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帰路

模試戦闘大会←壊滅的なネーミングセンス。もっと良いのないかな?

数学の解説を終わらせ、全員が教室を出ていった後、リュートは黒板を消した。


チョークの粉が手についた。払いながら、窓の外を見た。


コルネットの夜が続いていた。虫の音が遠くから聞こえる。昨夜よりも穏やかな夜だ。ベルフェゴールが来た夜と、同じ場所とは思えないほど静かさだ。


部屋に戻った。


アランとケルビはまだ起きていた。クラウスは窓際で何か書き物をしていた。おそらく父上への報告書の下書きだろう。


「解き直す。符号のやつ、今日こそ完璧にする」


「頑張れ」


リュートはベッドに腰を下ろした。


体が少し重かった。二日間、剣の練習をして、夜は数学を教えた。疲れがないわけではなかった。ただ、嫌な疲れではなかった。


やることをやった。


ケルビが本を閉じた。


「明日で最後だね」


「そう・・・だな」


思ってたよりも早く終わった・・・少し名残惜しい。


「何か残ってることある?」


「特にない。あとは帰るだけだし」


「そっか」


クラウスが書き物の手を止めてこちらを見た。


「リュート君。一つ確認していいですか」


「何をですか?」


「ベルフェゴールが傲慢の気配を確認しに来た、と言っていましたね」


「そうですね」


「其れは、此処コルネットに其の気配があった、ということですか?」


「ベルフェゴールはそう言っていましたが、誰に其の気配があったのかまでは言わななかったです。私に確認しに来た、という言い方でしたが」


クラウスが少し考えた。


「リュート君に、ということですか」


「俺にそういう気配があると報告があった、という話。ただ、其れが正確かどうかは分かりません。ベルフェゴールの情報源がどこかも分からないですし、」


「……そうですか」


クラウスがまた書き物に戻った。アランが少し声を落として言った。


「リュート、怖くないんか?傲慢の悪魔がいるとか言われて」


「怖いかどうかより、対処できるかどうかの方が大事だ」


「相変わらずやな。俺やったら怖くて眠れんわ」


「今夜は眠れそうか?」


「今は眠れる。明日のことは明日考える」


「其れでいい」


アランが伸びをした。


「じゃあ、そろそろ寝るか。明日が最終日やし」


ケルビが本を棚に置いた。クラウスが書き物を片付けた。

リュートはベッドに横になった。


天井を見た。


今夜の教室でのことが、頭の中をゆっくりと流れた。連立方程式の符号の処理。解の公式の手順。座標の面積の分割。一問ずつ説明するたびに、詰まっていたものが解けていく顔が見えた。


教える、ということが其処まで嫌ではなかった、ということに気づいた。


嫌ではない、どころか。少し、面白かった気がする。


其れが意外だった。


アランがすぐに寝息を立て始めた。ケルビも静かに目を閉じた。クラウスが最後まで少し起きていたが、やがて呼吸が落ち着いた。


リュートは目を閉じた。


明日で此処を発つ。

其の前に、もう一度朝日を見てもいいかもしれない、と思いながら、意識が遠ざかっていった。














三日目の朝は早かった。


起き上がった時、部屋の窓から差し込む光がまだ薄かった。アランはまだ寝ていた。ケルビも眠っていた。クラウスだけが、窓際で静かに身支度を整えていた。


「早いですね」


クラウスが振り返らずに言った。


「習慣ですので」


「私もそうです」


二人だけの静かな朝だった。クラウスが外を見ながら言った。


「今日で終わりですね」


「そうですね」


「此処に来て、色々ありましたね」


「そうですね」


「リュート君は、此の研修をどう思いましたか」


リュートは少し考えた。


コルネットに来た。虫型魔物がいた。アランが予想通りにパニックになった。クラウスが予想通りに虫を楽しんでいた。アリアと剣の練習をした。ベルフェゴールが来た。朝日を見た。数学を教えた。


「思ったより色々あった・・・ていうか、ありすぎた」


「そうですね」


クラウスが少し間を置いてから言った。


「私にとっては、思ったより普通の時間でしたよ」


「普通?」


「ええ。王位継承候補の立場にいると、どこに行っても其の立場として見られます。でも、此処では、リュート君にもアランにもケルビにも、ただのクラウスとして扱ってもらえた気がして、」


「そういうつもりで接していたわけではないが・・・」


「其れが良かったんだと思います」


クラウスが振り返った。整った顔に、少し素に近い表情が出ていた。


「ありがとうございました、リュート君」


「礼を言われることはしていないです」


「班に誘ってくれたことへの礼です」


「ああ。其れはケルビの発案だが・・・」


「知っています。でも、リュートが動いてくれたから実現しました」


リュートは何も言わなかった。クラウスが再び外を向いた。


「虫型魔物を、あと二、三種類見たかったですね」


「今から山に入るか?」


「思っただけですよ」


アランが毛布の中で寝返りを打った。其の拍子に目が開いた。


「……なんか喋っとった?」


「あ、起きたか」


「起きた。今何時?」


「帰り支度を始める時間だ」


「そっか……」


アランがゆっくりと起き上がった。まだ眠そうだったが、其れ以上横になろうとはしなかった。


「今日で帰るんやね・・・早かったな、三日間。色々あったけど」


「あったな」


アランが伸びをした。


「虫、思ったより大丈夫やったわ。クラウス様のおかげやけど」


「フォローしてくれと頼んだ甲斐があった」


ケルビが静かに目を開けた。


「皆、起きてる?」


「起きてる」


「じゃあ、帰り支度するぞ」


四人が動き始めた。荷物を纏めて、棚を確認して、忘れ物がないかを確認した。


リュートはアイテムボックスの中身を一度確認した。着替え、防寒具、計算式の紙、医療道具。全部あった。アイテムボックスに入れていたから荷物の鞄は最初からほぼ空だった。


二日前にここに来た時と、今では何かが少し違う気がした。

何が違うのかを言葉にするのは難しかった。ただ、来た時よりも、此処の空気が少し身近に感じられた。


「行こか」







廊下に出ると、既に他の生徒たちも動いていた。

班ごとにまとまって、施設の出口に向かっていく。顔に疲れが出ている者もいれば、名残惜しそうにしている者もいた。


広場に全員が集まり始め、引率の教員が人数を確認していた。


ルグは右腕の包帯をそのままにして、広場の前に立った。


「帰り支度が完了した班から、荷物を馬車に積んでください。出発は三十分後です、以上です」


生徒たちが動き始めた。


木々が朝の光の中で揺れていた。虫の音がまだ遠くから聞こえていた。昨夜の数学教室があった教室の窓が、光を反射していた。


三日間。

一つ一つは別々のことだったが、全部此処で起きたことだった。


「リュート、何見とると?」


「コルネット」


「名残惜しい?」


「少しな」


アランが少し驚いた顔をした。


「お前が其んなこと言うとは思わんかった。」


「ん?」


「いや、なんか……お前が場所に愛着を持つイメージがなくて」


リュートは少し考えた。


愛着、という言葉が正確かどうかは分からなかった。ただ、此処で色々なことが起きた、という感覚はある。それが次に繋がるものを持っている気がした。


「帰ったら、また日常に戻る、模試戦闘大会の準備もある」


「そうやね」


「数学教室の続きもある」


「其れは俺の気まぐれで始めた奴だけど、」


「どちらでも頑張れ」


「頑張ります」


ケルビが来た。


「馬車に荷物を積んできた。皆の分も一緒に積んどいた」


「ありがとう」


「お安い御用です」


クラウスはもう既に馬車に乗っていたため、三人で馬車の方に向かった。


其の途中で、リュートは施設の建物を一度振り返った。


石造りの三階建て。大きな窓。昨夜まで明かりがついていた教室。コルネットの木々がその後ろで、風に揺れていた。







馬車が動き始めた。

来た時と逆の道を戻っていく。木々の密度が少しずつ薄くなって、道が広くなっていく。コルネットの空気が、少しずつ王都の方向の空気に変わっていく。


アランが外を見た。


「虫、もう見えんくなってきたな」


「虫は何処にでもけど。」


「そうやけど。なんか、色々ありすぎて」


ケルビが本を開いた。帰りの馬車の中でも読む気らしい。

クラウスが窓の外を見ていた。コルネットの木々が遠ざかっていくのを、静かに目で追っていた。其の目が、少し惜しそうだった。


リュートは外を見た。


コルネットが遠ざかっていく。

ベルフェゴールが言っていた言葉も残っていた。傲慢の気配を確認しに来た、と言っていた。其の報告がどこかに届いた可能性がある。


白髪の人影のことも、まだ整理できていなかった。


やることはある。


でも、今日の馬車の中では、其れを全部脇に置いておくことにした。


外で、コルネットの木々が完全に見えなくなった。道が開けた。王都の方向に続く街道が、まっすぐに伸びていた。

アランがあくびをした。


「帰ったら飯、何食べよっかな」


「学園の食堂だろ?」


「そうしかないよな。まぁ、食堂の飯も悪くないか」


ケルビが本から顔を上げた。


「食堂、今日は何かな?」


「知らないな」


「まあ、何でもいいか」


クラウスが静かに言った。


「帰ったら、父上に報告書を出さなければなりません」


「研修の報告ですか」


「それもありますが、ベルフェゴールの件を父上は既に把握している可能性があります。其の確認と、私が見聞きしたことを纏める必要があります。

リュート君も、其の辺りで動きが出てくるかもしれません」


「分かった。其の時は其の時で対処するよ、」


クラウスが少し頷いた。


馬車が街道を進んでいく。

しばらくして、アランがまた眠り始めた。ケルビは本を読み続けていた。クラウスは目を閉じていた。眠ったのかどうかは分からなかった。


リュートは外を見続けた。


街道の両側に広がる草地が、光の中で揺れていた。


王都まで、半日だ。


帰ったら、また日常が始まる。模試戦闘大会の準備。数学教室の続き。アリアとの練習試合。ベルフェゴールの件の余波。白髪の人影。


全部、其処に待っている。


ただ、今は馬車の中で外を見ていた。

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