初対面で「いっしょに住もうぜ」と言われて
その1「ヤイと同居のきっかけ」
前の章の最後で、チラリと登場したヤイ。彼とは一時期寝食をともにしていた。ぼくがもっとも親しくした講師だ。出身地はギニアだが、フランスのパスポートをもつ。機械工学のエンジニアで、ここでは数学と物理を教えていた。
いっしょに住み始めたいきさつは、こうだ。職員室で彼と初めて会った時、いきなりヤイがこう提案してきた。
「いっしょに住もうぜ」
「ああ、いいよ」
何のためらいもなくぼくは同意した。ぼくは元々好奇心が人一倍強い。その上そのころは若かったから、あらゆる事が未知への扉に思えた時期だった。それまで外国人といっしょに住んだことはない。ましてアフリカの黒人と同じアパートに住む機会はめったにない。ただそんな理由で即決したのだった。相手がどんな人物か、まったく知らずに。
その2「ヤイと初めて借りた家」
すぐにふたりで家を借りた。場所は、職場から20分ほど離れたハッシと呼ぶ小さな町だった。ハッシというのは井戸のことらしい。
中庭を囲むように家々が建っている。離れが2軒あり、貸家として空いていた。その一軒をふたりで借りた。
居間は広すぎるほどだった。しかし台所もトイレも清潔ではない。風呂もついていたが、快適とはいえなかった。シャワーを使うたびに排水口がつまる。湯はしばしば途中で水になる。そのうち引っ越ししたいと考えるようになった。
それでも入居したてのころは、とにかくうれしかった。宿舎では入り口にいつも監視が立っていた。彼らの目から逃れられただけでも、ほっとしたものだ。
引っ越して間もなくパーティーを開いた。男2人の住まいだが、いろいろな料理を作った。20人ほどの人間を誘って、大いに盛り上がった。
その3「ヤイの趣味」
同居するうちに、だんだん彼についていろいろなことがわかってきた。彼はマルセイユに家族を置いて単身赴任している。いずれは呼び寄せるつもりらしい。ただし彼の行動からは、あまり家族といっしょに住みたがっている風には思えない。独身貴族を楽しんでいて、かえって家族がいないほうが彼自身満足しているように思えた。
彼はフランスにいる時から、夜な夜な出歩くのが趣味。狩りでもするかのように女の子を引っかけて回るのが、日課だった。そのことは同居していて、うすうす気づいていた。
はっきりと知ったのは、断食月の休暇中のこと。ぼくは彼の家族を訪ねてフランスにいった。夕食後ヤイに誘われて外出した。町から帰ったときには、もう深夜になっていた。そのとき、セネガル人の奥さんからこう話しかけられた。
「今夜は楽しかった? でもちょっとフラれたみたいね。毎晩ああやって出歩くんだから。困った主人だわ」
そういっても、それは彼の生活習慣といったようすだった。とくに浮気がどうのと問題にしているふうではない。
彼はイスラム教徒。4人まで妻をもてる。といっても彼にその気はないらしい。というか、そもそもイスラム信者らしくない。
第1に彼がお祈りする姿を見たことがない。豚肉、ハム類は禁止のはずだが、問題なく食べている。酒は好きでよく飲む。ただし彼は信仰心がないと、決めつけるわけにはいかない。同じイスラム教徒でも国や民族が違えば、かなり違うと聞くからだ。
その4「ヤイの女たち」
話を、引っ越しパーティーのあとに戻そう。それからいく日もしないうち、女性が何人もぼくらの家に出入りするようになった。前の章で登場した黒人美容師ファティマと、スペイン語通訳のジェミラもそうだ。
とにかく、ヤイは女の子たちとすぐ仲良くなった。モテ男ぶりは、天才的だ。というか、もって生まれた性分なのか。黒人女性とは、黒人同士通じ合うものがあるのか、すぐ親しくなる。白人女性に対しては、黒人を神秘的に感じさせるのがうまいのか、やっぱり仲良くなる。
「ヤイはハンサムでない。収入もぼくと同じくらいで、そこそこ。性格はいいかげんで、浮気性だ。何でそんなヤツがモテるんだ?」
当時は不思議に思った。ずっとあとになって、アフリカ諸国を回ってようやく分かった。それは、ぼくでもモテたから。要するに、とにかく声をかければいいんだ。あいさつを、いつでも誰とでもする。町ですれ違いざま。エレベーターの中で。喫茶店でも……という調子だ。
女の子にとって、外国人は金回りのよい特権階級。貴重な外貨をもっている。しかも30歳前後の独身者とくれば、モテないはずがない。ここでいう外貨とは、西側諸国の通貨のこと。ドル、フラン、マルク……。当時の円はまだ弱かった。
アルジェリアの通貨は、持ち出し禁止。ドルやフランとの交換にも制限がある。休暇でヨーロッパにいくには、まさにのどから手が出るほどほしい。とくに女性たちはフランスで買い物をしたいからね。ともかく外国人なら金持ちだし、オーケーというわけだ。たとえハゲ茶びんオヤジでも、ある程度はモテただろう。
さて、ジェミラはおしゃれな娘だ。たいして美人ではないが、スタイルはいい。バストはやや小ぶりだが、腰がくびれている。ボンッきゅっボンではなく、プクッきゅっボン。肌の色は日本人より少し濃い。髪は生まれつき茶色がかっているが、栗毛というほどではない。
3日に1度はヤイに連れられてやってくる。ぼくら3人はゲームやトークで夜を過ごす。そして彼女は泊まっていった。もちろんヤイと同じベッドで。
その6「ヤイVS大家」
やがて、それは大家に知れた。
「女を連れ込むな」
と苦情がきた。日本なら昔よくある光景だった。長屋や下宿には、おせっかいで口うるさい大家がいた。しかしヨーロッパ、とくにフランス人の感覚では、大家であっても他人のプライバシーに口を出すのはがまんならないものらしい。
一方アルジェリア人からすると、異教徒の外国人に同胞の女は渡せないという気持ちがあるらしい。毎晩夜8時ごろになると大家の妻である老女が、いつもぼくらを戸のすき間からのぞいていた。何のことはない。宿舎と同じく、また監視される事になってしまったわけだ。
ある日大家がわざわざ文句をいいにきた。
「外国人の女なら好きにしていい。しかしアルジェリア人の女はダメだ。隣近所の目がある。どうしてもというなら、改宗してイスラム教徒になれ。そして結婚しろ」
ヤイは当然激怒した。ぼくも彼と同じく憤慨した。そのころ職場はフランス人が多かったので、自分もフランス人思考の影響を受けていた。飼いネコが、周りが人間ばかりだと自分も人間だと思い込むようなものかもしれない。
当時のぼくは、他人に感化されやすかった。今はすごくガンコだけど。結局早々と引っ越しすることになった。
その7「ヤイとのギャップ」
ヤイと同居しなければ、まだずっとハッシに住んでいたかもしれない。
ヤイと生活をともにしていると、彼の生きかた、生活習慣がことごとく違うのに驚き、疲れた。
そのとき、自分が日本人であることを痛感した。ぼくは外国生活が長い。とくにフランスの影響をかなり受けていた。しかし、そこは日本人。ヤイとはかけ離れていた。
ヤイのほうも、それは感じていたらしい。しかも問題は、単なる生活習慣のギャップだけではない。自分では気づいていなかったが、
「ぼくのほうが正しく、ヤイが間違っている。だから常に直してやろう」
としていたようだ。それは自分のやりかたや常識を他人に押しつけたがる、日本人全般の行動パターンに他ならない。ヤイがやることは、ことごとくぼくと違う。それもみんな、ぼくからすれば常識はずれ。非効率そのもの。始める前から結果が見えている。
「そんな風にしてはダメだ」
「順番が違う」
「やりかたがまずい」
「ああ、見ていられない」
あれこれ口をはさんだ。初めの1週間は、いちいち文句をいっていた。毎日イライラした。そのうち疲れてきた。いくらいっても、ヤイの生活はちっとも変わらない。彼も疲れただけだ。
そのうち、こう考えるようになった。ぼくがヤイに注文をつけるのは、外国人が日本人に
「みそやしょうゆを使うな」
「風呂に入るな」
と命令するのと同じだと。変えるのは無理。抵抗されるだけ。結論として、相手の生活習慣を尊重することにした。というより、好きなことを好きなようにさせるしかない。
ヤイは、そうした生活を何十年もしてきたのだ。ぼくがあれこれいっても、これからも続けていくだろう。今さら何をいおうと、彼の習慣は何も変わらないに違いない。そう思うと気が楽になった。
その8「ヤイの料理」
別にヤイは自分の兄弟、息子や娘ではない。それまでは同居していっしょに食事を作り、食べていた。しかし、その必然性は何もないことに気づいた。
ヤイの食事は一風変わっている。ごはんを鍋で炊く。それはいいのだが、米と水の量、火の強弱は、いつもいいかげん。必ず焦げて3分の1は食べられない。
それでもたくさん炊くので、食べられるうちの半分ほどをふたりで食べると、もう満腹。残り半分は捨ててしまう。
おかずは、毎回必ずニワトリ料理だ。トマトソースで煮込む。1、2回はおいしいと思って食べていた。でも3日目からはあきてくる。毎日続くと苦痛だ。二週間続くと拷問だ。ある日ヤイにこういった。
「ぼくはもういい。ニワトリはおいしいし、お前さんの料理はすばらしい。とにかくお前さんの好きなようにしてくれ。ぼくは、自分の好きな物を料理する」
こんなことをいわれたら怒りだすかと思ったが、彼はニヤッとしただけだった。
「そうかそうか。おれの料理はまんざらでもないか」
ストレートにほめてもらったと、喜んだだけなのか? それとも、ちゃんと理解したのか。よくわからないが、そのあと気まずくなることはなかった。
彼と仲違いすることもなく、それからは平穏な日々が戻った。




