念話
コルネットから戻って、五日間あった。
最初の二日は、カーベルの件で体が重かった。
矢の傷は光魔法と医療班で処置してあったが、痛みが消えるのに少し時間がかかった。動けないほどではないが。ただ、剣を振るには少し無理がある状態だった。其れもあって、最初の二日間は大人しくしていた。
大人しくしている、と言っても、何もしないわけにはいかなかった。
数学教室の課題の整理をした。広場の公園で魔法噴水を眺めながら。
コルネットで行った解説の内容を、もう一度頭の中で確認した。アランが四問目の符号の処理で詰まっていた。ケルビが五問目の解の公式で止まっていた。アリアとクラウスが六問目の確率で一箇所ずつずれていた。其れぞれの課題が、今どの程度解消されているかを確認する必要があった。
連絡を入れた。
前に、何人かに念話の使い方を教えたためか、連絡網が大きくなった。メンバーはアラン、ケルビ、アベル、クラウス、因みに、一番習得に時間がかかったのは、意外にもアリアだった。テストで繋げてみたりしたけど、至近距離ですら雑音だらけで、交信できるかはらはらしたよ。ま、二時間ちょいかかったが、交信できたし良しとしよう。
そんなことを、思い出してるとアランが最初に返事をしてきた。
アラン(リュート、符号のやつちゃんとできるようになったけん確認してくれん?)
リュートは問題を念話で送った。
因みに、この機能はルーベルトが偶然見つけた物らしく、対象の視界や記憶から取得した情報を、言葉ではなく「情報」として相手の精神へ直接転送するシステムだ。
送信者自身が内容を視認、または正確に記憶している必要があったり、極端に大量の情報を一度に送ると、送信者・受信者の精神に負荷がかかるという欠点も存在する。
が、紙に書かれた文章をそのまま相手へ送信できたり、地図・魔法陣・設計図・数式なども、見たままの形で共有できるという大きなメリットが存在している。
アランが解いて、送り返してきた。
正解だな。
リュート(合ってる)
アラン(やった!やっとや!何回もやったけん)
リュート(其れでいい。繰り返してできるようになった、という方が定着からね)
アラン(そういうもんなん?)
リュート(一回できただけでは忘れる。何度も解いて、考えなくてもできるようになって初めて身についたことになる。其れは剣術も同様だ)
アラン(なるほど。じゃあもっとやる)
リュート(やり過ぎで干からびるなよ。あと、アラン、アベル)
アラン、アベル((何でしょう?))
リュート(次、うるさく騒いだら君ら二人をこの念話から撲滅するから。)
アラン、アベル((すみません。))
其れなりに真剣にやっているらし。アランはやると言ったことはやる人間だ。博多弁で喋って、虫が嫌いで、感情が顔に出やすい。が、其の分、嘘をつく人間ではない。言ったことをやる、という点では信頼できる。
ケルビからも連絡が来た。
ケルビ(解の公式、もう一度自分でやってみた。五問目は解けた。でも、六問目の確率がまだ不安・・・)
リュート(六問目で詰まっていた場所を教えて)
ケルビ(場合の数を書き出す時、どの順番で書けばいいか分からなくなる)
リュート(一つ目の目を固定して、順番に書きな。一が来た時、二つ目は幾つが来れば条件を満たすか。其れを一から六まで順番に確認)
ケルビ(やってみる)
少しして返事が来た。
ケルビ(できた。順番を決めると抜けなくなるんだね)
リュート(法則を決めて機械的にやれば、抜けが出にくくなる)
ケルビ(分かった。ありがとう)
ケルビは几帳面な人間だ。一度理解すると、其れを正確に実行できる。ただ、方法が分からない状態だと手が止まりやすい。方法を示せば、其の後は自分で進める。教える相手として、やりやすい部類だ。
アリアからも連絡が来た。
アリア(六問目の確率、自力でもう一度解いてみました。今度は正解でした)
リュート(どこが違っていたか分かった?)
アリア(場合の数を書き出す順番が、前回は固定されていなかったことが原因でした。今回は一つ目の目を順番に固定して書いたら、抜けが出ませんでした)
リュート(七問目も自力でやってみてくれ)
アリア(七問目は座標の面積の問題ですね。補助点を使う方法は理解しました。やってみます)
リュート(何かあれば連絡してくれ。無理やったら、俺に聞くかルグ先、あとはそっちの家庭教師に聞きな)
アリア(ルグ先生も?あの人、体育担当の先生では?)
リュート(色々あって、問題解かせてみたら一時間ちょいで全問正解してたから、数学もかなりできる先生だぞ)
アリア(そうなんですね。)
アリアは真面目だった。自主性の課題を出すと、必ずやってくる。俺は、先生でもないのにきっちり出してくれる。其れも自分で考えてからやってくる。答えだけを聞きに来るのではなく、自分で試してから確認しに来る。其の姿勢は、教える側としては助かる。
クラウスからは少し遅れて連絡が来た。
クラウス(六問目の確率、計算の最後の足し算を間違えないよう、ゆっくりやり直しました。今回は正解でした)
リュート(確認作業の習慣がつきましたか)
クラウス(最後に一度、全体を見直す時間を取るようにしました。以前はそれをしていませんでした)
リュート(最後の確認は、どんな計算でも有効だぞ)
クラウス(一つ教えてください。確率の問題で、全部書き出す方法以外に、より速く解く方法はありますか)
リュートは少し考えた。
組み合わせの公式、という方法がある。が、其れを教えるには前提となる考え方が必要で、今の段階で詰め込むより、まず書き出す方法を確実にする方がよさそう。
リュート(今の段階では、書き出す方法を完全にできるようにする方が先。速く解く方法は、其の後でいい。土台がないまま公式を使っても、応用が効かなくなるからね)
クラウス(なるほど。分かりました。では、今は書き出す方法を確実にします)
クラウスは質問が的確だった。何が分からないかを、言葉で整理して聞いてくる。漠然とした疑問ではなく、具体的な疑問を持ってくる。貴族として育った中で、言語化する訓練が積まれているのだろう。
ルーベルトとアベルにも連絡した。
二人とも、七問目まで自力で解き直していた。
ルーベルト(八問目以降、いつ教えてもらえますか?)
リュート(授業が再開してから、日程を決める・・・といっても、俺は先生じゃないから、参加しなくてもいいが、)
ルーベルト(分かりました。楽しみにしてます。)
楽しみにしている。
数学の課題を楽しみにする。ルーベルトらしい感覚。学ぶことを純粋に楽しんでいる。其の姿勢が、いつも少し羨ましかった。
リュートが数学を解く時、楽しいという感覚が完全にないわけではなかった。ただ、其れは楽しさというより、整理できる、という感触に近かった。頭の中に散らばっていた情報が、式を解くことで整頓されていく感覚。其れが、どちらかといえばリュートにとっての数学だった。
楽しい、とは少し違うかもしれない。でも、嫌いではなかった。
三日目は、右腕の回復が進んできたため、剣の練習を再開した。
寮の近くにある練習場を使った。
一人で基本的な素振りから始めた。
右腕に力を入れるたびに、まだ鈍い痛みがあった。完全には戻っていなかった。ただ、剣を持てないほどではなかった。
素振りを続けながら、コルネットでのアリアとの練習を思い出していた。
十二勝九敗。
其れが今日、同じ条件で戦えば、どうなるか。アリアは毎回何かを修正してくる。此の五日間で、更に修正が進んでいる可能性がある。次に対戦した時、前と同じ手は通じないかもしれない。
其れが少し楽しみだった。
楽しみ、という言葉を使うと、先ほどルーベルトのことを考えていた時と繋がった。
嗚呼、俺も楽しいと思っているのか。
自分では気づいていなかったが、アリアとの練習を楽しいと感じているらしかった。戦闘として純粋に楽しんでいるというより、相手が変化してくることへの対応を考える部分が、面白いと感じているのかもしれなかった。
自分の感情の分析をしながら素振りをしている、というのも、我ながら変な時間の使い方だな、と思った。
素振りを続けた。
百回を超えたところで、右腕の痛みが少し増してきた。
今日はここまでにした。
明日も同じくらいやれば、授業が再開する頃には戻るだろう。
練習場から寮に戻る途中で、エルナに出会った。
「あ、リュート君」
「エルナ、何やってんだ?」
「今学校着いた所。家が近いから寮生じゃないんだよ。其れよりも、一つ聞きたいことがあって・・・」
「何だ?聞きたいことって?」
廊下で立ち話になった。エルナが問題用紙を取り出した。其処に自分で解いた式が書いてあった。
「七問目、補助点をCとして面積を分割するところまでは分かったんですけど、此処の計算で・・・」
エルナが式の一部を指した。
「高さをx座標の絶対値として取る、という部分の意味がまだ少し曖昧で」
「y軸からの距離を高さとして使っているからだな。x座標がマイナスの場合、距離を測る時に符号を無視する必要がある。其れが絶対値」
「距離だから常に正の値、ということですね」
「座標の値そのものではなく、軸からの距離を使っている、という意識を持てば混乱しにくくなるだろうな」
「じゃあ、座標がマイナスでも、距離として使う時は正にするってことかな?」
「その通りだ」
エルナが式を書き直した。
「できました。ありがとうございます」
エルナが少し笑った。
「・・・リュート君は、数学好きですか」
リュートは少し考えた。好きか嫌いか、で言えば。
「嫌いじゃないな」
「其れがリュート君らしい答えですね」
「そう?」
「好きです、とは言わないんですね」
「整理できる感触が面白い、という感覚はあるな。楽しい、とは少し違うかもしれないが、」
「十分好きだと思いますよ、それ」
エルナが答案を仕舞いながら言った。
「次の数学教室、楽しみにしています」
「日程を作らないといけんからしばらく先になるかも」
「分かりました。ではまた、」
エルナが別の方向に歩いていった。
其の後ろ姿を見送りながら、リュートは少し考えた。楽しみにしている、という言葉が、今日二度出てきた。
ルーベルトも、エルナも、楽しみにしていると言っていた。
教えることを楽しみにしている人間がいる。其れが不思議な感覚だ。教えられる側が楽しみにする、という構図は分かる。ただ、其れが自分への楽しみとして向けられていることが、まだ少し慣れない。
コルネットで、初めて教えると言った時、アリスが「リュート君って教え方が上手ですね」と言っていた。
クラウスも「教えるのが得意なんですね」と言っていた。
今まで、そういうことを考えたことがなかった。
教えることが得意かどうか、面白いかどうか、そんなことを気にする必要がなかった。一人で動くことの方が多かったから。
今は、一人ではなかった。其れが、少しずつ変わってきていた。
寮の扉を開けた。部屋に入ると、アランが珍しく早起きして、数学の問題と向き合っていた。
「まだやってるのか?」
「やる言うたからな。あ、これ合ってる?」
紙を差し出してきた。
確認した。
「お、合ってる」
「よっしゃ。次の問題」
アランがまた筆を動かし始めた。其の横でケルビが本を読んでいた。
リュートはベッドに座った。
右腕を少し動かした。痛みが、さっきより少し引いていた。
五日間の休みの中で、色々なことがあった。カーベルの報告書を書いた。数学の課題の確認をした。剣の素振りをした。エルナと廊下で話した。
特別なことは、何もない。が、其れが今は十分だと思えた。
明後日から授業が再開する。模試戦闘大会まで、まだ時間がある。やることは整理できていた。
アランが「此処が分からん」と言いながら紙を向けてきた。リュートは其れを受け取り、どこで詰まっているかを確認した。
「あーね。此処の展開、括弧の中にマイナスがついているから、中身の符号が全部逆になるぞ」
「また此処か。」
「同じ場所で詰まっているなら、其処を集中的にやった方がいい」
「分かった。もっかいやる」
「何なら、其処の部分だけで100問問題作っちゃか?」
「いや、問題ないっす。」
アランが紙に向かい直した。窓から夕暮れの光が差し込んでいた。
普通の夕方だった。




