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迷い

レインとの一件から、三週間が経った。


砦を出て学校に戻り、報告書を提出して、ラズロイが後処理の大半を引き受けた。三界滅業会(さんかいめつごうかい)については騎士団に情報を渡し、現在追跡中とのことだった。


レインについては、正式な指名手配をかけるかどうかが検討されたが、ラズロイが「今は時期ではない」と判断し、保留になった。


日常が戻ってきた。授業があり、課題があり、食堂で飯を食い、寮に戻って眠る。表面上は、以前と変わらない生活だった。


ただ、一つだけ変わったことがあった。

レティシアが、一人でいることが多くなった。意図してそうしたわけではない。ただ、自然にそうなっていた。

覚醒勇者としての役割が、常に頭の中にある。世界律がうるさく話しかけてくる。その中で、誰かと話すことへの集中が以前より難しくなっている。会話の途中で世界律の声が割り込んでくる。返事をしようとした時に、頭が別のことを処理している。


それが積み重なって、気づけば一人でいる時間が増えていた。


「レティちゃん、最近どこ行くの?」


セレナが一度だけ聞いた。


「封印の確認。定期的にやらないといけないから」


「一人で?」


「一人でできる」


「誰かついて行こうか?」


「大丈夫」


セレナはそれ以上言わなかった。


ヴァルドとの朝の訓練は続いていたが、以前とは少し違った。訓練そのものは変わらない。ただ、訓練が終わった後に交わす言葉が減った。以前は少しだけ話していたが、今は終わったら各自が動き始める。それが自然になっていた。


「そうだ。今日、俺ちょっとした任務があるから、しばらく帰ってこないかも」


「・・・そう。頑張ってね。ここで待ってるから」


誰かが意図してそうしたわけではない。ただ、そうなっていた。


・・・遠くなった、とセレナは言った。


あれから三週間、その感覚は変わっていない。変わっていないし、どうすれば変わるのかも分からない。世界律が頭の中にある限り、この状態が続くのかもしれない。


それが良いことなのか、良くないことなのかも、今は判断できなかった。








【ヴァルド・ハルウス】




その日の任務は、単独での討伐依頼だった。

フィンペル王国の東部、街道から外れた山間の村で、魔物が集落に繰り返し出没しているという報告がギルドに入っていた。討伐と原因調査を行うという内容で、担任から直接ヴァルドに依頼が来た。


「お前の実力なら単独で十分だ。行ってこい」


「分かった」


「あと、その任務が終わったら、次のこの任務もお願い。」


「過重労働じゃないですか?」


「頑張れ。」


それだけで話が終わった。馬に乗って東へ向かいながら、ヴァルドは頭の中を整理していた。

最近、考えることが増えた。


エルンストが言っていたことが、頭から離れない。魔力の歪みから魔物が発生する。感情が大きく動いた時、制御が崩れる。自分の魔力量が、この中で一番大きい。


訓練は続けている。制御の練習も、エルンストに教わった方法で毎朝やっている。改善しているかどうかは、自分では判断できない。


ラズロイが言っていた育成の話も、頭の中に引っかかったまま残っていた。


魔法使いを育てて配置する。歪みを発生させやすい者の周辺に。

その歪みを発生させやすい者というのが、自分のことだと理解した上でラズロイはその話をしていた。それは分かっている。分かっていて、何かが引っかかっている。


レティシアが異議を唱えた。監視に近い形になる可能性がある、と。

ヴァルドは自分がどう感じるかを、その時まだ言葉にできなかった。今もできていない。ただ、引っかかりがある。それだけは確かだった。





現地に着いたのは夕方前だった。

山間の村は小さく、家が十数軒固まっているだけの集落だった。村長に話を聞いた。


「三日前から、夜になると魔物がでるんです。しかし、昼間には一切出なくて夜にだけ出るんです」


「種類は?」


「毎回違うんです。昨日は大型の獣型が二匹、一昨日は飛行型が数匹」


「発生源は分かるか・」


「村の北側に廃屋があって、そこから来てるように見えます」


「分かった」


廃屋を確認した。近づくと、魔力の歪みが分かった。強くはない。だが、確実にある。夜間に活性化するタイプの歪みだ。


・・・今夜、ここで待てば出てくる。


周囲を確認して、廃屋の近くに陣取って、夜になるまで待った。


その間、村の様子を見ていた。

村人が夕食の準備をしている。子供が呼ばれて家に入る。犬が吠えて、すぐに静かになる。普通の村の平和な日常の光景だった。


その光景を見ながら、ヴァルドは弱者を守るために戦う、という自分の言葉を思い出した。ずっとそれを言い続けてきた。今もそれは変わっていない。


ただ、弱者を守るために、どこまでのことができるか。


その問いが、最近頭の中にある。魔物が発生する。その魔物に弱い人間が殺される。魔物の発生を防ぐためには、歪みを作らないことが必要だ。歪みを作りやすいのは、強大な魔力を持ちながら制御が未熟な者たちだ。


では、制御が未熟な者の魔力を封じれば、弱者は守られる。そこまでは論理として成立している。


だが・・・もし、制御が未熟な魔法使いが、歪みを作り続けて魔物を発生させ続けているとしたら。

その魔法使いを排除することが、弱者を守ることに繋がるのではないか。


・・・我ながら、おかしい考えだ。


自分で思っておきながら、そう判断した。人を排除することと、弱者を守ることは、方向が違し、そこは間違えてはいけない。


でも、境界線がどこにあるのかが、最近分からなくなってきていた。




日が沈み始め、夜になった。

廃屋の歪みが活性化し始めた。空気が重くなる。魔力が揺れる感触が、皮膚を通して伝わってくる。

魔物が出た。


大型の獣型が一匹と、中型の人型が二匹だった。ヴァルドは剣を抜いた。戦闘は短かった。三匹とも、それほど強くなかった。ヴァルドの実力に対して、明らかに格下だった。五分もかからず片付いた。


歪みはまだ残っていた。今夜はこれ以上出ないかもしれないが、歪みが残っている限り明日の夜も出る。根本的な解消は、覚醒勇者でなければ難しい。ヴァルドには歪みを安定させる手段がない。


村長に報告して、ギルドに歪みの安定を依頼するよう伝えた。


「ありがとうございます。本当に助かりました」


「他の依頼者は来なかったか?」


「昨日、若い方が来てくれました。魔法使いで、女性で、見た目は若かったです。でも、魔物に傷を負って」


「生きているか」


「はい、命は大丈夫です。今夜は此処に泊まって、明日帰ると言っていました」


「場所は」


「村の宿屋です。一軒しかないので分かると思います」


ヴァルドは宿屋に向かった。

中に入ると、食堂の椅子に若い魔法使いが座っていた。右腕に包帯を巻いていて、顔色が悪かった。年齢はヴァルドより下に見えた。十四か五か。


「昨日此処で戦った者か?」


若い魔法使いが顔を上げた。


「はい。あなたは?」


「今夜の討伐をした。調子はどうだ?」


「大丈夫です。ありがとうございます。私が倒せなかった分を・・・」


「倒すことが問題じゃない。歪みが残っている限り、また出る」


「・・・そうなんですか?」


「知らなかったのか」


「はい。この依頼、難易度Dだったので。魔物の討伐、と書いてあったので来ました」


「難易度Dで来たのか」


「そう、です。まずかったですか?」


ヴァルドは若い魔法使いを見た。


怪我をしている。疲弊している。それでも謝らず、まずかったか、と聞いた。その目に、自分の力不足への悔しさがあった。弱いことへの悔しさではなく、役に立てなかったことへの悔しさだ。


「悪くない判断力だ。難易度の分類が誤っていた。お前のせいじゃない」


「でも、私が強ければ」


「強さの問題じゃない。情報の問題だ」


若い魔法使いは少しの間、黙っていた。


「あの、難易度Dの依頼に来るべきじゃなかったということですか?」


「その難易度の分類が間違っている。ただし、お前の実力でこの歪みに対処することは難しかった。それは事実だ」


「・・・じゃあ、私みたいな実力の者は、こういう依頼に来るべきじゃないんですね」


「分類が正しければ、来なかっただろう」


「私がもっと強ければよかった」


「そうだな」


ヴァルドはそう答えてから、少しだけ間を置いた。


「ただ、強くなるのに時間がかかる。その間にも依頼は来る。今日お前がここに来たのは無駄じゃない。村人は昨日の夜、お前が来てくれたことで少し安心した。それは事実だ」


「でも魔物は倒せなかった」


「倒せなかったが、来た。それだけで意味がある場合もある」


若い魔法使いはヴァルドを見た。


「・・・あなたは優しいんですね」


「優しくない。事実を言った」


「事実でも、優しい言い方をするのは優しいと思いますよ」


ヴァルドは返事をしなかった。


宿屋を出て、夜の村道を歩いた。

星が出ていた。山間の村は光が少ないため、空が広く見えた。


さっきの若い魔法使いの顔が、頭に残った。

悔しがっていた。力が足りなかったことを、素直に悔しがっていた。その顔は、まだ伸びる者の顔だった。経験を積めば、もっと強くなる。


でも、伸びる前に死んでいたかもしれない。

今夜ヴァルドが来なければ、昨夜と同じ魔物が今夜も出た。あの実力では対処できなかった可能性が高い。


伸びる前に死ぬ。

それが繰り返されるとしたら・・・未熟な者が現場に来る。対処できずに死ぬ。または重傷を負う。次の者が来る。また死ぬ。


その繰り返しを止めるためには、未熟な者を現場に出さないことが必要だ。其処に出さないためには、十分に育てるか、あるいは。


・・・あるいは


ヴァルドは思考を途中で止めた。おかしい方向に向かっている。分かっていた。


でも、止まらなかった。

十分に育てることができない者は、どうなるのか。育成の途中で限界が来た者は。能力が追いつかないと判断された者は。


現場に出せない。でも、育成もできない。ならば、その者たちは何のために存在するのか。


魔物を発生させるリスクを持ちながら、対処する能力も持てない者は、弱者を守るどころか、弱者を危険に晒す存在になる可能性がある。


なら・・・皆殺しにした方が、弱者は守られるのではないか。


その考えが頭に浮かんだ瞬間、ヴァルドは立ち止まった。夜道の真ん中に立ち止まって、自分が今何を考えたかを確認した。


未熟な魔法使いは、皆殺しにした方がいい。そう考えた。


・・・俺は、何を考えている。


呼吸が少し乱れ、剣の柄に無意識に手がかかっていた。気づいて離したが、手のひらが汗ばんでいた。

おかしい。この考えはおかしい。


人を守るために戦う。それがヴァルドの根本だった。人を殺すことで弱者を守るという論理は、根本から間違っている。


分かっている。分かっているのに、頭の中にその考えが残っていた。それがずっと消えなかった。


空を見た。星が動いていない。風が吹いて、草が揺れる音がした。魔力が、少し乱れていることに気づいた。感情と連動して、制御が崩れかけていた。


・・・エルンストが言っていた通りだ。


意識して、深く呼吸した。一度、また一度。魔力を意図的に落ち着かせようとした。完全には戻らなかった。


帰路につきながら、ヴァルドはその考えを頭の中で繰り返した。


おかしい考えだと分かっている。でも消えない。弱者を守るために、強くなった。戦った。今もそのつもりだ。


でも、弱者を守ることと、未熟な者を排除することの間の線が、どこにあるのかが分からなくなっていた。




翌日の帰路、街道を北に向かって馬を進めていた時、道の脇に人影があった。


一人だった。全身を布で覆った格好で、身長が低い。背格好から若い女だと分かった。


・・・気配が、おかしい。


ヴァルドは馬の速度を落とした。

人の気配ではない。かといって、魔物の気配とも違う。死んでいるのに動いている、そういう気配だった。


剣に手をかけた瞬間、人影が振り返った。布の隙間から、光が見えた。金色だった。


「待ってたよ!」


声が、明るかった。

少女の声だ。十代の、元気のいい声。アンデットからそういう声が出るとは思っていなかったため、ヴァルドは一瞬反応が遅れた。


「待って待って、敵じゃないから!敵意ないよ!」


「・・・何者だ」


「アラド。とりあえずそれだけ知っといて。敵じゃないから剣抜かないで」


「既に手をかけている。」


「手をかけるのと抜くのは違うでしょ。頭いいね。」


「褒めていないな」


「褒めてるよ?」


ヴァルドはアラドを見た。

全身布で覆っている。身長はヴァルドの腰ほどだ。気配は死んでいる者のものだが、動き方は生きている人間と変わらない。敵意はない。攻撃の意図もない。


ただ、何かを探しているような気配がある。


「何の用だ?」


「話したいことがあって」


ヴァルドは馬から降りた。剣から手を離した。


「アンデットだな」


「そう」


「破滅級の魔物として登録されているアラドか」


少女が少しだけ動きを止めた。


「・・・知ってるんだ」


「お前、クロカワに米を売ってただろ?その時、クロカワが違和感を感じた。彼奴はあんまり気にしなかったが、俺は少し気になって調べたんだ。そしたら、厄災生物目録という、災害級と破滅級しか書かれていない魔物図鑑に破滅級に乗っていたから、そこで知った」


「あーあの時か。色々あって米を作ることができたからさ、それでいろんな人に商品として売ってるの。あ、別に何も入れてないから」


「本当か?」


「そう!それで、話聞いてくれる?」


ヴァルドは少しの間、アラドを見た。

敵意はない。ただ、此処で話を聞くかどうかは別の話だ。ギルドで破滅級として登録されている存在と、街道の脇で立ち話をする理由があるかどうか。


「初代覚醒勇者と聞いている」


「そう!知ってるじゃん!じゃあ話は早い!」


「話が早いかどうかはまだ分からない」


「でも聞いてくれる気はあるでしょ?さっきより顔が柔らかくなった」


「柔らかくなっていない」


「なってるよ。私、顔を読むのは得意だから」


ヴァルドは少しだけ考えた。

破滅級の魔物が、話がしたいと言っている。攻撃の意図はない。今夜村に戻る必要はなく、時間はある。


「聞く。ただし、怪しい動きをすれば容赦しない」


「もちろん!ありがとう!」


アラドが街道の脇の草地に、遠慮なく腰を下ろした。あぐらをかいて、ヴァルドを見上げた。


「座らないの?立ったまま聞く?」


「立ったまま聞く」


「そっか。じゃあ私だけ座ってるのも変だけど、まあいいか」


アラドが話し始めた。ヴァルドは立ったまま、腕を組んで聞いた。


昨夜頭の中に浮かんだ考えが、まだ消えていなかったが、今はそれを一度保留にし、この少女の話を、まず聞くことにした。

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