56.公女、面映ゆい。
数日して、完成した温泉郷の改装計画をカトランに見てもらう。
家規を見てもらったときもそうだったけれど、この時間は何度経験しても、やっぱりドキドキする。
ただ、今日は膝の上にパトリスを抱いている。
意外というべきか、わたしが温泉郷に詰めているときよりも、ともに暮らす城での方が、3人で顔を合わせる時間が少ない。
昼餐や晩餐は一緒にいただくし、食後には暖炉の前でチェスの時間もある。
だけど、城にいたらそれぞれにやるべきことがある。
最近、カトランはいつも執務室で忙しそうにしているし、パトリスは傅役のギオとお勉強や運動。剣術の鍛錬も始めたのは、先日の『闘技会』に触発されたパトリスが強く望んだこと。
わたしも貯蔵庫の管理や、いまは温泉郷のことでも忙しくなった。
それでなのか、また隙を見てはパトリスが『抱っこ』を求めてくれることが多くなった。
わたしは絶対に断らないと決めている。
「うむ、よいのではないか。……温泉郷のことは、アデールに任せる」
サッと目を通した計画書をパサッと机に置いたカトランは、優しげな眼差しでわたしを見詰めた。
緊張していたことが膝の上にいるパトリスに伝わらないよう、そっと息を抜く。
ユベールやザザと相談しながら練り上げた計画書を、カトランはあまりちゃんと見てくれていないような気がして、それは少し寂しい。
だけど、わたしを信頼して任せてくれることは、とても嬉しい。
「……護衛の兵だけは、こちらで手配しよう」
「護衛ですか?」
「アデールの定めた規則を守らぬ、不埒者が訪れないとも限らん。……従わせるのにも、つまみ出すのにも、兵は常駐させた方がいいだろう」
「かしこまりました」
「そうだな。……護衛の隊はルコントに任せる。マルクに伝えておくから、細かなことはアデールが打ち合わせてくれ」
柔らかな声の響きからは、わたしや温泉郷を大切に守ろうとしてくれている優しさを感じて、わたしは満たされた気持ちでカトランの執務室を出た。
腕の中からパトリスが、わたしを見上げる。
「ん? どうしたの?」
「……アデールと養父上は、仲良しなんだよね?」
「ええ、そうよ。仲良しだから、一緒にお仕事してるのよ」
「ふ~ん……。うん、分かった。もういいよ」
わたしがこれもお約束通りに足の裏をくすぐると、パトリスは「うひっ」と笑ってから、スルリと床に降り、元気よく駆けていく。
「あっ! 廊下を走ったらダメよ」
「は~いっ!」
扉の前で控えてくれていたザザが、満足げに笑った。
「……坊ちゃん、元気になったわね」
「ええ、そうね」
「どうだった? 計画書の方」
「わたしに任せるって」
「そか。信頼されてるねぇ」
「うん……」
そうまっすぐに指摘されると、少し気恥ずかしい。
だけど、ザザはわたしがこの城に来たときからずっと一緒だ。
――最初の頃を思えば、アデールは辺境伯様からの信頼を勝ち取ってきたわね。
と、声にこもる、わたしを褒めてくれる響きが、とても胸に染みる。
「そういやさ、ユベールが『アデール様はどこかで建築を学んだのか?』って、私に聞いてきたよ」
「えっ? ……学んでないけど」
「だよね」
「……なんで、そんなこと思ったんだろう」
「う~ん、なんでも……、動線? ってのが、こう……、すごいんだってさ。アデールの提案してくる内容が」
「へ、へぇ……」
「ごめん。私がよく分かってなくて、いまいち曖昧なんだけど」
「ふふっ、そうね」
「……『よくもまあ、こんなにも使う人間のことを考えられるものだ』って、気難しそうに感心してたわよ?」
「気難しそうに」
「そう、気難しそうに」
ザザとクスクス笑いながら、私の執務室へと戻っていく。
家事動線は家政の範囲だ。王都の政館でひとり学んでいたことを専門家から認められたようで、なんだか報われた気分がした。
だけど、ひとつだけユベールに押し切られたことがある。
管理棟の改装図面を広げた打ち合わせでのこと――。
「ダンスホールですか……。要らないですわね」
王都でダンスホールといえば、享楽と退廃の根拠地のような場所だ。
思わず眉を寄せたわたしを、ユベールがキュッと睨んだ。
「いえ、アデール様。……温泉郷では輪舞を定番にされるおつもりでしょう?」
「え、ええ……。それは、中庭で……」
「雨の日は?」
「雨の日は……」
「年に1回、領民に無料招待券を配られるおつもりだとか」
「ええ、そのつもりで準備を進めておりますわ」
「年に1度だけ、楽しみにしていた温泉旅行で定番の輪舞が開かれない。それは、とてもガッカリさせませんか?」
「うっ……、はい」
「そこで、アデール様のお気に召すよう、デザインを考えてきました」
「あら……、素敵ですわね」
過度に華美でも瀟洒でもなく、だけど、ハレの日に相応しい華やかさを保っている。
――おでかけに、おめかし……。
日頃の疲れを癒してもらうのにも、ピッタリだ。
ユベールが図面を睨む。
「……いかがわしい秘密の小部屋もなく、抜け出すための小道もない。照明の陰影も抑えて、退廃の忍び込む隙間もない開かれた明るい空間にします」
「分かりました。ユベールの言う通りにいたしますわ」
「……光栄です」
ユベールが喜ぶとき、とても嫌そうな声を出して太縁の眼鏡をかけるのは、きっとそうして自分のプライドと身の安全を守ってきたからなのだろう。
ある意味では楽士のニコラよりも、心に深い傷を負っているのかもしれない。
だけど、わたしの考えに合わせてくれるようになったし、素直に自分がいいと思うものを提案してくれるようになった。
笑顔も心持ち柔らかくなった気がする。
眼鏡を外しているときに、はにかまれると、ドキッとするほど『お姫様』だ。
すぐにブスッとするのだけど。
そうして完成した計画書をカトランに承認してもらったので、早速、既存の三棟は改装工事に入った。
初日はわたしも温泉郷に足を運ぶ。
「ご無沙汰してます、アデール様」
「ふふっ、すっかり職人さんらしい雰囲気になったわね」
石工や大工に弟子入りした元兵士たちと、数日ぶりに再会する。
「まだ見かけだけですよ。……ほんと、毎日、師匠にしごかれてまして。とほほ……」
「ふふっ、頑張ってくださいね。期待してますわ」
「へいっ!」
まずは改装、修繕作業で彼らの腕ならしからだ。
老いた師匠たちからの愛ある怒鳴り声が響く中、おぼつかない手付きで、だけどカトランの兵団あがりらしく、テキパキと規律正しく働いている。
もちろん『姉弟子』にあたる、師匠の孫娘たちも一緒に作業している。
「なにやってんの! 危ないでしょ!?」
将来を誓いあった間柄でも甘い空気は一切なくて、元兵士の職人たちも真剣な面持ちで『姉弟子』からの教えを乞う。
厳しいことをズバッと言った『姉弟子』が、仕事に戻る『弟弟子』の背中にチラッとだけ、恋する乙女な眼差しを向けていたり、
――言いすぎたかな……?
みたいな、不安げな表情を見せてくれるのが、正直、とてもいい。
振り向いた『弟弟子』がニカッと「大丈夫だぜ?」という感じで親指を立て、『姉弟子』が頬を紅く苦笑いする感じなど、見てるこちらが身悶えしそう。
老師匠は目を潤ませ、涙を拭う仕草をしてから、また怒鳴り声を張り上げている。
改装が終われば、最後の『お試し』となる3回目を開いて、それから新築となる宿舎の建設に取り掛かる。
工事の槌音が響く中、ガビーが、初回と2回目の参加者の中から『お試し3回目』をお世話係として支えてくれる村娘のリストを持ってきてくれた。
「……将来的には温泉郷で働きたいという、小作の娘を中心にシフトを組みました。……どうですか?」
「ええ、……人数的には充分ね」
「私とリーズも入りますし、初回からの娘は慣れています。アデール様の定めた規則も頭に入っていますから、任せても大丈夫だと思います!」
お試しだった『グループ交際』だけど、領民の間での自助として、自主的に継続していきたいという嘆願が村々からあがっている。
――わたしの思い付きが、みんなの役に立っているってことよね……。
もう、それだけでも胸がいっぱいだ。
カトランにはわたしから交渉して、領民たちの自主的な『グループ交際』の継続について、許しを得ることができた。
そこで、『お試し3回目』は、自主運営のお試しということにもなり、お世話係のリストアップと調整もガビーがやってくれている。
そして、いずれ有料開放する際には『お世話係』ではなく、勤務してくれる従業員が必要になる。
こちらは『雇われ農夫』である小作人の娘たちから、仕官の希望があった。
ガビーの取りまとめで、お試し3回目で試験的に働いてもらって、お互いが納得できるなら正式採用となる運びで進んでいる。
改装の現場はユベールの指揮に任せて、わたしは城へと戻る。
馬車が城門をくぐったところで、商人のリュリュの姿が目に留まった。
「ふふっ、これは、アデール様。……私がしばらく顔を出さない間に、すっかり城が活気づきましたね」
「お陰様で」
馬車から降りてリュリュと立ち話。
長い黒髪に浅黒い肌。理知的な顔立ちに、不敵な笑みは健在だ。
「春小麦の種籾を貯蔵庫に納品させていただきました」
「ありがとう。……救荒作物の収穫が全部終わったら、いよいよ春小麦の種まきね」
「復興が本格化しますね」
「ええ……。小麦が自前で収穫できたら、みんな気持ちが落ち着くと思うわ」
冬の寒さが厳しいガルニエ辺境伯領では、秋まきの冬小麦ではなく、春に種をまいて秋に収穫する春小麦を育てる。
王国内では珍しいので、リュリュが方々にかけあって種籾を確保してくれた。
「そういえば、王太后陛下からのご出資があったとか?」
「ふふっ、ごめんなさい。領内の職人と資材で賄えそうなので、リュリュに発注することがなさそうなんだけど……」
「いえいえ、とんでもない。ガルニエ領が繁栄してこそ、私の商いも広がるというものです。どうぞ、お気遣いなく」
慇懃に頭をさげたリュリュが、後ろに振り返った。
「……貯蔵庫を拝見しましたが、一切の乱れがない。家政を担われるアデール様のご手腕あればこそですな」
「わ、わたしだけの力ではなく……、ザザも手伝ってくれますし、兵たちも実直に取り組んでくれてますから……」
「カトラン様からアデール様への信頼も厚くなったと、マルク様からおうかがいしました。……どうぞ、これからもご贔屓に」
マルクが『そう感じている』ということを、リュリュの口から聞かされる。
なんだか、面映ゆい。
「リュ、リュリュは、しばらくはこちらに……?」
「ええ、領内を回って、御用聞きをいたしますよ」
「それは、みんな助かるでしょう。……マケてあげてくださいね?」
「ふふっ、それでは、そのように」
「あと、カトランの話し相手にもなってあげてください」
「……と、仰いますと?」
「最近、忙しいようで執務室にこもり切りなんです。息抜きも必要でしょうから」
「なるほど、さすがのお気遣いですな。かしこまりました。……ちょうど報告せねばならないこともございます」
「そうでしたのね」
「……私などでカトラン様とアデール様のお役に立てるなら、喜んで」
リュリュは大仰に拝礼を捧げてみせる。
――報告せねば……。
という言い回しに、あまり良い報告ではないのだろうなと薄々感じながら、わたしが口出しするのは控えた。
そして、王太后陛下にお願いしていた人材で、リュリュの荷馬車に便乗してきた新たな専門家を貴賓室で引見する。
「ガルニエ辺境伯夫人、アデール様にお目通り叶いましたこと、光栄の極みにございます」
「わざわざのお運び、痛み入ります」
「エルネストと申します。どうぞ末永くよろしくお願いいたします」
型どおりの挨拶だけど、どこか軽快な語り口。水色の瞳に明るいオレンジブラウンの癖毛が印象的な爽やかな青年、エルネストの専門は植物学と農学。それに造園にも造詣が深いそうだ。
農地の本格的な復興と、温泉郷での造園。
両方で力を貸してもらいたい人材を、王太后陛下からご紹介いただいた。
現実的な問題でいえば、どれほど王太后陛下がご好意を寄せてくださっていても、あまり『借り』をつくるのはよろしくない。
だけど、春小麦の種をまくまでにはと考えると、農学の専門家の招聘は急がれた。
なので、これが最後という思いで、王太后陛下にご相談したところ、ご推挙いただいたのがエルネストだ。
――お祭り騒ぎが大好きで軽薄だが、乱倫を憎む。信頼してよい。
王太后陛下からの親書にある通り、エルネストは軽薄そうな笑みをニカッと浮かべた。
ちょっと……、心配。
カトランに引き合わせて大丈夫かしら?
本日の更新は以上になります。
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