施設到着
施設の中に入った。
正直なところ、山麓の研修施設という言葉から、リュートが想像していたのはもっと古びた建物だった。石造りで、隙間風が吹き込んで、床が軋むような場所。
実際は全然違った。
内部は明るく、清潔だった。床は磨かれた木材で、壁には照明用の魔道具が等間隔に取り付けられている。廊下は広く、三階建ての吹き抜けが中央にあって、上の階まで見渡せる構造になっていた。窓も大きい。外の木々から差し込む光が、建物の中にまで届いていた。
「意外と・・・新しいですね」
「私もです」
「研修施設というから、もっと質素なものを想像していましたが」
「同じく」
アランが周囲をきょろきょろと見渡しながら言った。
「いや、普通にええとこやん。なんか得した気分やね」
「研修施設だからといって不便である必要はないですよ」
ケルビが静かに言った。それはそうだ、とリュートも思った。ルグが生徒たちを中央のホールに集めた。
「部屋の割り当てを発表します。原則として班ごとの同室です。各自、部屋番号と鍵を受け取ってください」
係の教員が鍵を配り始めた。
リュートたちの班に割り当てられたのは、二階の端の部屋だった。四人部屋で、ベッドが四つある。窓から外を見ると、コルネットの木々が広がっていた。
「思ったより広いですね」
クラウスが部屋に入りながら言った。
「四人には十分な広さです」
ケルビが頷いた。アランがさっそくベッドに腰を下ろして、跳ねるかどうか確認していた。
「ちゃんとしたベッドやん!よかったぁ・・・」
リュートは荷物を棚に置きながら、ふと気になっていたことを口にした。
「クラウス様」
「何でしょうか?」
「公爵家の方が、こういう形で平民と同室でいいんですか?」
クラウスは少しだけ間を置いた。荷物を棚に置く手を止めて、こちらに向いた。
「問題ありませんよ。むしろ、私にとっては望ましい」
「望ましい、とは?」
「学園に入る前から、父上には言われていたことがあります。公爵家の人間として生きる前に、一人の人間として周囲と接しなさい、と」
「・・・」
「加えて言うなら、将来この国に関わる立場になる可能性があるのであれば、様々な立場の人間を実際に知っておく必要があります。平民と同室で不満を抱くような器では、務まらないでしょう」
「合理的な理由ですね」
「父上は合理的な人間ですから」
クラウスが静かに笑った。
なるほど、なるほど・・・
姉はサディストで策略家、父は合理主義で、弟は虫好きの公爵家次男。オルディナシス家というのは、どういう家系なのか?
アランがベッドの上で大の字になりながら言った。
「クラウス様、ここ来てよかったですよね?虫が多い以外は・・・」
「多い、という問題ではありませんが。多いのは魅力の一つだと思いますが、アラン君には理解が難しいですか」
「全力で難しいです。」
「いつかきっと分かる日が来ますよ」
「来んと思います」
ケルビが「まあまあ」と言いながら二人の間に入った。
――――――――――
それからしばらくは、思ったより穏やかな時間だった。
自由時間ということで、各自好きに過ごしていい、とルグに言われていた。リュートはベッドに横になって、天井を見ていた。特に何もしていない。ただ、目を開けて天井を見ていた。
こういう時間が、最近は少なかった。
戦争の前も後も、何かを考えているか、動いているか、あるいは動けない状態でいるかだった。何もしないでいることが、ここまで難しくなったのはいつからだろうか。
アランはいつの間にか寝ていた。さっきまで喋っていたのに、呼吸が穏やかになっていた。
ケルビは鞄から本を取り出して読んでいた。旅行用の荷物の中に本を入れてくるあたり、ケルビらしい。
クラウスは窓際に椅子を引き寄せて、外を見ていた。木々の間を何かが動くたびに、僅かに目を細めていた。虫を探しているのだろうとリュートは思った。
穏やかな時間だ。
セレナとティオが生きていたら、こういう場所に仮に来た時に何を言っただろうか。セレナはおそらく真っ先にベッドを確かめて、「ちゃんとしたベッドじゃない」と言いながら荷物を広げるだろう。ティオは部屋の中を一通り確認してから、窓を開けて外の気配を確かめるだろう。
考えることは、まだある。でも、今は少し遠かった。
それで十分だと、ルーベルトとの交渉で決めていた。
リュートは目を閉じた。
――――――――――
どれくらい経ったのか、分からなかった。
突然、部屋の天井の魔道具から音が流れた。施設全体に行き渡る放送だった。
「生徒の皆さんにお知らせします」
聞き覚えのない声だ。施設の管理人か、あるいは引率の教員の一人だろうな。
「本研修の追加プログラムとして、来月末の模試戦闘大会に向けた対人戦練習を実施します。この研修期間中に、各クラス対抗の練習戦を行う予定です。ついては、各クラスはそれぞれ指定された運動場に集合してください」
アランがむっくりと起き上がった。
「模試戦闘大会?」
「聞いたことがあります」
クラウスが窓から振り返った。
「学園の大規模な行事の一つです。クラス対抗と個人戦の両方があります。例年、かなり本格的な戦闘になるようですよ。観客が入ることもあるようですし」
「日本で言う体育祭みたいなもん・・・」
リュートはそう思ったが、声には出さなかった。前の世界でも、学校の行事として似たようなものがあった。ただ、あちらは魔法も剣も使わなかったが。
「指定された運動場というのは?」
ケルビが言うと、放送が続いた。
「一組は大規模運動場A、二組はB、三組はC・・・に集合してください。五分後を目安に移動を開始してください」
以上、と言って放送が切れた。
「あ、そういえばルーベルトは五組やったよね?」
「そうだな」
「別々になるんか」
「今日は仕方ないさ」
リュートは起き上がって、鞄を手に取った。特に持っていくものはないが、習慣で手が動いた。四人で部屋を出た。廊下に出ると、他の生徒たちも同じように動き始めていた。一組の生徒たちは自然とまとまって、施設の出口に向かっていた。
外に出ると、施設の裏手に運動場が広がっていた。思ったより広いな。Aと書かれた看板が立っているエリアに向かうと、すでに一組の生徒が集まり始めていた。
ルグが運動場の中央に立っていた。生徒が揃うのを確認してから、ルグが口を開いた。
「模試戦闘大会について説明します。実施は再来月です。内容はクラス対抗戦と個人戦の二種類。今回の研修期間中に、対人戦の基礎を確認しておくことが目的です」
生徒たちが静かに聞いていた。
「対人戦は、魔物戦と異なります。相手が人間である以上、動きの読み方、フェイントへの対処、距離の取り方、全て変わります。今日はまず、各自の現状を確認します。二人一組でペアを組んでください。ペアに関しては私の独断で決めました」
そう言うと同時に、ボードに名前の書かれた紙を貼った。生徒たちがざわめいた。リュートはクラスメイトを見渡した。アランがこちらを見た。
「俺たちは組めないってことやよね?」
「そうだな」
「じゃあリュートは誰と組まされんやか?」
「アリアか、アルフォンスあたりになるんじゃないか?」
「俺はケルビかな・・・」
「ケルビとも普段一緒にいるだろ。」
「あ、そっか」
アランが頭を掻いた。
「じゃあ誰やろ。エルナ?」
「そうなるんじゃないか」
ルグが全体を見渡した。
「では、合流次第、軽い練習戦を始めてください。本気でやる必要はありません。相手の動きを読む練習です。怪我をしないように」
生徒たちが動き始めた。リュートは周囲を見渡した。アリアがこちらに気づいて、少し目を合わせた。
「リュート君ですか」
「悪かったか?俺で?」
「いえ、実力者と戦えるのがすこし嬉しくて・・・」
アリアが剣を構えた。リュートは剣をアイテムボックスから取り出した。
対人戦か。
真っ直ぐな構えで、剣の先がぶれていないな。久しぶりだな。ヴァルドとの戦闘以来だ。あれと今の練習戦では、規模も状況も全く違うが。
「始めますか」
「はい」
二人は向き合った。
運動場のあちこちで、同じように練習戦が始まっていた。剣と剣がぶつかる音、魔法の展開音、指示を出す声。コルネットの木々を背景に、一組の生徒たちが動き始めていた。




