50.公女、膝を抱く。
王太后陛下とソランジュ殿下をご案内して、温泉地を散策して歩く。
自然豊かな春の光景以外にはなにもないのだけど、おふたりとも、とても満足げな微笑みを絶やさない。
「ふむ……。こうして、おそろいで色違いのドレスを着て歩けば、まるで姉妹になったかのようだのっ」
わたしとザザの縫ったカントリードレスのスカートを、ヒラリとはためかせた王太后陛下が、ハスキーなお声を弾ませる。
「この老婆がアデールやソランジュと『姉妹』とは、ちと厚かましかったかの?」
「あ、いえ……」
「……お祖母様? アデール様がお困りになっておりますわ」
春の陽光に水色がかかった銀髪を煌めかせるソランジュ殿下が、眉を寄せて笑った。
「はははっ、すまぬ。……心安らぐ温泉郷に浮かれておるな」
「ふふっ、素敵でしょう?」
「ああ、ソランジュの申す通りであった」
王太后陛下は目をほそめ、慈愛に満ちた眼差しをソランジュ殿下に向けられた。
とても柔らかで温かな微笑み。
初めて「おばあさま」らしいご表情を拝見したかもしれない。
ソランジュ殿下も「ふふん。そうでしょう?」といった得意顔で応えておられて、祖母に甘える孫娘といった風情。なんだか、すごく可愛らしい。
そして、これもわたしとザザで縫った入浴衣をお召しくださり、一緒に温泉に浸からせていただく。
「……アデール。妾たちの案内はここまででよいからな」
「え?」
「勝手に押しかけたのだ。アデールにもやることがあるであろう?」
眉を寄せて申し訳なさそうに笑われる王太后陛下の笑みは、ソランジュ殿下にそっくりだった。
王太后陛下は、兄ナタンの来訪を耳にして「そこに行ってやらずにどうするのだ」と、はるばる北の辺境まで駆け付けてくださった。
そして、兄を追い返した後、温泉地行きを急かされたこともまた、ご配慮だった。
ソランジュ殿下と調整していた予定の日まで城にご滞在となれば、そのおもてなしでてんやわんやになる。
「ソランジュとふたり、湯に浸かって、のんびりさせてもらう。……アデールとカトラン公からの気遣いは、それだけでも充分すぎるほどであるぞ?」
フリルを湯に浮かべた王太后陛下が、気持ちよさそうに春の空を見上げた。
ご配慮に感謝しつつ、城に戻って『お試し2回目』の準備に駆け回る。
「……ドレスも入浴衣も、王太后陛下にもよく似合ってたな」
「ザザ? ……口が悪いわよ?」
「いまは若者向けの『グループ交際』でも、いずれは領民みんなに有料で開放したいんでしょ? アデールは」
「ふふっ……、そうね」
「爺さん婆さんの湯治客は大切な顧客になるでしょ?」
「でも、王太后陛下に『ばあさん』はないわよ? わたし以外に言ったらダメよ?」
しっかり釘を刺しておく。
そして、『お試し2回目』が翌日となった朝に再び温泉地へと向かう。
「それでは、行ってまいります」
「ああ、よろしく頼む」
執務室のカトランに出発の挨拶をして、いつもの素っ気ない返事が返ってきたことが、とても嬉しい。
――もう、あの温泉地のことは、わたしを信用して、すべて任せてくれている……。
パトリスの部屋にも向かう。
そっと扉を開け、机に向かうパトリスの小さな背中を後ろから眺めた。
側に控える傅役のギオが、ザザから贈られた黒い眼帯を軽く撫でた。
「……真面目にお勉強なさってますよ」
「ふふっ、そうね」
「アデール?」
パトリスがふり向き、グリーンの瞳でわたしを真っ直ぐに見詰める。
「……行くの?」
「ええ、行ってきます」
「抱っこ。……ちょっとだけ」
わたしがギュッと抱き締めると、パトリスはすぐに「もういいよ」と微笑んだ。
「アデールは、帰ってくるから」
「ええ、もちろんよ」
「……今度は、待ってる」
得意顔のパトリス。
『お試し初回』では、落ち着かない様を見かねたカトランに馬を走らせた。
だけど、いまは満面の笑みで、わたしを送り出そうとしてくれている。
頬を撫でた。
「ありがとう、パトリス。行ってきます」
「行ってらっしゃい、アデール」
パトリスはくすぐったそうにはにかみ、わたしの手の上に、そっと手を置いた。
Ψ
迎えた翌日のお昼前。
続々と到着してくる『お試し2回目』の参加者たちに、管理棟でお衣装を貸し出す。
「入浴も食事もともにするなら、最初から顔を合わせた方がよかろう?」
と、王太后陛下とソランジュ殿下まで、わたしと一緒に貸し出し係を務めてくださった。
「お、王太后……へい、か?」
最初は恐縮を通り越して、呆気にとられていた村娘たちも、
「ふむ……、そなたにはラベンダーもよく似合っておるが、こちらのペールブルーも試してみるか? せっかくの機会なのだ。気に入るものが良いであろう?」
などと、お衣装選びの相談にも乗ってくださる王太后陛下の気さくなおふる舞いに、次第に緊張を解いていく。
「まあ、どちらも素敵。これは迷いますわねぇ……」
と、ソランジュ殿下も村娘たちと、はしゃいでくださる。
マノンは、今回はソランジュ殿下と王太后陛下のお世話に徹する。
そして、初回に参加してくれた者のうち数人が、裏方の手伝いにきてくれた。
「お料理やお洗濯、お掃除……。お世話係は全部私たちがやりますから、アデール様は、みんなを寛がせてあげてくださいね」
と、養蜂農家のリーズに念を押される。
もちろん、休暇をとったルコントもいる。
参加者とは見分けがつくように、お世話係用のお衣装も準備した。
女性には作業用のスモックドレス。袖口はリボンで絞って、湯仕事やお給仕の際にはサッと肘上まで捲り上げられる「キャンディスリーブ」にした。
胸元から腰には、大きなポケット付きのビブエプロン。髪には三角巾風のカチューシャをあしらう。
「……お城勤めでもしてるみたいで、すこし気恥ずかしいですね……」
と、頬を薄紅色に染めるリーズ。
清潔感と可憐さが両立していて、なかなかいい出来だと思う。
男性には身軽に動ける腰丈のワークジレ。
木製の前ボタンをしっかり留めると、頼れるスタッフといった装い。
こちらも色違いを用意したのだけど、リーズとルコントが、おなじ紺色を選んでいて、みんなでニマニマする。
「……ル、ルコント……、が。巣箱の継箱を一緒につくってくれたので、数日なら離れていても大丈夫なんです……」
「……継箱?」
「あっ、ミツバチが蜜を貯める部屋を、巣箱の上に載せてやるんです。下に入れる方法もあるんですけど……」
「へぇ~っ! ……それを、ルコントと」
「は、はい……」
闘技会でも大活躍だったルコント。兄の護衛を音ひとつあげさせずに制圧した。
忙しい兵団の職務の合間を縫って、リーズとの逢瀬を重ねていたらしい。
リーズの隣で顔を赤くして、斜め上を見上げている。
わたしに顔を寄せたリーズが声を潜める。
「あの……、春の採蜜が終わったら、ミツバチを分蜂して巣箱を増やそうかと……」
「ふむふむ」
「……それであの、蜜がもっと採れるようになったら……」
「ふふっ、いいわね」
「……はい」
「大丈夫。カトランも兵たちが民に戻っていくことには賛成よ」
「……はい」
そそくさと、参加者たちのお世話に向かうリーズとルコントの背中を見送る。
王太后陛下が側に立たれていた。
「……よいのう。久しく見ておらなんだわ。折り目正しい、見ているこちらまで幸せにしてもらえるような男女の交際というものを」
「恐れ入ります……」
王太后陛下は、眩しそうに目をほそめておられた。
そして、お世話係の手伝いにと、従者をふたり貸し出してくださった。
さっそく、まずはお昼ご飯のお給仕から。
お天気がいいので、中庭で。
従者のひとりは長い金髪をひとつに束ね、縁の太い眼鏡をかけている。
さすがは王太后陛下にお仕えするだけのことあるという洗練された所作で、動きにそつがない。
まるで、参加する村娘と兵士を、お姫様と王子様にしてもらったみたい。
なにより嬉しいご配慮を賜った。
「あっ……」
と、もうひとりの従者が落としそうになったお皿を、咄嗟に支える。
「……す、すみません」
「大丈夫ですよ。ふふっ、普段はお給仕なんかされませんものね」
「……すみません」
「無理せず、ひとつずつ運びましょう」
茶色い髪の前髪が目元まで覆う、ヒョロリとした猫背の従者からお皿をひとつ受け取り、わたしも一緒に運ぶ。
従者は、どこか萎縮した様子で、数を減らしたお皿を運ぶ手もおぼつかない。
前髪からのぞく暗い色をした瞳は、自信なさげに視線を彷徨わせている。
明らかにお給仕には向いていない。
だけど、あの王太后陛下が指名されたのだ。なにか意図があるに違いない。
――まだ事情は分からないけれど……。この従者も乱れた王都が息苦しくて……、それで王太后陛下がお連れになったのではないかしら……。
兄の連れていた、紫のドレスを着た令嬢のことを思い出す。
お昼ご飯を和気藹々と終えて、みんなが温泉に向かった後のこと。
お給仕からは外され、厨房で竈の番を任された茶色い髪をした従者の丸めた背中が目に入った。
隣で膝を抱いた。
「あ……、すみません」
「ふふっ、大丈夫ですよ。お名前は?」
「……ニ、ニコラです」
縮こまるニコラの背中に、王都の政館で、いつまた兄や姉から嘲笑と侮蔑を浴びせられないかと身を堅くしていた頃のわたしが重なっていた。
「ニコラ、焦らなくてもいいですからね。ほら、薪が楽しそうにパチパチと跳ねています」
「あ……、はい」
「……余計なことを言うかもしれませんが……」
「……はい」
「ここには、あなたを傷付ける人は誰もいませんから……」
チロチロと燃える竈の火を、ニコラと一緒に眺めた。
本日の更新は以上になります。
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