カンニングを見つけるたび「セ・ビヤン!」と叫ぶ
その1「ポンプ」
毎日6時間、授業の日々は続く。授業の後の自習時間は、魔の1時間。生徒が何かと仕掛けてくるのは、前の章で書いた通りだ。
その後は職員室で1時間同僚と過ごす。おそらく日本の学校なら、職員室は気が休まる場所だろうと思う。しかしここでは、気を許すわけにはいかない。同僚は仲間ではなく、どちらかというとライバルや敵に近い。
さらにここでは作業の山が待っている。試験問題と解答の作成、答案の採点……。週に2回から3回の試験があるから、仕事量もかなり多い。試験問題の作成は大変だが、まだ相手が紙なだけましだ。試験監督そして採点となると、相手が人間だけに頭が痛くなる。
試験監督をしていると、こんなことが起こる。わかりやすい問題を出してやったのに、生徒は
「ムッシュ、質問の意味が不明確だ」
と決まって解説を求めてくる。ぼくはしかたなく応じるが、これが曲者なんだ。たとえば問題が
『ポンプの役割を述べよ』
だとする。生徒はこうたずねる。
「ムッシュ、これは何がいいたいのか?」
「何をいいたいかって? それがテストだ」
「いやもう少し説明してくれ」
ぼくは、結局ヒントを出すはめになる。
「ポンプはどんな形をしていた?」
目の前の生徒が黙っていると
「それは円盤が中にあって、ぐるぐる渦を巻いていた」
と誰かが答える。
「そうそう、それで何かの働きをしていたと思うが……」
ここまでヒントを与えても、生徒は不可解な顔をする。
「えーと、そのー、あのー」
と、いい表現が浮かばない。ここでまた天の声、ならぬ生徒の声。
「だからそれで圧力を上げるんだよな」
ここまでくると、もうほとんど答えが出たようなもんだ。
その2「天の声」
天の声は、しばしば答えそのものを口にすることもある。その時だけは教室が静まり返る。みんなせっせと答えを書く。ペンの音だけが響く。そんな静寂は1分と続かない。またすぐに騒がしくなる。あっちでヒソヒソ、こっちでムニョムニョ。試験中、彼らは母国語で盛んに情報交換をしている。そんなときはフランス語が一切混じらない。
「おい、どうして試験中に話をするんだ?」
と注意すると
「ムッシュ、消しゴムを借りようとしただけだ」
と弁解する。
その3「カンニング」
試験監督をすると、毎回のようにカンニングを見つける。
前の生徒の答案をのぞき込む生徒。小さな紙で、カンニングペーパーを作る生徒。手のひらや腕に、直接答えを書き込む生徒もいる。そんな連中は、どこかそわそわしている。四字熟語なら“挙動不審”。カンニングするメンバーは常連だから、すぐにわかる。
生徒のカンニングを見つけたときは、必ずひとこと叫ぶ。
「セ、ビヤン!」
直訳だと
「それはよい!」
だが、この場合は
「よっしゃ、(カンニングを)よくやったな」
の意味だ。ぼくが発していた決まり文句。このことばとともに2点、減点をしたもんだ。そのとき、彼らは必ず気まずい顔をする。まるで、おしっこしているところを見られたネコのように。あるとき生徒を呼んで、問いつめた。
「お前、カンニングしただろ?」
「ムッシュ、そんなことは絶対やっていない」
「いいや、お前がやった。証拠もある。認めろ。認めたら今回だけは許してやる」
「証拠? あるなら見せてくれ」
ぼくは、しかたなく彼の答案を取り出した。
「じゃあ、これを見ろ! お前はカンニングで答えを写しただけでなく、隣の名前までそこに書いたのだ。お前の名前が書かれた答案用紙がないんだよ」
彼は真っ赤な顔をして、ようやく認めた。
その4「男の一言」
テストは書き終えた者から退室できる。1時間の予定なのに30分で済ませる生徒がいた。あまりに早い。ぼくが答案に目を通すと、いくつか間違いがあった。
「おいおい。早いのはいいが、もう少し落ち着いてみ直したらどうだ?」
しかし彼はそんな助言に耳を貸さない。一刻も早く教室を出たいらしい。
「いいや、それでいい。男の一言だ。絶対良い。俺は出る!」
彼は息巻く。ぼくはからかうしかない。
「男の一言とはよくいうよ」
このやりとりの間も、生徒たちは母国語で盛んに情報交換をしている。それが彼の耳にも入る。その答えが自分の解答と違い、しかもそっちが正解のようだ。
不安になったらしく、とたんに態度が急変した。
「ムッシュ、えーと、あのー、いやー、さっきはどうかしていた。どうも少し勘違いをしていた。やはり見直したほうがいいようだ。答案を返してくれ」
あまりに空々しい。ぼくはこう返事した。
「おいおい、男の一言はどうした? さっきはあんなにいい張っていたのに。なぜそんなにコロコロ変わる? えーっ、男の一言だろ? 一言!」
彼は、しどろもどろだ。まともな返答ができない。ぼくはさらにたたみかけた。
「だいじょうぶだよ。テストで1問や2問間違えても死にはしない。心配するな。お前の未来はバラ色だ。さあ、いった、いった!」
さっきまでと立場が逆転。渋々あきらめて教室を出ていく。
「よくやった。勇気あるぞ、若大将!」
最後の追い打ちをかけた。彼はもう引き上げるしかない。
また読者の声が聞こえる。
「自称“品のいいお坊ちゃま”が聞いてあきれますわ。これじゃ完全にサディストですよ。今の日本の学校でここまでしつこくしたら、マスコミに叩かれますわ。あなた、コンプライアンスってご存知?」
しかたないんだ。ぼくだって、最初からこんなキャラクターだったわけじゃない。とにかくここでは、カンニングが当たり前。
「努力して、いい点取って合格しよう」
「仕事を覚えて、早く自立しよう」
なんて意欲は、みじんもない。ズルして楽することしか考えていない。そんな生徒たちと長く接していると、だんだんゆがんだ性格が身に付く。常に疑いの目で人を見る。何を頼むにも、くどくなる。誰に対しても、先生と出来の悪い生徒との関係になってしまう。自分が必ず上の立場にいて、相手を一人前の人間として扱えなくなる。
その5「PTSD」
日本に戻ってからも後遺症が出た。イラクの戦場から戻った米兵のPTSD(心的外傷後ストレス障害)のようなものだ。
たとえば取引先の社員から質問されると、
「非常にいい質問だ」
と前置きし、相手の失笑を買う。部下が気の利いた解答をすると、こう返す。
「わーお、それはすごい。とっても進歩したな」
本来品のいいお坊ちゃんだから、気軽に他人に物を貸す。ところが、アルジェリアから帰ったあとは
「鉛筆を貸してくれ」
「消しゴムを貸してくれ」
と頼まれると、どうしてもこのひとことが出る。
「ああいいよ。でもちゃんと返してね」
フランスでは、こんな恥をかいた。仕立て屋でズボンを買ったとき、すその丈を直してもらおうとした。片方をピンに留めて
「この長さに、すそを詰めてください」
と頼んだまではよかった。が、また余計なひとことが出た。
「もう片方も同じ長さに」
仕立て屋のマダムは、こう切り返した。
「当たり前でしょ。それともあなたは左右の脚の長さが違うの?」
違わないから念を押したのに。
とにかくしつこく、何度もくり返す習慣がついてしまった。




