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肉体の異変(1)

【ヴァルド・ハルウス】




路地に沈黙が落ち続けていた中、二人が向き合っていた。ヴァルドは構えを取っていた。剣を正眼に据えて、相手の動きを読もうとしていた。


代行思考機構は構えていなかった。リュートの体が立っているだけだった。剣は持っていない。ただ立っていた。


来ない。


ヴァルドは一秒待った。二秒待った。そこから、相手が動かない理由を考えた。攻撃する気がないのか、あるいは最初の動きをこちらに誘っているのか。


三秒目に、武器なしで来た。


踏み込みに予兆がなかった。ただ、空間の一点に存在していたものが、次の瞬間には別の一点に存在していた。その間の軌跡が見えなかった。


ヴァルドは反射で剣を動かしたが、当たらなかった。


来た方向と、当てようとした方向が、最初から違っていた。フェイントでも、読み違えでもない。ただ、人間の動きとして想定される軌道の外から来た。


肩に衝撃が来た。石畳を蹴って後退した。


肩が痛い。直撃ではなかった。でも、防御の上から来た衝撃で、腕がしびれていた。


「・・・速いな」


声に出たのは、確認のためだった。代行思考機構は何も言わずに、またヴァルドの方へと向かった。


今度は二撃目が同時だった。いや、同時ではなく、最初の一撃が軌道に入った瞬間に、すでに二撃目が展開されていた。一撃目を避けた先に、二撃目があった。


ヴァルドは一撃目を弾いた。弾いた剣の軌道を使って、二撃目を受け流した。受け流した瞬間、三撃目が来た。が、受け流しの動作が終わる前に、もう来ていた。


防いだ瞬間、腕の骨に響いた。リュートとやり合っていた時とは、力の次元が違った。リュートは戦士だった。技術があり、読みがあり、意地があった。でも力は人間の範囲にあった。


今のこれは、違う。


人間の体から出ている力ではない。筋肉の構造を無視した力の出し方をしていた。人間は筋繊維の収縮で力を出す。その収縮には上限がある。今受けた力は、その上限を超えていた。


どこから力が来ているのか分からなかった。


「お前は何だ・・・?」


ヴァルドが言った。


「代行思考機構です。現在、宿主の肉体を一時的に代行して運用しています。」


「リュートの体を乗っ取っている、ということか」


「補足説明。正確には、宿主の意識が機能停止している間、生命維持および行動判断を代行しています。当該状態は乗っ取りではありません。」


「結果は同じだ」


「定義差異を確認。当該対話は非効率と判断。これ以上の継続は行いません。」


また来た。今度は魔法と同時だった。


闇が噴き出した。


形容する言葉が他になかった。路地の空間の一点が、突然崩れるように黒くなった。黒い何かが拡散した。液体でも気体でもない。光を食う何かだった。


ヴァルドはそれを見た瞬間、判断した。


闇魔法だ。


この世界で闇魔法を使える人間はメルキオールしかいないはずだ。通常、闇魔法は悪魔が使う属性だという話だ。メルキオール以外の人間が使えるとは思っていなかった。いや、今使っているのは人間なのか。


そのことを考える時間がなかった。


闇の塊が飛んできたため、身体を捻って回避した。路地の石畳に当たった。石畳が溶けた。正確には、石畳があった空間から光が消えた。暗い、ではない。光が存在しなくなった。形が見えなくなった。


まずい。あれに当たれば終わりだ。


二発目が来た。何とか回避した。三発目。四発目。五発目。


間を置かずに来た。路地の中が黒い軌跡だらけになった。そのどれもが、ヴァルドの位置に向けて正確に来ていた。ランダムではなく追尾機能がついていた。全弾、ヴァルドを追っていた。


回避しながら、剣で受け流せないかを考えたが、無理だと判断した。接触した物から光が消えるなら、剣で受ければ剣が消える。


走って距離を取った。路地を抜けて、市街地の広場に出た。


広場には人がいた。朝の時間帯に出てきた住民たちだ。騒動を察して引き込んでいる者もいたが、まだ残っている者がいた。


代行思考機構が追ってきた。


広場に人がいるのを見た。その目が、処理した。


「対象を障害として認識。排除を実行。」


声が出た。感情ではななく、ただの判断だった。


闇の塊が広場に向かって飛んだ。ヴァルドは割り込んで、剣を使って方向を変えようとした。


受けた瞬間、剣の刃の端が溶けた。光が消えた。その代わり、方向が少しだけ変わった。人のいない方向に逸れた。


石畳が消えた。地面に穴が開いた。


住民が悲鳴を上げて逃げ始めた。


「一般人を巻き込むな!」


ヴァルドが言った。


「当該制限は合理性を欠いています。」


「関係ない」


「最優先事項を設定。宿主の保護を最優先とします。目的に抵触しない範囲での制限は受容。ただし、目的達成を妨げる障害の排除は継続します。」


「人間を障害と呼ぶな!」


「それも定義差異に起因します。」


代行思考機構が踏み込んできた。今度は剣を持っていた。どこかで拾ったのか、路地に落ちていたものを回収していた。剣を持った代行思考機構と、刃が一部溶けたヴァルドの剣がぶつかった。


さっきより重かった。剣に力が集中していた。先ほどの素手での一撃より、剣越しの方が力が伝わりやすい。ヴァルドの足が石畳を削った。


押されている。


受け流したその瞬間、闇の球が至近距離から来た。回避が間に合わなかった。横に跳んだが、端が掠った。左腕の袖が消えた。腕の表面の感覚が、一瞬なくなった。光が戻ってきた。腕はある。でも、感覚が戻るまでに時間がかかった。


「不味いな・・・」


これは長くない。


魔法と剣の同時攻撃を、削れた剣で捌き続けるのは限界がある。一撃一撃は対処できても、積み重なれば崩れる。


反撃を入れる機会を探した。


代行思考機構の動きは速い。でも、完璧ではない。リュートの体の可動域の範囲でしか動けない。リュートの体には、まだ肩の傷がある。右肩が完全ではない。


その部分だけ、動きに制約があるな。右からの攻撃に対して、わずかに反応が遅い。試してみる価値はありそうだ。


右側から踏み込んだ。反応してきたが、遅くなかった。読まれていた。


「右肩の損傷を考慮し、補正を適用しています。」


「・・・」


「動作パターンの解析結果より、予測されると判断。以後、無意味な試行は推奨しません。」


ヴァルドは少し考えた。


読まれる。動きのパターンを分析して、補正を入れている。だとすれば、パターンを外す動きが必要だ。


踏み込んだ。今度は正面から、全力で。代行思考機構が対処した。正面からの力押しは、力で勝る代行思考機構に有利だ。押し切ろうとした。


その瞬間、ヴァルドが剣を離した。剣同士が押し合っている状態で、一方が急に力を抜くと、押していた側が体勢を崩す。代行思考機構の体が、わずかに前に突っ込んだ。


ヴァルドは剣を拾い直しながら、突っ込んだ体の側面に入った。剣がリュートの体の脇腹に入った。


浅い。でも入った。


傷を与えたが、代行思考機構は一切声を上げない。痛みの反応がなかった。


「損傷を検知。宿主肉体へのダメージ量を算出します。」


計算しながら動いていた。体をひねってヴァルドの剣を持っている腕を掴んでそのまま、腰の回転を使って投げた。人間が出せる回転速度ではなかった。


ヴァルドが石畳に叩きつけられた。衝撃が全身に走った。剣が手から離れ、体が転がった。石畳の縁で止まった。


息が乱れた。起き上がって、剣を探した。三メートル先に落ちていたためか、走って取ろうとした。


代行思考機構が間に入った。先に立っていた。剣に向かうヴァルドと、それを阻む代行思考機構の間合いがゼロになった。


接近戦になった。ヴァルドは素手で受けた。関節を使いながら、何とか投げを外した。闇の魔法がまた来た。今度は外側から囲むように来た。


逃げ場がなく、一発被弾した。右足の感覚が消えた。


膝をついた。起き上がろうとした。右足に力が入らなかった。代行思考機構が近づいてきた。




そこだった。


ヴァルドの体が、路地の端まで吹き飛んだ。代行思考機構の追撃が来た。その瞬間、別の場所から何かが飛んできた。光の弾だった。代行思考機構の軌道に入り込んで、体の動きを一瞬だけ逸らした。


ヴァルドが路地の外に転がり出た。広場を越えた先、別の通りに出た。起き上がった。右足の感覚は少しずつ戻ってきていた。


前を見た。


見覚えのある顔が、複数あった。


セレナが杖を構えていた。


ティオが剣を抜いていた。


その隣に、白いコート、淡い茶髪。短剣。路地の奥から歩いてきた人間だ。ヴァルドはその人間を見た。


「・・・お前は!」


その人間は何も言わなかった。ただ、ヴァルドを見ていた。セレナが前に出た。


「何でこいつがここにいるのかは後で聞くとして」


「今はそれより先の話がある」


ヴァルドは路地の奥を見た。代行思考機構が、こちらに向かって来ていた。こちら側に、セレナとティオと、レインがいる。そしてヴァルドがいる。


状況を整理した。


代行思考機構の目的はリュートの生命維持だ。ならば、今のヴァルドを倒してセラフィナを回収することではない。ただ、障害を排除しようとしている。それがこちら全員を含む。


「・・・一時休戦しないか」


ヴァルドが言った。セレナが少しだけ間を置いた。


「理由は?」


「今ここで俺を相手にしている場合じゃない。あれを止めなければ、この区画が消える」


ティオが代行思考機構を見た。路地の出口に立っていた。動いていない。こちらの会話を処理している。


「・・・その話、乗る理由があるの?」


セレナが言った。


「あれはリュートだ。殺すつもりはないなら、止める必要がある。俺一人では止められなかった。お前たちも一人では無理だ」


「ヴァルドと組めと言ってるの?」


「一時的に同じ方向を向く、ということだ。組むとは言っていない」


セレナはティオを見た。ティオが頷いた。セレナはレインを見た。その人間は、代行思考機構を見ていた。その目が、少し動いた。


「・・・やってみる価値はあるね」


レインが言った。セレナはその声を聞いて、少しだけ目を細めた。


「分かった。一時休戦、受ける」


代行思考機構が動き始めた。


四人が向き合った。一般市民への被害を抑えながら、止める。しかも殺さずに。条件が揃いすぎていた。


セレナは杖を構え直した。


「全員、準備はいい?」


ティオが頷いた。


ヴァルドが剣を構えた。


レインが短剣を抜いた。


「改めて、殲滅行動を開始します。」


代行思考機構が襲い掛かって来た。

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