戴きます
【カラミス】
作戦が機能していた。
城壁の上の防衛が、目に見えて乱れ始めていた。穴が開いた場所を的確に突く。穴を塞ごうとすると別の場所が薄くなる。其の繰り返しで、防衛ラインが少しずつ削れていた。
今夜は上手くいく。
内心で、そう思っていた。
今夜は作戦が予定通りに機能していることへの、純粋な手応えがあった。
「東側、第四波の準備をしろ」
配下に指示を出した。
「城壁の上の防衛が薄くなっている地点を確認してから動かせ。最も手薄な場所に集中させろ」
「了解しました」
配下が動いた。
カラミスは城壁を見続けた。
順調だ。
其の確信が、変な感覚を生んだ。
嫌な予感、と呼ぶしかない感覚だった。
此の感覚は、経験から来るものだ。長く生きて、多くの戦いを経験してきた中で、時々出てくる。普通ではない何かが、近くにいる時に出る感覚だ。
城壁の方向ではなかった。
其の感覚の出所が、城壁の上にある存在からではなかった。
城壁の近く、という感じでもない。もっと、此の戦場全体を俯瞰している場所から来ている感じがした。
見られている。
其れが最も近い表現だった。
こちらより格上の存在が、此処にいる。
其の感触があった。
確認しようとした。周囲を感知した。軍勢の中には其の存在は感じない。城壁の上にもない。
何処だ。
カラミスは探したが、見つからなかった。が、嫌な予感は消えなかった。
「周囲の警戒を上げろ」
配下に言った。
「何かあったのですか?」
「分からない。ただ、警戒しておけ」
配下が動いた。
カラミスは城壁を見続けながら、其の感覚が何処から来るのかを探し続けた。
【■■■■■■■■】
城壁から少し離れた、小高い石の台の上に、白い影があった。
猫だった。
白い毛並みが月明かりに映えていた。金色の目が、城壁の上と、カラミスの軍勢と、其の全てをゆっくりと眺めていた。
大きなあくびをした。
口を閉じてから、また戦場全体を眺めた。
城壁の上で防衛側が崩れていた。軍勢側が其の穴を突いていた。其れなりに激しい戦いだった。
ただ、其の眺め方は、戦いを心配している目ではなかった。品評している目でもなかった。
ただ、観察していた。もう一度あくびをし、独り言のように言った。
「やっぱ此奴ら、どんくさいな」
其の声を聞いた者は、その場に誰もいなかった。
次の瞬間、其の白い体が光に包まれた。転移魔法だった。展開の精度が、人間の魔法使いとは桁違いだった。詠唱もなかった。準備動作もなかった。
其処に何かが跳んだ。
魔王軍の援軍だ。
城壁から遥か遠く、夜の草地の向こう、2万の軍勢の本陣に、白い影が音もなく現れた。本陣の天幕の中に、複数の気配があった。
白い影は其処を一瞥して、天幕の外の石の上に乗った。また丸くなった。
尻尾がゆっくりと揺れた。
本陣の中の気配が、白い影に気づいた。
「何者だ・・・」
声がした。
白い影は答えなかった。
ただ、金色の目が、天幕の方向を一度だけ見た。
それから、また城壁の方向を向いた。
【リュート・アルス】
戦況が少しだけ傾き始めていた。
防衛側の崩れが、騎士団長の声掛けと、リュートが周囲に繰り返し伝えたことで、僅かに落ち着いてきていた。完全に立て直せたわけではなかった。違和感はまだある。ただ、最悪の状態からは少し戻っていた。
城壁の上の連携が、ぎりぎりのところで機能し始めていた。
軍勢の数が、目に見えて減っていた。
最初に比べると、城壁の外の圧力が薄くなっていた。梯子部隊の動きが鈍くなっていた。正面からの圧力も、一時間前と比べれば明らかに弱まっていた。
このまま押し切れるかもしれない。
根拠がないわけではなかった。軍勢の数が減っている事実がある。防衛側が持ちこたえている事実がある。夜明けまで時間を稼ぐという当初の目的は、まだ達成できる範囲にある。
ただ、其の感触を完全に信じる気にもなれなかった。
おかしい・・・上手くいきすぎている。
一万の軍勢を率いた十三魔将が、此の程度で止まるはずがない。其の存在が、此れだけ単純な攻めを仕掛けてくるとは思えない。
正面と側面からの同時攻撃は、確かに効果的だ。防衛側の連携が崩れたことも事実だったし。
それでも、此れが全てとは思えない。
まだ何かある。
射撃を続けながら、リュートはその感触を頭の片隅に置いていた。
騎士団長が横に来た。
「押せるかもしれないな」
「そうですね、」
「だが、上手くいきすぎているな」
「俺もそう思います」
二人は同時に城壁の外を見た。
軍勢が減っていた。其れは事実だった。ただ、引いている様子はなかった。減っているが、撤退していない。圧力が弱まっているが、退く気配がない。
「戦力を温存しているのか?」
近くの冒険者が言った。
「恐らく」
「だとしたら、相当厄介だな。敵味方の戦力を見る限り、どっちも崖っぷちだ」
「だとしたら、どっちかが崩れればそれですぐに決着がつく・・・」
「ああ。だから・・・とりあえず気をつけとけ」
「安直だな。」
リュートは射撃を再開した。
【焦燥のカラミス】
念話を繋いだ。レヴァナに向けた念話だった。
応答がない・・・?
もう一度繋いだが、応答がなかった。
カラミスは少し止まった。
レヴァナが念話に応答しない、という状況は、想定していなかった。二万の軍勢を率いているレヴァナが、此の時間に念話を繋げない理由は、幾つか考えられた。戦闘中だ。あるいは、念話を意図的に遮断している。
ただ、後方から感じていた嫌な予感が、此の念話の不通と重なった時、カラミスの中で何かが引っかかった。
「レヴァナからの連絡は来ているか?」
配下に聞いた。
「来ておりません。予定では此の時間に接近の報告があるはずでしたが・・・」
「接近の確認はできているか」
「斥候が確認に向かっています。まだ報告が来ていません」
カラミスは城壁の方向と、後方の方向を交互に確認した。
後方から感じていた格上の存在の気配が動いていた。
本陣の方向から、二万の軍勢がいるはずの方向に向かって、其の気配が動いていた。
移動している。
其の速度が、尋常ではなかった。
「本陣の状況を確認しろ!」
「はい」
配下が走った。
カラミスは後方を見続けた。
格上の存在が、二万の軍勢の方向に向かっている。
レヴァナが念話に応答しない。
斥候の報告が来ない。
此の三つが重なった時、カラミスの中に初めて、不確かさの感触が出てきた。焦燥のカラミスにとって、自分が焦るという状況は、最も望まない状況だ。
だが、今夜は其れが出てきていた。
その焦りが、配下に滲み始めていた。
【■■■■■■■■】
二万の魔族の大軍が、夜の草地を進んでいた。
隊列が整っていた。松明が列を作っていた。其の先頭に、レヴァナの気配があった。第十二位の魔将が、其の軍勢を率いて、カーベルへの最終局面に向けて進軍していた。
其の軍勢の上空、夜の闇の中に、白い影があった。
猫だった。
空中に浮いていた。浮いている、という表現が正しいかどうか分からないほど、自然な佇まいだった。地面から十mほどの高さに、白い体がそのまま存在していた。
二万の軍勢を見下ろしていた。金色の目が、軍勢全体をゆっくりと眺めた。
先頭のレヴァナを確認した。後方の各部隊を確認した。隊列の組み方を確認した。
もう一度、あくびをした。
白い体が変わり始めた。
小さかった体が、広がり始めた。
1m。2m。
膨張する速度が上がっていった。
4m。6m。
白い毛並みが夜の中で光を帯びた。四本の足が草地に降りた。其の瞬間、地面が揺れた。軍勢の先頭から動揺が広がった。
8m。10m。
足元が揺れた瞬間、隊列が乱れた。
松明が揺れた。
10mを超えた。
其の体が、二万の軍勢の隊列のど真ん中に入っていった。
音もなく。
声もなく。
軍勢が崩れ始めた。後退しようとする者がいた。前の者が止まって後ろが押した。隊列が崩れた。松明が倒れた。
其の混乱の中で、誰かが叫んだ。
「滅界獣ネメシオン……」
震える声だった。
「災害級の中でも、最も破滅級に近い魔物が……何故此処に……」
其の声が、軍勢の中を伝わった。
滅界獣ネメシオン、という名前が伝わった瞬間、二万の軍勢の動きが変わった。
統率が崩れた。
後退しようとする者が増えた。前に進もうとする者と逆方向に動く者が衝突した。隊列が完全に乱れた。
ネメシオンは動かなかった。
―――――命に感謝を――――――
ただ、其処にいた。
金色の目が、崩れていく二万の軍勢を眺めていた。
その眼差しが、先ほどカーベルの城壁の上を眺めていた時と、まったく同じ温度だった。
興味があるのか、ないのか。
其れすら分からない目だった。
「戴きます。」




