練習試合(2)
六月に入ってからの日々は、慌ただしさの中にも、一定のリズムが生まれていた。
平日の放課後は、ほぼ全て指導に充てられた。日によってはルグと一対一、日によっては五人揃っての合同訓練。
ルグとの模擬戦は、初日のゼロ勝五敗から、少しずつ数字が変わっていった。一週間が経つ頃には、五戦一勝。二週間を過ぎる頃には、五戦二勝まで伸びた。決して楽な勝ち方ではない。一勝を得るために、何十回と同じ動きを繰り返し、其の度に指摘を受けて修正する。地道な積み重ねだった。だが、明確な手応えがあった。
「今日は、初動の隠し方が安定してきましたね」
「まだ半分も勝ててないですけど・・・」
「二週間でここまで伸びれば、十分な速度です」
ルグの評価は、いつも通り淡々としていたが、其の言葉に嘘はないと分かるようになっていた。時折、指導の後に軽く水分を渡してくれる素振りなど、細かな気遣いも見えるようになってきた。
合同訓練では、五人それぞれの特徴が、日を追うごとにはっきりしてきた。
アリアの読み合いは、実戦を重ねるたびに精度を増していく。数手先を読んだ上での駆け引きは、リュートですら簡単には崩せなくなっていた。
クラウスは、相変わらず相手の隙を見極める観察眼が鋭かった。動かないようでいて、常に全体を計算している。
アルフォンスは槍の間合いを活かした戦い方を、着実に洗練させていた。力任せだった初期の動きから、無駄が削ぎ落とされていくのが、傍から見ていても分かった。
レヴァルトは、正面からの戦闘より、状況を読んで立ち回る方向へ、少しずつ自分のやり方を作り始めていた。
「お前、最近粘るようになったな」
「アルフォンス様の陰に隠れているだけじゃ、そろそろ通用しなくなってきたので」
「そのまま肉壁になってくれ。」
「アルフォンス様、それ酷くないですか・・・」
軽口を交わしながらも、五人の間には、確かな連帯感のようなものが育ちつつあった。誰が一番強いか、という緊張感は消えていない。だが、其れとは別の、共に同じ時間を積み重ねている感覚があった。休憩の合間に交わす他愛のない会話も、少しずつ増えていった。
週末になると、五人での合同訓練は休みになったが、リュートは其れでも自主的に体を動かした。
誰かに見られているわけでもないのに、手を抜くという発想自体が、あまり自分の中に無かった。休みの日の朝、剣を振る音だけが寮の裏庭に響く。其の静かな時間も、思えば嫌いではなかった。
そんなある日の夜、リュートは寮の裏手にある、人気の少ない中庭に呼び出された。夕食を終え、部屋に戻ろうとしていたところに、廊下で小さく声をかけられた。周囲を気にするような、控えめな呼び方だった。
「ちょっといい?」
声をかけてきたのは、ルーベルトだった。其の後ろに、もう一人。月明かりの下、金色に近い髪が、静かに揺れていた。
「セラフィナも一緒か」
「久しいね、リュート」
セラフィナが、優雅に一礼した。学園内で見せる公爵令嬢然とした微笑みとは、少し違う。夜の中庭という場所のせいか、其の表情には、僅かに素の色が滲んでいた。
「公爵家のご令嬢様が、こんな時間にこんな場所で、何の用だ?」
「二人きりで話したかったので。ルーベルトの付き添いを兼ねて」
「付き添い?」
リュートが視線をルーベルトに向けると、彼は少し気まずそうに視線を逸らした。両手を、僅かに落ち着きなく動かしている。何度も見てきた癖だった。
「・・・伝えなきゃいけないことがあって。他の人がいる前だと、言いにくくて」
「言いにくいこと?」
「うん。俺、大会の代表になったんだ。五組の」
其の一言に、リュートは僅かに目を細めた。
「五人か。他のメンバーは?」
「アベルとフィン、それからリクスと、ルーラっていう子。皆、俺のクラスの友達」
「アベルとフィンもか」
以前、リュートのクラスの選考に見学として顔を出していた二人の姿を、リュートは思い出していた。まさか其の二人も、別のクラスで代表になっていたとは。数学教室で顔を合わせていた仲間たちが、いつの間にか、あちこちのクラスで代表という立場に収まっている。其の広がり方に、少しだけ驚きがあった。
「ルーラっていうのは?」
「俺と同じクラスの子。あまり喋らないけど、剣の腕は結構あるよ。前に一度、模擬戦で当たったことがあるけど、動きが読みにくくて、結構苦戦した」
「へえ」
「ちょっと変わった子でさ。強いのに、あまり目立ちたがらないっていうか」
「そうか」
短く相槌を打ちながら、リュートは頭の中に、まだ会ったこともない名前を一つ加えた。目立たないという評判のわりに、既にルーベルトから警戒されるほどの実力があるらしい。会う機会があれば、一度手合わせしてみたいという気持ちが、自然と湧いてきた。
「セラフィナは?」
「私は三年生だから、出場資格はない。が、観戦はするつもり」
セラフィナが静かに答えた。声のトーンは落ち着いていたが、其の目には、隠しきれない好奇心のようなものが見えた。
「わざわざ言いに来たのは、其れだけ?」
「・・・違う」
ルーベルトが、少し声を落とした。夜風に揺れる木々の音だけが、しばらく間を埋めた。
「もし、僕がリュートと同じ場所で戦うことになったら、其の時、どうすればいいのか、分からなくて」
其の言葉には、単純な緊張以上のものが滲んでいた。リュートに命を救われた過去を持つ人間として、恩人と剣を交える可能性を、どう受け止めればいいのか。其の戸惑いは、想像に難くなかった。今でも時折、あの洞窟での出来事が、ふとした瞬間に脳裏をよぎることがあると、以前ルーベルト自身が話していたことを、リュートは覚えていた。
「どうすればいい、も何も」
リュートは、努めて軽い口調で答えた。
「其の時は、其の時だ。全力で来い。手加減はしない。其れが、お前に対する礼儀だと思ってる」
「・・・礼儀?」
「本気で当たらなきゃ、お前に失礼だろ。俺はお前を、其れなりに買ってるつもりだ」
ルーベルトが、驚いたような顔をした。それから、ゆっくりと表情を緩めた。長い間、心のどこかで抱えていた何かが、少しだけ軽くなったような表情だった。
「・・・分かった。全力で行く」
「其れでいい。逆に、手加減されたら、俺の方こそ怒るからな」
「・・・怖いこと言うなよ」
ルーベルトが、久しぶりに見せる、あの洞窟で初めて出会った時と変わらない、少し情けない笑い方をした。其れを見て、リュートも小さく笑った。
セラフィナが、其のやり取りを見ながら、小さく笑った。普段の完璧な微笑みとは違う、少し意地の悪い笑みだった。
「良かったね~ルーベルト君。此れで心置きなく、リュートを叩き潰せるね」
「セラフィナ、其の言い方は語弊があると思うのですが・・・」
「え?私は事実を言っただけだが。手加減しないと言われたのなら、遠慮する理由もないでしょう?」
「其れはそうだけど、言い方ってものが・・・」
ルーベルトが、慌てたように反論する。其のやり取りを見ていると、リュートも思わず口元が緩んだ。此の二人の掛け合いは、いつ見ても飽きない。
「セラフィナ、お前もあまり煽るなよ・・・ルーベルトが困ってるだろ?」
「?・・・私は応援しているだけなんですけど、優しい嘘なんですけど?」
「優しさ一切ない気がするが?」
「其れが私の優しさ。分かる?」
平然と言い切るセラフィナに、リュートは半ば呆れながらも、其の切り替えの早さに、少し感心していた。学園で見せる完璧な令嬢の顔と、此処で見せる素の顔。
「てか、お前の頭ン中の辞書に優しさって言葉あったんだ。何か意外・・・」
「あ、ごめん。たった今、頭の中の辞書に優しさって言葉が消えうせたわ」
「おっと・・・これはマズイ。」
夜風が中庭を吹き抜けた。二人のやり取りを眺めながら、リュートは、其の空気が、思っていたより悪くないと感じていた。
「其れで、此の話、俺以外には?」
「言ってないよ。てか、時間結構経ってるな。戻った方がいいよ」
「あ、ホントだ。もうすぐ就寝時間だ。んじゃ、セラフィナ、また今度」
「ほんじゃ、私もう寝るわ。おやすみ~」
セラフィナが欠伸をしつつも、優雅に踵を返した。夜の暗がりの中でも、其の所作だけは、公爵令嬢としての品を崩さなかった。
ルーベルトも其れに続きながら、最後にもう一度、リュートを振り返った。
「・・・ありがとう、リュート」
「何がだよ」
「全部」
短い言葉だったが、其れで十分だった。あの日、洞窟で交わした約束が、こんな形で今も続いていることに、リュートは改めて、不思議な感慨を覚えた。
二人の背中が、夜の中庭に消えていくのを、リュートはしばらく見送っていた。
五組か。
同じ大会の中に、今まで意識していなかった名前が加わった。ルーベルト、アベル、フィン、リクス、そしてルーラという未知の名前。此の五人が、何処かで自分たちとぶつかる可能性がある。個人戦になるか団体戦になるか、まだ分からない以上、其の可能性を消すことは出来ない。
決意を新たにしたルーベルトの顔を思い出しながら、リュートは寮の自室へと戻る道を歩き出した。
手加減はしない、と口では言った。其れは本心だ。だが、其の言葉の裏で、少しでもルーベルトが良い戦いをできるようにと願っている自分がいることも、否定はできなかった。矛盾しているようで、其れほど矛盾していない感情だった。
大会まで、残された時間は、まだ半月ほどあった。此処からの日々を、どう積み重ねるか。其れ次第で、当日の景色は、大きく変わってくるはずだった。
寮の窓明かりが、夜道の先に見えてきた。リュートは、其の光に向かって、静かに歩を進めた。
翌日からも、日常はいつも通りに続いた。ルグとの模擬戦、五人での合同訓練、数学教室の指導。其の合間に、ふと、昨夜の中庭でのやり取りを思い出すことがあった。ルーベルトの決意を込めた表情も、セラフィナの意地の悪い笑みも、まだ鮮明に残っている。
大会当日、其の五組と対戦することになるかどうかは、まだ分からない。個人戦か団体戦かも、当日まで明かされない。だが、其の不確かさこそが、今の自分に必要な緊張感を保たせているのかもしれない、とリュートは思った。
半月後、体育館の外に広がる訓練場で、次の合同訓練が始まる。今日もまた、其の一歩から積み重ねが始まる。誰と戦うことになっても、後悔だけはしないように。其れだけを、リュートは静かに心に留めていた。




