここまでこれたんです。おそらく入国の問題ではなく、税関の問題でしょう」

「じゃ、どうしたらいいんでしょう?」

「それなら、カサブランカの事務所にテレックスを送っておきましょう」


 ちなみにテレックスとは、電話とタイプライターを合わせたような機械。電話をかけてキーを打つと相手の端末に文字が出る。具体的には紙テープにあいた穴の列から、文字を読む。ファックスが世に出る前に使われていた。とくにヨーロッパで普及していた。


「念のため、その写しをもらって帰ります」

「いいですよ。ところで、どこへ帰るんです? ラバトに知り合いが住んでいるんですか?」

「帰るといっても、ラバトにそんな場所はないです。セウタまで戻らなければなりません……」


 そのとき初めて気づいた。お金はすでに底をついている。バス代はおろか、昼飯代すらもない。またヒッチハイクか……。


 ぼくは、しばらく黙ったまま立ち往生していた。事務員は事情を察したのか、こういってくれた。


「よかったら、お金をお貸ししますよ」


 確か日本円で5万円くらいを借りた。このときほど、日本大使館のありがたみを感じたことはない。


 大使館を出るとすぐにレストランを捜した。まともな食事ができたのは、3日ぶりだ。


 食べ終わると、今度はバスターミナルへ。セウタゆきのバスの切符を購入する。帰りのバスの中で、今までの旅程を思い返してみた。


 アルジェリアのオランからトゥルーズ、ポーといって、パリ、ロンドン。先輩の家に着いた。そして電話をかけて、すぐ日本に帰国。長崎から東京に寄って、ロンドン、パリ、ポー。新車に荷物を乗せてフランス、アンドラ。スペイン。海峡を渡ってセウタ。ヒッチハイクしてバスに乗って、モロッコのラバトへ。そしてまたセウタ……。


 目まぐるしい移動に、もうヘトヘトに疲れた。しかし、まだ終わっていない。いやこれからが大事だ。



その6「再びセウタへ」


 セウタの宿に戻ると、すぐに国境の通行所に向かった。


「ラバトからカサブランカの事務所にテレックスを送りました。こちらに連絡はありませんでしたか?」

「そんな連絡は受けておらん」


 テレックスの写しを見せたが、効果なし。結局、往復700キロ以上の距離をかけて帰ってきても、対応はまったく変わらなかった。


 とりあえず荷物を預けていたホテルに泊まる。ガレージに回って車を確認した。無事でほっとした。部屋に入り、シャワーを浴びる。久しぶりにベッドで横になった。天井を見つめながら、つぶやいた。


「いよいよ明日最後の試みだ。それでダメならスペインに戻るしかない……」


 決意を固めると、パリの事務所に連絡することにした。


「もしもし」

「その声はムッシュ・リョウイチか」

「もしかしてジャン?」


 その時電話を受けたのは、あのジャン・ジャックだった。今は、パリ事務所の採用担当部署に戻っているらしい。彼は少しイライラした調子で、こう告げた。


「ムッシュ、みんな君の帰りを待っているんだぞ」

「本当かい?」

「そりゃそうさ。ガリッグもヤイもアミエルもニオもフォールも待っている。パリで、わたしもヤエルも心配している。もし問題が長引くようなら、自分だけでも飛行機でアルジェリアにいったらどうだね? 車を残して」


 電話を切ったあと、ぼくは安心した。


「忘れられてないんだ。まだぼくには待ってくれる人たちがいる。帰れるところがあるんだ。こんなにうれしいことはない……」


 そのとき、日本で自分がした行為を思い出した。そういえばぼくは、祖母の初七日も待たずに東京へいった。マユミのことで頭がいっぱいで、完全におばあちゃんを忘れていた。あんなにかわいがってくれた人に、なんてバチ当たりなことをしてしまったんだろう。


 そういえば、モロッコの国境で不思議な単語を聞いた。


『モラル的入国許可証』


 あの時は幻聴かと聞き流していた。よく考えると、自分はモラル的に入国を許されない気がする。もしかするとあれは、係官の口を借りて伝えた神のことばだったのではないだろうか。


 おばあちゃんは許しても、日本の八百万(やおよろず)の神は許さない。このはるか中東の地で、天罰が下ったんだ。そうでなければ、これだけの苦難が連続して起こるはずがない。


 ふだんぼくは、霊や神などオカルト的なものはバカにして信じてなかった。しかしさすがにこの時ばかりは、そういうものの存在を感じた。深く反省した。


 ぼくは部屋からバルコニーに出た。日本の方角を確かめ、ひざまずいた。手を合わせ、ぼくは祈った。


「おばあちゃん、ごめんなさい。許してください。今度日本に戻ったら、必ず墓参りをします。ですから、どうか明日は国境を越えさせてください」


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