猫
王都の外れに、カーベル方面に向かう馬車の乗り場があった。
定期的に運行している馬車で、王都とカーベルを結んでいる。時間を確認すると、ちょうど一台が出発直前だった。
運がいい。こういう偶然が重なる時は、大抵そのまま乗っておいた方がいいし、逃すと次まで時間がかかりそうだし。
「カーベルまで乗れますか?」
御者に確認すると、席がまだあるという。その為、乗り込むことにした
馬車の中には先客が数人いた。商人風の男、荷物を大量に持った女性、年配の夫婦。皆、それぞれの用事でカーベルに向かうのだろう。リュートには興味がない様子だった。
馬車が動き始めた。
王都の石畳から、しばらくして街道に出た。コルネットとは別の方向だ。景色が少しずつ変わっていく。草地が広がり、遠くに山が見える。魔族領の方向は、其の山の向こうになる。
リュートは依頼書を再度、見通した。
今回の依頼票には不可解なことがある。魔族の討伐、という表記だけで詳細が伏せられていた。
ということは何かある。
ただ、其れを確認するためにも、まずカーベルに向かう必要があった。
馬車が街道を進んでから、一時間ほど経った頃。
御者が急に速度を落とした。
「・・・何かいます」
低い声で言った。
リュートは既に感知していた。
街道の右側、草むらの中に複数の反応があった。Cランクの魔物が三体、それと少し離れた位置にFランクの小さな反応が一つ。
Cランクの三体が、街道に出てこようとしていた。
「止まらなくていい。そのまま進んでくれ」
「しかし・・・」
「俺が対処するから、」
リュートは馬車の扉を開けた。走行中の馬車から外に出た。着地と同時に剣をアイテムボックスから取り出した。
魔物が草むらから飛び出してきた。
甲殻を持つ大型の虫型魔物だった。コルネットで見た種よりも一回り大きく、体長は二メートル近くある。
クラウスが喜びそうだ。
そんなことを考えていると、三体が横に並んで、馬車の方向に向かってきた。
リュートは其の正面に出た。
三体が同時に向かってくる、という状況が視界に入った瞬間、体が動いた。
「破嵐斬!」
一合で二体の動きが止まった。衝撃波が横に広がって、並んでいた二体の甲殻に直撃した。三体目が別の角度から来た。リュートはそちらに向き直り、剣を振った。
甲殻が割れ、三体目が倒れた。
数秒の出来事だった。
馬車が止まっていた。御者が後ろを振り返っていた。商人の男が顔を出していた。
リュートは草むらの方向を確認した。Fランクの小さな反応が、まだそこにあるからだ。
草むらに近づいた。
白い小さな毛玉が、草の間で丸まっていた。
猫だった。
Fランクってことは恐らく、何らかの魔物らしいが、どう見ても猫にしか見えなかった。子猫ではないが、成猫より小さい。全身が白くて、目が金色。三体の魔物に囲まれていたらしく、草の匂いと血の匂いの中で、体を固くして震えていた。怪我はないようだった。
リュートはしばらくその猫を見た。
放置していけば、また別の魔物に遭遇するかもしれない。それに、此処は街道沿いとはいえ、カーベルまでまだ距離がある。
「乗るか?」
そう言ったが、猫に言葉が通じるわけがない。最上位に位置する奴らは除いて、魔物であっても同じく言葉は通じない。
ただ、猫はリュートを見上げた。金色の目が、こちらをじっと見ていた。怯えているわけではなかった。様子を確認している目だ。
しばらく目が合っていた。
猫が立ち上がった。トタトタと近づいてきて、リュートの足元で止まった。
「乗るつもりか・・・」
拾い上げた。軽かった。猫は抵抗しなかった。リュートの腕の中で少し落ち着いた様子になった。
馬車に戻った。
御者が安堵した顔で言った。
「ありがとうございます。助かりました」
「礼はいいよ。運賃は降りる時に払うから」
「いえ、運賃は結構です。あれだけの魔物を一人で対処していただいたのに、運賃を取るわけにはいきません」
「なら、お言葉に甘えさせていただく」
馬車に乗り込んだ。商人の男が、腕の中の猫を見て言った。
「其れは・・・」
「偶々拾った」
「そうですか・・・」
男はそれ以上何も言わなかった。
猫はリュートの腕から肩に移動して、其の後は頭の上に乗った。頭の上で丸くなった。
重くはなかった。
おかしな乗り物だと思いながら、リュートは頭の上の猫をそのままにしておいた。降ろそうとすると嫌がった。引っ掻かれそうになった。降ろさなければ大人しくしている。其れならそれでいい。
馬車が再び動き始めた。
カーベルが見えてきたのは、日が傾き始めた頃だった。
大都市。
王都にも引けを取らない規模の城壁が、地平線に広がっている。門が大きく、其処を通り抜ける人や馬車の流れが絶えない。市場の声が遠くから聞こえてくる。魔族領の近くとは思えないほど、活気がある場所だ。
それだけ長い歴史の中で、此処に根を張ってきた場所だということだろう。
馬車が門をくぐった。
石畳が整備された大通りが伸びていた。建物が高く、王都とは少し違う作りをしていた。街並みの細部に、此処独自の文化が出ていた。
降り場で馬車が止まった。
御者が再び礼を言った。リュートは頷いて、馬車を降りた。
頭の上に猫が乗ったままだった。
「お礼を申し上げます」
馬車の乗客の中に、荷物を持った女性がいた。先ほどの魔物の件で怖い思いをしたらしく、顔がまだ少し青かった。
「気にしなくていいよ」
「あの、其の猫は・・・」
「拾ったんです」
「カーベルでお世話できる方を探しますか?」
「大丈夫。今は其れより先にやることがあるから」
リュートは大通りを見渡した。目的地を確認しようとした、その時だった。
「冒険者の方ですか?」
声がした。
振り返ると、騎士の格好をした男が立っていた。カーベルの紋章が鎧についていた。
「そうだが・・・」
「ちょうど良かった。少々お時間をいただけますか。城の方に来ていただきたいのですが」
唐突だった。
馬車から降りて数分も経っていない。此処に来ることを事前に伝えていたわけでもない。
「理由を聞いても?」
「魔族の件で、冒険者の方々にご協力をお願いしたいと思っておりまして。ちょうど今、腕の立つ冒険者を集めているところです」
「あー・・・俺はギルドの依頼票で来た」
「存じております。ギルドとも連携していますので、到着された方にお声がけするよう手配していました」
なるほど。
ギルドの依頼票と、この案内が連動していたということか。依頼を受けた冒険者が到着次第、城に集めて詳細を伝える形になっているんだろう。
「分かった。案内してくれ」
「ありがとうございます。其方へどうぞ」
騎士が歩き始めた。リュートがその後に続いた。頭の上の猫が、揺れながら乗っていた。
城の大広間は、思ったより広かった。
天井が高く、柱が左右に並んでいる。正面に段があって、其処に椅子が置いてある。領主が座る場所だろう。
広間の中に、冒険者が多数いた。
数えると、三十人を超えていた。装備が様々で、剣士、魔法使い、弓使い、複数の職種が混在していた。その中に、見覚えのある顔もいくつかあった。
名の知れた冒険者パーティーだ。
リュートが冒険者登録をして間もない頃に、掲示板の前で名前を聞いたことがある。王都でも活動している、Aランク以上の冒険者で構成されたパーティーだ。実力については話に聞いていたが、直接顔を見るのは初めてだった。
広間に入った瞬間、幾つかの視線がこちらに向いた。
リュートを知っている冒険者は、普通の目で見た。会釈をしてくる者もいた。冒険者の世界での立場が、此処でも通じているということだ。
問題は、リュートを知らない冒険者の視線だった。
学園の制服を着た、見た目は十二歳の少年が、頭の上に白い猫を乗せた状態で大広間に入ってきた。
其の絵面が、リュートを知らない人間にとって何を意味するかは、想像に難くなかった。
白い眼で見られてるな。
何しに来たのか。場違いではないか。子どもが猫を連れて城に来た、という解釈をしている者もいるだろう。
特に気にしなかった。
どう見られても、やることは変わらない。リュートは広間の端に立った。頭の上の猫が、周囲の視線にも動じずに丸まっていた。此の猫は肝が据わっているな。
しばらく待った。
十分ほどして、広間の正面の扉が開いた。
カーベルの領主が入ってきた。
五十代ほどの男だった。体格が良く、顔に刻まれた皺が深い。長い年月を此処で過ごしてきた人間の顔だ。騎士を数人連れていたが、その歩き方には迷いがなかった。
領主が段の前に立ち、広間が静かになった。
「お集まりいただき、感謝します」
落ち着いた声だった。
「本日、皆さんにお集まりいただいたのは、魔族の件についてです。依頼票には魔族の討伐と記しましたが、詳細をお伝えできていませんでした。此処でその詳細をお話しします」
領主が広間全体を見渡した。
「此度、カーベルに接近している魔族は、通常の魔族ではありません」
一瞬、広間が静かになった。静かになった、というより、空気の質が変わった。
「魔王直属の幹部、十三魔将の一角です」
広間がざわめいた。
十三魔将、という言葉が広間に広がった瞬間、それまで落ち着いていた冒険者の顔が変わった。知っている者は表情が硬くなり、知らない者は周囲に確認するような目を向けた。
「第十三位、焦燥のカラミス」
領主がその名を告げた。
「カラミスは現在、カーベルの境界から二十キロメートルの位置に確認されています。単独行動ではなく、配下を引き連れています。規模についての詳細はまだ把握できていません」
広間がまた静かになった。今度の静けさは、さっきとは違う種類だった。
十三魔将。SSランク相当の攻略難易度。そういう存在が、此処から二十キロの位置にいる。其れを今から討伐しに行く、ということだ。
「辞退していただいても構いません」
領主が続けた。
「十三魔将との戦闘は、いかなる冒険者にとっても命の保証ができません。此処に残ることを強制する気はありません。辞退される方は、今この場で申し出ていただければ、報酬の一部をお支払いして此処で解散とします」
広間が少しの間、沈黙した。
其れから動きが出た。
最初に一人が立ち上がった。「辞退する」と言った。其の声が引き金になったように、次々と立ち上がる者が出てきた。
逃げる、という言葉は誰も使っていなかった。辞退する、という言葉を使っていた。ただ、動きの速さと顔の色が、其れが何を意味するかを示していた。
三十人以上いた冒険者が、半数以上が動いた。リュートは其の様子を眺めながら、少し考えた。
十三魔将。SSランク相当。確かに、普通の冒険者が正面から当たれる相手ではない。辞退するという判断は、決して間違っていない。命あっての冒険者だ。
ただ、リュートには残る理由があった。
報酬が高かった。其れと、レベル上げの機会として此処より良い機会はそう多くない。十三魔将と直接戦うつもりはないが、其の配下を相手にするだけでも、相当な経験になる。
残ることにした。
其の時だった。
「君」
領主の声がした。リュートに向いていた。
「・・・はい」
「若いな」
「そうですね」
「幾つだ?」
「十二です」
領主が少しの間、リュートを見た。頭の上の猫も見た。
「十二か・・・」
「はい」
「君の実力については、案内した騎士から少し聞いた。馬車の件もある。腕が立つことは分かる。それに、それなりの実績を持っていることも」
「有難うございます」
「だが・・・」
領主が少し間を置いた。
「此処にいるべきではない」
「……理由を聞いてもいいですか」
「若いからだ」
真っ直ぐな言葉だった。言い訳も、誤魔化しもなかった。
「十三魔将を相手にする戦いに、十二歳の子どもを巻き込むわけにはいかない。腕が立っても、経験がある冒険者でも、命の保証はできない。まして十二歳では」
「俺は自分の判断で残ろうとしています」
「分かっている。だから、強制はしない。ただ、私の立場から言えば、帰ってほしい」
領主の目が真剣だった。此の人間は、リュートの力量を軽く見ているわけではない。其の上で、年齢という理由で帰るよう言っている。
其れは合理的な判断だ。
十三魔将が相手なら、此処にいる残りの冒険者でも苦戦する可能性がある。俺が残って戦力になるかどうかは、相手の規模が分からない以上、判断できない。其れに、領主の言葉には、単純な力の話ではなく、此処で死なせたくないという意味が含まれていた。
感情論ではなく、其れも一つの合理だ。
「分かりました」
リュートは広間を出た。
騎士が宿屋の案内をしてくれた。廊下を歩きながら、頭の上の猫が少し動いた。
なんだかんだで、戦闘には参加できなかった。
其れが悔しいかといえば、そうでもなかった。
領主の言葉は正しかった。十三魔将が相手なら、今の自分がどこまで通じるかは分からない。Bランクの依頼として受けてきたが、其れは依頼票に詳細が書かれていなかったからだ。知っていれば、判断が変わったかもしれない。
ただ、来たことは無駄ではなかった。
カーベルが其処にある、ということを体で確認した。魔族領の近くがどういう空気なのかを感じた。名の知れた冒険者パーティーの顔を見た。謎に頭の上に猫が乗った。
十分ではないかもしれないが、無駄ではなかった。
頭の上の猫が、軽く鳴いた。
「お前はこれからどうする」
猫は答えなかった。
当たり前だ。
「とりあえず今夜は教えてくれた宿を借りる。其の後はまた考える」
猫がまた鳴いた。
廊下の窓から外を見ると、カーベルの街が見えた。夕暮れの光が石畳に当たっていた。遠くに、魔族領の方向と思われる山の稜線が見えた。
あの向こうに、焦燥のカラミスがいる。
今日は其処まで行かなかった。
ただ、此の場所に来た、という事実は残ったが、其れが後でどう繋がるかは、今は分からない。
分からないなら、分かる時まで持っておく。
宿屋の支配人が廊下の先で立ち止まった。
「こちらが今夜のお部屋になります」
「有難うございます」
扉を開けた。
部屋の中は整えられていた。窓から夕暮れの光が入っていた。
猫が頭の上から肩に降りて、其の後ベッドに飛び移った。ベッドの上で丸くなった。
「おいおい・・・勝手にくつろぐなよ、」
猫は返事をしなかった。
リュートはその隣に腰を下ろした。
今夜はここで泊まって、明日学園に戻る。
やることは此れで決まった。
残りの二日間の休みで、何を準備するかを考え始めながら、リュートは夕暮れのカーベルを窓から眺めた。
猫が静かな寝息を立て始めた。




