Make States Great Again
『偉大なるステイツの国民よ! そして世界よ! 今こそ原点に立ち戻る時だ!』
日曜日の夜。秘密の同棲部屋のリビングで、ハルと静流は呆然とテレビ画面を見つめていた。
画面の中で拳を振り上げ、熱弁を振るっているのは、超大国ステイツで数百年ぶりに誕生したという男性大統領・タアンプである。
『システムによる管理など弱者の逃げ道に過ぎない! 男は強くあれ! 数多の女性を愛し、結婚し、その力で国を導け! それこそが真の男の姿、アルファの証明である! 私はこの神聖なる「結婚制度」を世界に復活させる。この大統領令に従わない軟弱な国には、即座に50%の関税を叩き込む! 産めよ、増やせよ、Make States Great Again(ステイツを再び偉大にせよ)!』
割れんばかりの歓声が画面の向こうで響き渡る。タアンプ自身、すでに数千人の女性と交わり、その魔力と圧倒的なカリスマで大統領の座に上り詰めたという、規格外のモンスターだった。
「……なんだこれ。むちゃくちゃすぎるだろ」
ハルは、手にしたマグカップを落としそうになりながら呟いた。
「ええ、むちゃくちゃね」
静流は隣で苦笑いしながら、手元のタブレット端末をスワイプした。
「でも、この国の政府はその『むちゃくちゃ』にたった一日で屈したわ。ステイツの経済圏から外されたら、この国は一週間で干上がるもの。さっき特務機関から通達が出たわ。来月をもって『義務法案』は廃案。代わりに……タアンプ大統領の教えに倣い、優秀な希少種(男)による『多妻結婚制度』が正式に施行されるそうよ」
「……えっ?」
ハルは目を丸くした。
「国は手のひらを返したように『男らしさ』と『結婚』を推奨し始めたわ。タアンプ大統領を見習って、強い男は十人でも百人でも妻を持ち、力強く家族を庇護せよ、ですって」
静流の言葉に、ハルは頭を抱えた。
「勘弁してくれ……。俺は別に何千人もはべらせて王様になりたいわけじゃない。力で女性を支配するなんて、ただの暴力的なマッチョイズムじゃないか。相手の心をなんだと思ってるんだ……」
心を通わせることを何よりも大切にしてきたハルにとって、タアンプの「数と力で支配する」という思想は違和感と嫌悪感しかなかった。システムによる「部品」としての扱いから、強者による「トロフィー(所有物)」としての扱いに変わっただけで、根質的な人の尊厳は守られていないように思えたからだ。
しかし――。
ハルの脳裏に、一つの巨大な事実が遅れて雷のように落ちた。
「待って。ということは……」
ハルはゆっくりと顔を上げ、静流と、そして部屋の隅のベビーベッドで眠る小さな命を見つめた。
「俺が、特定の女性と家族になることは……もう、罪じゃない?」
「ええ」
静流は、憑き物が落ちたような、どこか泣き笑いのような表情で頷いた。
「コソコソ隠れて同棲する必要も、経費のデータを改ざんする必要も、この子を隠し続ける必要もない。あなたは堂々と……私を、あなたの『妻』として国に登録できるわ」
その瞬間、ハルの胸を満たしていたタアンプへの違和感や、国家の身勝手さへの呆れが、すべて吹き飛んだ。
絶望的なディストピアの中で、いつバレるかと怯えながら、それでも手放せなかった小さな温もり。
それが、海の向こうの規格外の大統領のワガママによって、バグのように「合法」になったのだ。
ハルはテレビの電源を消し、静流の真正面に座り直した。
そして、彼女の両手を、自分の両手でしっかりと包み込んだ。
「ハル、君……?」
「タアンプ大統領のやり方は、正直言って全然好きになれません。国がこれからどうなるか、俺に何を言ってくるかもわからない」
ハルは、まっすぐに静流の瞳を見つめた。
その温厚な顔には、彼特有の底抜けの優しさと、決して揺るがない強い芯が宿っていた。
「でも、これだけはタアンプに感謝します。……あなたと、堂々と手を繋いで、太陽の下を歩けるようになったこと」
静流の大きな瞳から、ぽろりと一粒の涙がこぼれ落ちた。
「静流さん。世界がどう変わっても、国家のルールがどうひっくり返っても……僕たちは変わりません。あなたと、この子と、俺の周りにいてくれる大切な人たちを、俺は俺のやり方で大切にします」
ハルは、包み込んだ静流の手に、そっと自分の額を当てた。
「愛しています。どうか、僕と正式に結婚してください」
それは、世界を巻き込む政治の狂騒とは無縁の、あまりにも静かで、不器用で、だからこそハルらしい純粋なプロポーズだった。
静流は声にならない声を上げ、ハルの胸に飛び込んだ。
「……ええ。喜んで……っ。私を、あなたの奥さんにして……!」
薄暗い秘密の部屋に、初めて心からの安堵の涙が溢れた。
テレビの向こうでは狂気じみたマッチョイズムが世界を席巻し始めている。国からは間もなく「五十人の妻を持え」というとんでもない通達が来るかもしれない。
しかしハルは、腕の中の静流の温もりを抱きしめながら、ただ幸せだった。
明日からは、この愛する妻のために、堂々と美味しいコーヒーを淹れることができるのだから。
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