54.公女、星空を見上げる。
ランタンが照らす、みんなの輪舞。
表情はほぐれ、ニコラの演奏に手拍子をして足を踏み鳴らし、輪になって踊る。
最後になった『お試し2回目』の夜だけど、みんなに名残惜しそうなところは見られず、まるで始まりか門出を祝うような、めでたい雰囲気に包まれている。
王太后陛下からのお声がけがあって、わたしはそれを少し離れたところから見守る。
「……実は、アデールに頼みがある」
「はい、なんでございましょう」
王太后陛下には、たくさんのご好意を向けていただいた。
わたしがソランジュ殿下の『お友だち』になったことや、カトランが帝国軍を撃退したことなどに、「恩がある」とは仰っていたけど、なにが別の思惑もおありなのだろうなと薄々感じていた。
顔を向けると、王太后陛下は少し気まずそうな苦笑いを浮かべておられた。
「だが……、まずは、アデールに詫びねばならん」
「お詫び……、ですか?」
「昨晩、その『頼み』をカトラン公に伝えようと、妾ひとりでお部屋を訪ねたところ、扉をすこし開けたままにされた」
「……はい」
「つい、おかしくなって『この婆を女として扱ってくれるとは嬉しいの』と軽口を叩いてしまったところ……、いたくカトラン公の心情を害してしまったようだ」
謹厳なカトランらしいし、それをわたしに伝えてくださる王太后陛下も、生真面目なソランジュ殿下のお祖母様らしい。
豪放磊落なお人柄に胸を打たれていたけど、とても繊細にわたしとカトランへの気遣いもしてくださる。
「カトランにはわたしからも……」
「すまんな。……だが、それで妾の思いはより一層に強まった」
「……はい」
「王都には妾やソランジュのように、乱れた気風を忌んで屋敷に逼塞して暮らす、年老いた貴族もおる」
王太后陛下は切なそうに眉を寄せた。
「……多くは引退して爵位も譲り、乱痴気騒ぎに乗っかる当代の息子や娘を嘆きながら、ひっそりと暮らしておる」
「はい……」
「あれらにせめて、この温泉郷で息抜きをさせてやりたいとカトラン公に頼んだら……、『この温泉のことは、アデールに任せている』とにべもなく部屋を追い払われた」
「ま、まあ……、それは……」
「いや、構わぬ。……信頼されておるな、アデール」
「……お、恐れ入ります」
「亡き先王陛下の……、後ろ盾たる祖国が凋落してもなお、妾への愛情と信頼を微塵も揺るがさなかったお姿を……、思い出した」
頬をうっすらと紅く染め、王太后陛下は懐かしむように微笑まれた。
先立たれた夫君たる先王陛下との、揺るぎない確かな絆を感じさせられる、穏やかな笑みだった。
――いや……、まだ、ふふっ。惚気ていらっしゃるのね。
わたしも微笑みを返す。
「どうだろうか、アデール。……妾は先王陛下の治政を支えてくれた、あれら年老いた貴族たちにひと時の安らぎを与えてやりたいのだ」
「……尊きお心は重々、承知いたしました」
「アデールの定めた規則は守らせよう。輪舞を踊れるかは極めて怪しいが……、年だからの。だが、妾が従ったという『先例』ができた。ソランジュもだ。それを破る者たちではない」
たしかに、この上ない『先例』を賜った。
もし、わたしの定めたルールを破れば、それは王太后陛下への冒涜。ひいては王国への叛意の現れとすら見做されるだろう。
それは、たとえ国王陛下であられようとも同じこと。
御母君たる王太后陛下とは折り合いがよくないとはいえ、あからさまに母后の権威を傷付けるようなおふる舞いをなされば、その刃は御自らに跳ね返る。
よほどのことがない限り、先例を守られるか……、ここにはお運びにならない。
「……もし、アデールが許してくれるなら、あれらのための宿舎は、妾が建てさせてもらおう」
「え……?」
「アデールは、この温泉郷を保養地か観光地として開発しようとしておるのだろう?」
「あ……、はい。そこまで大々的になるかはともかく……、領民と兵士の憩いの場になればよいなと……」
言葉を濁した。
救荒作物の収穫も始まり、ガルニエ辺境伯領は当座の飢えの恐れからは脱することができた。
次は『稼ぐ』ことも考えないといけない。
だけど、大々的な観光開発などを行えば、必ず王都の紊乱な気風が入り込む。怠惰で退廃的な、享楽の場になど、絶対にするわけにはいかない。
カトランと相談しながら、ガルニエ家の謹厳な家風を守りつつ、財政の余力とにらめっこして、ゆっくりと進めればいいと考えていた。
「気持ちはよく分かるぞ、アデール」
「……はい」
「心配するな、妾は金を出すだけだ。見返りは老いた貴族の安らぎ、それだけでよい。出資とすら思わないでほしい。建てる宿舎の所有権も主張せぬ」
「あの……、誠に恐れ多いことながら、どうして、そこまで……」
「……そうだな、怪しく思うのも無理はないな」
「いえ……」
王太后陛下は眩しげにほそめた眼差しを、演奏をつづけるニコラに注いだ。
ニコラは最後の晩になって、長い前髪をオールバックの気品ある髪型にまとめ、丸かった背筋は伸びた。
美しく自然な立ち姿になると、ヒョロリと頼りなく映っていた身体が、すらりとスリムで均整の取れたフォルムへと印象を変えた。
なにより驚かされたのは、それらがすべて『背景』となったことだ。
主役はあくまでも踊りを楽しむ者たち。
音楽は脇役。意識して目をやらないと、ニコラの存在自体が気にならない。
――宮廷楽士のあるべき姿とは、こういうことなのね……。
ニコラ自身が浮かべる微笑みも、とても自然なものになった。
王太后陛下がポツリと呟く。
「……罪滅ぼしであるな」
「え? ……はい」
「先王陛下がお隠れになり、妾が打ちひしがれておる間に、王都は乱れに乱れておった。……もはや、妾では女大公の権勢には対抗できんし、国王を諫めたところで何も変りはすまい」
王太后陛下は視線の定めどころが他には見当たらないといった様子で、ニコラを見詰め続ける。
「……すべては、哀しみに呑まれ、王政からも社交界からも目を背けておった、妾の咎であると思うておる」
「王太后陛下……」
「ところで、アデール」
「は、はいっ!」
急にいつもの調子で、悪戯っ子のような笑みでわたしを見詰めた王太后陛下に、かえって背筋が伸びてしまう。
「王都に居場所をなくした妾は他にやることもなく、先王陛下より賜った領地の経営と改革に精を出しての。いまや大金持ちなのであるぞ?」
「あ……、はは……」
「かといって、年老いた身では使うところもない。アデールが受け取ってくれると大変に助かるのだがの」
「……そ、そこまで仰っていただいては、辞退もできませんわ」
「……王都の西に位置する妾の領地は、ソランジュに譲る」
「はい……」
「ソランジュの近臣は『王都から逃げるようだ』と不満なようだが、そうではない。……力を蓄えさせ、いずれソランジュには王家の別家を興させる」
「なんと……」
「西のソランジュと、北のアデール。……王国の良心を、次の世代に残したい」
「恐れ多いことです」
王太后陛下が軽く手を挙げると、長い金髪をした従者が近寄り、わたしたちの前で片膝を突いた。
「……この者はユベールと申し、建築家である」
「ま、まあ……。そうでしたのね」
「宿舎の建設に力になってくれるだろう」
「そこまで……」
「はははっ! ニコラといい、ユベールといい、手回しのいいことで、すまんな」
「いえ……」
「ふたりは置いて帰りたい」
「え?」
「俸給は妾が出してもよいし、ガルニエ家の臣に取り立ててくれるなら拒みはせん。好きに使ってやってくれ」
ユベールと紹介された若者に視線を向けた。
束ねている金髪はかるくウェーブしていて、ランタンの明かりを反射する光沢は桃色を帯びる。
縁の太い眼鏡をかけているけど、それを外せば美青年だろう。きっと、王都の爛れた貴族夫人たちが目を付けずにはいられないような……。
「かしこまりました。処遇はカトランと相談させていただきます」
「うむ、それがよかろうな。身上書は後ほど送らせる。怪しいところがないか、徹底的に調べるがよい」
「……お気遣いいただき、感謝申し上げます」
「乱れは思わぬ隙間から入り込む。……整った美を保つには、気を張っておるほかにないからの」
寂しげに笑われた王太后陛下は、夜空を見上げた。
澄んだ空気に星々が輝く。
「……清く、正しく、栄えるとよいのう。ガルニエ家とアデールが」
穏やかなご表情を浮かべる王太后陛下は、ハスキーなお声を星空に吸い込ませる。
わたしたちの将来に幸せがあるようにと、願ってくださるように。
そして――、いずれは母女大公を打倒せよと、お命じになられたかにも、わたしは感じていた。
本日の更新は以上になります。
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