一年で五十人が来て、半分は帰らされた 後編
その7「ベルギー人技師」
ある日、ぼくは教室から職員室に戻り、自分の席に座っていた。
すると後から大柄のベルギー人技師が入ってきた。きのう赴任したばかりの新入りだ。彼はぼくのイスを指さして、こういった。
「そこは俺の席だ」
「いや、ぼくの席だよ」
と答えると
「そうじゃない、そこは俺がいつも座っている!」
といい張り、イスを強引に取り上げた。
「冗談はやめてくれ!」
といってもムダ。彼は本気だった。とにかく力づくで取られてしまった。自分の居場所が、いや全存在が否定されたような気がした。
このとき、久々に九州男児度が急激アップ1000%! ぼくの心の阿蘇山はもちろん、雲仙岳、桜島、さらに富士山までもが噴火した! 彼はぼくの倍ぐらいの体格。しかしそんなことは気にならない。猛然とイスを奪還にいった。
この職員室の机の置きかたは、日本と同じだ。2列背中合わせで並べてある。島のような固まりになっている。それが3つ。廊下側から窓際へ並んでいる。
上から見たら、こんな図だ。
廊下側
□□□□□□□□□
□□□□□□□□□
□□□□□□□□□
□□□□□□□□□
↑→→→→→→→→→↓
◎□□□□□□□□□↓
■□□□□□□□□↓
←←←←←←←←↓
窓側
ぼくの机は、いちばん窓際の島。その島の角に当たる部分に席を確保していた。
ちょうど■に当たる。景色のいい場所だった。
今は、例のベルギー人講師が不法占拠している。
ぼくは体を低く構えて、歩き始めた。
彼に気づかれないよう、机の上に頭が出ないようにして、その島をぐるりと1周した。(◎のところから矢印の方向に移動)
気分は特殊潜航艇だ。やがてベルギー人講師の背中側に回った。彼は戦勝気分なのか、口にタバコをくわえ、ライターで火を点けようとしている。ぼくはイスの足元を抱え込んだ。イスの下の部分は、4つに分かれていて十字のような形をしている。
「せーの、えい!」
イスの4つある脚の一つを勢いよく持ち上げ、傾けた。イスは車輪付き。50度以上傾くと、バランスをくずしひっくり返る。当然その上に座っていた彼も、勢いよく倒れた。
「う〜、痛い!」
彼はでかい分、動作がにぶい。ぼくはすかさずイスを取り戻した。
「う〜、熱い!」
どうやらライターの火で、どこかをヤケドしたようだ。早く水で冷やしたほうがいい。しかし彼は洗面所に向かうより、ぼくに向かってきた。彼は立ち上がった。イスからぼくをはがそうとした。でもぼくは後ろ向きに座っている。
背もたれに両腕で抱きついている。両足はイスの十字脚にからみつけてある。絶対離れない。
「う〜、許せんぞ! ヤケドまでさせやがって」
ヤケドは、自分のライターを押し付けたんだろ。早く洗面所にいって、ヤケドを冷やしてこい! ついでに頭も冷やしてこい!
彼は、ついにイスごと持ち上げた。ぼくの背中が、もう少しで天井に当たりそうになる。その高さからぼくを頭から床にぶつけて、大けがさせるつもりだ。リョウイチ絶体絶命! ここでみんなが割って入った。
「まあ、まあ、まあ」
「こっちに座ったら?」
別の者が、彼に他のイスをすすめた。それで一段落した。その間わずか1、2分のことである。
あとでムッシュ・ガリッグがぼくにいった。
「お前さんを守るために何かしようと思ったが、それ以上に君はうまくやったよ。あれで良い」
ささいなことだったけど、この事件でぼくを見るみんなの目が変わった。親しくない人は、廊下ですれ違うときに避けて歩くようになった。きっとぼくを、空手や柔道の有段者と勘違いしたに違いない。まさか『怒らせるとキレる、危ないヤツ』と、レッテルを貼ったわけではないよな?
職員室は毎朝あいさつで始まり、握手し合う。あの事件後も、ぼくはみんなに握手した。あのベルギー人とも毎日握手をおこなった。ぼくは笑顔で手を差し出し、彼の目をじっと見る。彼はぼくの視線をそらしながら一応握手を返す。
数週間後彼は帰国した。その日まで握手とガン見は続いた。そのたびに彼はいいようのないうしろめたさを感じているように見えた。
誰だ? 『怒らせると長く根にもつ、危ないヤツ』と思っている読者は?
その8「トーゴ人エンジニア」
ひょろりとしたトーゴ人エンジニアがやってきたのも、そのころだった。彼はいつも不平不満をいっていた。
「自分は名誉アメリカ市民の称号をもらっている」
「自分は尊敬されるべき人間であり、ここにいるべきではない」
「自分はフランスに残した仕事がある」
とにかく不満らしい。そんなに不満だったら、なぜここにきたのか、よくわからない。
「帰ったら?」
とぼくは何度もいいそうになった。彼は交渉を有利にもっていくため、自分の価値を上げようと見せているらしい。講師は全員ここにくる前に契約はすませ、サインをしている。彼がそんなことをしても、何の得にもならない。
立ち食いそばでたとえると、こうだ。食券ですでに月見そばを頼んだのに、あとから店員に
「天ぷらそばに替えませんか!」
といわれている状態。客はもうお金を払わないよ。社会を知らず、学業成績のみが人生の価値でそれを鼻にかけている感じだ。しかしこの仕事には、最先端の知識やエリート意識は必要ない。
ある昼食時、彼が契約担当者と話すのを見た。相変わらず不満たらたらだ。
「自分は他でやるべき仕事がある」
といつもの調子でしゃべっている。担当者はそれにこう答えた。
「ここでの契約と仕事以上に大事なものとは、何があるというんだね? まあ、ゆっくり考えてみたまえ」
結局相手にしなかった。それから何週間もたたないうちに、彼はフランスに帰国した。帰ったのか、帰されたのかはよくわからない。
その9「ムッシュ・ニオ」
そのころはいちいち気にしていられないほど、入れ替わり立ち替わり新人講師がきては去っていった。そのころやってきた中に、典型的フランス人といえる電気技師がいた。
名前は、ムッシュ・ニオ。年のころは40歳前後。頭の真ん中がはげている。話しかたは普通だが、外国人を極端に警戒する。自分と同じフランス人しか相手にしない。たぶんフランスから出て外国で働くのは、これが初めてだろう。ましてアルジェリア人や日本人と仕事をした経験は、100%ないはずだ。
フランス人が毛嫌いするアルジェリアまでやってきて
「何という悲劇だ!」
と思っているに違いない。当時彼は、外国人に対して疑心暗鬼の固まりだった。彼がとなりの誰か(もちろんフランス人)と話していた。内容は、フランスの自慢とアルジェリアの悪口。
「あれがない、これがない」
といった不平不満だ。その時鉛筆を落とした。
「落ちたよ」
とぼくが伝えたが、彼は一瞬聞いていないふりをした。そしていかにも
「俺はアンタのいうことなんか聞いてないよ」
といったしぐさで、しかしゆっくり下を見た。そこに鉛筆を見つけ、やおら拾い上げると感謝ものべず、また話を続けた。
「お前はブサイク男子高校生を完全無視する、カトリック系の女子高生か!」
ぼくの九州男児度が上昇しかけた。が、以前1000%も使ったので、今回はエネルギー切れ。がまんした。
その後……。彼は、少しずつ開放的になっていく。ひと月もすると彼も少し落ち着く。3ヶ月後には生活に慣れたようだ。まんざらでもないと思い始めている。相変わらずグチは出るが、そう悪くなさそうなふんいきが伝わってくる。
半年から1年も過ぎると、あら不思議。帰国しなければならなくなっても、逆にここにいたくなっている。彼ほど最初と最後でその性格が劇的に変化した人はいなかった。結局彼は最後までこの職場に残ることになった。
その10「モーリスとテレーズ夫妻」
このころモーリスもやってきた。モーリスはフランス人だが、独身で因数分解のできない、あのモーリスとは別人物。テレーズという※ザイール人の妻を連れている。(※1997年からコンゴ民主共和国)
彼はいつも赤ら顔。いかにもワインとチーズが好きそうだ。ブルゴーニュ地方の居酒屋から出てきたような、でっぷりとした体形をしている。テレーズは、大柄で愛嬌のある奥さんだった。
彼らに初めて会ったのは、職員室ではない。ムッシュ・ガリッグ宅の居間で談笑している時だった。モーリスはよくしゃべる。この点は、あの独身のモーリスと同じだ。たいくつな話を、さも一大事のように語りかける。その大半が自慢話だった。
テレーズは歌うように話す。アフリカ人特有のアクセントで、ベラベラととどまるところがない。肌はかなり黒光りしている。30歳前後の女盛り。話していると目がくるくる動く。そのたびに白目が際立って、表情が豊かだ。
そのころ彼らは越したばかりで、ホテルに住んでいた。キャンプには家族用の住宅がある。しかし彼らは本国並みの住宅を探して、市中に住みたいらしい。
「ホテルの食事には、もうあきた」
とモーリスがいうと
「レストランだと食事が高くつくし」
とテレーズ。ぼくは彼らと仲良くなり、何度も自宅に誘い、食事をともにした。
間もなくモーリス夫妻は職場から10キロメートルほど離れたアルズーという住宅街に移り住んだ。あるとき、モーリスがこういった。
「今までのお返しに、フーフーをごちそうしたい」
「フーフー?」
「ザイールの料理だよ」
見たことも聞いたこともない食べ物だ。ぼくはその名前から
「フーフー」
と冷ましながら食べる、熱々のモツ煮込み料理を想像した。
仕事を終えると、モーリスの買い物に付き合い、市場に向かった。肉屋では、牛・豚・ニワトリの他、アフリカでなければ手に入らないようなめずらしい動物の肉が並べられている。しかしモーリスは、肉には目もくれない。その代わり店先に吊るされた、あるかたまりに手を伸ばした。
それは何とも形容しがたい臓物だった。
そんな物を一抱えも買い込んだとき、ぼくはいやな予感がした。
「これはいかん! ぼくの食べられそうな料理じゃない。せめて自分のために何か食べ物を用意しなければ。しかしうまい口実が見つからない……」
いい考えが浮かばないまま、モーリスの家に着いた。そこにはすでに、ガリッグ夫妻が食卓に座っていた。他に、当時ぼくと同居していた同僚のギニア人ヤイがいる。そして彼が連れてきた女の子ふたりもいた。黒い肌の美容師ファティマと、スペイン語の通訳ジェミラだ。
そしてついに注目の料理フーフーが姿を現した。ひとり一皿ずつ、テーブルの上に置かれた。食材も形容しがたかったが、皿に盛られた料理もやはり形容しがたい。形も色も気持ち悪い。
ところが、彼らは出されたフーフーを実においしそうに食べていた。ヤイや女の子たちは黒人だから、食べ慣れているのかもしれない。しかしガリッグ夫妻まで、うまそうに食べているのには驚いた。
「一体どういう食文化の連中なんだ?」
不思議な思いで、改めてみんなを見回した。その香り、いやクサさときたらとてもモツ煮込みどころじゃない……。モツ煮込みを想像したぼくが、間違っていました。日本全国のモツ煮込み屋さん、申し訳ありません! ニオイはもちろん、味もひどい。とても食べ物とはいいがたい。ぼくの舌は、まったく受け付けない。なのに、おなかは
「グーグー」
と音を鳴らす。自分の意志と関係なく。しかたなくサラダとデザートだけで、何とか飢えをしのいだ。
結局その日のフーフーは、ほとんどのどを通らなかった。空腹でありながら、一口も食べられないのは初めての経験だ。ぼくの胃袋は、あまりのひもじさに
「ヒーヒー」
だった。
その11「とびきりのごちそう」
そんなことはあったものの、昼飯にはよくモーリス夫妻の家にいった。テレーズが普通に作る料理は、けっこうおいしかった。主婦の手抜き料理というと非難の対象だけど、彼女の場合は別。そのくらいが、ぼくにはちょうどいいのだ。
ぼくは毎回食べる前にこう祈っていた。
「もう腕によりをかけた、特別なメニューを出さないで」
ある日テレーズのいとこのザイール人の若い男が、ベルギーから訪ねてきた。
そのとき初めてザイールは、昔ベルギーの植民地だったことを知った。
彼は、バカンスを利用し遊びにきたという。両手いっぱいのおみやげを持参してきた。
「特別な料理をもってきた。ぜひ食べてくれ」
ぼくはフーフーのことを思い出し、少しイヤな予感がした。しかし自分にいい聞かせた。
「彼はベルギーからきたんだ。あの国はベルギーワッフル、ベルギーチョコが有名だ。どれも日本人にも人気の食べ物じゃないか。そういったおいしい料理に違いない」
そんな願いもムダに終わった。出て来た料理に驚いた。
「指が入っているじゃないか! しかも何本も煮込んである。これは一体何だ?」
「これはチンパンジーの指だよ。ザイールではとびきりのごちそうだ。さあどんどん食べてくれ」
腹を空かしているのに、どうしても食欲が出ない。指だけにお手上げだった。その日は昼食を抜いた。
彼は1週間ほど滞在した。翌日また別の料理を作った。
「きょうの料理は気にいってもらえるはずだ。さあ、どんどん遠慮しないで食べてくれ」
皿の中では、何かがシチューのように煮込まれている。よく見ると、それは無数の毛虫だった。おまけに、そのニオイといったら、もはや形容をしようがない。ぼくは吐き気をこらえながら、テレーズにオムレツを作ってくれるように頼んだ。それがぼくの昼飯となった。
そうした材料は彼がわざわざベルギーの、いきつけの店でしこたま仕入れてきたという。ぼくはあ然とした。
「日本に中華街があるように、ベルギーにはザイール街でもあるのだろうか。日本人は中華料理を好むが、ベルギー人はこれが好きなんだろうか?」
自分の家に戻ると、少し冷静になった。
「もし日本人が梅干しをもってきたら、外国人はどんな対応をするだろう?」
そういえば第二次世界大戦後、米兵の捕りょは裁判でこう発言したという。
「日本人からひどい目にあった。木の根っこを食べさせられた」
調べてみると、それはきんぴらごぼうだった。
チンパンジーの指も無数の毛虫も、ザイールでは梅干しやきんぴらごぼうのようなものかもしれない。
「彼らの材料が、ぼくにとって少々ショッキングな物だっただけだ」
と思い直し、その日はすぐに寝た。




