監査
別フロアから逮捕者が出た事件を受け、ハルの事業所には国家から派遣された監査官が入った。
社内の空気は重く張り詰め、各部署で情け容赦のない取り調べが行われた。業務の記録から個人の交友関係に至るまで、徹底的に洗い出される。そして全社員の聴取が終わり、最後に監査官が呼び出したのは、このフロアで唯一の男性であるハルだった。
急造の面談室として使われている会議室に入ると、黒いスーツに身を包んだ女性監査官がパイプ椅子に座っていた。
無駄な装飾を一切排した佇まいに、感情をまったく感じさせない氷のような視線。彼女は手元の端末から顔を上げ、ハルを真っ直ぐに見据えた。
「単刀直入に伺います。あなたはこの会社に赴任して以降、あるいはそれ以前に、今回の事件のような『金銭や物品の授受を伴う性行為』を行ったことはありますか?」
静かだが、逃げ場のない声だった。
ハルは一瞬息を呑んだが、ここで話さない方が怪しまれると判断した。何より、自分が命を繋いできた女性たちとの関係を、やましいものとして隠したくはなかった。
「……行為自体は、あります」
ハルの言葉に、監査官の表情はぴくりとも動かない。ハルは毅然と、言葉を続ける。
「ですが、そこに金銭や物品の授受は一切ありません。純粋な好意と、互いの完全な同意の上で行ったことです」
「いかなる見返りも、要求していないと?」
「はい。誓って」
監査官はハルの目を見つめたまま数秒の沈黙を保ち、やがて手元の端末を数回タップした。
「……わかりました。これまでの周囲の社員たちの証言や、あなたの生活状況の調査結果とも矛盾はありません。今回のこちらでの捜査は、これで終わりです」
彼女は立ち上がり、資料を手際よくカバンにしまい始めた。
拍子抜けするほどあっさりとした引き際だった。彼女には、希少な男をいたずらに痛めつけたり、罠にはめようとしたりする意図など最初からなかったのだ。ただ国家の法に則り、歯車の一つとして淡々と事実確認の仕事をしているだけなのだと、ハルは理解した。
だからこそ、恐ろしかった。
監査官が部屋を出て行こうとしたその背中に、ハルは恐る恐る、ずっと気になっていたことを尋ねた。
「あの……逮捕された男性は、今、どうなっているんですか」
監査官は足を止め、振り返ることなく、まるで「今日の天気」でも答えるかのように当たり前のトーンで口を開いた。
「どう、とは? 法に則り、専用の施設へ移送されました。現在は特殊な投薬を受けながら、ランダムに選出された女性たちへ精液を提供しています。それが彼の生涯の義務ですから」
悲惨な情景への哀れみも、罪を犯した者への怒りも、そこには一切なかった。
ただの「事実」としての宣告。自我を破壊され、生きた機械にされるというあの地獄を、この国のシステムは完全に『正常な処理』として受け入れている。
「……そうですか」
ハルの声は、自分でも驚くほど震えていた。
監査官はドアノブに手をかけたまま、最後に一度だけ振り返り、氷のような瞳でハルを見つめた。
「最後に。あなたは『種』として、この国において極めて希少で、貴重な性である『男』です。……どうか、それに応じた生活を送られることを、個人的に希望します」
それは警告でも、脅しでもなかった。
純粋に、国家の貴重な資源である保護動物に対する、事務的な気遣いの言葉だった。
カチャリ、とドアが閉まり、ハルは会議室に一人取り残された。
「希少で、貴重な性……」
彼女の残した言葉が、冷たい蛇のようにハルの足元にまとわりつく。
この世界において、自分は人間として扱われているのだろうか。それとも、法という檻の中で放し飼いにされているだけの、ただの都合の良い『資源』に過ぎないのだろうか?
ハルは自分の両手を見つめ、ひどく薄寒い感情を抱いたまま、自分のデスクへと重い足取りで戻っていくのだった。




