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思想の開戦

一つ、設定を削除した。

朝の光が病室の窓から差し込んできた。


リュートは目を開けた。昨夜の計算式が頭の端に残っている。あれは夢じゃなかった。アイテムボックスの中に紙がある。それを確認して、リュートは少し息を吐いた。


身体を起こし、肩に手をあてた。痛みはあるが、さっきより動くな。治ってる証拠だろう。包帯の下で、何かが変わっている気がした。


「おはようございます」


担当医師が入ってきた。朝の検診の時間だった。


「どうぞ」


「肩の状態を確認しますね」


医師がリュートの肩を確認し始めた。触診、可動域の確認、包帯を少し緩めて傷の状態を見る。無言の時間が少し続いた。


「・・・思ったより、回復が早いですね」


「そうですか」


「骨の癒合が想定よりも進んでいます。今日の検査結果次第では、退院も検討できるかもしれません」


お、マジか。これは嬉しい誤算だな。


「検査、受けます」


「はい。今から手配します」






検査は一時間ほどで終わった。


結果が出た。


「激しい動作は、まだ控えていただく必要がありますが、日常生活に支障がない程度の動作ではれば、問題ないぐらいまで治りました」


「じゃあ退院できますか?」


「今日、退院手続きを取ることは可能です。手続きは、午前中に取れますので、何かあればすぐに戻ってきてください」


「分かりました」


やっと退院か・・・と言っても一週間しかたってないけど。


医師が部屋を出た。


リュートは手続きを済ませた。荷物はアイテムボックスにまとめてある。ちゃんと色分けされた袋に入れて。


昔は、適当に魔物の素材や武器、薬草、ポーション、生活品、服などを革の袋に入れて、そのままアイテムボックスに放り込んでいた。たけど、いざって時に必要なものが、どの袋に入っているか分からず、一晩中アイテムボックスを漁っていた時もあったからな・・・


アイテムボックスの容量がデカいのをいいことに、何でもかんでも入れてたしね。魔物の死体とか。


その後、病院着から自分の服に着替え肩に上着をかけ、包帯を固定し、病室の扉を出た。






病院を出ると、いつも通りの春の空気が全身に当たった。王都の石畳が朝の光を受けて、少し白く光っている。


何日ぶり・・・といってもたった五日前のことだが。それにしても、やっぱり異世界でもシャバの空気はおいしい。向こうの世界でも、色々あってあの空気の旨さを体験したしね。


とりあえず、ルーベルトのところに行く必要がある。昨夜の計算式を説明して、火と風の組み合わせについて実際に動けるかどうかを確認する。時間がないし、今日の夜までに少なくとも概念だけは共有しておかないと間に合わないだろうな。


アイテムボックスから昨夜書いた、計算式が細かく書き込まれている紙を取り出した。これをルーベルトに渡して、説明する。


歩き出した、その時だった。


「リュート君」


声がしたため、振り返った。

ルグがいた。


いつものぼさぼさの髪と、よれた格好。それがいつも通りのルグだったが、その目が少し違った。普段の静かな目より、何かが引き締まっている。


「退院したんですね」


「今さっきです。ちょうどよかった。ルーベルトに届けたいものがあって」


「少し時間をもらえますか?」


その言い方で、リュートは状況を察した。


「・・・何かありましたか?」


「ええ」


ルグが一歩近づいた。周囲に人がいないことを確認してから、静かに口を開いた。


「今朝の早い時間に、城壁の外側で、ヴァルドの組織と思われる人間たちが複数確認されました。念話使いからの報告で、騎士団がすでに動いています」


リュートはその言葉を聞きながら、頭の中で状況を整理した。


想定より早い。昨夜の作戦では、当日の動きを念話で共有して対処する形だったが、もう始まっているのか。


「規模は?」


「詳細はまだです。ただ、少数ではないという報告が来ています」


「セラフィナは?」


「既に動いています。父上であるガルシア王との連携で、騎士団の指揮を取り始めていると、念話で確認しました」


リュートは少し考えた。


「俺も行かせてください」


ルグが静かにリュートを見た。


「だめです」


「何故ですか?」


「リュート君が強いことは認めます」


ルグの声は穏やかだったが、引く気配がなかった。


「でも、今の状態で最前線に出ることは、できません。骨の癒合が完全ではない状態で、Sランク相当の戦闘に入れば、最悪の場合、傷が取り返しのつかないことになる。医師もそう言っているはずです」


「言っていましたが・・・」


「それ以前に、子供を最前線に立たせるわけにはいきません。仮に、君の転生前が二十歳を超えても」


その言い方が、少しだけ引っかかった。


子供。


リュートはその言葉を頭の中で一度転がした。十二歳。この世界の基準でも、まだ子供の範囲に入る。ルグはそれを知った上で言っている。


「・・・分かりました」


「ありがとうございます」


「ただ、何もしないわけにはいかないよね?」


「もちろんです」


ルグは一度、周囲を確認した。


「代わりに、お願いがあります」


「何ですか?」


「町の内部の防衛を、お願いしたい。もし組織の構成員が内側に潜んでいた場合、市街地で動き始めた時に、民衆を守れる人間が必要です。セラフィナや騎士団は外側の対処に集中している。内側を見られる人間が、今いない」


リュートは少しの間、ルグを見た。


「内側に潜んでいる人間の数は分かりますか?」


「分かりません。ただ、もし潜んでいるとすれば、外側の動きに合わせて動き始める可能性が高い。そのタイミングで、市街地に誰もいなければ、民衆への被害が出ます」


「分かりました。内側の防衛をやります」


「助かります」


「その前に、一つだけ確認させてください」


「何でしょうか?」


「ルーベルトへの連絡を、先に取らせてほしい。昨夜考えた作戦に関係するものを渡したい」


ルグは少し考えてから頷いた。


「念話で構わないですか?」


「念話で十分です」


「では、それが終わったら動いてください。市街地の南側から確認を始めていただけると、助かります。内側に潜んでいるとすれば、城門から遠い場所から動き始める可能性が高い」


「分かりました」


ルグが一度だけ頷いて、歩き出した。その足音が石畳に響いて、すぐに遠ざかっていった。


リュートは立ったまま、少しの間、その場にいた。


頭の中で計算が動いている。電気の話は、今日の昼以降に活きるかもしれない。でも今は、まず市街地の状況を把握しないといけない。


念話を繋いだ。


リュート(ルーベルト、聞こえるか)


ルーベルト(聞こえるよ。どうした?もう朝から)


リュート(退院した。それより、もう始まっている。外側でヴァルドの組織が確認された)


ルーベルト(え、もう?どうするの?)


リュート(俺は内側の防衛に回る。ルーベルト、お前は今どこにいる)


ルーベルト(学校の近く。昨日セラフィナから学校側の念話役に入ってほしいと言われていたから、動けるように待機してた)


リュート(そこにいてくれ。昨夜書いた計算の話、念話で概要だけ伝える)


ルーベルト(あの怖そうなやつ?)


リュート(怖くはないよ。怖くないよ。)


ルーベルト(本当かな?・・・)


リュートはアイテムボックスの紙を手に取りながら、要点だけをまとめて念話で伝えた。プラズマ経路。摩擦帯電。充電時間約九秒。放電電流五百アンペア。ルーベルトが火と風を使って、倉庫街でヴァルドを迎え撃つ形。


ルーベルト(・・・なにそれ?)


リュート(電気を作る方法だ)


ルーベルト(この世界に電気系の属性の魔法ってないよね?)


リュート(ないから自分で作る。理屈は前世の物理だ。魔法はあくまでその現象を引き起こすための手段として使う)


ルーベルト(・・・分かった。試してみる。ヴァルドが倉庫街に入ったタイミングで、できる限りやってみる)


リュート(頼んだ。充電中の約十秒、ヴァルドを引き付けておくのは俺がやるつもりだったが、状況次第でお前が対処する形に切り替わるかもしれない)


ルーベルト(りょーかい。リュートは内側だよね?気をつけて)


リュート(お前もな)


念話を切り、紙をアイテムボックスに戻した。

市街地の南側へ、歩き出した。







【セラフィナ・フォン・オルディナシス】




王都の城壁の外。

ヴァルドの組織が展開し始めたのは、夜明けから二時間が経った頃だった。


・・・数は、二百から三百。正確な把握は難しいけど。各自が分散して動く形を取ってるから、一か所に集まっているわけじゃないね。それに、城壁の周囲、複数の方角から、それぞれが独立して動いている。


「思ったよりも多いわね・・・面倒そう」


セラフィナは城壁の上から、眼下の状況を確認しながら言った。隣に立つ騎士団の副団長が、地図を広げながら頷いた。


「三方向から、それぞれ七十から百人規模の集団が確認されています。ただし、各集団の間に連携があるかどうかは、まだ分かっていません」


「ヴァルド本人の姿は?」


「確認できていません。組織の前線には立っていないようです」


セラフィナはそれを聞いて、少し目を細めた。


ヴァルドが前に出ていない。組織の構成員を先に動かして、自分は後ろにいる。それは誘導の可能性がある。組織が城壁を引き付けている間に、ヴァルド本人が別の動きをする。そういう展開を、最初から想定していたかもしれない。


「副団長」


「はい」


「城壁外の対処は今の配置で続けてください。私は一度、内側の確認に回ります」


「セラフィナ様が動かれるのですか?」


「ヴァルドが外側にいないなら、内側にいる可能性がある。念話で市街地の状況を確認します」


「承知しました」


セラフィナは城壁の上から視線を外した。


外側の数は多いな。でも、彼奴らはあくまで陽動。ヴァルドはもっと狡賢い動き方をするかもしれない。この作戦を立てた奴は最初から、正面衝突を意図してはいないはず。


彼女の目が、王都の内側へと向いた。


石畳の街並みが、朝の光の中で静かに広がっている。どこかで何かが動いているはずだ。


念話を繋いだ。


セラフィナ(リュート、聞こえる?)


リュート(聞こえる。今、市街地の南側にいる)


セラフィナ(ヴァルドの姿が外側で確認できていない。内側にいる可能性があるから、注意して)


リュート(はいよ。何か動きがあれば念話するから)


セラフィナ(肩は?)


リュート(動く)


セラフィナ(分かった。その肩がまた壊れるまでびっしり働いて)


リュート(労働基準法どこ行った?)


セラフィナ(何それ?)


少し間があった。


セラフィナ(とりあえず、何かあればすぐに知らせろ)


念話が切れた。

セラフィナは城壁の縁に手を置いて、もう一度外側を見渡した。


二百から三百。数だけ見れば、騎士団で対処できない規模ではない。ただ、こっちが外側に引き付けられている間に、内側で何かが起きれば話が変わる。


ヴァルドが内側にいるなら、向かう先は一つだ。倉庫街か、学校か、あるいはもっと直接的な場所か。

セラフィナはその可能性を頭の中で並べながら、静かに目を細めた。

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