出発の時
三日後はあっという間に来た。
朝、集合場所の学園正門前に行くと、すでに多くの生徒が集まっていた。馬車が数台並んでいて、荷物を積み込んでいる生徒もいる。
リュートは鞄一つで来た。必要なものはすべてアイテムボックスに収納してある。着替え、防寒具、簡易的な医療道具、食料の予備、計算式の紙。万が一に備えたものを含めると、鞄の中身より圧倒的にアイテムボックスの中身の方が多かった。
「リュート、おはようさん」
アランが来た。目の下にうっすらと隈があるな。
「昨日あんまり眠れんかった」
「虫のことを考えていたのか?」
「考えんようにしようとして、余計考えてしまった」
「お疲れ。そんで、ケルビは?」
「もう来とるよ。荷物が多すぎて困っとった」
ケルビが少し離れた場所で、大きな鞄と格闘していた。リュートとアランが近づくと、ケルビが少し困った顔で振り返った。
「荷物、馬車に積んでもいいのかな?」
「積んでいいと思いますよ」
クラウスが後ろから来た。制服姿で、荷物は小さめの鞄一つだった。
「クラウス様、おはようございます」
「おはようございます。荷物は前の馬車に積めるようですよ。係の人が案内していましたから」
「ありがとうございます」
ケルビが係の生徒の方へ向かった。
アランがクラウスを見た。
「クラウス様、荷物少なくないですか?」
「必要なものは大体揃っていますよ。それより、アラン君。顔色が少し悪いですが、大丈夫ですか?」
「・・・虫のことを考えると、どうしても」
「虫は良いものですよ。可愛いですよ。」
「全然慰めになってないです。」
「慰めているつもりはありませんでした。事実を言っただけですよ。」
アランが遠い目をした。
こんな馬鹿話をしてしばらく、ルグが正門の前に立った。今日も相変わらず髪がぼさぼさだ。だが、服はちゃんと着込んでいる。
「集合完了を確認しました。これから馬車でコルネット山麓の研修施設へ向かいます。移動時間はおよそ半日。到着後に施設の説明と班ごとの行動確認を行い、今日は自由時間を設ける予定です」
生徒たちがざわめいた。
「コルネット山麓は魔物が生息しているエリアです。ただし、確認されている範囲ではCランク以下。危険度は低い。とはいえ、単独行動は避けること。何かあれば班で対処する前に、必ず教員に報告してください。何かあってからでは遅いですから」
最後の一言は静かだったが、妙に重かった。
「乗車してください」
馬車への移動が始まった。
馬車に乗り込んでから、暫く経った。
窓から見える景色が少しずつ変わっていた。王都の石畳から、草地と木々が増えていく。道が緩やかに傾斜し始めた。コルネット山麓に近づいているのだろう。
リュートは周囲をボーっと眺めながら、薄く魔力感知を時々展開していた。
発動時間を10秒、馬車の周囲、半径三十メートル程度の範囲を緩やかに感知する。消耗と疲労を抑えるため、出力を絞っていた。
小さなものが多いな。木の上、草むらの中、地面の下。ほとんどは虫だ。Fランクのものがほとんどで、Eランクが時折混じっている。でも、Cランクの魔物はまだ感知していないのか。これなら、安全に移動できそうだ。
斜め前の席では、アランが窓に背を向けていた。外を見ないようにしているらしい。ケルビがアランの隣で静かに本を読んでいた。
「あ」
別の馬車の方向から、かすかに魔力の動きを感じた。展開の質が、リュートのものと少し違う。でも、やっていることは同じだ。
念話を繋いだ。
リュート(やあやあ、ルーベルト君。魔力感知を使っているのかい?)
ルーベルト(何其の呼び方・・・なんか気になって。アベルも使ってるよ)
リュート(二人でやっているなら、こちらと範囲を分けた方が効率がいいよな)
ルーベルト(そうだね。どう分ける?)
リュート(俺が馬車の前方と側面。そちらは後方を頼む。重複しないように)
ルーベルト(分かった)
念話を切ると、隣でクラウスが小さく首を傾けて聞いてきた。
「念話ですか?」
「ルーベルトと連携を取っていました。あちらも感知をしていたので、範囲を分けました」
「なるほど・・・みんな用心深いですね」
「ただの習慣です」
クラウスはそれ以上何も言わなかった。外の風景を静かに見ていた。
しばらくして、馬車の速度が落ちた。
「前方に反応があります」
リュートは小声でクラウスに言った。Cランク。単体。馬車の進行方向、百メートルほど先の茂みの中にいる。
「教員への報告は必要でしょうか?」
「さあ、分かりません。とりあえず、様子を見ましょう」
馬車が止まった。外から声がした。引率の教員が状況を確認しているようだ。
顔を出して覗くと、茂みから何かが出てきていた。
大型の甲殻を持つ虫型の魔物だった。体長は一メートル半ほどある。ネストビートル。図鑑で確認していた種だった。
「おお!!!」
クラウスの声のトーンが、明らかにに上がった。
「甲殻の光沢が綺麗ですね。この個体は成体ですか。成体のネストビートルは滅多に見られないんですよ。通常は巣の中で・・・」
「クラウス様」
「はい」
「アランが聞いています」
クラウスが振り返った。アランが幌に背を向けたまま、顔色を失っていた。
「・・・失礼しました」
馬車の外では、すでに動きがあった。
他のクラスメイト数人が馬車を降りて対処に向かっていた。剣を持った生徒、魔法を構えた生徒。Cランクとはいえ、人数がいれば問題はない。
リュートは手をかけかけた剣から、手を離した。必要ないと判断したからだ。
数分後、予想通りに魔物の気配が消えた。外から歓声が上がった。どうやら倒しきったみたいだ。
馬車が再び動き始めた。
「リュート君は動かなかったんですね」
「あの人数がいれば十分でしたから。出る必要がなかったからね」
「・・・判断が早いですね」
「Cランクを見て即座に動こうとしなかった判断も、同じくらい正しいと思いますよ」
クラウスが少しだけ黙った。
「ありがとうございます」
アランが恐る恐る外を見た。
「終わった?」
「「終わりましたよ」」
「よかった・・・」
ケルビが本から目を離さずに「お疲れ様」と言った。馬車は再び山麓へ向けて進み始めた。
それからも時折、魔物との遭遇はあった。
Eランクの群れが道沿いに出てきたこともあったし、Cランクが二体同時に現れたこともあった。だが、どれもクラスメイトたちが対処したため、リュートが動く必要はなかった。
むしろ、こういう機会があることが研修の目的の一つなのだろうな。Cランク以下の魔物を実戦で経験させる。戦闘に慣れていない生徒でも、人数がいれば対処できる。それを体で覚えさせるための場所として、コルネット山麓が使われているわけか。
理にかなっている、とは思うが・・・自分の練習台にはならなそうだ。でもまぁ、こうやってゆっくりするのも悪くないか。
リュートは外の風景を見ながら、そう結論づけた。
しばらく走ると、景色が変わった。
木々の密度が上がり、日差しが遮られ始めた。道の両側から枝が張り出してくる。空気の質が変わった。湿度が上がり、草と土が混じった匂いが馬車の中に流れ込んでくる。
「コルネット山麓に入りましたね」
クラウスが外を見ながら言った。その声のトーンがまた微かに上がっている。リュートはそれに気づいていたが、指摘しないことにした。
同時に、少し冷えてきた。
王都との気温差が、肌でわかる程度にあった。山に入ったからだろう。朝は冷える、という記述を思い出した。今はまだ昼過ぎだが、日が陰っているせいで体感温度が下がっている。
リュートはアイテムボックスを開いた。防寒具を取り出して、膝の上に置いた。まだ着るほどではないが、いつでも出せる状態にしておく。
周りを確認した。
すでに防寒具を羽織っている生徒が数人いた。寒さに敏感なタイプか、単純に用意がいいのか。
リュートと同じように、防寒具を取り出してはいるが、まだ着ていない生徒もいた。ケルビがその一人だった。鞄から上着を出して、膝に乗せたまま本を読んでいる。
アランは・・・防寒具を出す気配がない。外を警戒しているため、それどころではないらしい。クラウスも出していなかった。涼しい顔で外を見ている。貴族として鍛えられているのか、体が丈夫なのか。どちらかは分からないが、少なくとも寒さに動じている様子はなかった。
リュートは魔力感知を短く展開した。
周囲の気配を確認した。虫の数が、山麓に入ってから一気に増えた。Fランクの小さな反応が、範囲内に数え切れないほど存在している。Eランクも複数。Cランクは今のところ、馬車から離れた位置にいるてめ、アラン以外は問題はなさそうだ。
しばらくすると、気温がそこまで下がらないことに気づいた。木々が風を遮っているからか、思ったよりも冷え込みは穏やかだった。
リュートは防寒具をアイテムボックスに戻した。夜は別の話になるだろう。今は必要ない。
そう判断してから少しして、馬車の幌の隙間から、何かが入ってきた。小さく、軽い。羽ばたきの音が微かにする。次の瞬間、視界の端に色が入った。
チョウだった。
羽を広げると手のひらほどの大きさがある。羽の色は、深い青と緑が混じったような色合いで、光の当たり方によって微妙に変化していた。触角が細く、ゆっくりと動いている。
リュートは少しの間、それを見ていた。
日本で見た蝶とは違うな。南米で見た種とも違う。この世界に来てから見てきた虫は、形が異なるから、完全に見覚えのないものばかりだ。
でも、蝶は蝶だ。
羽の動きが、ゆっくりとしている。馬車の揺れに合わせて、体勢を微妙に調整しながら、空中の一点に留まっている。
・・・少し、かわいいな。
そう思ったのは、一瞬だった。
「あ」
クラウスが声を出した。蝶に気づいたらしい。
「翠燐蝶ですね。この辺りにしか生息しない種です。羽の鱗粉に弱い光の屈折効果があって、角度によって色が変わるんですよ」
「たしかに、結構きれいですね」
「警戒心が低い種なので、こうして馬車に入ってくることもたまにあるそうです。触れても逃げないことがありますよ」
「・・・触らないことにするよ」
「それは賢明な判断かと。翠燐蝶の鱗粉は催眠作用がある皮膚毒があるので」
「それ、戦闘中にぶっかけられたらやばいじゃん。」
「はい、かなりヤバいです。」
クラウスが少し納得したように頷いた。アランがおそるおそる振り返り、蝶を見た。
「・・・これは虫か?」
「チョウですよ」
「チョウか。チョウはまだ大丈夫」
「そうですか」
「でもこれがゴキブリやったら気絶してた。」
「安心してください。ゴキブリには羽がありますが、ここまで優雅には飛べませんから」
「安心感ゼロやな。」
蝶はしばらく馬車の中を漂ってから、隙間から外へ出ていった。その後を、クラウスが少し名残惜しそうに目で追っていた。
リュートはそれを横目で見てから、外に視線を戻した。
木々の向こうに、研修施設らしき建物の屋根が見え始めていた。




