51.公女、キュッと結ぶ。
夕食を終えた頃、ガビーが到着した。
村のまとめ役として認められはじめているガビーは、決して暇なわけでない。
「さあ! まずは歌の練習からですねぇ~っ?」
それでも駆け付けてくれたのは、夜の輪舞を定例にしたいと、歌と踊りの指導役を買って出てくれたからだ。
歌も踊りもこの地の伝統。歌い継ぎ、踊り継いでいかないと、あの激しかった戦乱を生き残った甲斐がない――、とガビーは、しみじみと語ってくれた。
「兵士の皆さん、声が小さ~いっ! 辺境伯様に言い付けちゃいますよぉ?」
到着して早々、いきなり元気なガビーの声につられ、だんだん、みんなの声も大きくなっていく。
「おっ……、王太后陛下様と……、え? 王女殿下様ですか?」
歌の練習が終わって、さあ、みんなで立ち上がって振り付けを覚えましょうというところで、ガビーがたじろいだ。
ちなみに『陛下』や『殿下』に『様』は、ちょっと変なのだけど、ガビーだから気にならない。
ソランジュ殿下は優美に微笑まれ、王太后陛下は愉快そうにハスキーな笑い声を響かせた。
「すまんな、邪魔をして」
「い、いえ……、とん……でもない?」
キョロキョロするガビーを、周囲の村娘や兵士たちが微笑ましく眺める。
王太后陛下はすっかりみんなの『おばあちゃん』で、ソランジュ殿下は『おねえさま』だ。
お忍びの訪問にあたり、マノンには、
――我が領の民や兵士もいるところに……、という形になってしまいます。
と伝え、ソランジュ殿下もご快諾くださって調整が進んだのだけど、まさか、ここまで気さくに隔てなく民と交わってくださるとは思いもしなかった。
いまは、おふたりとも輪舞を踊られる気満々で、ガビーの振り付けを真似しておられる。
ただ、王太后陛下は少し残念そうにもされている。
「……妾も名前で呼んでほしいのう」
「そ、それは、さすがにちょっと……」
「妾の名前、可愛いと思うのだが」
「それは、それとしましてですね……」
この温泉地においては、帯剣不可、名乗り自由というルールを定めてある。
無防備な温泉地で、男性が腰に剣をぶらさげていては、皆が寛げない。
そして、名乗りの自由は、主にわたしを対象にしているのだけど、いちいち、
――名乗りを許します。
とやっていたのでは、これまた、皆が心から寛げないのではと考えた。
ただ、さすがに王太后陛下を相手にしての『名前呼び』は、恐れ多すぎる。
わたしを『辺境伯夫人』と呼ぶことに差し支えはないわけだし、王太后陛下に対してもそう呼ばせていただくことにした。
ご本人は不満そうだけど、こればかりはご容赦いただきたい。
「うわぁ~っ! お上手ですねぇ、王太后陛下様!」
「お、そうか? まだまだ現役でいけるかな?」
「もちろんですよ! みんな、王太后陛下様に、ちゅうも~くっ! ほら、このステップですよ。まるで、この地でお生まれになられたみたいです!」
たちまち皆の空気に溶け込んだガビーの屈託のなさが、少し羨ましい。
―― 私、アデール様の側室になります!
と、元気よく宣言してくれたことが、もう懐かしい。
ふと笑いがこみ上げ、ガビーから目を逸らすと、中庭の隅に立つ茶髪の従者、ニコラの姿が目に留まった。
指先がトントンッと、皆の手拍子に合わせてリズムをとっている。
前髪で表情はよく見えないし、口元は堅く閉じられているのだけど、指先だけは軽やかに動いている。
――すこし緊張が解けてきたかしら……。
輪に加わるようにと無理強いはしない。
遠くから眺めているのが居心地よければ、いまはそれでもいい。
「ねぇ……、あのふたり。すごくお似合いじゃない?」
村娘の囁きが聞こえて、「どれどれ……」と興味津々に彼女たちの視線をたどると、リーズが少し頬を赤くしながらルコントの襟元を整えてあげていた。
参加者は領内各地の村々から集まってくれていて、リーズとは面識のない娘も多い。
「お世話係さんたちの方が、なんだかいい雰囲気じゃない……?」
「ふふっ、私たちも頑張らなきゃ。せっかくアデール様が招いてくださったのに」
囁きに気付いたリーズが、パッとルコントから離れて顔を真っ赤にする。
とてもいいものを見せてもらった気分。
初回ではマルクとガビーが、本人たちはそれと気が付かないままに担ってくれた役割を、今度はリーズとルコントが果たしてくれている。
練習が終わって、わたしも輪に加わり、みんなで輪舞を楽しんだ。
ニコラの指先は、ずっと軽快にリズムを刻み続けていた。
翌日の朝の入浴では、王太后陛下と並んで湯に浸からせていただいた。
輪舞の効果か、一緒に浸かる村娘と兵士たちの垣根も、すこし下がって見える。
「……見事であるな、アデール」
「お、恐れ入ります……」
「……女大公ブランディーヌの勘気を被り、王都の政館で逼塞を余儀なくされていたと聞いておったが……、家政をよく学んでおったのだな」
「……え?」
「若者の自由な交際を許しつつ、貸し出す衣装の首元や腰回りの留め具、エプロンの結び目には、安易に着崩れない王国伝統の『楔留め』が施されておるな」
「は、はい……」
「世話係の衣装は、今風にアレンジされてはおるが、古代宮廷の『職務衣』の影響が見て取れる。……違ったかな?」
「い、いえ……、ご賢察の通りにございます」
「……生地を極力無駄にしない裁断、北の気候をよく考慮したデザイン。働く者に誇りを持たせる美しい統一性……。衣装ひとつをとっても、家政の歴史と実用を実によく修めておる。ほとほと感心したぞ」
「お、恐れ入ります……」
カトランやマルクでは気が付いてもらえないところを、唐突にお褒めいただき、顔を赤くしてしまった。
緩みそうになる口元をキュッと結ぶ。
王太后陛下が、湯に浸かるみんなを眺めて愛おしげに微笑まれた。
「……アデール。古来、『綺麗な宮廷』などというものは存在した試しがない」
「は、はい……」
「王都の乱れを女大公の娘であるからといって、アデールが気に病むことない。すべては妾の国王陛下の統治が未熟ゆえのこと……。あい、すまぬ」
「いえ……、そのようなお言葉は……」
「……そなたには、大恩がある」
優しげな眼差しは、湯に浸かり村娘や兵士と語らってくださるソランジュ殿下に向いた。
「そなたが、ソランジュの『お友だち』になってくれたことだ」
「はい……、光栄なことです」
「……アレも父母から疎まれ、離宮での逼塞した暮らしを余儀なくされておった。だが、アデールのことは実に活き活きと妾に話して聞かせてくれる」
「……わたしにとっても、ソランジュ殿下は大切な『お友だち』です……」
「ふふっ、嬉しいことを言ってくれる」
「いえ、ほんとうに」
「……ありがとう、アデール」
「お、恐れ入ります……」
「それだけを伝えたくて、ソランジュについて押しかけてしまった。……突然の無礼を許せよ」
「いえ、そんな……。領民や兵士たちにもとてもよくしていただいて……」
恐縮するわたしに、王太后陛下は悪戯っぽく微笑まれた。
「……ところで、今夜もやるのであろう? あの輪舞は」
「あ、はい。その予定です」
「ふふっ、楽しみであるのう。妾の気持ちまで若返るようだ」
かるく拍子をとった王太后陛下が、わたしを見詰めて、頬を赤く染めた。
お昼間はのんびりしたり、兵士たちのかけっこや腕相撲を応援してすごす。
「頑張れ~っ! いいとこ見せてねー!」
と、わたしも声を張り上げた。
やがて、空が茜色に染まり始めた頃、急にカトランが姿を現わす。
パトリスも一緒だ。
「……パトリスが気にする様子だったのでな。馬を駆けさせた」
「そうでしたか」
「今晩は泊まることにしよう」
素っ気なくそう言ったカトランは、管理棟の衣裳部屋へと着替えに行く。
照れ臭そうに俯くパトリスに、腰を降ろして目線を合わせた。
「……あのね、アデール」
「うん、いいのよ。遊びに来てくれて、わたしも嬉しいわ」
「……違うの」
「うん、なあに?」
「……ほんとは、養父上が『行きたくないか?』『気にならないのか?』『馬に乗るか?』って、何度も聞いてくるから……」
「あら……、そう」
「うん。ボクはアデールに『待ってる』って約束したから……」
「ふふっ、ありがとう。でも嬉しいわ。パトリスが来てくれて」
「……ほんとう?」
「うん、ほんとう」
「じゃ、ボクも着替えてくる!」
駆けていくパトリスの背中を見送る。
――カトラン……。パトリスのせいにするだなんて……。なんだか……。
と、むずがゆいものを感じながら立ち上がると、ソランジュ殿下がジッとこちらを見詰めていらした。
この世の中には、こんなにも上品で気品に満ちた『ニマニマ』があるのかと、むしろ感動してしまうような微笑みをたたえて。
「……仲がおよろしいのですわね」
「え、えへへ……」
変な笑いが出た。
「羨ましいですわ」
「……ありがとうございます」
ソランジュ殿下と「うふふ」と、微笑みあった。
カトランとパトリスも交えて夕食をいただき、輪舞の時間を迎えたとき。
王太后陛下のお側に、従者のニコラが控えていた。前髪では隠し切れない、おどおどと怯えたような表情で、なにか大きな荷物を手にしている。
「実はこのニコラは音楽家である」
「へぇ~っ!! 音楽家さんでしたか!」
王太后陛下のお言葉に、ガビーが屈託のない驚きを返した。
「皆がよければ、輪舞の伴奏を弾かせたいのだが、どうだろうかのう?」
わたしでもカトランでもなく、村娘や兵士たちの意向をお尋ねくださったことが、とても嬉しかった。
まずは試演をという話になって、皆が腰を降ろして手拍子の準備をする。
楽器の演奏を聞くこと自体が、みんなとても久しぶりだ。ウキウキとした雰囲気に包まれる。
「……こ、こちらの風土なら、ハーディングフェーレの音色ではないかと……」
指先を震わせながら、ニコラはバイオリンによく似た楽器を取り出した。
わたしもカトランとパトリスと並んで腰を降ろし、ニコラを見守る。
――頑張れ。
拳を握る。
ニコラの長い前髪の隙間からのぞく、瑠璃色をした瞳と目が合った。
その瞬間、ニコラの指先の震えがピタリと止まった。
――え……?
思わず息を呑んだ。
お皿一枚まともに運べず、竈の前でおどおどと縮こまっていた青年の手から、どうしてこんなにも美しい音色が生まれるのだろう……、と。
「この地の音楽だ……」
気付くと、隣でカトランがうっすらと涙を浮かべていた。
見れば村の娘たちはみんな、ガビーもリーズも瞳を潤ませている。
戦乱はこの地から、先祖伝来の楽器も旋律も失わせていた。
だけどニコラは、昨晩、指先を弾いていた手拍子を聞いただけで、それを正確に再現してみせたのだ。
みんなは手拍子も忘れ、ただ、ニコラの奏でる音色に聞き入り、わたしはカトランがひと筋垂らした涙の美しさに見惚れていた。
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