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スイスの会社に雇われて、アルジェリアで先生になった件について ~日本人はぼく一人。生徒は砂漠のプラント技術者たち~  作者: Ryoichi


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授業中にコーヒーが回ってくる教室で 後編

その8「ガリッグの壁」


 ぼくの学生時代も、あれこれ理由をつけては授業を抜け出そうとする者はいた。アルジェリアでもそう。早く帰ろうと、いろんな手を使う。


 ある生徒がぼくの所へきて、おそるおそるこう申し出た。


「ムッシュ、実は昨日から母親が病気で……。だから早く帰って看病や家事をするので帰してくれ」


 初めはぼくも素直に聞いて、本当に信じた。疑うことを知らない、品のいいお坊ちゃんだからね。


「何、それは大変だな。わかったからもう帰れ」


 翌日、その生徒が図々しくもまたやってきた。


「看病疲れで今度は姉が倒れた。どうしても自分が帰らないとダメだ」


 そうそう彼ばかり早退を認めるわけにはいかない。


「きのう帰したばかりだから、きょうはダメだ。どうしても早退したけりゃ、給料から引かれるのを覚悟してやれ」

 『給料』というワードが出たとたん彼はぐずぐずし、いっこうに帰ろうとしない。いったんある生徒に許可すると、我も我もと切りがない。


「あいつだけ許すなんて、えこひいきだ」

「どうしておれはダメなんだ?」

「おれは父親が倒れた」

「おれの尊敬する祖父が倒れた」

「おれの愛する曾々祖父が倒れた」

「おれの祖母が愛する犬が倒れた」


 ぼくの受け持ちだけでなく、他の教師のクラスでもそんな生徒は多いらしい。


 帰り間際の20分ほど前になると、ムッシュ・ガリッグはトレーニングセンターの正面玄関に仁王立ちする。教室を抜け出した生徒たちの前に立ちはだかり、追い返す壁となる。そうしないと検査官から抗議を受ける。


「ムッシュ、ちょっと待って、ちょっと待って。これには訳があるんだ、聞いてくれ」


 ムッシュ・ガリッグはまったく相手にせず、こう繰り返す。


「はいはい、子どもたち。お話はあとよ。訳もへったくれもないのよ。さあさあ、戻って、戻って。教室に入りなさ〜い」


 家族親せきは倒せても、ムッシュ・ガリッグは倒せない。



その9「靴」


 授業中ある生徒が、うつむき加減でこうお願いしてきた。


「あのー、すみません、トイレにいきたいんですけど」

「まあ、しかたないな。早く戻ってこい」


 許可すると、授業が終わったあとにやっと戻ってくる。


「あ、お前欠席にしといたからな」

 というと、さっきの謙虚さはどこへやら、ものすごい剣幕で文句をいう。一度覚えると別の生徒も同じことを始める。しまいには誰かが席を立つと、反射的にぼくも立ち上がるようになった。戸口に駆け寄り、

「ち、ち、ちょっと待て!」


 彼が出ないようにドアの鍵をかけ、こうおどす。


「欠席扱いになるけどいいんだな。えっ、おい!」

『欠席』のフレーズを聞くと、すごすごと席に戻る。


 こんなエピソードもある。あるとき、生徒がしつこく食い下がった。


「ムッシュ、トイレにいかせてくれ。で、で、出そうなんだ」

「何いってる! 前の時間もそういってトイレにいったじゃないか」

「いや、今度は本当なんだ」


 あまりに粘るので、九州男児度が急激に上がった。


「ホントもウソもあるか! 男ならこれでガマンしろ!」


 ぼくは、自分のはいている靴の片方を脱いで差し出した。


「どうしてもガマンできなければ、これで用を足せ」


 ここまでいって、ようやく生徒は席に戻った。



その10「強い何かの力」


 こんなやりとりが1日に2、3回起こる。それぞれのクラスでだ。4クラス受け持ったら、1日10回ほど。ひと月で300回前後の数になる。


 時々どうしたものか、一度席を立った生徒がぐるぐる歩き回ることがある。


「おいおい、座れ座れ。何をしている?」

と叫ぶと、生徒はこういった。


「ムッシュ、おれよりも強い何かの力がおれを動かすんだ。これにはどうしようもない」


 5分ほど教室中を回ったあげく、また着席する。気になって授業にならない。


 あとでわかったが、どうやら興奮剤かハッシッシもどきの薬物を使用していたらしい。日本でもアルジェリアでも

『薬はダメ、絶対!』



その11「ピロポロリン」


 当時世界中で流行していたのが、メロディ付き腕時計。それを授業中わざと鳴らす生徒がいた。


「ピロポロリン!」


 犯人はクラスでもいちばん痩せた生徒だった。彼を見ると痩せたニワトリを連想する。どうも首を絞めたくなってくる。


「ピロポロリン!」


 その電子音が鳴ると条件反射となって、いちいち彼の首を絞めにいった。


「ピロポロリン!」


 するとそれが面白いらしく、3分と経たずまた鳴らす。そしてまた首を絞める。


 もちろん本気で絞めるわけはない。まるで遊んでほしがる幼児だ。


「ピロポロリン!」


 こんなことに付き合うぼくも、小学生並みかもしれない。



その12「いい戦術」


 つまらないことで、生徒とよく口げんかをした。いちばん多いのは相手の態度が悪く、しかも授業の邪魔となる場合だ。


「おい、いい加減にしろ」

 と注意しても

「おれはそんなことはしていない!」

 と反論してくる。結局水かけ論となる。


「何をとぼけているのだ? 今騒いでいたのは、お前じゃないか!」

 といっても聞かない。


「いいや、そんなことはない!」

 といい張るばかり。貴重な時間を浪費したと思っても、引き下がるわけにもいかない。間に割って入ってくれる別の人物が、教室にいるはずもない。こちらが折れる道理もない。初めのころは気持ちの切り替えができないまま、その時限を終わった。気分が収まらず、気まずい思いで帰った。


 しかしあるとき、いい戦術を考えついた。相手の顔を見ると腹が立つ。そこで視線を下に向けた。すると意外としゃれたシャツを着ていた。そこで、思わずこういったのだ。


「ほう、きょうはすごいな。今まで気がつかなかったが、なかなかいいシャツを着ているじゃないか。よく似合うよ」


 すると先ほどと打って変わって、ニコニコ顔になった。ぼくはわざと肩や背中を触ってやった。生徒は、さらにうれしそうにする。こちらはさらに続けた。


「へー、こんなかっこいいブーツもはいてるのかあ。もうモテモテだろう」

といって腰をかがめ、ブーツをなでてやる。相手はもう大喜び。ぼくはさらにほめまくる。


「なあ、みんなもそう思うだろう? コイツ、きょうは特にかっこいいよなあ!」


 何度もほめると、相手も気分を良くして丸く収まる。こうして教室は静かになり、授業がはかどるようになった。


 そういえば母が、よくこういっていた。


「ゴマスリとヨイショは、金のかからぬ最終兵器だ」



その13「イスマハリ」


 アルジェリアでは、口論は日常茶飯事。この国の人間は口論のためにうまれてきたんじゃないかと思う。男も女も、若者も老人も。


 当然トレーニングセンターの生徒同士も口論する。たわいのないことが始まりだ。理論的に話しているはずが、理屈になり屁理屈になり不条理へと変わる。よくしたもので口論が盛り上がったころ、必ず間に割って入り仲裁する者が現れる。


「イスマハリ、イスマハリ(ごめんよ、ごめんよ)」

「ハッペス、ハッペス(待った、待った)」


 双方をなだめる。そのタイミングと口調が実に合っていた。ぼくもそれにならって、口論が起きるたび

「イスマハリ、イスマハリ」

 を連発したもんだ。ところが「イスマハリ」では収まらないこともあって……。



その14「ピッタン、ピッタン」


 あるクラスに、こんな生徒がいた。彼の機嫌が悪いと、もう誰にも手がつけられない。講師仲間からひどく評判が悪かった。


 授業中けんかや雑談をして、いつもぼくを悩ませた。自習時間は、ぼくの日本製ボールペン1本が欲しくて、しつこく粘ってぼくを苦しめた。


 ある日暴れ過ぎて、自分のズボンの股を破ってしまった。


「ムッシュ、こんなズボンじゃ恥ずかしくて町を歩けない。きょうは先生の車で家まで送ってくれ」

「しかたがない、きょうは特別だぞ。その代わりぼくの帰宅時間まで待っていてくれ」


 ところがその時間に待ち合わせ場所にいったが、誰もいない。ぼくはそのまま車で帰った。


 翌日の自習時間。また彼がぼくの所に抗議しにきた。


「きのうは、どうして車で連れて帰ってくれなかった?」

「悪いのはそっちだ。探したが誰もいなかったぞ」

と答えると、彼はこう反論する。


「そんなはずはない。俺はずっと待っていた。きのうは優しそうにいうから信じていたのに、裏切られた。本当はオレをからかったんだろう?」

「そんなことはない。そんなことをしても、ぼくには何の得にもならない」

「いや、分かっている。あんたはオレをからかったんだ。そしてあんたはオレのアレを見たかったんだ」

「お前さんのアレって何のことだ?」


 ここまでくると、もう論理がむちゃくちゃ! 相手をする気にもならない。彼が勝手に喋り続けている。自分のセリフに酔っているとしか思えない。


(※ 女性読者のみなさん、ぼくのように品のいいお子様たちへ。ここから先は読まずに、次の章までワープすることをお勧めします。)


-- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -


「よし、そんなにいうならオレのアレを見せてやる!」


 こちらが何もいわないのに、自分のズボンのベルトを外し始めた。チャックを降ろし、前を開ける。彼は座っているぼくの前に立ちはだかった。他の生徒たちに対しては背を向けた格好だ。やおら自分の一物を取り出し、ぼくのデスクに乗せた。それをつまんでは机の上をたたく。


「ピッタン、ピッタン、ピッタン、ピッタン……」


 ズボンを下げたあたりから、ぼくはもう目をそらしていた。あきれて物もいえない。ひたすら無視することにした。背中を向けているとはいえ、生徒はとっくに気づいている。自習中の静かな教室に、こんな妙な音がするんだから。


「ピッタン、ピッタン、ピッタン、ピッタン……」


 こういう時こそ仲裁者が

「イスマハリ、イスマハリ」

と割って入ってきてほしい。


 しかし実際は誰も止めようとはしなかった。成り行きを面白がって、興味深く見守っている。ピッタンをやっているうちに彼の表情が変わってきた。怒るどころか、笑顔になってくる。そこでぼくは思い出した。子どものころの遊びを……。


 ウチは、上の3人が全員姉だった。身内がいうのも何だが全員美人だ。しかし子どもとしては、男同士のほうが遊びやすい。


 近所で男の子ばかりと遊んでいるとき、よく姉がぼくを見つけた。


「リョウイチ、楽しそうね。わたしも遊ぶ」


 そういうとき友だちは

「おい、あっちにいこうぜ」

 とぼくを残して立ち去る。姉は3人もいるから、毎日のように誰か1人はぼくと出くわすことになる。


「仲間に入れてよ」

 くらいならまだいい。そこは女の子だから

「そんな遊び、汚いからやめなさい」

「そこは危険だから離れなさい」

 とすぐ口にする。男の子はみんな白けてしまう。


「リョウイチがいると、姉ちゃんが寄ってきて困る」

 と仲間はずれにされそうになった。あるとき、ぼくはいいことを思いついた。


「そうだ、男の子と遊ぶ時は、絶対女の子が仲間に入れないようなことをやればいい」


 たとえばおしっこの飛ばし合い。あるいはおちんちんの見せ合い。これを続けていたら、姉たちは近づいてこなくなった。それだけじゃない。ぼくが、友だちの中心となった。あの遊びのおかげで、男同士の仲間意識や連帯感が不思議と出てくるようになった……。


 目の前で彼がやっている行為も、それと似たようなものではあるまいか。そう思うと憎めない。他の教師には、ぼくよりもっと相手にされていないんだろう。ぼくが彼を車に乗せようとしたので、親愛の情を感じ、仲間意識をもったのではなかろうか。しかし慣れ親しみ過ぎて、一線を越えてしまった……。


 しばらくしてピッタン、ピッタンは終わった。彼は満足したのか、ニコニコして席に戻った。


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