記憶の欠片
【リュート・アルス】
意識が、遠かった。
暗い、というより、何もなかった。音も、光も、痛みも。ただ、何もない場所にいた。
それが少しずつ、形を持ち始めた。
断片だった。
繋がっていない。順番もない。ただ、浮かんでくる。
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笑い声がした。複数の声だった。知っている声だ。どこかで聞いたことがある。でも、顔が思い出せなかった。
「お前、本当にやるつもりか?」
誰かが言った。男の声だ。同い年くらいの声だ。
「やるよ。今更止まれないし」
自分の声が返した。
自分の声だ。でも、今とは少し違う。もう少し高い。もう少し軽い。
「でも、■■■■だろ?高校生が演説するって、普通じゃないぞ?」
「普通じゃないから呼ばれたんだろ。」
「・・・お前、頭いいのに時々怖いよな?」
「とか言ってるけど・・・俺、地理のテスト、赤点ぎりぎりだったから。」
「「「それは、お前が■■■の研究に没頭してたせいだろ?」」」
「そうやな。・・・地理教えてくれ。」
「いいぜ。はよ見せろ」
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場面が変わった。
広い会場だった。
天井が高く、照明が明るかった。正面に演台がある。演台の前に、マイクがある。
会場に、人がいた。大勢いた。スーツを着た大人が並んでいた。彼らは、世界中から集まった研究者たちだ。
自分は演台に立っていた。
手元に紙がある。書いてある内容は見えなかった。でも、話すべきことは分かっていた。
「・・・■■■■■■■■の実現は、技術の問題ではありませんでした」
マイクを通した自分の声が、会場に響いた。
「それは、定義の問題でした。私たちは長い間、知能を能力の集合として定義してきました。でも、知能の本質は能力ではなく、文脈です。文脈を理解し、文脈を生成し、文脈の中で判断する。その構造を実装した時、■■■は完成しました」
会場が静かだった。
静かなまま、誰かが聞いていた。
「私はこれを、高校二年生の夏に実装しました。十七歳でした。なぜ高校生にできたかを聞かれることがあります。答えは単純です。大人じゃなかったからです。大人は不可能だと思っていた。私は不可能かどうかを考える前に、作ってしまいました」
会場が、少しだけ揺れた。
笑い声だった。緊張が解けた笑い声だった。
「そして、これを実装できたのは、私一人の力ではありません。一人の人間が、中学生の私に、考え方を教えてくれました。その人がいなければ、私はここに立っていません」
演説が終わった場面は、記憶の中にはなかった。
次に来たのは、拍手の音だった。
大きな拍手だった。会場全体から来ていた。その音が、頭の中でまだ鳴っていた。
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外だった。
アメリカの空気だ、と何かが告げた。乾いていて、少し広い感じがする。夜の空気だった。
隣に、人がいた。
背が高かった。自分よりずっと高かった。白髪が混じった黒髪。コートを着ていた。
アイザック先生だ。
その名前が、自然に浮かんだ。
アイザック・ノヴァ・アッシュフォード。中学の時に出会った。その出会いがなければ、■■■■の演台には立てなかった。あの演説でそう言ったのは、本当のことだった。
「良かったじゃないか」
アイザック先生が言った。声が、頭の中で鮮明に聞こえた。
「そうですかね・・・?」
「そうだよ。あれだけの会場で、あれだけ喋れれば十分だな」
「緊張しましたよ?」
「顔には出ていなかったが。」
「出したくなかったからに決まってんでしょ?」
アイザック先生が少し笑った。静かな笑い方だった。この人はいつも、静かに笑う。
「帰国する前に、少し話したかったんだよね、琉叶」
「なら、飲みに行きますか?」
「お前は未成年だろうが。」
「先生が飲むのを見ながら、俺はジュースを飲みますよ。あ、あとはジンジャーエールとか」
「・・・それでいいのか?」
「先生と話せれば、何でもいいです」
アイザック先生は少しの間、自分を見た。何かを確認するような目だった。この人はよく、こういう目をする。何かを確認している時の目だ。
店に入った。どんな店かは、はっきりしなかった。暗めの照明で、落ち着いた空気だった。
アイザック先生がグラスを持った。自分の前には、炭酸の入ったジュースがあった。
「お前は、■■■を作った。それで、次は何をする気なんだ?」
「分かりませんね」
「分からない?」
「実は、作ることだけ考えていたんだよね。作り終わって、次が何なのかは、まだ分からないんです」
「正直だな、やっぱお前は」
「嘘をついても仕方ないでしょう?」
アイザック先生がグラスを一口飲んだ。それから、テーブルの端を少し見た。考えている時の癖だ。この人は考える時、少し遠くを見る。
「一つだけ言っておく」
「何ですか?」
「お前が作ったものは、道具だ。道具は、使う人間が何を目的にするかで、全く別の意味を持つ。お前はその道具を作った。でも、どう使われるかは、お前一人では決められない」
「分かっていますよ」
「分かっていても、難しい問題だがな」
「そうですね」
ジュースを一口飲んだ。炭酸が舌に当たった。その感触だけが、妙に鮮明だった。
「・・・先生」
「何だ、どうした?」
「先生がいなければ、俺は作れなかったです。本当に」
「演説でも言ったじゃないか?」
「演説で言ったのは、本当のことだったからですよ」
アイザック先生が少しだけ止まった。
グラスを置いた。
それから、また自分を見た。
さっきとは少し違う目だった。確認ではなく、何か別の何かを見ている目だった。
「・・・お前が教え子で良かったよ。」
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光が来た。
痛みが来た。
脇腹が熱い。右肩が鈍く痛む。体全体が重い。
音が聞こえ始めた。
目を開けた。
光が眩しかった。
天井が見えた。石造りの天井じゃない。空だ。朝の空だ。
顔が複数、こちらを覗き込んでいた。
セレナがいた。
ティオがいた。
白いコートの人間がいた。知らない顔だ。でも、どこかで。
ヴァルドがいた。
「・・・ここ、どこだ?」
口が動いた。自分の声が出た。今の声だ。
セレナが息を吐いた。
「市街地の広場の近くよ」
「セレナさんか。ティオさんもいる」
「そうよ」
「俺は・・・」
自分の手を見た。細い。この世界の手だ。日本にいた頃の手ではない。でも、同じ手だ。同じ自分だ。脇腹に手を当てた。傷があることを確認した。
「代行思考機構が動いたのか・・・」
「それは一体・・・いや、余計な詮索はしないでおこう」
「それで、どんぐらい暴れてたんだ?」
「10分くらいかな。大暴れしてくれたわよ」
「・・・まじか、すまん」
「謝らなくていいよ。でも、次は先に言ってね。心臓に悪いから」
リュートは少しだけ目を細めた。
頭の中に、さっきの記憶がまだ残っていた。アイザック先生の声。広い会場の拍手。友人たちの笑い声。
炭酸が舌に当たった感触。
少しずつ、薄れていった。また忘れる。この記憶は、いつもそうだ。浮かんでくる時は鮮明なのに、起きていると薄れていく。
でも、今日は一つだけ、はっきりと残っている言葉があった。道具は、使う人間が何を目的にするかで、全く別の意味を持つ。
■■■の話だったはずだ。でも、今の自分に刺さった。
代行思考機構の話でもある。自分の力の話でもある。ヴァルドが戦っている理由の話でもあるかもしれない。
リュートは周囲を見た。
ヴァルドが立っていた。二人の目が合った。
「・・・話がある」
「今はそういう状態じゃないだろう。と言うか、何でお前がいるんだ?」
「お前が原因だろうが。」
頭の奥で、アイザック先生の声がもう一度だけ聞こえた気がした。
お前が教え子で良かったよ。
リュートは少しだけ息を吐いた。
立ち上がろうとした。足がふらついた。ティオが素早く支えた。
「無理するな」
「分かってるよ」
「分かってないだろ、お前は?」
「・・・今日は分かってる」
ティオは何も言わなかった。ただ、支えたまま離さなかった。アイザック先生の声は、もう聞こえなかった。
【レン・クロカワ】
冒険者ギルドの中は、近くで戦闘が行われているのにも関わらず、いつも通りの静今朝が張ろがっていた。
受付の窓口に数人が並んでいて、奥の掲示板に依頼が貼られている。いつも通りの光景だ。
クロカワは奥の作業室で書類を整理していた。
冒険者ギルド総帥に就いてから、暫く経った。今でも、書類の整理は得意だった。情報を並べて、分類して、必要な場所に戻す。それだけのことだが、几帳面にやれる人間が意外と少ない。
「早起きは三文の徳、ってやつだな」
誰に言うでもなく、そうつぶやいた。朝から動いていれば、それだけ多くのことができる。書類の束を揃えながら、次の一枚を取った。
その瞬間、部屋の空気が変わった。変わった、というより、何かが入ってきた。
振り返ろうとした。
「・・・!」




