合法的なデート
特務機関の管理AIは、どこまでも冷徹で合理的だ。
『個人の感情』などという不確かな変数は一切考慮しない。しかし、その代わり『数値の論理とリソースの効率化』には絶対的に従う。
ハルは、先週の淫乱な女性との一件で得たヒントと、麗華から聞いていた「世界の真理」をパズルのように組み合わせ、国家システムの致命的な『バグ』を完全に言語化していた。
確かに、男と性交すれば物理的な機能として100%受胎し、自動的な魔力回復モードに入る。国家はその表面上のデータだけを見て、今回の【強制的な義務法案】を施行した。
しかし、人間の精神は機械ではない。恐怖や虚無感を抱えたまま、ただ「器」として心を殺して妊娠させられた女性たちは、その後に深刻なPTSDを抱えてしまう。精神が拒絶し、蓄えられた魔力が受精卵に定着せずに霧散してしまう『魔力反発(流産)』や、出産という大仕事を終えた後に心が完全に壊れてしまう『母体崩壊』だ。
国家が最も恐れるのは「少子化」と「母体(資源)の損失」である。
ならば、そこを突けばいい。
ハルは、第一回目の相手であった雪音に関する「事後報告書」を、周到な官僚用語で書き換えて提出していた。
> 『対象者:雪音。義務へのプレッシャーから強い心理的ストレスを確認。
> このまま密室で機械的な受胎プロセスに移行した場合、過去の統計が示す通り、高い確率で【魔力反発による早期流産】および【出産後の母体崩壊】を引き起こす危険性あり。これは国家の貴重な母体資源の重大な損失である。
> 確実な受胎と、出産後の母体の安全性(効率100%)を担保するためには、事前プロセスとして、開放環境下での継続的な心理的ペアリング(いわゆる「デート様式」での面会)を行い、精神波長を完全に同調させることが必須と推測される』
>
AIには人間の感情がわからない。だが、「いきなり行為に及ぶと資源ロス(流産・崩壊)が発生する確率が高い。ロスをゼロにするために『デート』という手順を挟むのが最も低コストで合理的だ」というハルの論理には、ぐうの音も出なかった。
数秒後、端末に【承認】の緑色の文字が点灯した。
ハルの口座に、国家から「心理的ペアリング実行経費(デート代)」が堂々と振り込まれた瞬間だった。
週末。指定されたのは冷たいホテルの密室ではなく、都内の大きな公園の入り口だった。
待ち合わせ場所に立っていた雪音は、周囲を不安げに見回していた。無理もない。国のシステムでは「特定の男女の継続的な接触」は厳しく禁じられているはずなのだ。突然「屋外での面会」という不可解な呼び出しを受けた彼女は、自分が何か重大な規則違反を犯して査問にかけられるのではないかと怯えていた。
しかし、人混みを縫って歩み寄ってきた男の顔を見た瞬間、雪音は息を呑んだ。
「……え? あ、あなた、は……?」
「こんにちは、雪音さん。一週間ぶりですね」
私服姿のハルは、いつものように温厚で、少しだけ照れくさそうな笑みを浮かべていた。
「どうして……? 一度関係を持った相手とは二度と会えないはずじゃ……それに、外で会うなんて……」
混乱する雪音に、ハルは一枚の電子許可証の画面を見せながら、いたずらっぽく笑った。
「実は、僕が報告書を少しばかり『盛って』書いたんです。あなたの魔力定着率を確実なものにするためには、密室のホテルではなく、外の空気を吸いながら僕とデートをする必要がある、って。……ほら、国から経費も出てるんですよ」
雪音は、ぽかんと口を開けたままハルを見つめ、やがてその言葉の意味を理解した。
「嘘……。そんなことバレたら、あなたが重罰に……どうして、そこまでして……?」
「どうしてって」
ハルは少しだけ目を伏せ、それから真っ直ぐに雪音の瞳を見た。
「先週、別れ際にとっても寂しそうな顔をしていたから。……それに僕自身が、あなたともう一度会って、太陽の下で一緒に歩きたいと思ったんです。それじゃ、ダメでしたか?」
その、あまりにもお人好しで、真っ直ぐな言葉。
国家の恐ろしい監視システムを欺いてまで、ただ「寂しそうだったから」「自分がそうしたかったから」という理由で、こんな危険を冒してくれた男。
雪音の目から、ぼろぼろと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「ダメじゃない……ダメじゃないです……っ。私、あなたと別れてから、心が空っぽになっちゃったみたいで……もう一度会いたいって、ずっと思ってた……!」
顔を覆って泣き崩れそうになる雪音に、ハルはそっと手を差し出した。
「泣かないで。今日は、ゆっくり話す時間はたっぷりあります。……行きましょうか」
雪音は涙を拭い、恐る恐る、しかししっかりとハルの手を取った。
冷たいコンクリートのような世界の中で、二人は手を繋ぎ、木漏れ日の落ちる公園の並木道を歩き始めた。
それは、国家が定めた「義務」でも「搾取」でもない。
おしゃれなカフェに入って笑い合い、ショーウィンドウを眺め、他愛のない話をする。かつてハルが紫苑と叶えたかった、そして叶わなかった「普通の恋人同士のような時間」が、今ここにあった。
隣で嬉しそうにクレープを頬張る雪音の横顔を見つめながら、ハルは胸の奥が温かなもので満たされていくのを感じていた。
世界はまだ狂ったままだし、滅びのカウントダウンは止まっていないかもしれない。けれど、この冷徹なシステムを逆手に取れば、自分はこうして、手の届く範囲の女性たちの「尊厳」を守り、白昼のデートに連れ出すことができる。それも、国のお金で、堂々と。
表向きは、国家に従順な「完璧な効率を叩き出す希少種」。
しかし裏では、法の穴を突き、傷ついた女性たちの当たり前の幸福を提供する「影の恋人」。
「ハルさん、次はあのお店を見てみてもいいですか?」
「ええ、もちろん。どこへでも行きましょう」
ハルは、雪音の繋いだ手を少しだけ強く握り返した。
絶望に支配されていたハルの日常は、彼自身の知恵と底抜けの優しさによって、鮮やかな色彩を取り戻し始めていた。彼の静かで、けれど決して誰にも負けないささやかな反逆が、ここから始まろうとしていた。
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