覚醒勇者
砦の中は、静かだった。
レインは祭壇から続く階段を上がりながら、その静けさを確認した。足音一つ、呼吸一つ、聞こえない。それは当然だった。此処に来る前に、全員片付けたから。
廊下に出た。
作戦会議室の扉が、開けたままになっていた。中を見た。
ラズロイが壁にもたれて倒れていた。手に酒瓶を握ったまま動かない。レインが砦に入った時、真っ先に対処した相手だ。あの男は強かった。今まで依頼をこなしてきた中で、本気を出す必要があった数少ない相手の一人だった。
それでも死んだ。
レインはラズロイの死体を一度だけ見て、その脇を通り過ぎた。踏みつけることはしなかった。死者を踏む趣味はない。ただ、通り過ぎた。
廊下を歩いた。他の教師たちの死体が、あちこちに倒れていた。全員、抵抗した。全員、倒れた。それだけのことだ。
砦の外に出た。
夜の山の空気が、全身を包んだ。冷たく、澄んでいて、死臭と混ざり合っている。月が出ていて、山脈の稜線が白く光っていた。
レインは懐に手を入れた。
布に包まれた、小さな重さを確認した。ルイスの首だ。
依頼主への証明として必要だった。依頼完了の証拠物として求められたものだ。感情はない。仕事の手順の一つとして、それだけのこととして、持っていた。
砦の南側に、小さな天幕が張られていた。依頼主の一行が、此処で待っているはずだ。
「とはいえ、結構遠いんだよな・・・」
そう呟きながら、レインは天幕がある方へ向かった。
天幕に近づくと、中から明かりが漏れていた。人の声がする。複数人。待っていたらしく、足音に気づいた気配が、すぐに天幕の入口から顔を覗かせた。
「来たか」
ローブを纏った男だった。年齢は分からない。顔の半分を布で覆っていて、目だけが見えている。その目が、レインが持っている布包みに向いた。
「依頼は完了した」
レインは布包みを男の前に差し出した。
男が受け取り、布をめくった。確認した。それから、ゆっくりと布を戻した。
「・・・確かに、ルイス・カルファドだ」
天幕の中から、他のローブ姿の者たちが出てきた。全員で七人。彼奴らは布包みの前に膝をついて、何かを呟き始めた。祈りのようでもあり、呪詛のようでもある言葉だった。
レインはその様子を見ながら、天幕の外で待った。
この集団の名前は、三界滅業会という。三世界の崩壊を神の意志として信じ、律喰の贄の死を以て世界律を終わらせることを悲願とするカルト集団だ。構成員は少ない。だが、資金は潤沢だった。どこから調達しているのかは、レインには関係のない話だ。
しばらくして、男が立ち上がった。
「見事だ。あの砦には多くの障害があったはずだが・・・」
「障害は全て排除した」
「バルガファルイス養成学校の生徒たちも?」
「全員死んだ」
「ラズロイも?」
「死んだ」
男は満足そうに頷いた。その表情が、レインには少し気持ち悪くかんじた。だが、顔には出さなかった。
「では、報酬を」
「ああ」
男が後ろに合図した。別のローブ姿の者が、重い革袋を持ってき、レインの前に置いた。
レインはそれを持ち上げ、重さを確認した。ちゃんと約束の額が入っている感触だった。
「追加の依頼もある。受けてもらえるか?」
「内容による」
「世界律の封印が、砦の地下にある。封印が完全に解けるには、まだ時間がかかる。その間、封印に近づこうとする者を排除してほしい。報酬は今の倍だ」
「・・・」
レインは少し考えた。
「断る」
「なぜだ?」
「今夜の仕事で体に負担がかかっている。追加の依頼を受けるなら、一度休む。それだけだ」
「そうか・・・では、また機会があれば」
「機会があれば」
レインは革袋を持って、天幕から離れた。山道を歩き始めた。月明かりが足元を照らしている。
報酬は受け取った。依頼は完了した。あとは城に帰るだけだ。金の使い道は、既に決まっている。早く帰りたかった。それだけだ。
山道を下り始めてから、どれくらい経っただろうか。
月が少し傾いていた。夜はまだ続いているが、どこかが変わった気がした。空気の質が、突然変わった。
レインは足を止めた。
・・・何だ。
気配がある。
だが、今まで感じたことのない気配だ。人の気配ではない。かといって、魔物の気配とも違う。もっと根本的なもの、世界の仕組みに近い場所から来るような、そういう気配だった。
「・・・」
空を見上げレインは構えた。短剣に手をかけた。
月の中に、人影が現れた。
見覚えのある人影だった。
黒の髪。細身の体。腰に長剣。
レティシアだった。
死んでいたはずの人間が、飛んでいた。
「・・・」
レインはそれを見て、動かなかった。
レティシアが歩いてきた。急いでいる様子もなく、怒っている様子もなく、向かってきて、そのままレインの目の前で着地した。
月明かりに、その顔が照らされた。
目が、変わっていた。
以前のレティシアの目は冷静で、計算があって、感情を制御した上で動く目だった。今は違う。透明だった。感情が消えたのではなく、感情の先にある何かまで視線が届いているような、そういう透明さだった。
左腕が、動いていた。さっきまで神経を殺られて動かなかったはずの腕が、普通に動いている。胸の刺し傷もない。
「・・・生きているのか」
レインが言った。
「生きてる」
レティシアが答えた。声も変わっていた。以前と同じ声なのに、どこか遠いところから響いてくるような、不思議な感触があった。
「どうやって?」
「世界律が、私を選んだ」
「・・・選んだ?」
「律喰の贄が死んだ。世界律のエネルギーが行き場を失った。世界律は別の器を探した。私が選ばれた。それだけ」
レインはレティシアを見ながら、状況を整理した。
律喰の贄が死んだことで、世界律が次の器を探した。そして、この場にいた人間の中から、レティシアを選んだ。それが今の状態を生み出している。
「覚醒勇者か。お前が、覚醒勇者になったということか」
「そうみたい。詳しくは私にも分からない。器に選ばれると死ぬと思っていたけど、こうやって飛んでいるし。それに、頭の中がうるさい。世界律がずっと話しかけてくる。でも、うるさいだけで内容は大体分かる」
「正気か?」
「どうだろう。自分では分からない。でも、話はちゃんとできてる。今みたいに」
「・・・」
レインはレティシアの気配を読もうとした。
さっきと同じ人間のはずなのに、気配の輪郭が変わっていた。さっきは剣士の気配だった。今は、何か別のものが混じっている。世界の仕組みに直接触れているような、そういう重さが気配に乗っていた。
ここで、レインはあることを思い出した。
勇者と覚醒勇者の違い。かつて依頼を受けた時に、調べたことがある。
勇者とは、世界律から特別な加護を受けた人間のことを指す。その加護は主に身体能力の向上と、一部の属性魔法への適性強化として現れる。強い、という意味では確かに強い。
だが、選ばれた人間が勇者になるとは限らない。世界律の加護は、あくまで「与えられるもの」だ。本人が望もうと望まなかろうと、世界律が必要と判断した時に、器を選んで押し付ける。
だが、覚醒勇者は違う。
覚醒勇者は、世界律そのものと繋がった人間だ。加護を「受ける」のではなく、世界律の力を「扱う」側に立つ。理論上は、世界律が持つ全ての機能に干渉できる。蘇生、封印の操作、世界律の維持。勇者が世界律の恩恵を受ける器なら、覚醒勇者はその器を超えた何かだ。
過去の文献に覚醒勇者はたった一人、初代勇者アラドしか存在しない。いずれも大規模な世界律の崩壊寸前に現れ、封印の安定に関わっている。そして、覚醒後に人間をやめても、その生涯を世界律の維持に費やしている。
つまり覚醒勇者は、世界のために生き続ける義務を背負わされた存在。自分の意思など関係なく。
「覚醒勇者と、ただの勇者の違いが分かるか?」
レインが言った。
「分からない。説明してくれるなら聞く」
「勇者は世界律の加護を受けた人間だ。強くなる。加護が乗る。それだけだ。世界律にとっては、使い捨ての器に近い。役割が終われば、加護は消える。本人の人生には戻れる」
「覚醒勇者は?」
「世界律そのものと繋がる。加護を受けるのではなく、世界律を動かす側に立つ。蘇生ができる。封印を操れる。世界律が崩れかけた時に、安定させられる。しかし」
レインは少し間を置いた。
「その代わり、世界律が続く限り、お前はその義務を背負い続ける。世界律が選んだ以上、降りることはできない。過去の覚醒勇者は全員、その生涯を世界律の維持に使って死んだ」
レティシアは少しの間、黙っていた。
「・・・そうか」
「驚かないのか」
「驚いてる。でも、今更だ。もう選ばれた後なんだから」
「受け入れが早すぎる」
「考える時間がない。それに、頭がうるさすぎてゆっくり考えられない」
「・・・変な奴だ」
「それは今夜だけで四回目だ」
「四回目でも言う」
「何しに来た?」
「貴方を殺しに来た」
「理由は?」
「ルイスを殺した。セレナちゃんを殺した。ティオを殺した。エルンストを殺した。ルグを殺した。クロカワを殺した。ヴァルドを殺した。先生たちを殺した。ラズロイ先生を殺した」
レティシアは一つずつ、名前を挙げた。声に感情がなかった。なかったが、その名前の一つひとつを丁寧に発音していた。
「貴方がやったことは全部分かってる。でも、倒しに来た。それだけ」
「感情的ではないな。さっきのヴァルドとは違う」
「感情は、ある。ただ、今は感情より先に動ける気がしてる。それが正常かどうかは分からない」
「おかしいな」
「そうかもしれない。でも、おかしいまま倒す」
レインは短剣を抜いた。
「覚醒した勇者がどれほどのものか、見てみよう」
「いいこと教えてあげる。此処で私を倒してもすぐに援軍が来る」
レティシアが剣を抜いた。
月明かりの中で、刃が白く光った。その光が、さっきまでとは違う色をしていた。白金色の、世界律の色が刃に乗っていた。
「援軍?あの砦からか?」
「そう。神聖魔法で蘇生したから」
レインは衝撃を受けると同時に、胸に高鳴りを感じた。この少女は人を生き返らせるという、神の所業を成し遂げたんだ。これが、覚醒した勇者・・・
「一つだけ聞いていいか」
レインが言った。
「何?」
「お前は今、何のために戦う」
レティシアは少しだけ間を置いた。
「分からない」
「分からない?」
「強くなる理由が分からないまま、此処まで来た。ルイスを助けたかった。仲間が死んだのは腹が立つ。それは本当だ。でも、それが全部かどうかは分からない」
「答えになっていない」
「なっていない。でも、それが今の正直な答えだ」
「・・・」
レインは少し考えてから、言った。
「私も同じだ」
「え?」
「金のために戦う。それは本当だ。だが、それが全部かどうかは、俺にも分からない」
「・・・そうか」
「そうだ」
二人の間に、静けさが戻った。
風が一度吹いた。月明かりが、二人を照らした。
「行くぞ」
「来い」
レインが踏み込んだ。
今までと同じ、起点の見えない踏み込みだった。重心の移動が読めない、前兆のない動作だった。
レティシアはそれを、正面から受けた。
避けなかった。
受けた瞬間に、刃から何かが流れた。白金色の光が、衝突点から散った。レインの短剣が、止まった。
「・・・神聖魔法か?」
「そうだね。神が司る魔法だからか、MPが0でも、これは通るみたい」
「そうか」
レインが後退した。初めて、後退した。それを見て、レティシアは踏み込んだ。
右から入った。レインが短剣で受けた。弾かれた。だが、レティシアはそのまま左から入った。片腕が死んでいた時とは別の動き方だった。両腕が動く。両腕が動く状態のレティシアの剣術を、レインは初めて見た。
「速い」
「さっきより速い。世界律のせいだと思う。体が勝手に動く部分がある。それが怖い」
「話しながら戦うのか」
「頭がうるさいから、話した方が整理できる」
「・・・変な奴だ」
「そう言われた。死ぬほど」
レインが体勢を変えた。正面ではなく、側面に回り込もうとした。レティシアはそれを追った。追いながら、剣を横に払った。
レインが後退した。また、後退した。今夜初めて、防戦に回っている自分をレインは認識した。
「強いな」
「貴方も強い」
「私の方が弱いか」
「今は、多分」
「素直だな」
「嘘をついても意味がない」
レインが踏み込んだ。今度は短剣を捨てた。素手で入ってきた。
レティシアが剣を構えた瞬間、レインがその剣の下をくぐった。懐に入り込み、レティシアの右手首を掴んだ。
「近接で勝てると思うか?」
「思わない」
レティシアは右手首を掴むレインの手を静かに引きはがし、一歩後退した。その直後、彼女のみぞおちのあたりから、皮膚を突き破るように、時計のようなものがゆっくりと姿を現した。
「何をするつもりだ?」
「世界律が言ってる。この神聖魔法を使って、終わらせろって」
「殺すか?」
「殺したい気持ちはある。でも、倒せれば十分だと思ってる。今は」
「・・・今は、か」
―――――――――――――神聖魔法・時停神域―――――――――――――
レティシアが後ろに突然現れた。音もなく。衝撃波もなく。一切の予兆もなく、風の揺らぎひとつなく、ただ気がつけば、そこにいた。
それと同時に、顎先から骨の砕けるような鈍い音と、衝撃が襲い掛かかった。骨が軋み、砕けるような音が頭の内側で鈍く響き、視界が一瞬白く弾けた。
その直後、レインの意識が遠くなり始めた。抗おうとした。しかし体は言うことを聞かず、足から力が抜けていった。
「・・・これが覚醒勇者の力。やっぱり、普通の勇者とは大違いだな」
「そういえば、勇者と覚醒勇者の違いって・・・」
レインは、そのまま意識を失った。
崩れ落ちる体を、レティシアは片腕で受け止めた。そのまま、地面に静かに下ろした。月明かりの中に、レインが倒れていた。
レティシアは立ったまま、しばらくそれを見ていた。
頭の中で、世界律がまだ話しかけてくる。うるさかった。でも、今は内容が少しだけ変わっていた。
封印を戻せ、と言っている。地下の祭壇に戻れ、と言っている。ルイスが死んだことで崩れ始めた封印を、覚醒勇者として安定させろ、と言っている。
「・・・分かってる」
レティシアは呟いた。
砦の方を見た。白金色の光が、まだかすかに砦の方角から空へ伸びていた。戻らなければならない。やることが、まだある。
でも、その前に。
レティシアはレインの傍にしゃがんだ。懐を探った。革袋があった。報酬の金だ。その隣に、血で染まった兎柄のハンカチがあった。それだけは取らなかった。
革袋だけを取り出して、立ち上がった。この金は、後で考える。
今はまず、祭壇に戻る。
封印を安定させる。
そして、仲間が本当に全員生き返ったかどうかを確かめる。
世界律が何か言っていた。封印者が覚醒した時、封印者と繋がりのある者に、世界律のエネルギーが僅かに流れることがある、と。
その意味を、レティシアはまだ完全には理解していなかった。
ただ・・・急いだ方がいい気がした。
レティシアは砦に向かって、歩き始めた。月明かりが足元を照らしていた。山脈の稜線が、白く光っていた。
頭の中が、相変わらずうるさかった。でも、歩けた。
それで、十分だった。
【ヴァルド・ハルウス】
ヴァルドが目を開けた瞬間、わけが分からなかった。
自分は死んだはずだった。頭に剣が刺さった。腹にも入った。石畳が赤くなっていくのを見た。それが最後だったはずだ。
なのに、今、目が開いている。
天井が見えた。石造りの古い天井だ。体の感覚が戻ってきた。手を動かした。動いた。傷がない。頭を触った。何もない。腹も痛くない。
死んでいない。
・・・なぜだ。
ゆっくりと起き上がった。部屋の中に、仲間が全員倒れていた。セレナも、ティオも、エルンストも、ルグも、クロカワも。全員が、まだ意識がない。
レティシアがいない。
ヴァルドは立ち上がりながら、部屋の中を見渡した。祭壇の台座。壁の封印。床の文様。誰もいない。
その時、体の中に何かが流れてくる感触があった。
温かい、というより、世界の根幹に触れているような、静かで巨大な何かだった。それが自分の中を通り過ぎていった。
魔力の感覚が、鋭くなった。
それと同時に、気配を感じた。
砦の外。遠い。だが、確かに感じた。
・・・レティシアの気配だ。
死んでいたはずなのに、その気配がある。しかも、普段とは全く違う重さがある。世界律と繋がったような、世界の仕組みに触れているような、そういう気配だった。
ヴァルドは階段を上がった。廊下に出た。先生たちが倒れていた。後で確認する。今は先だ。
砦の外に出た。
夜の空気が全身に当たった。月が出ていた。稜線が白く光っていた。
気配を追った。方向は、砦の南、山道の下の方だ。歩き始めた。途中から走り始めた。
気配が近づいてきた。いや、向こうも動いている。近づいてきている。
砦への道の途中で、ヴァルドとレティシアは正面から鉢合わせた。
「・・・」
「・・・」
二人とも、止まった。
月明かりの中に、レティシアが立っていた。目が変わっていた。以前の目ではない。透明で、何か遠くまで届いているような目だ。
「生きてるんだな」
ヴァルドが言った。
「生きてる」
「どうやって」
「世界律に選ばれた。覚醒勇者になった」
「・・・」
「ヴァルドも生きてる」
「ああ」
「他の皆は?」
「まだ意識がなかった。倒れてる」
「急ごう。封印を安定させなきゃいけない」
「分かった」
二人は並んで、砦に向かって走り始めた。月明かりが、二人の足元を照らしていた。
走りながら、ヴァルドは隣を見た。
レティシアは前を向いたまま走っていた。目が違う。気配が違う。体の動き方は同じなのに、その内側にあるものが、根本的に変わった気がした。
それが何なのかは、今すぐには分からない。
分からなかったが、今は走ることだけを考えた。
砦の南側に向かう前に、二人は天幕のあった場所を通り過ぎた。
天幕はまだ張られていた。中に、明かりが漏れていた。
人の気配がある。
ヴァルドが無言で剣に手をかけた。レティシアも頷いた。
二人で天幕に近づき、入口の布をヴァルドが引いた。
中に、七人のローブ姿の人間がいた。
全員、気づいていなかった。こちらを向いていなかった。全員が中央を向いて、膝をついていた。
中央には、布の上に置かれたものがあった。
ルイスの首だった。
「——」
レティシアは、声が出なかった。
七人はその首の前に跪いて、何かを唱えていた。祈りの言葉だ。喜びで震えるような声だった。その声が天幕の内側で反響して、重なり合っていた。
一人が両手を上げた。
それに続くように、他の六人も両手を上げた。
その直後、拍手が起きた。静かではなかった。抑えきれないような、喜びが滲み出た拍手だった。一人が笑い声を上げた。嬉しくて仕方がないような、そういう笑い声だった。
「ようやく!ようやく!成就した!」
「世界律が崩れ始める!これで、三世界は終わりに近づく!」
「讃えよ律喰の贄の死を!世界の終わりの始まりを!」
「そして!われらの命を!魔物に!悪魔に!」
全員の声が重なった。
天幕の中が、歓喜で満ちていた。
ヴァルドが踏み込んだ。
七人が一斉に振り返った。その顔が、驚きから恐怖に変わるより先に、ヴァルドの剣の柄が一人目の側頭部に入った。倒れた。それを見た二人目が叫び声を上げようとしたが、レティシアが喉を手刀で押さえて黙らせた。残りの五人は逃げようとしたが、天幕は狭かった。逃げ場がなかった。
三分も経たないうちに、七人全員が床に転がっていた。死んでいない。気を失っているだけだ。
部屋の中が、静かになった。
ルイスの首が、中央に置かれたままだった。
「・・・」
ヴァルドは、それを見ていた。
拍手の音が、まだ耳の中に残っていた。あの笑い声も。喜びで震えていた声も。
十歳の子供の首の前で、人間が笑っていた。
拍手をしていた。
讃えていた。
この連中は魔法使いでも、強大な魔力を持つ戦士でも、何でもない。制御の問題でも、魔力の暴走でも、何でもない。ただ、信仰を持った人間だ。三世界が崩壊することを望んで、そのために動いた、ただの人間だ。
魔物は魔法使いから出る。駆け出し魔法使いからは特に。だから、魔法使いを育てる。制御の優れた魔法使いを増やせば、魔物は減る。
自分が何年も信じてきた言葉が、頭の中で響いた。
それは正しい。今でも正しいと思っている。
だが、今夜ここで見たものは、その考えの完全に外側にある。
いくら駆け出し魔法使いを育てても。いくら魔力制御を教えても。
この種の人間が動くことは、止められない。
ルイスが殺された。あの子が三日間、部屋の隅で怖くて外に出られなかったあの子が。山道を文句も言わずについてきたあの子が。高山植物の花をきれいだと呟いたあの子が。
それを、この連中は喜んでいた。
「・・・」
ヴァルドは何も言わなかった。
剣を鞘に戻した。それだけだった。
レティシアはヴァルドを見た。
その横顔に、何かが走った。怒りでも悲しみでもない、もっと根の深いところに触れているような、静かな揺れだった。
「行こう」
レティシアが言った。
「・・・ああ」
ヴァルドは一度だけルイスの首に視線を落とした。それから、前を向いた。
二人は天幕を出た。
夜の山の空気が、全身を包んだ。
拍手の音が、まだどこかに残っていた。
砦の地下に戻った時、仲間たちが少しずつ目を覚まし始めていた。
ヴァルドが全員を確認しながら、部屋の隅に腰を下ろした。レティシアが封印の確認を始めた。世界律がうるさく言ってくる。まず封印だ。
その時、ヴァルドの目が壁に止まった。
封印の壁が揺れている。ルイスが死んだことで、世界律のエネルギーが不安定になっている。それが可視化されたものだ。
律喰の贄が死んだ。世界律が揺れた。三界滅業会はそれを望んでいた。
魔物は魔法使いから出る。駆け出し魔法使いからは特に。
自分が何年も信じてきたことが、頭の中で響いた。
魔力の制御が優秀な魔法使いを育てる。それで魔物の発生を減らせる。魔物が減れば、死ぬ人間が減る。そのために魔法を教えてきた。その考えは、今でも正しいと思っている。
だが。
三界滅業会は魔法使いではない。強大な魔力を持つ戦士でもない。ただ信仰を持った人間の集団だ。制御の問題でも、魔力の問題でも、何でもない。
その集団が、十歳の子供を殺した。
世界律を壊すために。三世界を崩壊させるために。
それは、魔力の制御とは何の関係もない場所から来ている。
いくら駆け出し魔法使いを育てても、いくら魔力制御を教えても、この集団が動くことは止められない。この種の悪意は、魔法の技術の外にある。
封印の光が、また揺れた。
ヴァルドはそれを見ていた。
自分の手を見た。今夜、仲間を守れなかった手だ。
・・・俺が何を積み上げても、届かないものがある。
その考えが、静かに落ちてきた。
否定する言葉が、すぐには出なかった。




