模擬戦闘試合(2)
視界を覆っていた白い光が、ゆっくりと晴れていった。
足元の感覚が戻ると同時に、リュートは石畳の上に立っていた。
周囲を見渡すと、石造りの建物が立ち並び、狭い路地と広めの大通りが入り組んでいる。夕暮れ前の柔らかい光が、屋根瓦の隙間から差し込んでいた。
人の気配はない。
生活感のある街並みでありながら、其処に住人の姿は一人も見当たらない。恐らく、此の空間そのものが、の魔法によって作り出された、精巧な模造の街なのだろう。
其の街並みには確かに見覚えがあった。オルディナシスの街並みに似てる。
以前、あの戦の最中に何度も歩いた道を思い出す。倉庫街の位置、大通りの幅、教会らしき建物の尖塔の形。細部までは覚えていないが、全体の雰囲気は、間違いなく其れに近かった。
当時は、緊張の中で駆け抜けた道だった。念話越しに飛び交う指示、いつ何が起きてもおかしくないという張り詰めた空気。
此処には其の全てが無いはずなのに、景色だけがそっくり重なって、リュートの中で奇妙な既視感を呼び起こした。今、其れとよく似た景色の中に、模擬戦という名目で立たされていることに、リュートは僅かな違和感を覚えた。
あの時は、守るべきものがあった。今回は、其れとは違う。だが、心構えの根本部分は、意外なほど似ている気がした。油断すれば、痛い目を見る。其れだけは、模擬戦であっても変わらない。
其の時、空から響くように、審判の声が周囲一帯に広がった。魔法で拡声されているのか、街全体に、はっきりと聞こえる声量だった。
「参加者に補足する。此の空間は、オルディナシス公爵領の街並みを参考に構築した。ただし、規模は実際のものより大きい。実在の建物や道と完全に一致するものではないことを、念のため伝えておく」
其の説明を聞きながら、リュートは、改めて周囲を見回した。
確かに、良く見れば、記憶にある道の幅と、目の前の道の幅が微妙に違う。角にあるはずの井戸が無かったり、逆に見覚えのない路地が新しく延びていたりする。
参考にはしているが、忠実な再現ではない。恐らく、実際の地形を知っている者が有利にならないよう、意図的に手が加えられているのだろう。
審判らしい、抜かりのない配慮だった。同時に、其れだけの規模の空間を、細部まで作り替えて維持しているという事実に、改めて其の魔力量の異常さを実感させられた。
「二時間後、空間は縮小を開始する。では、健闘を祈る」
淡々とした言葉だったが、其の一言で、模擬戦という名目の緊張感が、一気に現実味を帯びた気がした。
其の一言を最後に、声は途切れた。
静寂が街に降りた。風の音すら、僅かに不自然なほど静かだった。
リュートは、まず周囲を軽く見て回ることにした。石畳の道を数歩進むと、両脇に並ぶ建物の窓には、明かりが一つも灯っていない。扉も、覗き込むと固く閉ざされている。人が暮らしている痕跡はあるのに、生活の気配だけが抜け落ちている。其の落差が、妙に落ち着かない感覚を呼び起こした。
大通りの先には、記憶にある教会の尖塔とよく似た建造物が見えた。だが、其の周囲に並ぶはずの露店が此処には無い。細部の違いは、確かに審判の言った通りだった。参考にはしているが、忠実な再現ではない。逆に言えば、此の空間に慣れている者などいない、ということでもある。地の利は、誰にも存在しない。
其の点だけは公平だ。
リュートは、深く息を吸い込みながら、意識を集中させた。
魔力感知を展開した。
視界には映らない範囲まで、感覚が広がっていく。周囲の生物、特に魔力を持つ存在の位置と、おおまかな密度が、頭の中に地図のように浮かび上がってくる。縦長の板状に絞って展開する。
アリアたちは近くにいないな。
自分の周囲、最も近い味方の反応は、思ったより離れた位置にあった。散らばって転移する、という説明があった通り、五人がまとまって同じ場所に降ろされたわけではないらしい。等間隔に配置する、という配慮自体は、恐らく事故を防ぐための処置なのだろう。だが、其れは同時に、開始直後から単独行動を強いられることも意味していた。頼れるのは、まず自分自身の判断だった。
そして、其れよりも気になる情報が、次々と探知に引っかかってきた。
囲まれてる。
自分を中心にして、複数の方向に、明らかに知らない生徒の反応がある。反応の密度から見て、恐らく別々のクラスの集団だろう。一定の間隔を空けて転移させられているのは間違いなさそうだが、其れはあくまで初期配置に過ぎない。時間が経てば、其の間隔は簡単に詰まる。
リュートは、頭の中で位置関係を整理した。北東の方向に一団、五人前後の反応がまとまって存在している。南西にもう一団、其方も同程度の規模。東の方角にも、単独に近い反応が一つ。数の少なさから見て、其の東の反応は、恐らく偵察目的で先行している一人だろう。
挟み撃ちにされるリスクは、決して低くない。此処に長く留まる理由もない。等間隔の配置だからといって、安全が保証されているわけではないことは、状況を見れば明らかだった。
リュートは、三方向の反応を、それぞれ改めて見極めようとした。北東の一団は、反応の揺れ方から見て、恐らく既に動き始めている。南西の一団は、まだ其の場に留まっているような、静的な印象だった。様子見をしているのか、単に此方に気づいていないのか、其処までは判断できない。東の単独反応は、動きが小刻みで、明らかに索敵行動を取っている。
北東が、一番警戒すべき。
数の多さと、動きの速さ。其の二つを考えれば、真っ先に対応すべきは北東の集団だった。五組かどうかまでは、探知だけでは分からない。だが、其の可能性を、頭の片隅から追い出すことは出来なかった。
もし、其れがルーベルトたちのクラスだったとしたら。
其の考えが浮かんだ瞬間、リュートは意識的に、其れを脇へ退けた。今は、誰であるかを推測することより、目の前の脅威にどう対応するかを優先すべきだ。感傷は、後でいくらでも整理できる。今の段階で北東の反応が五組だと決めつける根拠も、実際には無い。十組もある以上、可能性としては十分の一に過ぎない。
腰の人形。渡された安全装置代わりの小さな人形の存在を、リュートは一瞬、指先で確かめた。此れがある限り、命そのものを落とすことはない。其の事実が、僅かながら、判断の背中を押してくれる。全力で構わない、という許可のようなものだった。
とはいえ、其の安心感に甘えるつもりはなかった。此れはあくまで最後の保険であって、頼るための道具ではない。頼らずに済む立ち回りを、常に優先すべきだった。
リュートは、念話を起動した。以前、あの戦の折に、必要に迫られて身につけた技術だった。まさか、こんな形で日常的に使うことになるとは、当時は思ってもみなかった。
リュート(聞こえる?状況を伝えるてもいい?)
アリア(聞こえます。其方は?)
アリアの声だった。心なしか、緊張が滲んでいる。だが、其の奥に、落ち着きを保とうとする意志も感じられた。
リュート(合流地点から少し離れた場所に転移したらしいな。周囲に、複数の組の気配があるし。北東に一団、南西にもう一団、それと東に一人。最悪な初期地だよ)
アリア(・・・危険ですか?)
リュ―ト(今すぐ、というほどではないな。距離はまだあるし。が、長居はしたくない状況だな)
アリア(クラウスとアルフォンス、レヴァルトは?)
リュート(各自、状況を確認中だ)
クラウスの声が、念話越しに割り込んできた。淡々とした口調は、緊迫した状況でも変わらない。
クラウス(分かりました。私は、南に少し離れた場所にいます。周囲に、明確な敵性反応は今のところありません。合流には、少し時間がかかりそうです)
リュート(俺は、リュートの北西だな。多分、此処にいる中では一番近い。が、間に建物が多いな。真っ直ぐには行けないな、此れは・・・)
アルフォンスの声も続いた。だが、其の位置からでも、すぐに合流できる距離ではないらしい。地形自体が、味方の合流を難しくしている。
アリア(私が、一番近いです)
其処に割り込んできたのは、アリアだった。
クラウス(距離を確認しました。今から向かえば、そう時間はかからないはずです)
リュート(無理はするなよ?)
アリア(大丈夫です。北東の集団は、私の魔力感知でも一瞬ですが、捉えてることができます。其方に近づく前に、私が合流します)
其の判断に、迷いは感じられなかった。リュートは、少し考えてから、頷いた。念話越しでも、其の間は自然と伝わったはずだった。
リュート(分かった。頼む。合流したら、次の動きを決めるぞ)
アリア(すぐに向かいます)
其の声には、迷いよりも、確かな意志の強さが滲んでいた。半月の合同訓練で見てきた、彼女なりの成長が、其の一言だけでも伝わってくる気がした。
リュート(んで、レヴァルトは?)
レヴァルト(・・・すみません、ちょっと迷ってて位置が)
リュート(慌てなくていいぞ。今は動かず、周囲の警戒に専念)
レヴァルト(分かりました。・・・すみません、足を引っ張って)
リュート(其れは今考えることじゃない。無事でいることが優先だ)
短いやり取りだったが、其の声には、以前より落ち着きが感じられた。合同訓練の日々が、確かに其の一端を支えているのだろう。
念話が一旦途切れた。
リュートは、其の場に留まりながら、周囲への警戒を強めた。無闇に動くより、味方が来るまで、位置を維持する方が合流しやすい。街の建物を背にして、視界の確保できる位置を選び直す。石造りの壁に背をつけると、少なくとも背後からの奇襲だけは防げる。腰の剣に手をかけたまま、呼吸を整えた。
あとどれくらいか。
アリアの魔力が少しずつ、自分の方へ近づいてくるのが分かった。焦る必要はない。北東の集団も、南西の集団も、まだ其れほど接近していない。此のまま合流できれば、二人で態勢を整えて、次の行動を考えられる。序盤から無理に戦う必要はない、という自分自身の方針を、改めて頭の中で確認する。
遠くで、微かに何かが崩れるような音が響いた。此の街のどこかで、既に別の組同士が接触しているのかもしれない。
だが、其の油断が、少しだけ甘かったのかもしれない。
そう思った、其の時だった。
魔力感知の中に、複数の急激な反応が浮かび上がった。位置は、北東。先程まで一団としてまとまっていた反応だ。そこから魔力が沸き上がってる。
リュートは、視線を其の方向へ向けた。
石造りの家々の隙間、大通りの奥。其処から、複数の橙色の光が、宙を切り裂くように、こちらへ向かって飛んでくるのが見えた。橙色の光は、屋根の輪郭を照らしながら、まっすぐにリュートの立つ位置を目掛けていた。空気を焦がすような熱が、まだ距離があるにも関わらず、肌に伝わってくる気がした。
火球。しかも、一つや二つではない。数えるだけでも、四つか五つはある。着弾までの軌道を、頭の中で瞬時に計算する。速度、間隔、着弾までの秒数。全てが、悠長に構えていられる数字ではなかった。心臓が、一段階、大きく脈打つのが分かった。
見つかったか。それとも、初めから察知されてたか。
考えている暇はなかった。北東の集団は、恐らく最初からリュートの位置を把握していた。此方の探知が届いていたなら、向こうの魔力感知も同程度に届いていたはずだ。油断していたわけではないが、其れでも初撃を先に取られた形になる。此の一手をどう凌ぐかで、其の後の展開が大きく変わってくる。
考える時間は、多くない。アリアが到達するまでには、まだ僅かに間がある。此処で、其の間を、一人で凌ぐ必要があった。
複数の火球が、夕暮れ前の街並みを照らしながら、真っ直ぐにリュートへと迫ってきていた。其の光の軌跡だけが、静まり返った模擬の街に、鮮やかな色を刻んでいた。




