模擬戦闘試合(4)
段落の先頭字下げって機能に初めて気づいた。テスト感覚でやってみる。
新手が絶えず流れ込んでくる。倒しても倒しても、噂を聞きつけた誰かが、また路地の奥から現れる。
まるで、際限のない波に晒され続けているようだった。此の空間の広さを考えれば、いずれ人の流入も止まるはずだと思っていた。
が、其の予測は、甘かった。次から次へと現れる新手の顔ぶれも、次第に見覚えのないものへと変わっていった。
リュートの体には、既に幾つもの傷が刻まれていた。頬に一筋の切り傷、二の腕には焼け焦げた痕、脛には打撲による腫れ。動くたびに、其の全てが鈍い痛みを訴えてくる。呼吸も、随分と荒くなっていた。汗が止まらず、視界の端が、僅かに滲むこともあった。
此処まで一方的にやられた記憶は、最近だとルグとの模擬戦以来だった。が、其れとは種類の違う消耗だ。あちらは技術の差、此方は物量と持久力の削り合い。
一人一人の実力では、決して負けていない。だが、休む間もなく続く波状攻撃は、確実に体力を蝕んでいた。時間が経つほど、其の削れ方は、加速度的に増していく。
一度、リュートは細い路地に活路を見出そうとした。人が密集する大通りを避け、建物の隙間を縫うように駆け抜ける。狭い道なら、複数人に囲まれるリスクが減る。其の判断自体は、間違っていなかったはずだ。
だが、路地の出口に差し掛かった瞬間、頭上から降ってきた氷の矢が、進路を塞いだ。
「っ・・・」
咄嗟に身を捻り、直撃だけは避けた。だが、其の一瞬の停止が、致命的だった。背後から追いついてきた別の生徒の剣が、肩を掠める。
「逃がすかよ!」
高い場所・・・屋根の上に、杖を構えた魔法使いの姿が見えた。他クラスの生徒だろう。此方が路地を使って抜けようとする動きを、事前に読んでいたかのような、正確な迎撃だった。
二度目も、同じだった。反対側の路地を試みても、其処にも別の魔法使いが待ち構えていた。ぎりぎりのところで、進路を塗り潰される。
まるで、逃げ場そのものを、周到に潰されているようだった。恐らく、リュートが此の乱戦の中心にいることに気づいた誰かが、遠距離職を建物の高所に配置し、退路を塞ぐ役目を担わせているのだろう。誰の指示かは分からない。が、其の連携の速さには、素直に舌を巻くしかなかった。
三度目の試みも、失敗に終わった時、リュートは、内心で小さく息を吐いた。
駄目か・・・
正攻法での離脱は、もう望めそうにない。此処まで囲まれ、逃げ道まで潰されているとなれば、選択肢は限られてくる。焦って無理に突破を図れば、其の隙を突かれるだけだ。
リュートは、剣を握り直しながら、思考を切り替えた。
なら、切り抜けることは諦める。
此のまま逃げ道を探し続けるより、目の前の敵を、一人でも多く削る方が建設的だ。此処で自分が耐えれば耐えるほど、他の生徒たちの手を、此処に釘付けにしていることになる。其れは同時に、味方が動きやすい状況を作ることにも繋がる。どうせ、此の人形がある限り、命そのものを落とすことはない。ならば、遠慮する理由はなかった。
倒せるだけ、倒してから、其処で終わらせる。
人形があるため、其の策にすぐ出る事が出来た。リュートは其の一線を、あえて踏み越える覚悟を固めた。此処で送還されるまでの間に、どれだけの敵を削れるか。其の一点にだけ、意識を絞る。
其の覚悟が固まった瞬間、リュートの動きが、明らかに変わった。
温存していた魔力を、惜しみなく解き放つ。水の刃を連続で放ち、複数の敵を同時に薙ぎ払う。剣に纏わせる魔力の密度も、其れまでより一段階上げた。防御を最小限に切り詰め、攻めに全てを注ぐ。傷が増えることを厭わない、捨て身の立ち回りだった。周囲の熱気とは対照的に、リュート自身の内側は、奇妙なほど静かだった。
「な、こいつ、急に・・・」
驚愕する声が、周囲から上がった。無理もない。此処まで消耗しているはずの相手が、急に攻勢を強めてきたのだから。だが、其の変化に対応できる者は、其の場に一人もいなかった。
一人、また一人と、リュートの剣と魔法によって、戦闘不能に追い込まれていく。淡い光と共に、人形が反応し、其の姿が消えていく。防御を捨てた分、動きの速度そのものが変わっていた。躊躇いを削ぎ落とした分だけ、一撃一撃の判断が早くなる。
其の最中、頭の中に、念話の反応が届いた。
アリア(リュート、聞こえますか。状況が変わりました。私の方を塞いでいたリクスが、突然、撤退していきました)
リュート(撤退?理由分かるか?)
アリア(分かりません。何かに気付いたような素振りで、急に背を向けて走り去っていきました。私を警戒していたとも思えない、妙な引き際でした)
リュート(気をつけろよ。何か裏があるかもしれないからな)
アリア(承知しています。ですが、道が開いたことは事実です。今から、其方へ向かいます)
其の報告に、リュートは僅かに眉を寄せた。リクスが突然引いた理由は分からない。何らかの指示があったのか、或いは、リクス自身の判断で、別の優先事項が生まれたのか。
可能性はいくつも考えられたが、其れを確認している余裕は、今のリュートには無かった。目の前の敵を捌くだけで、意識の大半が費やされていた。
リュート(無理に急ぐな。此方は、まだ持ちこたえられる)
アリア(分かっています。ですが、其れほど時間はかからないはずです)
其の言葉を最後に、通信は一旦途切れた。リュートは、意識を目の前の乱戦へと戻した。
其れからも、リュートは戦い続けた。数えていたわけではないが、感覚では、十人近くを此処までに戦闘不能へ追い込んでいた。防御を捨てた分、其の速度は、乱戦が始まった当初よりも、むしろ上がっているようにさえ感じられた。
だが、体力の限界も、確実に近づいていた。剣を振るう腕が、僅かに重くなり始めている。呼吸も、限界に近い荒さになっていた。
其の隙を、見逃さない相手がいた。
「また会ったわね」
金髪の女生徒・・・先程、みぞおちを打ち抜いて下がらせたはずの、双剣の使い手だった。膝をついていたはずの其の姿は、既に何処にも見当たらなかった。回復していたのか、最初から装っていたのか。判断する暇もなく、双剣が、リュートの死角から同時に振るわれた。
「っ──」
一撃は、辛うじて剣で受けた。だが、続く二撃目を、疲労した体は、完全には捌ききれなかった。刃が脇腹を掠め、鋭い痛みが走る。
「随分と派手にやったわね。おかげで、こっちも様子見しやすかったわ」
女生徒が、余裕を滲ませながら言った。息一つ乱れていない、其の落ち着きぶりが、逆に不気味だった。此処までの乱戦を、あえて距離を取って観察していたらしい。捨て身の攻勢で消耗していく相手を、最後に確実に仕留めるため、機を窺っていたのだろう。其の判断の冷静さは、素直に称賛に値した。
体勢を崩したリュートに、女生徒の追撃が続いた。技量というより、此処までの消耗の差が、其の一撃を決定的なものにしていた。反撃の一手を返そうとするが、体が、思うように動かない。
視界が、白く染まっていく。
「おっと・・・こりゃまずい・・・」
人形が、強い光を放つ。次の瞬間、リュートの体は、周囲の景色ごと引き剥がされるように、元の空間へと転移していった。
気づいた時には、リュートは、大訓練場の隅に設けられた安全区域に立っていた。周囲には、既に何人か、同じように送還された生徒たちの姿がある。誰もが、疲れた表情のまま、地面に座り込んでいたり、壁にもたれかかったりしていた。
体の痛みは、綺麗に消えていた。傷一つ残っていない。着ていた服の破れや汚れだけが、先程までの戦闘の激しさを物語っている。だが、其の代わりに、敗北したという事実だけが、はっきりと残っていた。
負けた。
悔しさより先に、妙に冷静な感想が浮かんだ。此処まで、よく持たせた方だとも思う。数の暴力と、遠距離からの継続攻撃、其の二つを同時に相手にして、十人以上を戦闘不能に追い込んだ。決して悪い結果ではない。
だが、其れで満足できるほど、単純な気持ちでもなかった。最後の一撃を防げなかった、其の一点が、妙に喉の奥に引っかかっていた。
近くの職員らしき人物が、水を差し出してくれた。礼を言って受け取り、一息に飲み干す。冷たい水が喉を通る感触に、ようやく人心地がついた気がした。喉の渇きが、思っていた以上に酷かったことに、其処で初めて気づいた。
其の時、意識の中に、念話が届いた。
クラウス(リュート、聞こえますか。送還されたと、其方の反応で確認しました)
リュート(あぁ、聞こえてるよ。此処からは、頼りにならないが)
クラウス(十分に、よくやってくれました。此処までの動き、私の位置からもある程度把握していました。十人以上を戦闘不能にしたのなら、上出来です。此処からは、私たちが続けます)
淡々とした声だったが、其の言葉には、確かな信頼が滲んでいた。労いの言葉を、飾らずにそのまま伝えてくる。此の人らしい、飾り気のない言い方だった。
リュート(アリアとアルフォンスは?)
クラウスリュート(アリアは、其方に向かっていましたが、送還の報告を受けて、方針を変えたようです。私たちと合流する方向に切り替えています。アルフォンスは、まだ距離があるようですが、無事です。レヴァルトも、何とか持ちこたえています)
リュート(分かった。此処からは頼む)
クラウス(・・私は、契約魔物を召喚します。此処までは、温存していましたが、状況を考えれば、出し惜しみをする段階ではなくなりました)
其の一言に、リュートは、僅かに目を見開いた。契約魔物、という言葉を、クラウスの口から聞くのは研修ぶりだ。
リュート(契約魔物・・・奥の手ってやつかな?)
クラウスリュート(そうです。普段は、あまり人前で使う機会がないので、黙っていました。此処からご覧に入れます)
其の声には、いつもの淡々とした調子の中に、僅かな自信のようなものが混じっていた。公爵家の子息として、あまり目立つ手札を安易に晒さない、という慎重さが、其の淡々とした口調の裏にはあったのだろう。
リュートは、安全区域の中から、画面越しの模擬の街並みを見つめた。此処から先の戦いを、直接見ることは出来ない。だが、念話を通して、其の行方だけは、追い続けることが出来る。
自分が此処で送還されたことは、悔しくないと言えば嘘になる。
だが、其の悔しさに浸っている時間は、恐らく、あまり長くは続かないだろう。二時間という制限時間の中で、まだ試合は動き続けている。アリア、クラウス、アルフォンス、レヴァルト。四人が、今も其の街の何処かで戦っている。
リュートは、安全区域の椅子に、ゆっくりと腰を下ろした。体は元通りに癒えている。だが、動く場所は、もう自分には無い。此処から先は、見守ることしか出来ない立場だった。其の事実を、改めて噛み締める。
隣に座っていた別のクラスの生徒が、ちらりとリュートを見て、小さく声をかけてきた。
「一組の代表か?派手にやってたな」
「・・・そう見えたなら、何よりだよ、」
短く返しながら、リュートは、意識の一部を、念話の回線に向け続けた。クラウスが何を召喚するのか。其の答えを、今は、じっと待つしかなかった。
あの淡々とした奴が、僅かに自信を見せるくらいだ。恐らく、期待して構わないんだろうな。
大訓練場の空を見上げながら、リュートは、静かに其の時を待った。遠くの空に、まだ夕暮れの色は残っていなかったが、二時間という制限時間の折り返しは、もうすぐそこまで迫っているはずだった。




