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スイスの会社に雇われて、アルジェリアで先生になった件について ~日本人はぼく一人。生徒は砂漠のプラント技術者たち~  作者: Ryoichi


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授業中にコーヒーが回ってくる教室で 前編

その1「お客様の大事な生徒たち」


 アルジェリア人がフランス人を嫌いなのは、前の章で伝えた通り。じゃあフランス人は、アルジェリア人をどう思っているのか? 決して好ましくは思ってないのは、確かだ。でもここでは、アルジェリア人はお客様。しかも天然ガスや石油をもった上得意客だ。


 だからフランス側としては、このトレーニングセンターを学校だと思ってない。お客様から預かった大事な生徒たちを、この国の優秀な人材に育てる場所という位置づけだ。


 蜂の巣で、たとえてみよう。


 フランス人は働き蜂。


 アルジェリア人が女王蜂。


 生徒は、次の女王蜂になる幼虫。


 幼虫にロイヤルゼリーを与える代わりに、生徒たちに授業を与えている関係だ。普通の学校のように、出来の悪い生徒は即退学というわけにはいかない。


 ところが生徒の中に

「優秀な人材になろう」

なんて考えてるヤツは、ひとりもいない。失業率の高いこの国で、たまたま建築中の工場の求人広告を見て応募しただけだ。すぐに給料がもらえるものだと思い込んでやってくる。


 まさか、こんなに面倒な教育課程があるなんて。夢想だにしなかったろう。3日に1度は試験を受けさせられ、合格点を取れなければ正式採用にはならないなんて。そもそも彼らの大半は、勤めた経験がほとんどない。多くは高校中退者だ。なんとしても一人前にさせたい工場と、やる気のない生徒たち。


 そのひずみは、間にはさまれた講師に押し寄せてくる。



その2「授業の苦労」


 まず彼らは、天然ガスやLPG精製なんて聞いたこともない。それ以前に温度、圧力、液化とは何かといった基礎の基礎から教え始める必要がある。といっても1つ1つの事象が、普段の生活からはかけ離れている。


 そこでぼくは日常の体験に近づけて説明することにした。たとえば自動車のガソリンや、家庭用プロパンガス。そこから天然ガスの話題につなげるという苦肉の策だ。


 そんなに苦労して考えた導入部分でも、彼らの注意力は5分ともたない。だいたい1日6時間も座って講義を聴くなんて、もう何年もやってない。すぐに飽きて、雑談を始める。


 初授業で感じた生徒との一体感は、どうしたって? あれは、とんでもない勘違いだった。翌日には身にしみてわかった。いくつかのエピソードを紹介しよう。



その3「オレンジポンプ」


 学生時代、ぼくもよく隣としゃべったり、たくさん手遊びをしたりした。でもなるだけ教師に聞こえないように、目立たないようにしていた。ヒソヒソコソコソだ。


 だが彼らの授業態度は、そんなもんじゃない。ガムをかむくらいは、かわいいもんだ。家からもってきたポットのコーヒーを回し飲みする者。長いフランスパンを頭上高く掲げながらかじる者。家の畑でとれたオレンジを、周りの生徒に配る者。はたまた大いびきをかいて、眠りだす者……。


 およそ授業を受けるにふさわしくない。ガラクタ連中の寄せ集め。人間版蚤の市だ。初日の授業からこうだった。翌日もまったく改まる気配がない。


 あまりにひどい! ぼくの心の阿蘇山は、噴火寸前となった。全員避難警報発令だ。


「なんという態度だ! こ、これが教えを乞うという姿勢かぁ〜! もうガマンならん〜!」


 ひとりの生徒の胸ぐらをつかんで、殴ろうかと思った瞬間……。頭の中にひとりの女性が現れた。あの九州男児の母親ではない。


「これ、リョウイチ」

「あなたは、長崎市カトリック浦上教会のマリア像!」

「生徒を殴ってはなりませぬ」

「でもあまりに態度が悪過ぎます」

「彼らとて集中力が続かず苦しんでいるのです。彼らの気持ちをくんでおやりなさい。救いの手を差し出すのです」

「そんなこといわれても……」

「だいたい殴ったりしたら、検査官に報告されます。すぐに解雇ですよ。やっと探した就職先が消えてもいいのですか? よ〜くお考えなさい」


 ぼくは、ぐっと気持ちをしずめた。生徒のひとりにこういった。


「おいおい、コーヒーは休み時間にしてくれ」


 すると生徒は

「先生も一杯どうだ?」

 と、回し飲みしていたカップを勧める。


「いや、けっこうだ。いらないよ」


 やんわり断った。続いて、オレンジを持った生徒が話しかけてきた。


「おれの家でとれたオレンジだ。今が食べごろ。甘味がある。どうだ、先生ももって帰れ」


 袋ごと差し出してきた。


「そんなにおいしいのなら、お前がもってろ!」


 思わず声を荒げた。


 マリア様、もう限界だ! 怒りがおさまらない! 心の溶岩流が流れ出てきた! ぼくは、大いびきをかいている生徒のところまで走った。彼を強引にたたき起こそうとした。すると隣の生徒がぼくの手をつかんだ。


「コイツは母親が病気なんだ。家事や看病で疲れている。頼むから寝かせてやってくれ!」


 ぼくは、しかたなく起こすのをやめた。それを聞いていた別の生徒が、

「自分もそうだ」

といわんばかりに堂々と床に新聞紙を敷いて眠りだした。もう怒る気にもならない。寝る生徒は無視しよう。


 ぼくは授業を進めた。この日の講義は、遠心力を使った渦巻きポンプの仕組みだ。彼らは渦巻きポンプなんて、見たことも聞いたこともない。当然そんなのは想像もできない。


 いくら同じことを2度3度説明しても、ほとんどの生徒は理解できない。頭の中にクエスチョンマークが渦巻いている。渦巻く、回転……。


 そうだ! ぼくは先ほどのオレンジを、生徒から1個取り上げた。ヒモでオレンジを結び、頭上高くグルグルと回し始める。


「いいか、これが遠心力だ!」


 力一杯ブンブン回す。


 遠心力が理解できない生徒も、そのうちヒモが切れて自分に飛んでくる危険性は理解できる。


「もう遠心力はわかったから、やめてくれ!」



その4「クスクス」


 別の教室ではこうだった。ある者の質問に答えていると、他の生徒が雑談を始める。そいつを注意すると、別の一角がざわめく。さらに別のグループも……。


 教室中のあちこちを注意して歩き回る。やっと教壇に戻ると、最初に質問していた生徒の周りで雑談が……。これじゃモグラたたきゲームだ。


 あげく何の授業だったか忘れ、一から説明し直す。そしてあっという間に1次限が過ぎていく。少し授業のペースを早くしようともがいても、かえってムダ。


 まずある事象を説明し、その応用例を話すと必ず質問が出る。そのときは、蒸発温度(沸点)が違うことを利用して2つ以上の物質を分離することを説明していた。


「ムッシュ、何でそんな分離ができるんだ?」


 やはりほとんどの生徒は理解できない。困った、もっと身近な物にたとえないと食いついてこない……。


 そうだ! そのとき名案がひらめいた。この国ではフランス同様、圧力鍋を料理によく使う。どの家にもある生活必需品だ。あれを利用しよう。


 ぼくは、アルジェリアの代表的料理クスクスの話を始めた。


「お前ら、クスクスはよく食べるだろう? あのスープは何を使って作る?」

「圧力鍋!」

「そうだ。スープが沸き上がると圧力が上がり、シューシューと蒸気が勢いよく吹き出すだろ。その蒸気を冷やすと何になる?」

「水!」

「そうだ、つまりクスクスのスープから水が分離されたわけだ」


 ここまで説明して、やっと彼らも納得した。いいアイデアが出たおかげで、脱落者は出なかった。


 しかし授業速度を上げるアイデアは、この仕事を辞めるまで出なかった。



その5「シロッコの嵐」


 あるとき、ひとりの生徒がこんな話を始めた。


「ムッシュ、知ってるか? おれたちの国は広い。南の砂漠は想像もつかない過酷な所だ。考えられないことがよく起きる」


 彼の話は、こう続く。


「どんよりとした砂煙の舞う暑い日、ある村でシロッコと呼ばれる砂漠から熱い風が吹き荒れたんだ。その日の気温が40度だったのに、シロッコの嵐もまた40度だった。合わせて80度にもなって、家畜は全滅、死者も多く出たそうだ」


 彼の話に思わず耳を傾け、身を乗り出す生徒たち。ぼくの話にはそんな態度を1度も取ったことはないのだが。ここで、ぼくはいたって冷静に

「そうかそうか、それは大変だったな」

 といいながら、回し飲みのコーヒーを取り上げた。


「みんなよく見ろ。ここにコーヒーがある」

「ムッシュ、それはおれのコーヒーだ」

「わかった、わかった。ちょっとだけ借りるよ。さてこのポットに入っていたから、温度が60度はあるな」

「おれのポットは、なかなか冷めない」

「これをまた別のコップに注ぐ。そうするとコーヒーは二杯だな」

「それは食後のコーヒーだ」

「心配するな、飲んだりしないよ。さてこの60度と60度のコーヒーを足したら、120度のコーヒーになるかい?」

「……」

「水は100度で沸騰する事は教えたな」

「ムッシュ、それくらい覚えてるよ」

「そうすると120度になれば、すべて蒸気になる」

 といって、コーヒーカップを生徒に返す。


 生徒も納得してくれた。


「そうだな、そんな熱いコーヒーは飲みたくない。舌がヤケドする」



その6「オー、マイゴッド!」


 日本でもたいがいそうだが、ここアルジェリアでも政治宗教の話はしない。


 といっても、まれに話がそんな方向にいく。イスラム教の神と日本の神の話になる。


「日本では、山には山の神、海には海の神がいる。いたる所に神様がいて、年に1回1カ所に集まるんだ」

 なんてことをいえば、生徒たちとは泥沼の議論となってしまう。


「イスラム教では神は唯一、全宇宙にひとりだけだ」

 と信じて疑わない。


「その宇宙がそこここにあれば、神もあちこちにいていいじゃないか」

 とぼくが反論すると

「それはあり得ない」

 と、いい返してくる。まさに話が、カミ合わない。


「そうかそうか、そう思うのであればそう思っていたらいい。それこそインシャラー(神のおぼしめすままに)だ」

 とかわすと

「ムッシュ、それは不謹慎だ」

 と本気で怒りだす。ぼく自身、仏教の何たるかを知っているわけじゃない。


 彼ら熱心な信者と、まともに立ち向かえるはずもない。泥沼ディベートが続くと、自分がむちゃくちゃいっているのがわかる。


 しかし黙って聞いていると、しまいにはこっちが改宗しなければならないほどに議論はヒートアップ、白熱教室となる。頃合いをみて、こうたしなめた。


「そうかそうか、日本でもこんなことわざがある。

『信じる者は救われる』

とね」


 あるとき、また宗教談義でクラス中が熱くなった。ぼくが何をいってもおさまりそうにない。一計を案じ、ぼくは座禅を組んだ。


「ムッシュ、何をしているんだ?」

「これは禅だ。こうして心を無にすると、宇宙の始まりに戻れる。宇宙の始まりには、日本の神もイスラム教の神もいなかった」

「……」

「こうしていると、何か変化が感じられるんだ。君らもしてみろ。君らの神様が何か語りかけてくるかもしれない」


 そのあと日本と禅について、ありったけの知識を語った。といっても、たいしたことは知らないけど。東洋の神秘を感じたのか、こういうときは生徒も聞こうとする。


 語り終えると、ぼくは瞑想めいそうに入った。目はつぶらず薄目を開けていた。生徒のとまどうようすが見えた。


 自分たちの神に会えるかもしれないと聞いて、何人かがまねして座禅を組む。神妙な顔をしていると、隣の生徒が

「何か見えるのか、感じるのか」

 とたずねる。相手は黙っている。


「これは自分もやるしかない」


 やがて生徒全員が座禅を組んだ。こうしてあんなに熱かった宗教談義は、ピタッとおさまった。



その7「自習時間」


 授業は毎日6時間ある。その後は自習となっている。この時間ぼくは教室にいて質問を受けたりするが、基本的には見守っているだけ。生徒の自主性に任せている。


 けれど彼らが真面目にやったのは、初日からわずか3日間だった。見事にこの3日だけ。4日目の自習時間からはぼくのそばにきて、あれこれねだる毎日が続いた。


 ある者はボールペンを欲しがり、自習中もしつこく食い下がる。この熱意をカケラでも授業に生かしてくれるといいのだが、そうはならない。


 ある者はボールペンを売りにくる。またある時は交換しようと粘った。わずらわしくて何もできない。


 アジアの観光地では物売りが次々きて、1歩も前に進めないことがある。あんな状態が毎日教室で起こるわけだ。そんな時は、いつもこんなセリフで締めくくる。


「君のはすごく良いボールペンだなあ。良いからしっかりもっていろ」


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