国境で門前払い、大使館まで七百キロ 前編
その1「国境で門前払い」
フェリーがセウタに着岸すると、みんな一斉にモロッコの国境を目指して車を走らせる。
前の章でもふれたように、この町はスペイン領。町中に闇の両替屋がたむろしている。そんな怪しい彼らを横目で見ながら、町外れの国境に向かう。国境よりずいぶん手前から、渋滞が起きている。車の列が長く続いていた。その数2、300台はあるだろうか。
いよいよ、ぼくの番が回ってきた。税関の前は車がビッシリと並んでいる。数多くの人たちが、検査を受けるための積み荷の上げ下ろしをしている。一方では人があまりいない場所もある。代わりに電化製品や家具、その他のあらゆる品物がうず高く積まれている。押収品置き場だ。旅行者が右往左往し、あちこちで怒鳴り合う声が飛び交っている。雑然とした、異様な雰囲気だ。
ぼくは、係官にパスポートを見せた。
「モロッコへは観光ではありません。アルジェリアで働いている。休暇から戻る途中に、モロッコを通り過ぎるだけです」
もう、すぐに通過させてくれるものだと思い込んでいた。すでに右足はアクセルを踏む準備までしていた。その時、係官はこういった。
「モラル的入国許可証はもっているか? 通過ビザはどうした?」
「確か日本人にモロッコのビザは、必要ないはずですが……」
「通過ビザはどうしたといっているんだ!」
最初は冗談かと思ったが、相手は真顔だ。
「そんなバカなことがあるか! これは何かの間違いだ!」
「早く通過ビザを見せろ!」
仕方なく列から離れた。そのとき、ぼくはこう考えていた。
「きっと係官が賄賂をほしくて、イチャモンをつけているんだ。よし、もう一度試してみよう」
一度Uターンしてまた列の最後尾に並んだ。それから1時間ほどして、また自分の番が回ってきた。今度こそ。
「モロッコへは観光ではありません……」
「モラル的入国許可証はもっているか? 通過ビザは?」
結果はやはり同じ。ぼくは途方に暮れた。
その2「日本大使館に連絡」
取りあえずセウタの町に戻り、いろいろ考えた。
「時間はないんだ、何か行動しないと。まずは連絡だ」
電話局を探し、そこからアルジェリアに向かって電報を打つ。
『もろっこノ税関ヲ通過デキズ』
それからパリに電話。ジャン・ジャックと金銭交渉をした、あの事務所へだ。
「こういう事情で……。とにかく最善を尽くします」
そうはいったものの、何をどうしたものか、誰に相談したらいいのか、それさえよくわからない。
「うーん、待てよ。そうだ。海外での日本人のトラブルといえば、その国の大使館に聞けばいいのだ」
ぼくは、マドリードの日本大使館に連絡した。
「あの、日本大使館ですか?」
「日本ノ人、ダレモイマセン。本日ハ日曜日、休日デス」
「あなたは誰です?」
「ワタシ、すぺいん人ノ秘書デス」
片言のスペイン語で事情を話したら、状況はわかってくれた。
「デモまどりーどカラデハ、ドウシヨウモデキナイデス。明日以降ニマタ電話シテクダサイ」
その時、はたと気づいた。
「問題が起きたのは、スペインの入国管理事務所じゃない!」
というのも、スペイン側には国境警備隊らしき姿も税関らしい施設もないから。
「拒否にあったのは、モロッコ側だ。よし、モロッコの日本大使館に連絡だ!」
ここまで考えがたどり着くのに、半日かかった。
「もしもしモロッコの日本大使館ですか?」
「はい、そうです」
「よかった、日本人のかたですね。実はこういうことで、入国できないんです」
「すみません、自分はまだ着任して間もないんです」
「そうなんですか……」
「ええ、さっぱり状況がわからなくて。そんな問題で入国できない日本人の話も聞いたことがないし……」
「そうですよね。ぼくも不思議なんです。本人が入国するのは問題ないのに、車は置いていけといわれて。そんなバカな話、ありえないですよ」
「ただし車といっしょに入国できないのは、事実ですからねえ」
「どうしようもないですね。わかりました、ありがとうございました」
その3「ヒッチハイク」
さっぱりらちがあかない。その上時間はどんどん経っていく。手持ちの現金はだんだん減っていく。徐々に不安になっていく。
「こうなったら仕方ない。モロッコの日本大使館にいこう」
つまり、こういうこと。まず車を置いて、単身でモロッコの国境を通過。そこから350キロ南下する。モロッコの首都ラバトにある大使館まで向かう。日本人係官に直接事情を話す。
車を置いていくといっても、中にはびっしり荷物が詰め込んである。中には腐りやすい食べ物も入っている。そこでセウタに宿を取った。荷物を倉庫に預ける。豚肉、ハムのたぐいを、部屋の冷蔵庫に入れる。
ぼくは身軽な格好で国境に戻った。もっていく物といえば、手提げ袋ひとつにパスポート、あとは残りわずかな現金だけだ。思った通り、今度はすんなり通してくれた。
「しかし、ここからどうやって首都ラバトへいけばいいんだ?」
国境の周囲を見渡しても、交通機関が何もない。バスターミナルもなければ、鉄道の駅もない。道路が1本走っているだけ。
「こりゃ、ヒッチハイクを始めるしかないな」
決意はしたものの、これがなかなか停まらない。とぼとぼ歩きながら車が通り過ぎるたびに、手をあげる。最初は、何台通り過ぎたか数えていた。百台を越えたころ、道ばたで野菜を売っている行商人に会う。
「おや、アンタは中国人かい?」
「いいえ、日本人です」
「アンタの国の映画、大好きだよ。ほら、ブルー何とか……」
「ブルース・リーは、香港映画ですよ」
「すまん、すまん。ところでどこまでいくんだい?」
「ラバトです」
「へえ、そんな遠いところへ。確かこの道をずっと進めばラバトに着くはずだが」
「バスや鉄道は走ってないんですか?」
「ラバトゆきのバスならある。しかしバスターミナルだって、ここからかなり離れているぞ」
「いろいろ教えてくれてありがとう」
ぼくはトマト3個を買った。日本円にして20円ほどで。買ったトマトは安いわりには、おいしかった。酸っぱいが水分が多く、のどをうるおしてくれる。道沿いに自販機なんかないモロッコでは、貴重な水分補給となった。少しずつ口にするつもりだったが、30分ほどで食べ尽くしてしまった。食べることに夢中で、車を数えるのを忘れていた。
1時間もたつと、太陽はさらに熱く大地を照らした。これから日が暮れるまで歩き続けるのかと考えると、体力がもつか心配になってきた。
「何しろ、ここはアフリカだ。暑さで倒れて、そのままライオンやハイエナのエサになってもおかしくない……」
はるか遠くのほうから砂煙が上がっている。
「ハイエナの群れ?」
しかもそれは少しずつ大きくなる。こちらに近づいてくる。
「いよいよ、この世ともおさらばか……」
よく見ると、ピッカピカのベンツだった。
「どうせ、停まってくれないだろう」
と思いながらも、手をあげてみる。当然のようにベンツは、あっという間に追い越していった。
「だよね、やっぱり……」
ところが、100メートルほど先でその車は停まった。ぼくは走って、ベンツに近づいた。
さっきピカピカに見えたのは、フロントガラスに日光が反射していたせいらしい。実際は、どちらかというと古びたベンツだった。でも今のぼくには、まぶしいほど輝いてみえた。窓ガラスが開いて、中年男性が顔を出した。
「この国でヒッチハイクを見かけるのは珍しいから、つい停まってしまったよ」
「そんなに珍しいんですか?」
「ヨーロッパと違って、治安がよくないからね」
道中、彼にぼくの災難を話した。
「それは気の毒に。で、これからどこへいくんだい?」
「ラバトです」
「この車で乗せてってあげたいけど……」
「いえ、無理しないでいいですよ」
「近くに長距離バスのターミナルがある。そこまでなら連れてってあげるよ」
天高く日がのぼったころ、車はバスターミナルに到着した。
「どうもありがとうございます。助かりました」
ぼくは、ついつい日本流に深く頭を下げた。
「あ、これは何かの足しにしてくれ」
彼はお金を恵んでくれた。ここは日本流に1度遠慮すべきかもしれない。が、今のぼくにそんな余裕はなかった。
「これはうれしい。実は手持ちの現金は、ほとんど底をついていたのです」
「感謝するなら、アッラーの神にしてくれ。私は喜捨の教えに従っただけだ」
ベンツは走り去っていった。




