瓦解
【レイン・■■■・■■■■■】
リカノ村の空気は、死んでいた。文字通りの意味でも、比喩的な意味でもある。
石造りの家々は静まり返り、風が路地を吹き抜けるたびに、乾いた埃と何か甘ったるい腐臭が混じり合って鼻をついた。三日・・・それだけの時間が、この村の死を作るのに十分だったらしい。
「・・・世界律解放同盟、仕事が早いな」
レインは村の入り口に立ちながら、その光景を静かに見渡した。
死体の数を、ざっと数える。入口付近だけで二十近い。逃げようとした者の倒れ方、その場に崩れた者の倒れ方、それぞれが違う。一斉に、そして素早く、複数方向から同時に行われた。
「あの安保共が動いたのなら、ルイスもまだ生きているはずだけど・・・」
ゼルの目的はルイスを殺すことではない。律喰の贄を利用するか、あるいは保護するか。どちらにしても、ルイスを今すぐ殺す理由が彼奴にはない。
レインの目的とは、そこが根本的に違う。
レインはゆっくりと村の中を歩き始めた。急ぐ必要はない。今は情報収集が目的だ。暗殺そのものは今日やる必要はない。依頼の期限まで、まだ猶予がある。
今日確認しておきたいことは三つ。
ルイスの生存確認。
世界律解放同盟の戦力。
そして、もう一つの陣営の存在と規模。
村の中心部を抜けた頃、遠くから気配が動く音が聞こえた。複数人だが、統率の取れた動き方ではない。だが、練度はあるな。ゼルの組織とは違う気配だ。
「・・・別陣営が来てるな」
レインは足を止め、気配を探った。七人。全員の重心の位置、呼吸の速さ、魔力の質などを、それを一人ずつ確認していった。
全員、手練れだ。
一人は魔力の密度が高い。魔法使いか。
一人は気配を絞る訓練を積んでいる。隠密系の動き方だ。
一人は歩き方に無駄がない。長距離移動に慣れた足だ。
一人は呼吸が特に安定している。戦闘中でも崩れないタイプ。
そして。
「・・・あの気配は」
七人の中の一人に、レインに引っかかりを感じた。
若い。おそらく十代。だが、その気配の密度が他の六人とは明らかに違った。重心が低く、動作の予兆が極めて少ない。長剣を腰に差していて、その柄への手のかけ方が自然だ。生まれた時から剣を持っていたような、そういう自然さ。
「・・・誰だ、此奴は」
会ったことはない。だが、その気配の質には覚えがあった。どこかで、似たような気配を感じたことがある。
どこで、何時、誰に・・・
すぐには思い出せなかったため、レインは一旦それを保留してその七人の動きを追い続けた。
その七人は村の外れへと向かっていた。
「ルイスの家に向かってる・・・」
レインは物陰に身を潜め、七人の後を静かに追った。
七人が小さな石造りの家の前で足を止めた。家の扉に近づいた者がいた。さっき気配が引っかかった、例の若い女だ。
その瞬間、扉が爆発した。
レインは反射的に気配を絞った。爆発の衝撃で七人の注意が前に向く。その隙に、物陰を移動する。
爆発の後、黒外套の人間が子供を抱えて走り出した。
あれはゼルか。
レインはゼルの姿を確認した。片腕で子供を抱えながら走っているにも関わらず、動作が乱れていない。重心の移動が滑らかだ。
想定の範囲内だが、改めて確認できた。ゼルは今日の段階では相手にしなくてもいい。
そして、七人の中の例の若い女が、単独でゼルを追い始めた。
「・・・単独で?」
レインは思わず眉を上げた。
ゼルを単独で追う。其れはつまり、ゼルの実力を知った上で追っているか、或いは知らずに追っているかの何方かだ。
何方にしても、常人のやることではない。実力を知った上で追っているなら猶更だ。
暫くして、七人の残り六人と黒外套の集団二十人ほどの戦闘が始まった。
レインはその戦闘を物陰から観察した。六人の動き方を、一人ずつ確認していく。
先ほど気配の密度が高いと感じた魔法使いと思しき女は光魔法を使った。精度が高くて、詠唱が短い。
隠密系の動き方をしていた男は、短時間で複数人を制圧した。動作に迷いが一切ない。
呼吸が安定していた男は前衛で複数の敵を引き付けながら、仲間の援護に回っていた。皆、判断が速い。
「・・・六人で二十人を相手にして、手傷一つか」
それなりに時間はかかっていたが、六人は二十人の黒外套集団を完全に制圧した。
レインは視線を戦闘から外し、ゼルが消えた方向を見た。あの若い女が、ゼルと一対一でやり合っているはずだ。
暫くすると、その方向から気配が戻ってきた。二つ。女と、小さな気配。子供だ。
「・・・ゼルから、奪ったのか」
ゼルから子供を奪えるほどの実力が、あの若い女にあるとは思っていなかった。想定外だった。
レインは少し考えた。
今この場でルイスを殺せるか。
六人は戦闘の後だが消耗は少ないし、ゼルと渡り合った女も大きな怪我はないように見える。七人全員を同時に相手にして、子供だけを連れ出すのは、現実的ではない。
それに、今日の目的は暗殺ではない。情報収集だ。
「今日は引く」
レインは物陰の中で、静かにそう決めた。
今日確認できたことを整理する。
ゼルの組織は練度が高いが、今回の戦力はすでに六人が制圧した。本隊の規模は不明だが、私が前に調べた感じ世界律解放同盟はそこまで強くはなかったはず。ゼルを除くだけど。
だが、あの若い女に一方的に叩き潰され、そのまま負けた。
七人の陣営。全員が手練れ。その中で特に注意すべきは二人。気配が引っかかったあの若い女と、呼吸が乱れなかった大柄の男だ。
特に女の方は。
「・・・あの気配、どこで感じた」
レインはもう一度それを考えた。若く、動作の予兆が少ない長剣使い。気配の質が、どこか遠い記憶に引っかかるが思い出せなかった。
だが、確かに引っかかっている。
「・・・まあ、いい。また会う機会はある」
今夜七人はこの村に留まるか、あるいは近くに移動するはずだ。追跡は容易だ。
レインは物陰から離れ、村の外れから遠ざかるように足を進めた。
夕暮れが深まっていて、空の端が濃い橙から紫に変わり始めていた。
今夜は追わない。
報酬を受け取るためには、まだやることがある。今日分かったことを整理して、次の機会を待てばいい。
依頼の期限はまだあるし。
そう考えた後、レインは村を後にした。
【レティシア・ヴァイスクロイツ】
ヴァルドたちの戦闘はあっという間に終わった。
セレナが光魔法で周囲を照らして、黒外套の人間たちに強烈な光で視覚障害を起こさせ、そこからは他メンバーがタコ殴りにするという、なんとも身も蓋もない作戦だった。
「終わった」
「うん。終わったね。」
ヴァルドが最後の一人を地面に組み伏せながら言った。クロカワが腕の浅い切り傷を押さえながら周囲を見渡し、ティオが拘束した黒外套の一人の縄を確認した。エルンストは魔法で作った光の縄を追加でかけながら、特に感慨もなさそうな顔をしていた。
「セレナ、この作戦よく思いついたね」
「え?だって一番手っ取り早いじゃん。目が見えなくなったら強い人でも動けないもん」
「発想が直線的だ・・・」
「ヴァルドにだけは言われたくない」
「俺は直線的じゃない」
「さっき一人を壁に叩きつけたよね」
「効率がいいからだ」
「それを直線的って言うんだよ・・・」
ティオが呆れたように息を吐いた。
ルグは拘束した黒外套の一人を静かに見下ろしていた。その視線は穏やかだが、どこか値踏みするような鋭さがある。
「この人たちから、情報を取れますか」
「試してみる価値はある。ただ、組織の末端だとすれば、知っていることは限られる」
「それでも、ゼルの次の動きの手がかりになるかもしれません」
「そうだな」
ヴァルドが拘束された一人の傍にしゃがんだ。黒外套の男は視覚を潰されたまま、荒い息をついていた。
「聞くことがある。答えれば悪いようにはしない」
「誰が答えるかよ!!!さっきも言ったが、世界律解放同盟のボスでもあり、最高戦力のゼル・ヴァリオン様だぞ!!!我らがここで負けても、あのお方が全て片付けてくれる!!!そこで大人しく・・・」
「ねぇ、ゼルってこの人?」
レティシアが帰って来た。ヴァルドたちの視線が一斉にレティシアの方に向いた。レティシアは片腕にルイスを抱えたまま立っていた。そして、その隣に引きずっていたのは、ゼルだった。
「え?・・・スゥ――――ッ・・・この人・・・ですね。」
拘束された他の黒外套たちも、同様だった。誰かが小さく「嘘だろ」と呟いたり、誰かが「ゼル様が」と呟いた。それ以上の言葉は、どこからも出てこなかった。
世界律解放同盟はゼルが戦闘不能になったためこの瞬間、機能不全に陥った。
しばらく、誰も何も言わなかった。
ヴァルドが立ち上がり、ゆっくりとレティシアの方を見た。ルイスを抱えたレティシアの隣で、ゼルは地面に膝をついていた。意識はなかった。
「どうやった?」
「足を払った」
「それだけか?」
「脇腹に一発もらった後、石を投げてから体当たりして、ルイスを引き抜いた。その後、少し話した」
「話した?」
「そう。そのうちに、足を払った」
ヴァルドはしばらくレティシアを見てから、ゼルに視線を移した。
「・・・生きてるんだろうな?」
「生きてる。手加減した」
「お前がゼルを手加減して倒したのか」
「うん。思ってたより弱かったから。」
「思ってたより弱かったから。」
その言葉が空気に溶けた瞬間、しばらく誰も動かなかった。
拘束された黒外套の男たちも、ヴァルドも、ティオも、セレナも。全員が同じような顔をしていた。
「・・・レティちゃん」
セレナが恐る恐る口を開いた。
「なに?」
「今、何て言った?」
「思ってたより弱かったと言った」
「うん、そうだよね。そう聞こえたよね。私の聞き間違いじゃなかったよね」
「聞き間違いじゃないと思う」
クロカワが頷いた。その顔が微妙に引きつっていた。
「いや待て」
ティオが一歩前に出た。
「レティシア。ゼル・ヴァリオンは世界律解放同盟の最高戦力だぞ。そいつを、手加減して、倒したのか」
「そう言った」
「・・・お前は頭がおかしいのか」
「よく言われる」
ティオが深く息を吐いた。呆れと安堵が半分ずつ混じったような、複雑な呼気だった。
拘束された黒外套の男たちの方からは、もう言葉が出てこなかった。さっきまで「ゼル様が全て片付けてくれる」と声高に言っていた男も、今は地面を見つめたまま黙り込んでいる。
ルグが静かにゼルの傍にしゃがみ、状態を確認し始めた。
「意識はありませんが、呼吸は安定しています。外傷は・・・足首の靭帯に負担がかかっていますね。足を払われた時のものでしょう。他に目立った外傷はありません」
「そう。」
「何、他人事みたいなこと言ってんのよ・・・」
ヴァルドはゼルと、レティシアを交互に見て、ゆっくりと口を開いた。
「・・・話した、と言ったな」
「そう」
「ゼルと、何を話した?」
「色々。石蔵に向かえと教えてくれた。東の外れにある石蔵が今夜の籠城に向いていると。霧が入りにくい構造らしい」
「敵から情報を貰ったのか」
「ラズロイ先生の話をしたら、動揺した。それなりに信用できると判断した」
「ゼルがラズロイを知っているのか」
「知ってる。それも、ただ知っているという感じじゃなかった。名前を聞いた瞬間、動きが止まった」
ヴァルドは少しの間、黙って考えていた。
「・・・その情報、使える?」
「使えると思う。ただ、罠の可能性はあるけど」
「ああ。警戒しながら移動する」
「それでいい」
「あのー・・・」
クロカワが遠慮がちに手を挙げた。
「ゼルはどうするんだ?まさか、連れて行くのか?」
「どうする?」
レティシアがヴァルドに聞いた。
「・・・拘束して連れて行く。人質として使えるかどうかは分からないが、此処に放置するのは論外だ。目を覚ました後に何をするか分からない」
「じゃあ、他の拘束した黒外套の人たちは?」
「此処に置いていく。縄だけかけて。追ってこれない程度に足止めできれば十分だ」
エルンストが光の縄を確認しながら口を開いた。
「この縄、半日は解けない。其れが脱出するより先に俺たちが石蔵に移動できれば問題ない」
「分かった。じゃあそうしよう」
セレナがルイスの方に視線を向けた。ルイスはレティシアの腕の中で、ずっと黙って周囲を見ていた。大人たちの会話を聞きながら、何かを考えているような目だ。
「ルイス君、怖くない?」
「・・・少し」
「そうだよね。でも、大丈夫だよ。今夜は絶対に守るから」
ルイスはセレナを見て、それから周囲の大人たちを一人ずつ見渡した。
「・・・この人たち、全員味方?」
「全員味方だよ」
「あの倒れてる人も?」
ゼルを指さしていた。
「あの人は・・・今は大人しくしてる人かな」
「敵なの?味方なの?」
「うーん・・・レティちゃん、どっちだと思う?」
「分からない。でも今夜は動かない。それだけは確かだと思う」
ルイスはゼルをもう一度見てから、また黙った。
子供の目は正直で、怖いものは怖いと顔に出る。だが、ルイスの目には怖さだけではない何かがあった。
三日間一人でいた子供の目だ。簡単には揺れない、何かが宿っていた。
「・・・行こう」
全員が続いて歩き出した。レティシアはルイスを抱えたまま、村の東の外れへ向かって。




