老人
馬車が止まり、御者が振り返った。
「此処から先は馬車では進めません。歩いての移動になります」
外を見た。道が細くなっていた。木々の間を縫うように続く獣道に近い道で、馬車が通れる幅ではない。施設の屋根はもう見えている。距離にして、200mほどだろうか。
生徒たちが次々と馬車を降りた。
荷物を引っ張り出す者、足場を確認しながら慎重に降りる者、さっさと降りてそのまま歩き始める者。列の順番は自然とぐちゃぐちゃになった。誰も整列しようとしていないし、教員も特に指示を出していない。移動の距離が短いからだろう。
リュートは最初に降りた方の生徒に混じって、自然と列の先頭近くに収まっていた。
意識してそうしたわけではない。馬車を降りた時に前が開いていたから、そのまま歩き始めただけ。ただ、先頭に近い位置にいると、周囲の気配が把握しやすい。後ろを誰かに任せられる。長い間の習慣が、自然とそこに足を向けさせていた。
魔力感知を短く展開した。
周囲の反応を確認する。Fランクの虫が大量にいるのは変わらない。Cランクの反応が、施設の方向とは別の場所に一つ、二つ。ただし、こちらに向かってくる気配はない。
問題はなさそうだから、感知を閉じた。
後ろからアランの声がした。
「道、ぬかるんでんな」
「昨日雨が降ったんじゃないですか?」
クラウスが返した。
「靴が汚れますね・・・」
「まぁ、研修ですから」
「クラウス様は気にならないんですか?」
「靴は汚れるものですよ。洗えばいいだけです。」
「貴族の方がそう言うんですね。」
「靴が汚れることより、足元を見ずに転ぶ方が問題です。気をつけてください」
アランが「確かに」と言いながら足元を確認しているのが、声のトーンで分かった。
リュートは少し笑いそうになるのを止めて、前を向き直した。
その時だった。
木々の隙間から、声が聞こえた。怒鳴り声だ。一人ではない。複数の声が混じっている。そして、もう一つ。低い、かすれた声。
リュートは立ち止まった。
声の方向を確認した。道から外れた茂みの向こう、三十メートルほどの位置だ。魔力感知を展開する。反応が三つ。一つはかなり小さく、地面に近い位置にある。残り二つは立っていて、魔力の動きが粗い。訓練を受けていない人間の動きだ。
盗賊か。
リュートは振り返り、列の中からルグを探した。ルグはちょうど列の中ほどにいた。リュートは人をかき分けて戻った。
「ルグ先生」
ルグがこちらを見た。
「道の外、三十メートルほどの位置で何かが起きています。二名の人間が一人を囲んでいる状況です。声の様子から、盗賊の可能性が高いと思います」
ルグは少しの間、リュートを見た。
「魔力感知で確認しましたか?」
「はい。囲まれている一人は地面に近い位置にいます。倒れているか、蹲っているか」
「なるほど。・・・君はどうしたいですか」
「対処できます。時間もかかりません」
「単独行動は避けるよう言いましたが」
「はい。ただ、生徒を連れていくより、一人で動いた方が早いと判断しました」
ルグは少しの間、黙った。その沈黙は短かった。
「分かりました。行ってきてください。ただし、終わったら、すぐに戻ること。それと、不必要なことはしないように。やるべきことだけやれば十分です」
「了解しました」
リュートは踵を返した。
茂みに向かいながら、剣をアイテムボックスから取り出した。音を立てないように、ゆっくりと。魔力感知を継続して展開する。二人の位置を正確に把握しながら、木々の間を縫うように進んだ。
近づくにつれて、声がはっきり聞こえてきた。
「じじい、おとなしく持ってるもん出しな」
「金目のもんがあるのは分かってんだ。早くしろ」
低い声が何かを言っていたが、聞き取れなかった。茂みを抜けた瞬間、リュートは状況を把握した。
老人が一人、木の根元に蹲っていた。白髪で、年齢はかなり上だろう。体が小さく、肩が丸い。その前に、剣を持った二人が立っていた。装備はまちまちで、統一感がない。組織的な盗賊ではなく、その場限りの悪事を働くタイプだろうか。
二人がリュートに気づいた。
「あ? なんだガキ」
「学園の制服じゃねーか。研修中か」
「迷子か? ちょうどいい、お前も」
「破嵐斬」
剣をみねうち感覚で振ったが、一合で終わった。ヴァルドに比べればそこまで強くなかった。
二人の剣が同時にはじき飛ばされた。衝撃が腕に伝わったのだろう、二人とも手を押さえてその場に崩れた。意識はある。骨も折れていない。それだけ確認して、リュートは剣をアイテムボックスに戻した。
「立てますか」
老人に向き直った。
老人はゆっくりと顔を上げた。深く刻まれた皺と、落ち着いた目をしていた。驚いている様子はほとんどなかった。痛みで顔を歪めてはいるが、慌てた気配がない。
「・・・ありがとうよ。助かった」
声がかすれていた。でも、芯がある声だった。
「怪我の確認をさせてください」
「いや、大したことはない。ちょっと転んで腰を打っただけじゃよ。こいつらに手は出されてない」
「確認させてください。」
老人は少しだけ笑った。
「そうかい。遠慮のない子だのう」
リュートは老人の側に膝をついた。腕、肩、腰を順に確認した。腰の打撲は確かにあるようだったが、外傷は見当たらなかった。出血もない。骨に異常があるかどうかは見ただけでは判断できないが、少なくとも動けない状態ではなさそうだった。
確認している最中、視界の端に何かが入った。
老人の背中に、細長いものが括りつけられていた。布で包まれているが、その形は隠しきれていない。
刀・・・
リュートは一瞬、手を止めた。
反りのある日本刀をしている。この世界の剣とは、明らかに形が違う。細身で、片刃で、柄の形も異なる。見間違えるはずがなかった。
前の世界で、何度か見たことがある形だった。
「・・・」
何も言わなかった。確認を続けた。目立った外傷がないことを改めて確かめてから、リュートは立ち上がった。
「外傷は見当たりません。ただ、腰を打っているようですから、無理に動かない方がいいと思います」
「そうだのう、少し休めば大丈夫じゃ」
「施設まで歩けますか」
「歩けるぞ?現役爺舐めんことじゃの。」
老人が立ち上がろうとした。リュートは手を差し出した。老人はそれを一瞬見てから、掴んだ。立ち上がると、思ったより背が高かった。腰が少し曲がっているが、それでもリュートより頭一つ分ほど上にある。
「学園の子か? 研修で来たのかのう?」
「まぁ、はい、そうです」
「そうか。コルネットは久しぶりに来る人間が多いからのう、気をつけないと道を外れてしまうぞ」
老人が背中の刀に手をやった。確認するような動作だった。
「・・・よかった。これが無事で」
「その刀は・・・」
気づいたら口に出ていた。老人がこちらを見た。リュートは少し黙ってから、続けた。
「この辺りでは見ない形の刀ですね」
老人は少しの間、リュートを見ていた。その目が、さっきより少し変わった気がした。何かを確かめるような目だった。
「よく分かったのう。この見た目でも、此処で作られたものなんじゃ」
「・・・」
「もう年でね、ほとんど握れなくなってしまった。昔はよく使ったもんだけど」
老人が少し遠くを見るような顔をした。
「昔は冒険者だったんじゃ。若い頃はそれなりに動けたんだが・・・今思えば、無茶もよくしたもんだのう」
「それなりに、ですか」
「そうそう、それなり。」
謙遜しているのか本当のことを言っているのか、リュートには判断がつかなかった。ただ、老人の立ち姿には、何かが残っていた。年齢と腰の曲がりで隠れているが、重心の置き方が、ただの老人とは違った。長い間、体を使ってきた人間の立ち方だ。
「全盛期は相当強かったんじゃ」
老人が少し笑いながら言った。自慢でも懐かしむでもなく、ただ事実として言っているような口調だった。
「そうですか」
「信じないかい?」
「信じますよ」
「何故じゃ?」
「立ち方が、普通の人間じゃないから。戦い抜かれた英傑のように感じる」
老人はしばらく黙った。それから、また笑った。今度は少し違う笑い方だった。
「目のいい子だのう」
「そういうの、慣れているだけです」
「慣れているというのも、なかなかな話だが・・・」
老人が刀の布を少しだけめくった。柄が見えた。黒い柄巻きで、鍔は円形だった。リュートには、その形に見覚えがあった。
「この刀に名前はありますか?」
「名前か・・・天剣。今なずけた。」
「今かよ。」
「もらい物でね。昔、大変な時に助けてくれた人間からもらったんじゃよ。その人はもうとっくに亡くなっとるが、刀だけは残っておる。まぁ、今の私には飾りみたいなものだが」
老人が布を元に戻した。リュートは一歩引いた。
「施設の方まで戻ります。一緒に行けますか?」
「ここは大丈夫じゃ。私のペースで行くから、君は先に戻りなさい。先生が心配してるでしょう」
「確かに。それに遅いとしばかれそうだし。」
「ありがとうよ。達者でな」
「お気をつけて」
リュートは踵を返した。茂みを抜けながら、頭の中で考えていた。日本刀。この世界ではない形。この辺りに長く住む人間で、この世界のものではない刀を持っている。
一つの可能性が頭に浮かんだ。
植生の本の末尾に一段落だけあった記述を、思い出した。コルネット山麓の奥地に数十年住む仙人。名前は載ってなかった気がする。
リュートは少しの間、足を止めた。木々の向こうに、施設の屋根が見えた。生徒たちの声が、遠くから聞こえてくる。
リュートはまた歩き始めた。道に合流すると、ルグが列の外で待っていた。
「終わりましたか」
「はい。盗賊は二人、意識はありますが動けない状態です。老人の方は外傷なし。腰の打撲がありますが、自力で歩けます」
「怪我はありませんか、君の方は・・・」
「ありません」
「そうですか。報告をありがとうございます。盗賊の件は後で騎士団に連絡を入れます」
ルグはそれだけ言って、列の先頭に向かって歩き始めた。
リュートも後に続いた。
施設の入り口が見えてきた。石造りの建物が木々の間に収まっていた。思ったより大きい。生徒たちが次々と中に入っていく。
後ろからアランの声がした。
「リュート、どこ行っとったと?」
「少し野暮用で」
「そうか。・・・そういえば、何か変わったことあった?」
「特に何も」
嘘ではなかった。変わったことは確かにあったが、それを今言う必要はない。
アランが特に深く追及しなかったのは、施設の建物に気を取られていたからだと思う。
リュートは施設の入り口をくぐった。




