バルガファルイス養成学校
レティシアが部屋に戻る最中、ふと学生証を取り出した。
「ほんと、私もヴァルドもよく合格したと思うよ・・・」
フィンペル王国のリューラ村にあるレティシア達が通っている学校、通称バルガファルイス養成学校は『合格すれば人生勝ち組になれる学校』と、この世界のほぼ全ての人がそう呼ぶ学校だ。
そして、この世界で一番入学するのに難易度が高い学校でもある。
この学校は生徒数を数名しか受け入れず、且つ、入試も意味がわからないほど難しい筆記試験、実技試験、面接があるため、ほとんどの生徒が不合格になる。
いや、正確には面接でほとんどの生徒は落とされる。
この学校が求めている生徒は『頭のネジが外れた天才』。ただそれだけなのだ。
どれだけ頭が良かろうが、どれだけ強かろうが、この項目を満たしていなければ問答無用で落とされる。
逆に言えば、その部分の項目を満たしていると、どれだけ筆記試験と実技試験が悪かろうが合格する率は高くなる。ヴァルドは恐らくその部分で合格したんだろう。
ただ、不合格になったら、人生負け組・・・と言うわけではない。
この学校の不合格者の成績表は処分されずに、そのまま他の学校へ渡される。その時に、他の難関学校に目をつけれられれば、入試をパスして入学することができる。
そのため、入試でまともな成績を取って落ちても、運が良ければこの学校ほどではないが人生勝ち組コースへ歩むことができる。
ちなみに、今年の入学者はティオ、セレナ、クロカワ、ルグ、ヴァルド、レティシア、エルンストの七名だけである。
「・・・」
入試当日のことを、私は今でも鮮明に覚えている。
筆記試験は難しかった。ただ難しいだけでなく、問題の前提そのものがずれているような、解き方を知っていても答えに辿り着けない問いが続いた。
実技試験は、対人戦だった。相手は今の担任の先生。後で分かったことだが、現役のSランク冒険者の僧侶だった。おまけに、災害級の魔物の討伐実績があるときた。もちろんボロ負けした。
というか、僧侶なのになんで近接戦闘して来るんだよ。傷を与えたと思ったら、回復魔法ですぐ完治して来るわ、自切してそこから出てきた血液を凝固させ、剣の射程を伸ばして来るわ・・・こんなのどうやって勝つんだよ。
そして面接。
試験官は老人だった。その面接官はメルキオールと名乗った。その老人は魔力を完璧に隠していたから、とんでもない手練れの魔法使いだと思う。
それに、面接で聞かれたことは一つだけだった。
「貴方はなぜ、強くなりたいのですか?」
「わからない」
「・・・何故分からないのですか?」
「強くなることが当たり前すぎて、理由を考えたことがなかった」
「それは困りましたね」
「そうですか。」
「困ったが、合格です」
意味が分からなかった。今でも分からない。多分、意味が分からないまま、そのまま一生を過ごすだろう。
学生証を手のひらで裏返した。表には名前と入学年度。裏には学校の紋章が刻まれている。細かい装飾の中に、剣と書物と天秤が組み合わさったデザインだ。
何故強くなりたいのか
入試から今まで、ちゃんと考えたことはまだない。ただ、今日の廃豪邸の中で目を閉じて、暗闇の中をセレナの腕を掴んで歩いた時、少しだけ違うことを考えた。
強くなることが目的だと思っていた。
でも今日は、強くあることで誰かと一緒に動けた。それは、一人で強くあることとは、少し違う何かだった。
どう違うのかは、まだうまく言葉にできないけど。
「・・・まあ、いいか」
自分の部屋に着いたため、レティシアは学生証を制服の内ポケットにしまった。
扉を開け、部屋に入った。
レティシアは制服のままベッドに腰を下ろして、今日のことを思い返した。
廃豪邸の暗闇
セレナの手
目を閉じたまま歩いた廊下
夕暮れの帰り道
ヴァルドとの会話
エルンストの料理
食堂での皆の声
そういうことが、毎日少しずつ積み重なっていき、人は成長するんだろうか。
「・・・何故強くなりたいのか」
それが何なのか、まだうまく言葉にならない。ただ今日の一日は悪くなかった。それだけで、十分な気がした。
レティシアは立ち上がり、制服から部屋着に着替えた。壁に掛けられた時計を見るとすでに10時を指していたため、窓の留め金を確認し、ランプを消した。
明日の朝、五時半にはヴァルドと訓練がある。早く寝なければ、と分かってはいる。分かってはいるが、布団に入ってすぐ眠れる人間じゃない。
それ以前に、強くなる理由が分からない。最近まではずっと学校でいろんな生活を送っていたからか、考えるのを学生証を見るまで忘れていた。
それまで意識の外に追いやっていた問いが、するりと浮かび上がってきた。強くなる理由。かつては迷わず答えられたはずのそれが、今は言葉にならない。
・・・強くなる理由か。
翌朝、五時二十五分。
まだ空が白みかける前の一番暗い時間帯に、レティシアは寮の外に出た。
訓練用の中庭は学校の敷地の北側にある。石畳が敷かれた広い空間で、端には的や木人形が並んでいる。
本来、朝のこの時間帯には誰もいないはずだが、ヴァルドはすでにいた。早起きは三文の徳ってクロカワが言ってたけど、さすがに早起きしすぎな気がする。
「おはよう」
「・・・ぅん、おはよ・・・」
「なんか目のクマがすごいな。あまり寝れてないのか?大丈夫?」
「大丈夫・・・」
「ホントか?もしきついならまだ寝ててもいいが・・・」
「大丈夫。ほんとに大丈夫。」
「そうか。無理はするなよ」
「分かってる。」
言えない。強くなる理由を考えてたら、すでに五時半近くになってしまいましたなんて、口が裂けても言えない。
二人は向かい合った。空は紺色から藍色に変わりつつある。星がまだいくつか残っていて、東の端だけが、ほんの少し明るくなっていた。
「今日はどんな訓練をするの?」
「昨日話したこと。視覚に頼らない動き方の練習から始める」
「私の話を本当に応用するつもりだったんだ」
「ああ」
「目を閉じて戦うわけじゃないのに、どうやってやるの?」
「まず、目を閉じたまま俺の動きを察知する練習から始める。攻撃はしない。ただ、俺がどこに動いたかを言い当てる。それだけ」
「地味だね。」
「地味なことの積み重ねで、地味じゃないことができるようになる」
レティシアはそれを聞いて、少しだけ目を細めた。
「それ、エルンストが言いそうなこと」
「うるさい。さっさとやるぞ」
「はいはい」
「”はい”は一回でいい。」
「”はい”。」
「よし。」
目を閉じた。
中庭の空気が、一気に変わった。視覚が消えると、他のものが入ってくる。風の向き。ヴァルドの足音。石畳を踏む微妙な重さの違い。息遣い。
ヴァルドが動いた。
「右後方、三メートル」
「正解だ、次。」
また動いた。
「左前方、二メートル弱。身を低くした」
「・・・正確だな。」
「貴方が動く時、重心の移動が先に来る。それを読んだだけだよ」
「よく分かるな・・・それ」
それからヴァルドが、少し違う動き方をした。意図的に重心の移動を遅らせたのか、気配を絞り込むような動き方だ。
「・・・正面、一メートル半。でも、足音がおかしかった」
「何がおかしかった?」
「わからない。ただ、いつもと違った」
「いつもと違うことに気づいた、それで十分だ」
ヴァルドが少し離れた。目を開けていいという合図のように、足音が止まった。
レティシアは目を開けた。空は、さっきより明るくなっていた。東の稜線に、薄いオレンジがかかり始めていた。
「お前、昨日どうやって迷宮虫の核の場所まで辿り着いた?部屋の位置、覚えてたのか?」
「セレナちゃんが言っていた。廊下の突き当たりだと。それと、ドアの色が違ったって言ってた」
「ドアの色・・・昨日お前が言ったこと、もう少し考えてみる」
「どれ?」
「視覚に頼らない動き方より、まず気配感知を鍛える方が先、というやつ」
「今日の練習を踏まえて?」
「ああ。目を閉じることが目的になるのは確かに本末転倒だ。ただ、目を閉じる練習は感覚を鋭くするための手段としては有効だと思った」
「そうだね」
「だから今日はもう少しこのまま続けて、明日から気配感知の練習に切り替える」
「分かった」
「じゃあ続きをやる。次は俺が動く速さを上げる」
「了解」
レティシアはまた目を閉じた。
空が少しずつ明るくなる中、中庭に二人だけの静かな時間が続いた。足音と、気配と、息遣いだけがある。
一時間ほど経った。
「止め」
ヴァルドがそう言ったため、レティシアは目を開けたが、眩しさで一瞬閉じてしまった。そのため、ゆっくり開けると空は完全に明るくなっていることが分かった。
「どうだった?」
レティシアが聞くと、ヴァルドは少し考えてから答えた。
「速さを上げた時、一度だけ完全に読まれたな」
「三回目の時。右に踏み込んだやつのこと?」
「そうだ。あれをどうやって読んだ?」
「踏み込む直前に、息が少し変わった。速くなった時は大抵そうなる」
「・・・」
ヴァルドが黙った。
否定はしなかったってことは、当たっているのだろう。自分では気づいていない癖を指摘された時の、あの特有の間だ。
「直せる?」
「直す。」
「今すぐ?」
「今すぐは無理だ。意識していない部分だから、意識するところから始めないといけない」
「それが一番時間がかかる」
「分かってる」
ヴァルドは木剣を腰に戻した。それからレティシアの方を、まっすぐに見た。
「そういや、お前の気配、昨日より読みにくくなってた」
「そう?」
「ああ。昨日の夕方に比べて、動く前の予兆が減ってる」
「此処に来てから、此奴らと一緒に動く機会が増えたから、自然にそうなったのかもしれない」
「どういう意味だ?」
「一人で動いてる時は、誰かに気配を読まれる機会がない。でも、誰かと稽古すると、読まれることで自分の癖が分かる。貴方みたいに」
「それが、昨日お前の言っていた『人と居ることで分かること』か」
「多分そう」
「・・・なるほど」
ヴァルドはそれ以上何も言わなかった。
「朝飯、行くか」
「うん」
二人は並んで中庭を出た。
食堂に着いた時、すでにセレナとクロカワが席についていた。
「おはよ~。二人ともどっから来たの?」
「「訓練場」」
「え?今から?」
「さっきまでやってた」
「五時半から七時まで?」
「そう」
セレナとクロカワが顔を見合わせた。
「うちらが寝てる間にもう稽古してたんだ・・・」
「普通じゃないよ二人とも」
「「そうか?」」
「そうだよ!!!」
セレナが呆れ顔で声を上げた。その声に反応して、奥のテーブルにいた別の生徒が振り向いた。
食堂には朝の匂いがあった。焼いたパンの香りと、スープの湯気。昨夜のカレーの残り香はもうなくて、代わりに平凡な、でも確かに温かい朝の匂いが充満していた。
トレイを取って、カウンターで朝食を受け取る。スープとパン、それから目玉焼きが一つ。質素だが、この時間に動いた後の体には十分だ。
席に戻ると、ヴァルドがすでに食べ始めていた。量が多い。昨夜も思ったが、此奴は本当によく食べるな。
「そういえばセレナ、クロカワ、」
「何?」
「何だ?」
「エルンスト、ティオ、ルグは?」
「私は女子だから知らないよ?クロカワは知ってるんじゃないの?」
「ティオとルグはまだ寝てるんじゃないかな?ティオは遅くまで補習受けてたし、ルグは怪我がすごかったからね。エルンストは担任にしばかれてるんじゃないかな?」
「ん?誰の話をしてるんだ?」
いきなり、エルンストがレティシアの後ろに現れた。レティシアとセレナは大して驚かなかったが、クロカワは大絶叫を上げた。うるさい。クロカワの大絶叫のほうが驚くよ。
「それで、エルンスト。何の用?」
「今日は出張任務らしい。だからできるだけ、早く教室に来いって」




