研修二日目
ついに100話・・・全部書き終えるの500話余裕で超えるなこれ・・・
夜が明けた。
施設の廊下に光が差し込み始めたのは、まだ生徒のほとんどが眠っている時間だった。
リュートは眠れなかった。
眠れなかった、というより、眠ろうとしなかった。昨夜の出来事を頭の中で整理し続けていた。ベルフェゴールの言葉。あの白髪の人影。黒い肌に白く光る目をした存在の、異様に長い話し方。どれも、答えの出ないまま頭の中に残っていた。
ベッドに横になったまま、天井を見ていた。アランが隣で規則正しく寝息を立てていた。ケルビも静かに眠っていた。クラウスは窓際のベッドで、珍しく完全に熟睡していた。昨夜、生徒を一か所に集める役割を引き受けてくれた疲れが出たのかもしれない。
リュートは静かに起き上がった。
衣服を整え、防寒具を手に取った。アイテムボックスを確認した。特に必要なものはなかったが、習慣で確認した。
部屋を出た。
廊下は静かだった。照明用の魔道具がまだ薄暗く灯っている。足音を立てないように、施設の出口に向かった。
扉を開けると、冷えた空気が顔に当たった。
コルネットの朝だった。
空がまだ暗かった。ただ、東の方向だけが、少しだけ色を持ち始めていた。濃い青から、端の方が僅かに明るくなっている。日が出る少し前の時間だ。
セラフィナが言っていた言葉を思い出した。
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コルネットの朝日は本当に綺麗だから、早起きして見てみて。損はしないよ
虫と朝日のセットなんて、そうそう見られないよ。それだけ聞くとほんとにシュールな光景。でも、ホントにきれいだったから
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リュートは広場の端まで歩いた。施設の建物が背後に来る位置に立った。東の方向に向いた。
コルネットの木々が、まだ暗い中でシルエットになっていた。その向こうに、平坦な地形が広がっている。昨日の移動中に確認していた。山麓特有の、緩やかな傾斜が途切れて、視界が開ける場所だ。
少し待った。
空の色が変わり始めた。
端の明るさが、少しずつ広がっていく。濃い青が薄くなって、紺色から群青になって、其処に橙が混じり始めた。色が層になって、空の低いところから順番に変わっていく。
そして、平坦地の向こうから、光が来た。
山腹に沿って、斜めに伸びる光だった。地形に合わせて光が流れ、木々の合間を縫って差し込んでくる。平坦地があるから、光が遮られずに水平方向に広がる。その光がコルネットの木々を横から照らして、葉の一枚一枚が金色に縁取られた。
綺麗・・・
でも、シュールだ。昨夜、虫型魔物が大量にいた場所で、今朝は此処がこういう顔をしている。同じ場所が、夜と朝でこれほど違う顔をする。
リュートはしばらく、其処に立ったまま朝日を見ていた。
何も考えていなかった、というわけではなかった。頭の中に昨夜の出来事はまだあった。ベルフェゴールのことも、あの白髪の人影のことも、黒い存在のことも。それらが消えたわけではなかった。
ただ、今この瞬間は、其処に置いておくことにした。
「早いですね」
後ろから声がした。
振り返ると、ルグが立っていた。
右腕に包帯が巻かれていた。厚い。固定するための当て木も入っているようだった。顔色は悪くなかったが、いつものぼさぼさ頭が、今朝は何処か整っていた気がした。眠れなかったのかもしれない。
「ルグ先生こそ、早いですね」
「眠れませんでした」
「仲間ですね。」
ルグがリュートの隣に来て、東の方向を向いた。朝日が平坦地から差し込んでいた。
しばらく、二人とも黙っていた。
「腕は」
リュートが聞いた。
「回復魔法で繋いだだけですので、暫く使えません。完全に戻るには、二週間ほどかかるかと」
「そうですか」
「問題ありません。利き手ではないので」
「左利きなんですか?」
「ええ」
「知りませんでした」
「言う機会がなかったですし、」
光が少しずつ広がっていた。コルネットの木々の葉が、風に揺れるたびに光を反射した。
ルグが静かに言った。
「昨夜の件、報告書を纏める必要があります。ベルフェゴールの存在は、学園長とガルシア王に伝えなければなりません」
「はい」
「君にも、見聞きしたことを纏めてもらうことになります」
「構いません」
「あの白髪の存在については、君は心当たりがありますか?」
リュートは少し考えた。
「コルネットに長く住む仙人、という話があります」
「君はそれも調べていたんですね。私も同意見です。・・・あの二人に仕込まれたものですか?」
「半分はそうです。残り半分は、転生後に一人で動いていた頃に身についたものです」
ルグが何か言いかけて、止めた。代わりに少しだけ頷いた。
朝日が更に高くなっていた。平坦地から差し込んでいた光が、今は木々の上の方まで届いていた。影が長く、地面に伸びている。リュートとルグの影が、施設の壁まで伸びていた。
風がコルネットの木々を揺らした。葉が擦れ合う音がした。どこかで鳥が鳴いた。虫の音が、夜よりも薄くなっていた。夜行性の種が、夜明けと共に静まり始めているのだろう。
「セラフィナが、コルネットの朝日は綺麗だと言っていました」
リュートが言った。
「そう言えば、そうですね」
「虫と朝日のセットは、シュールだとも言っていましたが」
ルグが少しだけ口の端を動かした。
「セラフィナ様らしい表現ですね」
「そうですね」
しばらく、また二人とも黙っていた。
昨夜色々とあった。ベルフェゴールが来て、白髪の人影が来て、黒い存在が来て、全員消えた。ルグの腕が一本使えなくなった。生徒たちは何も知らないまま施設の中にいる。報告書が必要で、学園長への連絡が必要で、やることがある。
ただ、今この瞬間は、其処に置いておくことにした。
セレナが言っていた通りだった。
損はしないよ。
「戻りますか?」
「もう少しだけ」
「分かりました」
ルグが施設の方に歩き始めた。足音が遠ざかっていった。
リュートは一人、其処に立ち続けた。
朝日が平坦地の向こうから、真っ直ぐに差し込んでいた。コルネットの木々の葉が光を受けて、緑と金が混じった色になっていた。虫の音が遠くでまだ続いていた。
普通の朝だ。
昨夜の色々が、今日の朝に続いている。其れが当たり前のことだと、頭では分かっていた。
ただ、こういう朝が来ることを、少し前の自分は考えていなかった気がする。
セレナとティオのことを、少しだけ思った。
あの二人がこの朝日を見たら、何と言っただろうか。セレナはおそらく「綺麗じゃない」と言いながらバッグから何かを取り出すだろう。ティオは何も言わずに、ただ其処に立っているだろう。
考えることは、まだある。
でも、今日はそれを少し遠くに置いておくことにした。朝日が、平坦地の向こうから差し込み続けていた。
二日目の朝食を終えた後、運動場に向かった。
昨日と同じ空間だったが、朝の光の中で見ると印象が少し違った。昨夜の出来事があった後だからか、ただの運動場が何処か遠い場所のように感じた。
生徒たちが各自のペアと向き合い始めていた。
昨日と同じ組み合わせで練習を続けるか、別の相手に変えるかは自由だとルグが言っていた。ただ、昨日の振り返りを踏まえて動くように、という指示だけが出ていた。
リュートはアリアを探した。
すぐに見つかった。アリアはリュートが来るのに気づいていたらしく、少し離れた場所からこちらに歩いてきた。剣を腰に下げて、いつも通りの落ち着いた表情をしていた。
「今日もよろしくお願いします」
「此方こそ」
「・・・昨日の癖の件、少し修正を試みたのですが、完全には直っていないと思います。今日の戦いの中で確認させてください」
「りょーかい」
と、アリアが少しだけ間を置いた。
何かを言おうとして、迷っている顔だった。アリアがそういう顔をするのは珍しい。戦闘中、此奴は基本的に迷いなく動く印象がある。
「何か?」
リュートが聞いた。
「一つ、頼みがあります」
アリアが少し真っ直ぐにこちらを見た。
「・・・理数系の科目を、教えていただけますか?」
「・・・理数系?」
「はい。数学と魔法理論の計算が、苦手で」
リュートは少しの間、アリアを見た。
グランツ家の長女。剣の腕はほぼ互角。観察眼が鋭く、戦闘中の学習速度が速い。そういう人間が、理数系が苦手だという。
「どの程度苦手なんだ」
「魔法理論の計算の授業で、先週の模擬試験が四十二点でした」
「……それは苦手だな」
「はい。剣技の単位は問題ないのですが、理論系の科目が全体的に低い。特に数式が絡んでくると、何が何だか分からなくなります」
「魔法理論の計算だけか」
「数学全般が苦手です。四則演算は問題ないのですが、文字式が出てくると途端に分からなくなります」
リュートは少し考えた。
学園の理数系の成績については、把握している部分がある。魔法理論の計算はクラスの中でも差がつきやすい科目だ。エルナなどは得意にしているが、剣技寄りの生徒は苦労していることが多い。アリアもそちら側なのだろう。
「教える、といっても、俺はそういうことをやったことがないが」
「それでも構いません。リュート君は学園内で理数系の成績が特に優れていると聞いています。先生に聞くより、同じ生徒に教えてもらう方が、私には合っていると思いまして」
「何故そう思うんだ?」
「先生の説明を聞いても分からないから、自分で質問することが難しい。でも、同じ生徒なら、分からないことをそのまま言いやすい」
それは合理的な考え方だ。
「何時が良いですか?」
「うーん・・・夜はどうだ?今夜、施設の空いている教室を使う。2時間程度、時間を貰うがいいか?」
「十分です。ありがとうございます」
「今日の練習で分かった課題を、そこで整理しながらやろう。今夜に向けて、自分がどこで詰まっているか確認しておいてくれ」
「分かりました」
アリアが少し表情を緩めた。普段の落ち着いた顔より、少し素に近い顔だった。
「では、練習を始めましょうか」
「分かった。」
二人は向き合った。
結果は昨日と同じ傾向だった。アリアが毎試合何かを修正してくる。リュートはそれに対応しながら別の手を探す。最終的な勝率はリュートの辛勝だったが、差は昨日より縮まっていた。
このまま続けば、来週には互角になるかもしれない。
「今日はここまでにしましょう」
アリアが剣を収めた。
「今夜、よろしくお願いします」
「20時に施設の三階の教室でいいか」
「構いません」
アリアが軽く頭を下げて、別の方向に歩いていった。
リュートは汗を拭いながら、少し考えた。
理数系を教える・・・か。
自分が誰かに教えるという経験は、ほとんどない。学ぶ側には慣れているが、教える側に回るのは勝手が違う。アリアがどこで詰まっているかを把握して、其処から順番に整理する必要があるし。
やることが増えた。
施設の中に戻った。
夕食の後、部屋に戻ると、アランがいた。
机に向かっていた。教科書と紙が広げられていた。珍しい光景だった。アランが自発的に勉強をしている姿は、それほど多く見ていない。
「お、珍しい。日常業務で授業中睡眠中のアランが自習とは・・・成長したね~」
「うるさい。」
アランが振り返らずに言った。声のトーンが、いつもより低い。
「何の科目なんだ?」
「数学」
「どこで詰まってる?」
「全部」
「・・・全部は詰まり方じゃない。どこから詰まってるんだ」
アランが紙を持ち上げて、こちらに向けた。問題が書いてあった。
リュートはそれを見た。
文字式の展開と因数分解の問題だった。基礎的な内容だったが、アランの手書きの計算が横に書いてあって、どこかの段階で明らかに方向がずれていた。
「此処だ」
リュートは紙に指を当てた。
「この展開の時、符号の処理を間違えている。マイナスが二つ重なったらプラスになる。其れをここで逆にやってる」
「・・・そうか、試してみる」
アランがもう一度計算し直した。今度は合っていた。
「……出来た」
「そうだろう」
アランが少し間を置いた。
「リュート、お前って数学得意なんか」
「そうだが、」
「魔法理論の計算も?」
「其方の方が得意かもしれない」
「…………」
アランがリュートを見た。何かを考えている顔をしていた。博多弁になる前の、少し真剣な顔だった。
「お前、みんなに教えるとかできると?」
「みんな?」
「俺とケルビとクラウス様。あと出来たらルーベルトたちも。理数系で困ってるやつ多いと思うんよ。俺だけじゃないはずやから」
リュートはアランの問題用紙を見て、其れからアランを見た。
少し考えた。
アリアが今日、理数系が苦手だと言っていた。アランが今、数学で詰まっている。おそらく、この辺りで理数系に困っている生徒は他にも何人かいる。
其れを把握する方法として、一つ考えが浮かんだ。
「教える前に、まず確認させてくれ」
「確認?」
「皆のレベルがどの程度かを把握しないと、何から教えるかが決められない。簡単なテストを作る。それを解いてもらって、どこで詰まっているかを見る」
「テスト・・・?」
「苦手なとこを洗い出すためのものだ。点数を評価するわけじゃない」
アランが少しの間、黙った。
「それって、俺たちだけ?」
「仲のいいやつら全員呼ぶつもりだ。アランとケルビとクラウス、それからルーベルトとアベルも。アリアも呼んでいいか」
「アリア嬢も理数系苦手なんか?」
「今日聞いた」
「意外やな。なんかなんでも出来そうやったのに」
「剣が得意な人間が理数系も得意とは限らないが」
「まあそれはそうやけど」
アランが少し考えた。
「……分かった。皆に声かけとく。で、テストはいつ?」
「明日の夜で良いか?今夜はアリアに数学を教える約束をしたから、」
「いいぜ。・・・お前、すごいな。剣の練習もして、夜も勉強教えてで、何時寝んのよ」
「寝る時に寝るさ」
「其れが出来んのが普通の人間やっての」
アランがため息をついた。それから、少し表情が変わった。
「……なんか、リュートって、誰かに何かしてもらうのが苦手やんか。いつも自分がどうにかしようとする」
「そうか?」
「そうよ。でも、教える側に回ったりとか、ここ最近少し変わった気がする」
リュートは少しの間、アランを見た。
変わった・・・か。
「そうかもしれない」
「いい方向やと思うけどね」
アランが顔を戻して、また数学の問題に向かい始めた。リュートはアイテムボックスを開いて、白紙の紙を取り出した。
テストの内容を決める。数学と魔法理論の計算。基礎から応用まで、どこで詰まっているかが分かる構成にする必要がある。簡単すぎても意味がなく、難しすぎても詰まる場所が分からなくなる。
紙に向かいながら、頭の中で問題の構成を考え始めた。
此奴らのレベルを把握して、其処から教える順番を決める。やることは整理できた。
あとは内容次第だ。




