ぼくを面接した男が、こんどは同僚として現れた
その1「マグレビアン」
ジャン・ジャック。彼は、パリでぼくの面接をした担当者だ。あの時の契約金額交渉のかけ引きは、スリリングだった。それがなぜか一時期アルジェリアに赴任してきた。講師を務めるためだ。
彼は長身。丸めがねをかけ、口ひげを生やしている。顔つきはアラブ人そのもの。しかも悪役顔。銃をもたせれば、テロリスト役がぴったり。本当は、何代も前からフランスに住む生粋のフランス人。こちらにくると、しばしば現地アルジェリア人と間違われる。イヤな目にも何度かあったという。彼は、フランス北東部ロレーヌ地方出身のマグレビアンということだった。
マグレビアンとは? フランスではモロッコ、アルジェリア、チェニジアからの移民が多い。このアフリカ北部マグレブ地方からきた彼らをまとめて、マグレビアン(マグレブ人)と呼んでいる。フランスはその他スペイン、イタリア、ポルトガルからも多くの移民を受け入れている。移民大国といっていい。
実はこのマグレビアン、フランス人には嫌われている。他の移民はだんだんフランスに溶け込んでいくんだけど、彼らはそうじゃない。彼ら独自の宗教や文化を持ち込んできて、手放さない。とくに宗教は、キリスト教と相いれない性格をもっている。
その2「ジャンの評判」
さてジャン・ジャックは、ムッシュ・ガリッグやムッシュ・フォールに評判が悪かった。別に宗教がどうのという話ではない。彼が元採用担当者で、今までろくな講師をよこさなかったからだ。
「アルジェリアにきたなら、自分が送り込んできた講師たちを見てみろ」
と怒鳴りたかったに違いない。赴任直後に帰される者。何日もしないうちに追い出される者。自分から去っていく者。どれもかなりの数だ。これが兵士だったら、アルジェリア軍はとっくに負けている。
ムッシュ・ガリッグは、毎回ひとりひとりを受け入れて世話をした。その努力のほとんどが徒労に終わっている。残っている優秀な講師は、ぼくくらいなもの。
あっ、いかん、いかん。品のいい坊ちゃんのぼくが、成金のような自慢話をしてしまった。はしたない。でもこうなるとわかっていたら、パリでの契約金額はもっと高くしておけばよかったな。
その3「ジャンの体験談」
評判の悪い、悪役顔のジャン・ジャック。しかし話をすると印象が変わる。人の好い、クレバーな紳士的なエンジニアだとわかる。
一度アルズーのホテルで、いっしょに食事をした。彼は、こんな体験談を話してくれた。
「あれは、わたしが砂漠で数ヶ月滞在したときの話だ。
暑いので強制的に毎日6リットルの水を飲まないと、脱水症状で死んでしまう。
そんな厳しい自然条件のへき地に、トアレグという遊牧民が住んでいる。
あるとき、食事に招待された。彼らのテントでは、代表的アラブ料理クスクスも味が違う。酸っぱい味の物が出される。それが彼らのごちそうだ。
『いつもの味じゃないね。何を使っているんだい?』
というと、こう答えが返ってきた。
『半分腐りかけたバターだよ。これじゃないと本物の味は出ない』
わたしには合わない味だった。自宅に戻ると口をゆすいだ。ところが何十回ゆすいでも、舌に味が残っていた。使った水の量は、6リットルだった」
その4「契約交渉」
食事中、ぼくはこんな質問もした。
「パリで契約交渉の時、ぼくが少し粘って金額がアップしたよね。あそこでもうちょっとがんばれば、まだ上がったかな?」
「うん、上がったね」
彼は素直に打ち明けてくれた。惜しいことをしたが、今さら悔やんでもしかたがない。母のことばを思い出した。
「人生と回転寿司の皿は、逆には戻せない」
その5「妻ヤエル」
ジャックは、すぐに宿舎からオランに転居した。彼の引っ越しには、誰も手を貸す者がいなかった。現地に知り合いはいないし、ムッシュ・ガリッグたちはあまり気乗りがしなかったようだ。気の毒に思い、ぼくが手伝いを買って出た。
そのとき彼の妻ヤエルを紹介してもらった。とても外向的な人で、すぐ親しくなった。パリでは名の知れたピアニストだという。文化人には多くの友人がいるらしい。どうしてエンジニアとピアニストが結婚したのか? 不思議だが、世の中そんなカップルはいくらでもいる。
とにかく彼女は、どこにいくにもピアノといっしょ。ここアルジェリアに一時期住む間も当然運ぶことになった。彼の妻は引っ越しの最中、ずっと怒っていた。
「なんてこの国は非効率なの! 手際が悪すぎるわ。大事なピアノなのに、まだ届かないなんて」
他の新入りフランス人同様、当たり散らしていた。
「ヤエル、それは仕方ないよ」
ジャックは、ただただなだめるばかり。
「ほんと非効率よ、非効率」
彼女の不満は止まらなかった。そんな彼女も少しずつ慣れていく。1ヶ月もたつと落ち着き、プチパリ(小さなパリ)と呼ばれるオランの生活を、楽しむようになった。
その6「ヤイとヤエル」
ある日、ぼくはヤイといっしょに夕食へ呼ばれた。
「おれはヤイ」
「わたしはヤエル」
ヤイとヤエルで話は盛り上がり、楽しいひとときを過ごした。
彼らには、ジャンという4歳の男の子がいた。その年ごろの子どもは、親とのあいさつをほほとほほのキスではなく、くちびるとくちびるを付ける場合が多い。
それにはぼくも驚かない。けれど黒人のヤイにも、ジャンがくちびる同士でキスしたときは、正直びっくりした。全然平気らしい。母親のヤエルは、そのことを自慢した。文化人だから、リベラルな考えの持ち主なのだろう。
その後しばらくして彼らはまたパリに帰った。ぼくは1度遊びにいった。パリの中心部に彼らは住んでいた。繁華街にある建物なので、かなりせまい。日本なら6畳間の広さの部屋が、ふたつ。3人家族では住みづらそうだ。それでも相変わらずピアノといっしょ。広く場所を取って置いてあった。
「このせまさに、大きなピアノ。なんて非効率だ!」
といいそうになったが、黙っていた。




