ロンドンで荷物をなくした夜、祖母の訃報が届いた
その1「空港での失敗」
翌日ヤイにマルセイユの飛行場まで送ってもらった。
パリ・オルリー空港に着くと、今度は別の便でロンドン・ヒースロー空港へ。ここまでは予定通りの旅だった。ところがここから、予想外のことが次々と起きる。
ぼくは、空港のサービスカウンターで問い合わせをしていた。無事用事を済ませたものの、何かが足りない。
「そうだ、荷物は?」
どこかに大きなカバンを置いた。それがどこだったのか、全然覚えていない。
サービスカウンターに戻り、もう一度話すことにした。
「ウェオ〜、マイバッグ……」
さっきは確か英語でしゃべっていたはずなのに、ことばが出ない。
「ど、ど、どういうことだ!?」
フランス語なら得意だが、ここはイギリス。フランス語は通じない。使い慣れない英語に切り替えなければという、あせり。荷物が見つからない、あせり。ふたつのあせりで、ぼくの頭はかなり混乱してきた。中学で習ったはずの単語すら出てこない。英語がしどろもどろになってきた。
「どうかしましたか?」
近寄ってきたのは、若い婦人。最初は英語で話しかけてくれた。普段のぼくならヤイを見習って
「若い女の子だ! このあとお茶でも誘って……」
とか考えるのだが、今は脳がパニック状態。ぼくはフランス語で
「荷物をなくしたんです」
とだけ伝えた。彼女はどうやらフランス人らしい。今度はフランス語に切り替えて返事してくれた。
「あなたはフランス語なら話せるのですね。だったらあなたがいったことを、英語に通訳しましょう」
ロンドンにはもう3度目の訪問なのに、これじゃおのぼりさんだ。ずいぶん情けないことになってしまった。彼女のおかげで、何とか荷物は見つかった。ぼくは、彼女にていねいにお礼をした。
「親切にどうもありがとうございました」
でも恥ずかしいのですぐ別れた。礼をした時よく見ると、彼女はかなりの美女だった。こんな出会いでなければ、お茶に誘ったのに。
その2「先輩の家で」
研修はあさってだから、まだ時間がある。そこで以前勤めていた先輩を訪ねた。週末は彼の広い家でのんびり過ごさせてもらった。
その先輩は5カ国語を話す。英仏独にスペイン語、それに日本語だ。バイリンガルどころじゃない。ペンタリンガルとでも呼べばいいのだろうか。
ある人が、その先輩についてこういった。
「彼は日本語がいちばん下手だ」
ぼくは反論した。
「母国語以上に上手に話すなんてあり得ない」
ふたりの意見は平行線のまま終わった。
よく考えると、こういうことかもしれない。日本にいるときは、口数が少なくてもおかしくない。不自由も感じない。
しかしヨーロッパでは、いつも自己主張が必要だ。自己主張といえば大げさだが、常にことばで自分の考えを説明し伝えないと生きていけない。というか評価されない。だからその先輩も母国語を話しているときの印象より、他の外国語を使っているイメージのほうが強くなったんじゃないか。文化の違いから生まれた誤解だろう。
ぼくも長い海外生活の影響で、いつも自分の意志を明確にするクセがついた。図々しいほどの度胸もついた。日本に帰ってきて同様にふるまうと、みんなに
「なんてしつこく、うるさく、理屈っぽいヤツだ」
と煙たがられるようになってしまった。
その3「実家への電話」
日曜日の夜。いよいよ明日からロンドン南部の研修所にいく。ぼくは先輩の家で荷物をまとめ、準備を整え終わった。ムッシュ・ガリッグ、ヤイ、アミエルや連絡が必要な所に電話を入れる。最後は実家に連絡した。
「あっ、母ちゃん。久しぶり」
「リョウイチ、大変たい! おばあちゃんが亡くなったとよ」
「ほんとね?」
「早う帰ってきて」
なんということだ! 祖母の訃報を知る事になるとは。急いで帰らなければならない。
とはいっても、すぐに日本ゆきの便の予約は取れない。夏のバカンス時期が始まり、予約はどこもいっぱいだからだ。ビジネスクラスなら空席があったが、それでは3倍の運賃がかかる。
イライラしながら丸一日待った。やっと搭乗券を手にした。せっかくのイギリス滞在。研修が終われば、あとは自由になるはずだった。もう少しいろいろ回りたかった。後ろ髪をひかれる思いで、空港に向かう。
それからは目まぐるしく、ロンドン、成田、福岡と休みなしのフライトを続けた。そして特急かもめに乗って長崎へ。佐世保駅に着いた時には夜10時を過ぎていた。
翌日、告別式に出席。その後、実家には3日もいただろうか。旅の疲れもようやく抜けた。アルジェリアでの騒然とした環境から離れ、ボーっとした一日を送っていた。縁側で寝転んでいると、母がスイカと麦茶を運んでくる。
「リョウイチは、いちばんおばあちゃんにかわいがられとったとね」
「そうやったと?」
「何、ゆうとっと。あんたはただひとりの男の孫だったから、お姉ちゃんたちより多くお年玉もろたでしょ。あとでばれて正月からケンカしとっと」
母方のおばあちゃんは、ぼくが小学生に上がったころから、病気がちとなった。だんだんこちらの家に顔を出さなくなってしまった。だからあまり覚えていない。
「おふくろ、結局ラマダン休暇の1ヶ月は、帰国休暇となってしもうた。それも運命なんね」
「こんなことでもなければ、リョウイチはわざわざ帰国せんでしょ。休暇中やから有給休暇も使わずにすんだし。おばあちゃんに感謝しないといけんよ」
「……」
「ところでリョウイチ、いつまでここにおれるとね?」
「いつまでいられるかな……。そうだ、明日出発すると」
ぼくの頭には、ある計画が浮かんでいた。これは日本にいる間に、ぜひやっておきたかった。
「あさってが初七日なのに。もう1日残れんと?」
「うん、逆算すると明日帰らないと、授業に間に合わないから」
そう思い立つと、のんびりしていられない。急いで飛行機の予約をして、翌朝家を発った。途中、出国の前日に東京で一泊した。
その4「東京での一夜」
海外生活が長いと日本人の友人、知人がどんどん減っていく。単に連絡が取れなくなるだけじゃない。住む世界が違ってくる。たまに会っても話が合わなくなる。いつしか疎遠になっていく。
それでも数少ない友だち、しかも女性が東京にいた。フランスで知り合ったマユミだ。1年近く会っていないが、電話してみる。
「もしもし、マユミさんですか?」
「その声はリョウイチ! いつも突然連絡してくるね。そういうところ、全然変わってない。どこにいるの? 今も海外勤務?」
「いや、日本に帰っている。きょうは東京にいるんだ。明日には日本を発つけど。よかったら今夜会わない?」
「いいよ、どこで待ち合わせする? ウチからだと新宿が近いんだけど」
「じゃあ、隣の新大久保駅のホームに夜7時待ち合わせで」
新大久保駅を選んだのには、ふたつ理由がある。ひとつは以前その近くに親類が住んでいたので、よくその駅を利用して土地勘があったこと。もうひとつは、その手のホテルがすぐ近くにあることだった。日本では、ぼくもヤイに負けてはいない。
駅のちっぽけなホームで相手を見つけると、再会を喜んだ。
「マユミ、相変わらずきれいだね」
「リョウイチはだいぶ変わった。前会った時は学生みたいな格好だったのに、きょうはいい服装ね。最近は何してるの?」
「スイスの企業と契約してね……」
ちょっとカッコつけてしまった。
「じゃあ、スイスに住んでいるのね。あたしもいってみたいな」
「いや、今はアルジェリアの……」
「え〜っ? アフリカの?」
ああ、説明が面倒くさい。ぼくは彼女を抱き寄せた。
「そんなことより……」
ふたりは口づけを交わした。祖母が死んだばかりというのに、喪に服す気持ちはさらさらなかった。お坊ちゃんの品の良さなどどこへやら、そのままホテルへ直行した。
部屋のシャワーをふたりで浴びている時、突然昔の思い出がよみがえった。
「そういえばあのおばあちゃん、ぼくをかわいがってくれたなあ。いっしょに風呂に入り、いっしょの布団に寝て……」
その夜、ぼくはマユミをかわいがった。いっしょのベッドに寝て。




