真っ赤なシビックで、フランスからアルジェリアへ千五百キロ
その1「空港での力演」
翌日マユミと別れたあと、成田へ向かう。チケットは成田・ロンドン・パリ間の往復航空券。何の用もないロンドンを経由し、パリに飛んだ。
パリの到着ロビーに着いたが、まだ手荷物は届いてなかった。ぼくを含め日本人3人分が出てこない。
あとの日本人は男性サラリーマン。二十代半ばと三十代後半の二人連れだ。どちらも旅慣れていないらしい。
「おい、係員になんかいってこいよ」
「でもぼく英語苦手だし。先輩がいってくださいよ」
「おれが学校出て、何年経っていると思っているんだ」
「じゃ、とりあえず待ってみましょう」
「おれもそう思っていたんだ」
などとのんきなことをいっている。ぼくはふたりに声をかけた。
「特に急いでいるわけじゃなくても、空港で足止めされるほどムダなことはないでしょう。ぼくは英語もフランス語も話せますから、思い切りクレームつけてやります!」
ふたりは救世主に出会ったかのように、うるんだ目でこちらを見つめた。
「先輩、海外でも頼りになるのは同じ国の人間ですね」
「日本人同士、よろしくお願いします」
頼られると悪い気はしない。
「どうぞ任せてください。どんな感じの悪い受付係が相手でも、必ず要求を通してみせます」
ぼくは胸を反って、勇んで受付カウンターに進み出た。ところが受付係は女性。
しかも飛び切りの美人だった。パリコレモデルみたいな。ぼくも鬼じゃない。品のいいお坊ちゃんらしく、怒りは心の奥におさめた。きわめてジェントルマンに、こう切り出す。
「ぼくたち3人、日本からきたのだけど。まだ荷物がこないんだよね」
「それは大変! すぐに調べてみましょう。とりあえず喫茶店のクーポンを差し上げますから、お茶でも飲んでお待ちください」
美女のていねいな対応。ぼくはつい図に乗って、九州男児度が上昇してしまった。大げさな手振り身振りで押して押して、押しまくる。
「何、お茶が出る! それは悪くないな。ところでぼくたちは機内で大した物を食べていない。こちらは世界でも一流のブリティッシュ航空会社だ。まさかこんな事が起こるとは思わなかった」
受付嬢は黙って聞いている。しかも、やや伏し目がちに。今思い起こすと、彼女はこんな心境だったに違いない。
「何よ、この人。お茶のクーポンをあげるといったら、食事まで要求して。図々しいにもほどがある。これだから東洋の田舎者は困るわ。日本人はエコノミックアニマルっていわれているけど、これじゃただのエゴアニマルよ」
礼儀正しい日本人の評判を落としているとは気づかず、ぼくはさらに交渉し続けた。
「♪ああ、花の街、食の街
あこがれのパリィにやってきて、
最初の出来事、これだとは
君の会社を信じてた
今さっきまで信じてた
でも、もう何も信じない!
荷物がなけりゃ、どこにもいけぬ
手ぶらのままじゃ、どこにもいけぬ
ぼくら流浪の日本人
これからぼくら、どうしよう?
でもこれだけはいわないで
君の口からいわないで
美しい声でいわないで
『ぼくが間違っていた』なんて
君の
『ブリティッシュ航空を、
選んだぼくが
間違い』だなんて
ああ、それだけはいわないで」
美女の前だと拍車がかかる。かなり芝居がかった話しかたをしてしまった。歌うように語り、踊るように動く。まるでここがオペラの舞台であるかのように。オーバーなこと、この上ない。でも自然にこうなったのだから、しかたない。
両手を振り回し力演していると、近くを通る人に右手がぶつかった。身長2メートル、スキンヘッドの筋肉ムキムキ男だ。
「ヘイ、ユー!」
「ア、ア、アイムソーリー……」
とたんにぼくはシュンとなった。そのギャップが面白かったのか、彼女は笑い出した。
「ふふふっ。あなたもうまいことおっしゃるわね。何もいえないわ。とりあえずこちらでがまんしてね」
こうして食事のクーポンをゲットした。
その2「再びポーへ」
さてその日のうちに、パリから800キロメートル離れたポーに到着。面接を受けにいったときは金がなく、一晩かけて鉄道を乗り継いだ。今回は飛行機でひとっ飛びだ。
同じポーにいるにしても、以前とは金銭的余裕が違う。町に着くとまずホンダの代理店へ。日本に帰国する前あらかじめ予約していた車を受け取った。真っ赤なシビック、スリードアサンルーフ付きヨーロッパ仕様車だ。
なぜ急にそんな車を買ったのかって? 答えは、ここでの荷物をアルジェリアに運ぶため。その車で、去年から間借りしていたポーのアパートへ走った。後部座席を倒し、トランクルームにした。大家の地下倉庫から、自分の荷物を積み込む。本、衣類、その他荷物は多い。助手席の足下の空間も利用し、やっとすべてが入った。といっても運転席と助手席のシートには空間を残してある。横になるためのスペースだ。
「これでフランスとも当分お別れだな」
これから延々1500キロの一人旅が始まる。一人旅も車の旅行も十分経験済みだが、距離が違う。少し気が遠くなりそうだ。ハンドルを握る前に、大きく深呼吸をする。
「よし、出発だ!」
決心とともにアクセルを踏み込んだ。
その3「旅のスケジュール」
ヨーロッパ大陸のフランスから、アフリカ大陸アルジェリアへ。計画しているルートは、だいたいこんな感じだ。
まずはポーから200キロ離れたトゥルーズへ。
さらにピレネー山脈の観光小国アンドラからスペインに入る。地中海側のバルセロナまで南下。海岸に沿って、ジブラルタル海峡を見渡せる港町アルヘシアスまで一気に走る。
そこからはフェリーに乗る。対岸のアフリカの町セウタに渡る。ここはまだスペイン領。飛び地なんだ。地図で確認してほしい。この町の外れに国境がある。
そこを過ぎるとモロッコへ入国。ここからが本当のアフリカ大陸。約700キロ進んだことになる。まだ半分にも達していない。
そしてこの国を東に横断すること、600キロ。やっとアルジェリアの国境にたどり着く。アルジェリアの国境を越えたあと、さらに北東へ200キロ走り続ける。ようやくわが町オランに到着。
旅程をざっと話しただけでも、うんざりする。しかも初めての道が大半だ。せいぜいアンドラから、バルセロナまでしかいったことがない。とくにアフリカの国境がふたつあるのが、不安だ。簡単に通過させてくれそうにない。国境通行係が美女なら、九州男児の押しで通してもらうんだが。スキンヘッドの筋肉ムキムキ男だと、心配だ。
その4「ピレネー越え」
荷物を積んだら、のんびりしてはいられない。授業再開の日まで、さほど時間的余裕はないからだ。
ポーに着いたその日の午後には、この町を出発した。新車の慣らし運転では、エンジンの回転数が制限されている。しかし五速では毎時120キロから130キロくらいにはなる。だからそんなにノロノロ走ることはない。フランスを走る間は、この車は速くも遅くもなかった。高速道路に入ると他の車に比べて、やや遅かった。でもぼくには、ちょうどよかった。荷物をずいぶん積んでいるし、スピードを出し過ぎないほうがいいだろう。
フランスの南のはしの町、トゥルーズに到着。ここの外環道路から、ピレネー山脈へ。目的地は、山のまっただ中にあるミニ国家、アンドラ。この新車でどこまで登れるか、果敢に挑戦する。
すでにもう夜。すれ違う対向車もあまりない。ヘアピンカーブを十何回曲がり、ついに峠にさしかかった。ヨーロッパは日本に比べて街灯が暗い。その分星空は美しい。
「ずっと走りっぱなしだ。この辺で少し休憩を取って、夜空をながめよう」
と車を停めた。すると、ひとりの男が近づいてきた。暗くて顔や服装はよくわからない。この時間にこんな山の中にいるなんて。怪し過ぎる。
「こんな何もない所に、一体誰?」
ぼくは少し怖かった。しかも男は近づくだけじゃない。
「ドンドンドンッ!」
ドアをたたく。かなり強く。
「ここに停めるな!」
「何で?」
「入国管理事務所は、あっちだ」
そこが、アンドラ国境だった。よく見ると、男は制服を着ている。フランスの警官だった。話し出すと、彼は意外と気さくだ。
「いい車だな。どこで買った?」
「ポーで買いました。スペイン、モロッコからアルジェリアに帰るところです」
パスポートと、そこにあるアルジェリアのビザを見せた。
「ところで、この車の支払いはどうした?」
「もちろん小切手で払いました」
「残高不足ならどうするのかね?」
「それは毎回小切手にメモをして確認していますから、だいじょうぶです。それ以上のことをここでは証明できませんが……」
こういうときは、真面目に答えることが大事。理論的かどうかは二の次だ。とにかく通過しなければ。
「まあいい。ボンボヤージ」
といって、警官は解放してくれた。
観光国アンドラに入る。一流のホテルがところせましと並ぶ。目抜き通りにはみやげ物店が軒を連ねている。しかし今はもう深夜零時近い。この時間ではどの店もすでに閉まっている。ひっそりと静まりかえった繁華街を、ひとりで通り抜けることほど寂しいものはない。あの有名なバルセロナも迂回して、先を急ぐ。
そのころにはもう夜中の2時を過ぎていた。さすがに少し疲れた。道ばたに車を停め、3時間ほど眠った。起きたらもう周囲は明るい。すぐさま走り出した。
走る、走る、ひたすら走る。地中海もスペインの町並みも、ほとんど目に入らない。エンジンの回転数を気にしながら、一定に保つ速度で淡々と進めていく。
その5「さらばヨーロッパ」
イベリア半島南端の町ジブラルタル近くまできた。ポー出発から15時間近くたっている。あたかも鎖国のような、高い金網の門がそびえ立っている。鉄条網が張られ、ここからは通行禁止だ。そのときは早朝だから、閉められているのだろうと思っていた。時間がくれば開くのだと。
しかしあとで調べたら違っていた。なんと、このジブラルタルはイギリスの領土だった。いまだヨーロッパに残された唯一の植民地だという。中に入るには国境を越える手順を踏まなければならない。ジブラルタル、セウタ……。ヨーロッパには日本人には知られていない、わけありの飛び地が少なくないようだ。
とにかくその時はさしたる疑問もなく、海峡を渡りアルジェリアに戻ることだけしか頭になかった。
ジブラルタルに入ることなく、スペイン最南端の港町アルヘシアスへ。港はすでに旅行客であふれていた。ぼくは車を降りて、フェリーの切符売り場に向かった。そこでは多くのモロッコ人でごった返していた。とはいうものの、ほとんどアルジェリア人と見分けがつかない。格好もしぐさも同じだ。窓口では、スペイン人の予約担当者がその相手をしている。並んでいると、彼らの会話が聞こえる。
「セウタまで大人1枚」
「フェリーの空席は、もうありません」
「1席ぐらい空いているだろ?」
「1席も空いていません」
「じゃあ次の便は?」
「明日の朝まで待たなければなりません」
「昼とか夕方の便はないのか?」
「それはありません」
「夜遅くの便は?」
「それもありません」
どのモロッコ人客も、しつこく食い下がる。それに対しスペイン人担当者は忍耐強く、同じ説明を繰り返していた。怒るでもなく、声を荒げるでもなく。淡々と同じことをくり返す。くる者くる者に伝える。それが妙に説得力があった。ぼくは気づいた。
「なるほどそういう手もあるな。この方法は授業でも使える」
こうなれば待つしかない。車の中で横になり、ラジオを聴いているといつの間にか寝てしまっていた。
周りのざわつく声で、目が覚めた。太陽が、寝る前に見た位置より低くなっている。腕時計を見ると、日付が1日進んでいた。疲れていたためか、どうやら丸一日眠ったらしい。
急いで切符売り場にいくと、すでに数百人を超す人々でごった返していた。朝の港町は活気がある。ぼくの寝ぼけた頭も、いっぺんにスッキリした。
「さあ、きょうこそはアルジェリアまでひとっ走りだ!」
ようやくフェリーに乗り込んだ。乗ってしまえばあっという間。ほんの1、2時間で対岸のセウタの港に着いた。お昼を少し過ぎたころだった。




