野外研修準備(1)
戦争が終わって、二週間が経った。
王都は少しずつ音を取り戻していた。市場が開き、鐘が鳴り、廊下を歩けば生徒の笑い声が聞こえる。学園は戦争の前とほぼ変わらない顔をしていた。
変わったのは、リュートの中だけだった。
午後一時限目の授業が始まる少し前だった。
ルグが教室に入ってきた。いつも通りのぼさぼさ頭と、ずんだれた教員服。右手に紙束を持っていた。
「今日は授業を始める前に、一つ連絡があります」
ルグが黒板に紙を一枚貼った。
―――――宿泊体験学習のご案内—————
「宿泊体験学習を三日後に行います」
教室内がざわめいた。
「え、三日後ですか?」
前列のアリアが素早く反応した。珍しく、動揺が声ににじんでいた。
「準備期間が短すぎませんか?通常は二週間前には告知があると思いますすが・・・」
「通常では、二週間前に告知を行っています。ただ、今回は事件の後始末で学園行事の日程が全てズレてしまい、これ以上延期すると、今学期内に実施できなくなるからです」
ルグが淡々と言った。説明をしているが、謝罪は一切ない。そういう人間だ。
「三日後・・・」
ケルビが静かにそう呟いた。
「場所はどこなんですか?」
アランが手を挙げながら聞いた。
「王都から馬車で半日ほどの距離にある、コルネット山麓の研修施設です。2泊3日。学年全体を対象とします」
「コルネットか・・・」
アルフォンスがボソっと言った。顔には隠し切れない嫌悪感が滲んでいる。貴族家の子息がわざわざ山麓の施設に泊まる、ということが相当気に食わないらしい。
「内容は屋外実技、共同作業、夜間の野外研修の三本立て。詳細は配布プリントに書いてあるため、目を通しておいてください」
ルグが紙束を前列から回した。
「そして、もう一つ。班の編成を今日中に各自で考えてきてください。最低四人一班で、クラスの枠を越えても構いません。ただし、班長には必ず届け出を行ってください。明日の朝、私に直接提出するように」
「クラスの枠を越えてもいいんですか?」
エルナが確認した。
「はい。他学年は不可ですが、同学年であれば別クラスの生徒と組んでも構いませんよ」
ルグはそれだけ言って、黒板の前に立った。
「以上です。今日は授業をしないため、話し合いをしてください」
あっさりしていた。
教室内は小さな声でざわざわとし始めた。ルグはそれを特に制止せず、教室を出て行った。
俺はアランとケルビの二人の方に向かった。
「うわ、三日後とかまじか」
アランは小声だが、興奮を隠していないみたいだ。
「リュート、班どうすると?」
「・・・まだ考えてない」
「そりゃそうか。さっき言われたばかりやもんね。でも、俺はリュートとケルビと一緒がいいな」
「俺もそうしたい」
ケルビが小さく頷いた。
「四人やろ?あと一人は誰にする?」
「ルーベルトに聞いてみる」
「ああ、そっか。ルーベルトって別クラスやったよね」
念話を繋いだ。
リュート(ルーベルト、宿泊体験学習の話、聞いたか?)
ルーベルト(今ちょうど先生から説明受けてた。三日後でしょ?)
リュート(班を組む話なんだが、一緒にどうだ。四人班でクラスを越えてもいいらしい)
ルーベルト(ごめん、もうアベルに声かけちゃってたんだよね・・・)
リュート(だったら無理か)
ルーベルト(そうなんだよね)
リュートは少し考えた。
「アランとケルビ、どっちかが班長になるのはどうだ?」
「ぇ、俺が班長?」
アランが顔を上げた。
「ルーベルト班とアラン班で、俺が両方に入る形にしても、班の枠は崩れる。別々の班でいくしかない」
「・・・あ、そっか。リュートを引き止めようとして逆になったな」
アランが頭を掻いた。
「俺が班長してもいい?いや、リュートの方がええかな。どっちがいい?」
「俺は班長をやりたくない。」
「何で?」
「疲れるから。」
「それ、理由になっとらんやろ・・・」
アランがしばらく黙った。隣でケルビが「アランが班長でいいんじゃない」と静かに言った。
「ケルビにそう言われると、俺が断りにくくなるやつや」
アランは少しの間、考えた顔をした。
「・・・わかった。俺が班長する。んで、あと一人どうする?最低四人なんだろ?」
「クラウスはどうかな?」
ケルビが言った。リュートは教室内をさりげなく見渡した。クラウスは窓際から二番目の席で、一人プリントを読んでいた。
恐らく、貴族の嫡男、しかも公爵家の次男、次期王候補という立場が、普通の生徒には声をかけにくい壁を作っているのだろう。
「・・・クラウスに聞いてみるか」
リュートは立ち上がり、クラウスの方に向かった。
クラウスがこちらを見た。整った顔に、少し驚いた表情が出た。
「・・・リュート君。どうしたんですか?」
「・・・失礼かと存じますが、班はお決まりですか?」
「まだです。誰にも声をかけていません」
「一緒に組みませんか?アランとケルビも一緒ですけど・・・」
クラウスは一瞬だけ目を動かした。プリントを見た。それから、またリュートを見た。
「・・・姉上と仲がいい貴方と班を組むのは、また何かろくでもない事に巻き込まれる気がすが。」
「そうだな。」
「正直だね。」
クラウスは少しだけ口の端を動かした。
「・・・分かりました。一緒に組みましょう」
「分かりました。そのあたりの話は学校が終わってからにしましょう」
「そうですね」
リュートは二人がいる所に戻った。
「クラウスでいいか?」
「全然いい!むしろ嬉しい」
アランが目を輝かせた。ケルビも小さく頷いた。
三日後、か。
セレナとティオがいたら、何と言っただろうか。そういうことを考えることが、まだある。
でも、今日はそれを少しだけ遠くに置いておくことにした。
後ろでアランが小声で「コルネット山麓って虫多いんかな」と言っていた。ケルビが「多いよ」と静かに返した。アランの「うわあ」という小さな声が続いた。
クラウスが無言でアランを一瞥した。その表情に、うっすらと呆れが混じっていた。
昼休みに入った瞬間、リュートは席を立った。
「おい、飯は?」
アランが遠くから声をかけてきた。
「後で食べる」
「図書室で、コルネットのこと調べに行くんか?」
「行く場所を知らないまま動くのは嫌だからね」
アランが呆れた顔をした。
「昼休みぐらい休まんと・・・ほんと変わらんよね、リュートは」
「じゃ、そゆことで」
リュートは早足で廊下を出た。
食堂を一旦素通りして、まず図書室に向かった。調べるのが先だ。腹は後でどうにでもなる。
図書室に入ると、昼休みにしては数人の生徒がいた。どの席も静かだった。リュートは地誌と自然誌が並んでいる棚に直行した。
『オルディナシス近郊地誌 第三版』
『コルネット山麓 植生と生態系』
『中級冒険者のための野外案内』
三冊を取り出し、窓際の席に座った。
まず地誌から開く。コルネット山麓の項を探した。
――コルネット山は王都から南西に位置し、山麓部は比較的平坦な地形が広がっている。植生は豊かで水源にも恵まれるが、虫型魔物の生息密度が高い地域として知られる。
次のページにざっと目を走らせた。
虫型魔物の種類の記載があった。ホーンホッパー、ネストビートル、スパイアーモス、ソウルアント……数えると十種類を超えている。
が、ランクを確認すると、すべてF〜Cランクの範囲に収まっていた。
別の本を開いた。冒険者向けの野外案内だ。
――コルネット山麓は初級から中級冒険者のレベル上げとして広く活用されている。虫型魔物は数が多いが単体戦闘力は低く、集団行動への対処を学ぶ実践的な訓練地として適している。
なるほど。つまり弱い虫が馬鹿みたいにいる、ということか。気持ち悪いな。すごく。アランの「虫多いんかな」という言葉は、かなり控えめなのか。
地誌の続きを読んだ。
――山麓の東端付近は視界が開けており、早朝には平坦地から山腹に沿って昇る朝日を観測できる。地元では景観地点として知られている。
朝日か。
リュートは少しの間、そこで手を止めた。
虫が大量発生している場所で、朝日が綺麗に見える。平坦地から『にょき』って。情報として矛盾はないが、組み合わせとしてはシュールすぎないか?
最後の一冊を開いた。植生と生態系の本だ。
その本の末尾に、おまけのような形で一段落だけ記載があった。
――なお、コルネット山麓の奥地には、そこに住む仙人と呼ばれる人物が在住しているとされる。詳細は不明だが、山麓で大規模な異変が起きた際に解決されたという証言が複数存在する。地元の案内役に確認を取ることを推奨する。
仙人。
リュートは少しの間、その一段落を見つめた。
一泊二日の学園行事の開催地に、仙人がいて、何かが起きたらその仙人が何とかしてくれる。それを前提に研修施設として使われている、ということか。
「・・・こんな魔界に三日後に行くのか」
声に出したが、誰も聞いていなかった。リュートは三冊の本を膝の上に重ね、少し考えた。
整理すると、こうだ。
虫とCランク以下の虫型魔物が大量にいる。生徒への直接的な脅威にはならない。ただし、対処を誤ると集団に囲まれる。
朝は冷える。防寒は必要だ。
夜間の野外研修がある。虫型は夜間に活動が活発になる種も多い。魔力感知を使えば範囲内の動きは把握できるが、一晩中展開し続けるのは消耗が激しい。短時間の間欠使用が現実的だ。
万が一の際は仙人がいる。ただし、消息不明。
それから、アランが虫を嫌いそうだということも、頭の片隅に入れておく必要がある。あれは間違いなくパニックになる。
リュートはプリントを取り出した。裏が白紙だったため、筆を出して、其処に書き始めた。
・コルネット研修における事前確認事項
1. 基本注意事項
(1)夜間行動時の防寒対策
夜間は気温低下が予想されるため、各自防寒具を持参。
(2)虫型魔物への対応
虫型魔物は集団で行動する傾向が確認されている。遭遇時には不用意に逃走するよりも、速やかに集中的な対処を行う方が効率的であると考えられる。
(3)魔力感知の使用制限
魔力感知については、魔力消費および集中力維持の観点から、就寝前の周囲確認時に限定して使用することが望ましい。
2. 参加者特性に関する事前確認
(1)クラウスの反応確認
クラウスが虫に対してどのような認識・反応を示すかについて、事前確認を行う必要がある。
アランについては高確率で騒動を起こすことが予測される一方、ケルビは比較的冷静な対応が可能であると考えられる。しかしながら、クラウスについては、公爵家次男という立場も含め、虫型魔物への耐性および実際の反応が不明であるため、注意が必要である。
4. 緊急時対応
(1)アランのパニック発生時の対応
アランが虫型魔物を原因としてパニック状態に陥った場合に備え、事前に収拾役を決定しておく必要がある。
現時点では、冷静な判断力を有するケルビが適任であると考えられる。
5. 結論
環境要因への備えだけでなく、参加者個々の性格・反応傾向を踏まえた事前準備が重要。特に虫型魔物への対応に関しては、戦術面と心理面の双方から十分な確認を行う必要がある。
紙を折って、窓から外を見た。昼の光が中庭に差し込んでいた。生徒が数人外で弁当を食べていた。そういえば、飯を食べていない。
昼休みがあと何分残っているか確認した。
十五分だった。
「・・・急ぐか」
リュートは本を棚に戻し、図書室を出た。食堂に向かいながら、頭の中で残りの確認事項を整理していた。
セレナとティオがいたら、「ちゃんと飯食べなさいよ」と言われただろうな。
食堂に入った。アランとケルビがまだいた。
「遅っ!もう終わりそうやけど」
「分かってる」
「何か分かったと?コルネット」
「色々と」
リュートはトレーを取った。残っている料理を確認した。パンと汁物だけだった。
「すっくね…」
「虫は多いか?」
「想像以上に多いな」
アランの顔が引きつった。
「・・・どんくらい?」
「少なくとも十種類以上の虫型魔物がおるらしい」
「嘘やろ・・・」
「本当だぞ。」
アランが固まった。ケルビが静かに「大丈夫だよ」と言った。その声が、どう見ても大丈夫そうに聞こえなかった。
リュートはパンをかじりながら席に座った。
三日後か。まあ、どうにかなるだろう。多分。




