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カラミス

平穏篇←平穏じゃない。

眠れねぇ。


理由は単純。猫のせいだ。


ベッドに横になった後、猫がリュートの胸の上に乗ってきた。重さは大したことなかったが、動くたびに爪が布を引っかいた。其の音がやけに気になった。猫を退かそうとすると、今度は枕の上に移動してきて、頭のすぐ横で丸くなった。


毛が鼻に触れた。体勢を変えると、今度は腹の上に戻ってきた。


此の猫、意図的にやっているのかもしれないと一瞬思った。


勿論そんなはずはない。猫にそういう意図があるわけがない。ただ、その動きが見事にリュートの寝付きを妨害していた。






天井を見ながら、横で丸くなっている猫を確認した。


今は大人しく眠っている。

こちらが眠れていないのに、此奴は熟睡している。


不公平すぎる。


リュートはまた目を閉じた。

コルネットから戻ってきた日に、ギルドに来て、カーベルまで来て、十三魔将の話を聞いて、帰ることになった。体は疲れているはずだった。眠れない理由は猫だけではないかもしれない。







頭の中に、カラミスという名前が残っていた。

十三魔将の第十三位。焦(・)燥(・)、という二つ名がついている。


焦燥とは、物事が思い通りに進まず、焦ったり、苛立つことを意味する。


だが、この世界の焦(・)燥(・)、という言葉が何を意味するのか。魔王直属の幹部が、なぜ今この時期にカーベルに向かっているのか。其れが単独の行動なのか、あるいは何か大きな動きの一部なのか。


考えていても、今夜答えは出ない。


目を閉じた。


其の時、音が聞こえた。

低く、繰り返す音だった。鐘の音とも違う。魔道具を通した音が、夜の街中に響いていた。

緊急招集のチャイムだ。


リュートは即座に起き上がった。

ギルドの緊急招集は、通常の依頼とは全く別の意味を持つ。街が危機的な状況に置かれている、あるいは其れに準ずる事態が発生した時にだけ鳴らされる音だ。冒険者ギルドの制度の中でも、最上位の緊急信号に当たる。


寝ていた体が、一瞬で切り替わった。

剣をアイテムボックスから取り出した。防具の確認をした。服を整えた。


其の間、数秒もかかっていなかった。


頭の上に、何かが乗ってきた。


猫だった。


さっきまで熟睡していたはずが、リュートが動いた瞬間に目を覚まして、素早く頭の上に移動してきた。其の速度が妙に鮮やかだった。


「・・・来るな」


猫は降りなかった。


「此処で待っていろ」


猫は動かなかった。

降ろそうとすると、爪が服を掴んだ。本気で離れない気らしい。


「・・・分かった。ただし、動くなよ」


猫が小さく鳴いた。


リュートは部屋を出た。


カーベルの夜の石畳を走った。

チャイムの音が断続的に続いていた。街の中に灯りが増えていた。窓から顔を出している市民もいた。騎士が走っていた。どの顔にも、緊張が出ていた。


冒険者ギルドに着いた。

建物の中に、既に多数の冒険者が集まっていた。昼間に城の大広間にいた顔もある。辞退した者の中にも、此の音を聞いて来た者がいるようだった。


ギルドマスターが正面に立っていた。

年配の男だった。白髪交じりの短髪で、体格が良い。長く此処でギルドを束ねてきた人間の風格があった。


「聞いてくれ、カラミスが動いた」


一瞬、空気が止まった。


「一万の軍勢を引き連れ、此処カーベルへの進軍を開始したとの報告が入った。現在の推定速度では、夜明けまでには城壁に到達する」


誰かが息を飲む音がした。

一万。其の数字が、広間の空気を変えた。


「騎士団と連携して防衛に当たる。冒険者には緊急依頼として防衛への参加を要請する。参加は任意だが、此の街に今いる人間として、力を貸してほしい」


ギルドマスターが全員を見渡した。


「報酬は保証する。だが、正直に言う。十三魔将が率いる一万の軍勢が相手だ。簡単ではない」


「逃げる選択肢はあるのか?」


誰かが聞いた。


「市民の避難は既に始めている。冒険者が逃げることは止めない。ただし、残ってくれる者に頼みたいことがある」


ギルドマスターが続けた。


「時間を稼いでほしい。市民が逃げる時間を作るために、城壁で持ちこたえる必要がある。其れだけでいい。カラミスを倒せとは言わない。時間を作ってくれ」


広間が少しの間、静かだった。

リュートはその静けさの中で、頭の上の猫が動かないことを確認した。


残る、という判断は既に決まっていた。

昼間に領主に帰るよう言われた。其れは正しい判断だった。だが、今夜の状況は昼間とは違う。一万の軍勢がこの街に向かっている。市民がいる。時間を稼ぐために戦える人間が必要だ。


自分が役に立てる場面がある、という判断は、感情ではなく事実として出てきた。

周囲の冒険者が動き始めた。残る者が前に出て、装備を確認し始めた。去る者は静かに出口に向かった。其れぞれの判断だ。


「こんだけ残ってくれるのか・・・」


ギルドマスターがそう言うと、リュートは人数を確認した。冒険者の殆ど(200人程度)が其処にいた。


「なら、お前等、行くぞ!」


この瞬間、ギルドマスターの強力な、短い言霊により、冒険者たちの士気が上がって、雄叫びが聞こえ始めた。







【カラミス】




カーベルの境界から十キロの位置に、軍勢が止まっていた。

月明かりの中で、一万の軍勢が静止していた。声もなく、動きもなく、ただそこにいた。其の静けさが、通常の軍勢とは別の種類の圧迫感を持っていた。


カラミスは其の最後尾に立っていた。


高身長。人間に近い形をしているが、角が三本生えており、肌の色が深い紫。目が細く、その瞳が金色に光っている。装備は軽い。重装備は好まない。動きを制限されることが、此の存在にとっては最も不快なことだった。


焦燥、という二つ名は自分では好んでいない。

ただ、世界がいつまでも同じ場所に止まっていることへの苛立ちが、行動の根底にあることは事実だった。停滞が嫌いだ。何かが動いていないと、体の奥から焦りのような感覚が湧いてくる。


カーベルを選んだのは、其処が魔族領への橋頭堡(きょうとうほ)になるからだ。

此処を落とせば、人間側の防衛ラインに大きな穴が開く。其処から内側に入れば、次の展開が速くなる。カラミスは其の計算を何度も確認していた。正しい、という結論が毎回出た。


だから動いた。

配下の一人が近づいてきた。


「カラミス様。カーベルの城壁に冒険者が集まっています。騎士団と合流した様子です」


「冒険者の数は?」


「把握できた範囲では、200~300人程度と思われます」


200~300人か。


カラミスは少し考えた。


一万に対して、三百以下の防衛戦力。数の上では問題にならない。ただ、城壁という地の利が向こうにはある。正面から当たれば、それなりの時間がかかる。


時間をかけることが、一番避けたいことだ。


「三方向から同時に当てろ」


カラミスは言った。


「城壁の正面と、東西の側面を同時に攻める。防衛戦力を分散させる。一か所に集中させない」


「東西の側面は城壁の高さが正面より低い地点がありますが・・・」


「其処を重点的に攻める。梯子隊を其処に集中させろ。正面は陽動だ。派手に動かして、防衛の目を正面に向けさせる」


「了解しました」


「魔法部隊は城壁の上を狙う。防衛している冒険者を城壁の上から排除する。其れと同時に梯子隊が登る。タイミングを合わせろ」


「はい」


「夜明けまでに落とす」


其の言葉が、配下に伝わった。


命令が各部隊に伝達されていった。一万の軍勢が、静止から動きに変わる準備を始めた。声は最小限だった。此の軍勢の練度が、其の静けさに出ていた。


カラミスは城壁の方向を見た。

カーベルの城壁に、灯りが増えていた。防衛の準備をしている。当然だ。緊急招集のチャイムを鳴らしたのは感知していた。向こうも、此方が動いたことを把握している。


其れでも此方が有利だ。


数の差は、地の利を覆す。其れが此の戦いの基本的な構図だ。


「五分後に動くか」


カラミスが言った。


「全部隊、作戦通りに動け。無駄に時間をかけるな。此処は速さが全てだ」


配下が散った。

カラミスは其の場で、城壁を見続けた。


灯りが増えていた。人の影が城壁の上に見えた。

防ごうとしている人間が、其処にいる。


其れが此の存在にとって、停滞の象徴に見えた。今あるものを守ろうとして、其処から動けない存在。変わることを恐れて、同じ場所に立ち続ける存在。


焦燥のカラミスが、最も苦手とする種類の存在だ。


「動け」


其の一言が、一万の軍勢を動かした。







【リュート・アルス】




城壁の歩廊に着いた時、すでに防衛の準備は始まっていた。


騎士が城壁の上に並んで、松明が等間隔に立てられていた。冒険者も其処に混じって配置についていた。遠くに、一万の軍勢が動き始めているのが見えた。月明かりの中で、其れは波のように広がっていた。


数を確認しようとしたが、意味がなかった。多い、という事実だけで十分だ。正確な数を把握したところで、今夜のやることは変わらない。


リュートは城壁の東側寄りの歩廊に立った。

城壁の上から外を確認すると、街道が正面に伸びていた。其の両側に草地が広がっていて、其処を無数の火が動いていた。松明の光だ。一万の軍勢が持つ松明が、夜の草地を埋め尽くしていた。


壮観だ。

其の感想が、恐怖よりも先に来たことが少し意外だ。恐怖がないわけではないが。


此れだけの規模の軍勢を目の前にした時、最初に来たのは其の光景の大きさへの、純粋な驚きに近い感覚だった。


頭の上で猫が動いた。


するり、と降りた。

歩廊の端の、少し高くなった石の突起の上に移動した。其処に乗って、城壁の外を見ていた。


「何を見ているんだ?」


猫は答えなかった。

まあいい。今は此方のやることに集中する。猫が移動したことは、特に気にしなかった。高いところに行きたかったのだろう。


リュートは外の状況を確認した。


魔力感知を薄く展開した。


走査が一周した。

反応が多すぎだ。一万という数の魔力反応が、感知の範囲を埋め尽くしている。個別に把握することは不可能っぽいな。が、全体の動きは分かる。正面から来てるな。其れと、東西の側面からも動きがある。


三方向か。


リュートは其れを把握した瞬間、歩廊にいた騎士の隊長らしき人間に声をかけた。


「東西の側面にも動きがあります。城壁の側面の高さが低い地点を確認してください」


隊長が少し驚いた顔をした。


「君は・・・」


「まだガキですが、一応冒険者です。感知で確認しました」


「側面を?」


「正面は陽動の可能性があります。側面から同時に来るつもりだと思います」


隊長が少し考えてから、すぐに動いた。指示を出して、側面の防衛に人員を回し始めた。

其れでいい。


リュートは正面に向き直った。


やることは決まっている。


水魔法だ。

今夜は単純な射撃で十分。城壁の上から、接近してくる軍勢に対して、水の弾を撃ち続ける。消耗を抑えながら、数を絞ってやれる範囲を決めて、其れを維持する。


最初の一発を撃った。

水の弾が夜の空気を切って、城壁の外の軍勢に向かって飛んだ。暗闇の中でも軌道が分かる。着弾した。

其の感触を確認してから、次を撃った。


リズムを決めた。三秒に一発。無理なく維持できる速度だ。威力を絞って、其の代わりに精度を上げた。遠距離から来る一体一体の魔族の動きを、感知で確認しながら撃つ。


周囲でも他の冒険者たちが動き始めていた。

弓を構えた者が矢を放った。魔法を使う者が炎や風の魔法を展開し始めた。騎士が城壁の上で連携して防衛ラインを整えていた。


最初の数分間は、其れなりに整っていた。が、リュートは違和感を感じ始めた。


最初は気づかなかった。

城壁の上の人間の動きが、僅かに乱れ始めた。

特定の誰かが何かをしたわけではない。全体的に、少しずつ動きの精度が落ちていた。弓を放つタイミングが早くなっていた。魔法の照準が粗くなっていた。騎士同士の連携に、小さなずれが出始めていた。


焦り。


皆が少しずつ焦り始めている。

リュートは其の変化を観察しながら、自分の射撃を続けた。三秒に一発のリズムは変えていない。


なんか変な感じがする。


自分の中にも、何かがある気がした。

胸の奥に、小さな引っかかりがあった。焦りとは少し違う。ただ、普段なら気にならないことが、今夜は少し気になっていた。次の一発を撃つタイミングを、少し早めようかという気持ちが、かすかにあった。

だが、理由がなかった。


リズムを変える理由がない。今のペースで十分機能している。其れにも関わらず、少し早めたいという感覚が出てきていた。


おかしい。


此れは自分の判断じゃないような感触があった。


自分の思考の流れの中に、自分ではない何かが混じっている気がした。


魔力感知を展開した。


周囲の人間の反応を確認した。皆の魔力が、普段と少し違う動きをしていた。乱れている、という感覚ではなかった。何かが加わっている、という感覚。


其れが何かを考えた。


城壁の外から来ている。

軍勢の中心部に、特別に密度の高い反応があった。一万の軍勢の中で、その存在だけが別の質感を持っていた。


カラミスだ。


其処から、何かが広がっていた。

波のように、緩やかに、しかし確実に城壁の上の人間に影響を与えていた。




焦燥伝染

それがカラミスの能力名。簡潔に言うと、焦りを周囲へ感染させる能力。

自身の能力の影響下にある人間が、一(・)人(・)だ(・)け(・)でも焦ると、仲間にも伝播し、指揮系統が崩壊し、連携が取れなくなる。だが、それはカラミスやその部下も同じ。自身の能力の影響下にある部下が焦ると、焦りが伝播して、指揮系統が崩壊し、連携が取れなくなる。


問題は、人間側に、此の情報が伝わっていないことだった。




射撃を再開した。三秒に一発のリズムを維持し、リズムを守り続けた。


三秒に一発。


水の弾が夜の空気を飛んでいった。

城壁の外で、一万の軍勢が動き続けていた。カラミスの反応が、其の中心に変わらずあった。


今夜の戦いは、力だけの話ではなかったらしい。


其の確信が、射撃を続けながら固まっていった。

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