55.公女、要りません。
ご領地に帰られた王太后陛下からの資金援助が届き、温泉郷の改装が動き始める。
といっても、ガルニエ領には石工も大工も木樵も、釘をつくる鍛冶屋もいない。
いや、正確には、引退した老職人と孫娘か、ひ孫の娘はいる。領民全員でやるしかなかった救荒作物のための再耕作業がひと段落し、娘たちは家業に戻って、必死になって祖父世代の技術を受け継ごうとしてくれている。
兵士のひとりが、カトランに平伏した。
「そうか、石工の家にな」
「へい……。まずは爺さんに弟子入りして、認めてもらえたら、ゆくゆくは一緒になろうと……、娘と約束をしました」
「……修行がツラくとも逃げるんじゃないぞ」
「へい。その覚悟でおります」
「もうダメだと思っても逃げ出したりせず、迷わず俺のところに帰ってこい」
「……へっ?」
「逃げて野盗に戻ることは、俺が許さん。必ず捕えるのだから余計な手間をかけさせるな。」
「カ、カトラン様……」
「どこに行っても、なにがあっても、清掃は怠るな」
「へいっ! それは、もう……、ガルニエ兵団の誇りですから!」
「……あと、弟子入りするなら『爺さん』ではなく、『師匠』とお呼びしろ」
「あっ……、すみません」
「頑張れよ」
カトランの慈愛に満ちた眼差しに、兵士は顔をぐちゃぐちゃにしながら、再び平伏した。
そんな兵士が数十人、兵団からの退役を申し出て、カトランはそのすべてを快く許した。
城の中庭で、退役式を執り行う。
ある者は大工に、またある者は木樵に。鍛冶屋を志す者も、農家の見習いになる者もいる。
ザザも彼らの門出を笑顔で見送る。
「おう、また飲もうぜ」
「ザザの姐さ~んっ。……お世話になりました」
「バ~カッ、いつでも会えるだろ? 泣くなよ」
旅立つ元兵士たちの小さくなる背中を、ザザと並んで眺め続けた。
「……王太后陛下からの出資が、時の進みを速めたわね」
「そうね。温泉郷を改装する仕事ができたから」
「……その仕事を、よその領地の職人や商人に回すくらいなら、ここで無理してでも自分たちで受けて、家業を再建したいだろうしね」
「みんな、頑張ってくれているわ」
退役した者たちは、まずは村落の離れか集会所に住ませてもらって、手に職をつける。
職人として、しっかり独り立ちできてから娘に婿入りしたり、お嫁さんにもらったりする計画だ。地に足をつけて、この地の民になろうとしてくれている。
その中には『お試し初回』と『お試し2回目』で親睦を深めたペアがいくつもあったので、やっぱり開催した意義はあったのだと、嬉しかったり、肩から力が抜けたり……。ともかく良かった。
楽士のニコラは、ルコントの案内で演奏しながら村々を回ってくれている。
温泉郷での輪舞に用いた曲だけでなく、この地に伝わっていた様々な曲や民謡の復元にも取り組んでくれており、皆からとても喜ばれているそうだ。
「この地固有の楽器について、よく覚えている古老に出会いました! ……やはり、ヨウヒッコに近い構造で指板がなくて開口部から指を差し込んで使う……」
と、城に立ち寄るたびに、わたしに熱心に報告してくれる。早口で。
楽器づくりは専門ではないそうだけど、古老や娘たちと一緒に、こちらも復元しようと試みてくれている。
ルコントは休暇のたびにリーズのところに通って、養蜂を覚えようと頑張っている。リーズはひとり暮らしなので住み込みはまだ早いと、城からの通いだ。
時々、蜜蜂に刺されて帰ってくる。
「あら……、ルコント。甘い香りがするわ」
「あっ、へへっ……、刺されたところにハチミツを塗ってもらいまして」
「ふふっ、リーズに」
「え、ええ」
「塗ってもらったんだ」
ハチミツには消毒効果がある。
リーズが指にとって、塗り付けてくれたそうだ。
「へへへ……、もう勘弁してくださいよ、アデール様」
頬を赤らめるルコントをザザと囲んで、根掘り葉掘り質問責めにする。どうやらリーズとは順調みたい。
温泉郷では、新たな宿舎を建設する前に現状の三棟を補修しておきたい。戦争中はほぼ放置されていて、傷みの激しいところもある。
ただ、建築家のユベールが広げた改装図面に、眉間のシワが寄った。
「……瀟酒ですわね」
「貴族もお泊まりになるそうですから、このくらいのグレードは必要かと思ったのですが……」
「王都の基準に合わせる必要はありませんわ」
議論は白熱する。
パトリスが久しぶりに『抱っこゲーム』をせがんできて、すこし寂しい思いをさせていたかしらと、反省しながら膝の上に抱いて座り、ユベールとの議論を続ける。
太い縁の眼鏡を外したユベールは、王子様を通り越して、お姫様のように美しい顔立ちをしていた。
眼鏡の縁を口にくわえてガリガリと噛みながら、難しい顔で図面を睨んでいなければ……、だけど。
「ですが、結局はアレを足せ、コレを足せ、見栄えがしないと、変更が入るでしょう。それなら最初から……」
「いいえ、ユベール。わたしは、そんなことはしません」
「……コレも要らないんですか? 本当に?」
「ええ、本当です」
「こっちも?」
「はい、要りません」
「これは?」
「要りません。……せっかくユベールが考えてくれたのに悪いのですけど」
「俺が考えたとかそんなことは、どうでもいいんです。必要ないものなんですから」
「ふふっ」
「ん?」
「ユベールも必要ないと考えているのですわね」
「……なんの役にも立ちませんし、趣味も悪いし、伝統からも外れる」
「だから、要らないのです」
パトリスを抱き上げ、ザザも連れ、ユベールに城の中を案内して歩く。
執務室にカトランを訪ねる。
「ああ、かまわん」
報告書面に険しい視線を落したまま、カトランは素っ気なく答えた。
ガルニエ領には文官――、内政官が圧倒的に足りていない。
復興が本格的になり、カトランに職務が集中している。わたしもザザも手伝っているし、ガビーや村々のまとめ役も助けてくれているけど、内政官の不足は深刻だ。
書類とのにらめっこから手を離せないカトランから許しをもらい、わたしたちだけでカトランの居室に入った。
どの部屋にも増して簡素な設え。
「ここが……、領主様のお部屋ですか」
ユベールの声に嫌悪感が乗った。ただ、それが本音を覆い隠すための、ユベールの擬態なのだということが薄々分かってきた。
ソファを勧めて、わたしも腰を降ろす。
ミシッという音がして、ユベールがソファの足下を確認した。
――わたしを、妻にしてください。
と、カトランにお願いしたお部屋。
『狂戦公カトラン・ガルニエの妻になってくれるのだろう? 強かにあれ』
カトランは優しげに、そう答えてくれた。
膝に抱くパトリスの頭を撫でた。
「……ユベール。温泉郷の設えが簡素なのは、なにも民に使うお金が惜しいからではないのです」
「王太后陛下を相手に『かました』のではなく……?」
「ふふっ。……当家のことをよくお知りいただくためと言えば、『かました』と言えなくもありませんわね」
ソファの手すりを撫でた。
「……一度は敵の手に落ちた城ですが、よく手入れが行き届いているとは思いませんか?」
ユベールも手すりを撫で、それから立ち上がって窓枠を睨み、壁を舐めるように眺めて、柱をさすった。
それから、貴賓室に案内し、パトリスの居室、兵士たちの食堂にも連れて行った。
ユベールのふる舞いには、温泉郷でお給仕を手伝ってくれているときから、そつのなさが目立っていた。
ひと言でいうなら、有能ということになるだろう。常に自分のやるべきことを先回りして済ませてくれていた。
わたしの居室で向かい合った。
「ユベールには、別の案もあるのではないですか?」
「ないわけでは、ありませんが……」
「見せてくださいませんか?」
瀟洒で華美な改装計画は、ユベールが『先回り』したものだと分かる。
貴族というものへの絶望すら感じる。
――どうせ、見栄えばかりの豪華さを求めるんでしょ?
この城の設えを見て回った後でも、まだ警戒を解いてはいなかった。
王都の毒が、ユベールの心を頑なにさせているのだろう。
投げやりな手付きで取り出したスケッチブックを閉じる紐は、固く結ばれていた。
時間をかけてほどき、中のスケッチを見せてくれる。
「あっ、こういうのです」
「……え?」
「素敵ですわね」
わたしの腕の中で、大人の話に飽き始めていたパトリスがグッと身を乗り出した。
「養父上っぽいね」
「パトリスもそう思う?」
「うん。お掃除しやすそう」
「ふふっ、そうね」
乱雑に描き殴られたスケッチブックをめくらせてもらう。
専門的なことは、そこまで分からないのだけど、温泉郷の建屋をよく観察していて、最低限の改修で使いやすくする工夫が随所に感じられた。
「ユベール。……ここに、スロープをつけられませんか?」
「え? できますが……」
「王太后陛下がご紹介下さる方々は、お年を召していらっしゃるそうですし、いずれはお年寄りの領民にも足を運んでもらいたいのです」
いくつか要望を出す。
いまは暖かくなったけれど、初めて訪れた冬場を思えば防寒も気になるし、お給仕をしてくれるお世話係の動線も気になっていた。
ユベールはどれも的確に答えてくれる。
やがて、ユベールはスケッチブックの数枚を破って傍らに並べ、真新しい紙に迷いのないキレイな線を引いていく。
わたしの理想とする温泉郷が、机の上で静かに立ち上がり始めた。
――カトランも……、喜んでくれるかな?
母女大公の城とはかけ離れた、虚飾も虚栄も一切排した、民も兵士も誰もが心を安らげられる温泉郷の姿を――。
本日の更新は以上になります。
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