アンケート
三時間目以降の授業はいつも通りに進んだ。エルナもケルビも、午前の結果を引きずる様子は見せず、休み時間には既にいつもの調子に戻っていた。其の切り替えの早さは、リュートから見ても悪くないと思えた。負けた事実を、いつまでも引きずらない。其れも一つの強さだ。
数学の授業では、いつも通りエルナが積極的に手を挙げ、歴史の授業では、クラウスが淡々と正確な答えを返していた。午前の緊張が嘘のように、教室の空気は普段通りに戻っている。此処が学園の良いところだ。何が起きても、翌日には日常が戻ってくる。
放課後になると、リュートたち五人は、ルグに指定された空き教室に集まった。
リュートは教室の前に貼られた一枚の紙に目を留めた。ルグが既に用意していたらしい、六月のカレンダーだった。
「今日から、大会までの間、皆さんには個別の指導時間を設けます」
ルグが教壇の前に立ち、カレンダーを指し示した。
「六月一日から十九日まで。土日は除きます。此の期間の中で、指導に使える日を、各自マークしてください」
「毎日じゃなくていいんですか?」
アリアが尋ねた。
「毎日は、私も皆さんも、体力的にも予定的にも厳しいでしょう。無理のない範囲で構いません。ただし、多い分には問題ありません」
淡々とした言い方だった。無理はしなくていいと言いながら、多い方が望ましいという本音も、しっかり滲んでいる。此の人らしい言い回しだ、とリュートは思った。
配られた紙には、六月一日から十九日までの平日が、一日ずつ枠になって並んでいた。数えると、十五日分ある。土日が四日除かれている分、思ったより少ない印象だった。
「私、来週は家の用事が何日か入っていて・・・」
アリアが、指を折りながらカレンダーを睨んでいた。侯爵家の娘という立場上、公式行事や来客対応など、決まった予定が定期的に入るらしい。
以前、雑談の中で聞いたことがあった。来客の日程は直前に決まることも多く、確定している分だけを、慎重に印していく。全部を確定させてから決めたい、という性格が、其の書き方にも表れていた。
「二週目は、ほとんど埋まってる・・・」
呟きながら、アリアは残った枠に丸をつけていった。空欄の少なさに、少し悔しそうな顔をしている。
「クラウスは?」
「私も、月の半ばに家の行事が一つ。其れ以外は、恐らく問題ありません」
クラウスが淡々と答えながら、紙に丸をつけていく。無駄のない筆致だった。公爵家の長男という立場でありながら、其の予定の少なさに、リュートは少し意外な印象を受けた。此処最近、クラウスの家庭事情については、あまり詳しく聞いたことがない。
「意外と自由人なんですね」
「其の分、行事のある一日は、他の何倍も重いですけどね」
クラウスは表情を変えずに、そう付け加えた。冗談なのか本音なのか、判断がつかない口調だった。
「家のことなんぞ俺には関係ねぇ。気にする必要はねぇな。槍の稽古が入る日だけは避けてぇが・・・」
アルフォンスが、ぶつぶつ言いながら数日にバツを付けていく。グランディール家の稽古は、代々厳しいと聞いたことがある。其れを理由に休むという発想がないあたり、此の男らしいと。
「アルフォンス様の稽古の日、把握してますので、合わせます」
「お前、いつも通り察しがいいな」
レヴァルトが、アルフォンスの予定に合わせるように、静かにカレンダーへ視線を落としていた。自分の予定というより、主に合わせる形での調整らしい。其れも一つのやり方だ、とリュートは思ったが、口には出さなかった。
「レヴァルト、お前は自分の予定で決めていいんだぞ?」
「・・・特に無いので、大丈夫です」
「其れ、俺に気を遣ってねぇか?」
「気を遣ってはいません。本当に、予定が無いだけです」
「ニートじゃねぇか。」
淡々と返すレヴァルトに、アルフォンスは少し複雑な顔をしていたが、それ以上は追及しなかった。
其処まで見て、リュートは自分の紙に視線を落とした。
特に、予定はないな。
剣の鍛錬は毎日している。だが、其れは決まった時間でも決まった場所でもなく、暇があればやる、という程度のものだ。誰かに合わせる必要もない。学園に来る前の生活が、そもそも自分一人で完結していたことも大きい。予定を埋めるという発想自体、あまり馴染みがなかった。
十五日分の枠を、上から順に、迷わず丸で埋めていった。書き終えるまでに、他の四人よりも明らかに早かった。迷う要素そのものが無いのだから、当然と言えば当然だった。
「・・・リュートさん、早いですね」
隣で書いていたアリアが、横目でリュートの紙を見て、少し驚いたような顔をした。
「ん? あぁ、全部丸だ」
「全部・・・十五日、全てですか?」
「ずっと暇人だからな」
短く答えると、アリアは何か言いたそうな顔をしたが、結局「・・・そうですか」とだけ言って、視線を自分の紙に戻した。
「リュートさんの予定表を回収します」
ルグがそう言って、リュートの紙を真っ先に手に取った。数字を確認するように、一瞬だけ紙に目を落とす。
「・・・十五日中、十五日ですか。分かりました。優先的に組み込みます」
「多い方がいいんだろ?」
「はい。助かります。正直に言うと、五人分の予定を調整するのは、私にとっても骨が折れる作業です。一人でも動かしやすい予定があると、其れだけで組みやすくなります」
珍しく、ルグが少し具体的な事情を口にした。普段はあまり自分の手間について語らない人だ。よほど調整が大変なのだろう、とリュートは察した。
素っ気ない態度の裏に、其れなりの本音が見えた気がした。
他の四人も、順に紙を提出していく。アリアは八日、クラウスは十二日、アルフォンスは十日、レヴァルトはアルフォンスに合わせた形で九日ほど。それぞれの生活の形が、紙一枚から透けて見える気がした。
「思ったより、皆さんばらつきがありますね」
ルグが五枚の紙を並べながら、独り言のように言った。誰の生活にも、其れぞれの事情がある。当然のことだが、改めて数字にすると、其の差がよく見えた。
「其れも参考にして、日程を組みます。では、来週から順次、指導日を決めて連絡します。今日はここまでとします」
ルグの一言で、五人は教室を後にした。廊下を歩きながら、アリアが隣に並んできた。
「リュートさんって、本当に学園の外では、何もしていないんですね」
「おいコラ。」
「意外です。あれだけ強いのに」
「強さと予定の多さは、別に比例しないし」
「其れは、そうですけど」
アリアは小さく笑って、それ以上は追及してこなかった。
窓の外では、夕方に近い光が、校舎の廊下を斜めに照らしていた。放課後特有の、静かで少しだけ間延びした時間だった。六月一日からの十五日間、其の内の何日かが、此処からの自分の日常に組み込まれることになる。
暇な日々も、そろそろ埋まってきた。
其れが悪いことだとは、思わなかった。むしろ、目的のはっきりした予定が増えるのは、悪くない変化だった。
「リュートさんは、寮まで帰りますか?」
アリアが聞いてきた。
「まぁ、其のつもり」
「私も同じ方向なので、途中まで」
二人で並んで歩き出すと、少し後ろから、クラウスとアルフォンスの声も聞こえてきた。
「アルフォンス様の稽古、私も一度見学してみたいですね」
「見学ぐらい構わねぇけど、退屈だと思うぞ?」
「其れはどうでしょうね」
レヴァルトは、其の会話には加わらず、少し離れた位置で静かについてきていた。主の予定に合わせることには慣れていても、其の会話にまで加わる立場ではないと、線を引いているようにも見えた。此処最近の距離感が、そのまま関係性を表しているようだった。
リュートは、鞄を肩にかけ直しながら、寮への道を歩き出した。
十五日という数字が、頭の中に残っていた。全て丸をつけた自分の予定表は、他の四人と比べると、確かに極端だったかもしれない。
だが、其れだけ時間を使えるということは、其れだけ多くを吸収できるということでもある。学ぶ側にとって、時間の余裕は、単純に武器になる。
大会まで、まだ時間はある。だが、其の時間の使い方次第で、結果は大きく変わるはずだった。指導が始まれば、今日の均衡が、また少し形を変えていくかもしれない。誰が誰に何を教わり、誰が誰より先に伸びるのか。其れも含めて、これからの日々を見ていくことになる。
さて、明日から、どんな指導になるんだろうな。
夕暮れの校舎を背に、リュートは寮への道を歩き続けた。




