47.公女、目を瞠らされる。
「久しいの、アデール」
「……お、王太后陛下におかれましては、幼き日の記憶と微塵もお変わりない麗しき御姿を拝し、感無量にございます」
「ふふっ、そう堅くなるな」
ハスキーなお声を響かせた王太后陛下は、慈愛に満ちた優美な微笑みを浮かべ、わたしとカトランの間にご着座あそばされた。
――ごめんなさいね……。
といった風情で眉を垂らし、申し訳なさそうに笑うソランジュ殿下は、わたしの隣に急きょ設けたお席に。
わたしは、王太后陛下とソランジュ殿下に挟まれる形。
さらに、マノンは、
――責任をとって、自害します。
といわんばかりの、漂白された表情でスンと立つ。
王太后陛下のお成りにはビックリしたけど、そこまで思い詰めなくていい。
「辺境伯。驚かせて済まぬな」
「いえ、王太后陛下。……御尊顔を拝する栄を賜り、恐悦至極。この度は、我が領へ御自ら足をお運びいただき、身に余る光栄と存じます」
カトランの流麗な答礼に目を瞠らされる。
王家、大公家に次ぐ格式を与えられたガルニエ辺境伯家の当主として、なんの遜色もない、洗練された所作。
昨日今日で身に付くものではない。
――いままで発揮されるべき場面に出くわさなかっただけで、辺境伯にふさわしい品格が、カトランには元々備わっていたのだわ……。
思わず、見惚れる。
「辺境伯。遠慮することはない、着座なされよ」
「はっ、それでは失礼して」
「アデールもな」
「は、ははっ……」
わたしとカトランとで、王太后陛下をはさんで座る。
対面の観覧席で、兄たちは品なくざわついていた。
王太后陛下の求めで、マルクが進み出る。
『闘技会』のこれまでの催行結果を奏上させていただく。
紅潮したマルクの表情。
騎士爵にあって直言で王太后陛下に奏上する機会に巡り合うことなど、そうはない栄誉だ。
「なんだ。すでに勝負はついておるではないか」
王太后陛下がつまらなさそうに、気品と威厳に満ちた口を尖らせ……、あそばされた。
対戦はすでに半数以上が終わり、そのすべてが、ガルニエの騎士の勝利。
たしかに勝負はついている。
「ナタンをこれへ」
王太后陛下のお言葉で、近侍の方が対面に走る。
やがて、苦々しげな表情を隠さない兄ナタンが、わたしたちの前で片膝を突いた。
王家に対抗する大公家としては、より権威の高い、王太后陛下などに対しては――、
『いかに出会わないか』
『いかに同席を避けるか』
――に、政治力を注ぐ。
しかし、出会って同席してしまえば、表面上だけでも臣下の礼を尽くすほかない。
礼を欠けば、それは大公家の失点として、王家に揚げ足を取られる。母女大公に頭を下げさせる事態ともなれば、大公家の政治力を削がれる。
数えきれない異性と関係を持ち、山吹色のリボンをばらまいた兄の――、『努力』が、無になりかねない。
「……このまま終われば、妾の出しゃばり損になるのう、ナタン」
「ご期待に応えられず……」
微かな風に乗って、ふわりと女性用の香水の匂いがした。
兄ナタンの身体に移っていたのだろう。
対面の観覧席がどのような有様であるかを雄弁に物語る、官能的な甘い香り。
「それでは、女大公ブランディーヌに、妾の顔が立たぬ」
穏やかな口調ながら王太后陛下は染み渡るようなそのハスキーなお声で、巧妙に母女大公の名を持ち出し、兄ナタンの『逃げ道』をふさいだ。
「妾がそなたに、大公家の名誉を回復させる機会を授けよう」
「……御意のままに」
「剣では勝負にならぬようだ。そなたが大公家を代表し、格闘で仕合え」
「いや、公子たるこの俺が、辺境の田舎騎士などを相手に……」
「辺境伯、受けてくれるな」
王太后陛下のお顔がカトランに向く。
「……御意」
「うむ。よいのう」
王太后陛下は目をほそめ、晴れ渡った春の空を見上げた。
目元に微かに刻まれるシワだけが、そのお歳を表すけれど、まるで夢見る乙女のような、うっとりとされた表情。
「……若き公子と辺境伯が青空の下で肉体を競う。『まいった』は許さぬ。妾がよいと言うまで続けよ。……すぐに支度せよ」
忌々しげに顔を歪めた兄ナタンが立ち上がり、対面へと戻る。
有無を言わせる隙を与えない、王太后陛下の押し引き自在な話術に、わたしまで惹きこまれていた。
――えっ!? ……格闘? って、な、殴ったり蹴ったり、投げたり? お、お兄様とカトランが……!?
そのとき、対面から囃し立てるような嬌声が響き渡った。
上着を脱いだ兄ナタンが得意げに片手をあげて、令嬢や令息たちからの歓声に応えてみせる。
――ほ……、ほっそ……。
兄の貧弱な体躯に、言葉を失う。
この地に来て、カトランやマルク、騎士や兵士の逞しく鍛え込まれた身体を見慣れていたせいだろうか。
ヒョロリとした兄が、ヘラヘラと闘技場へと降りていく様を呆気にとられて目で追ってしまった。
王太后陛下が、上着を脱いだカトランになにか耳打ちをされた。
――ぶ、分厚っ!!
カトランの胸板に、初めて気が付いたように驚いてしまう。
ずっと一緒にいたのに。
輪舞を一緒に踊ったし、抱き上げられたこともあるし、壁に押し付けられたこともあるというのに――パトリス監督のせいだけど――、見事な体躯にポッと頬が火照る。
闘技場に降りていく、背中の分厚さと肩幅の広さも、チラチラと見てしまう。
――わ、わたし……、夫人だし。こんなにコソコソ見たりしなくても……、あっ。ああっ!!
大変なことに気が付いてしまった。
ここは、夫人として「ご武運を」とか言うべき場面だったのではないかと、内心で頭を抱える。
わたし、夫人なのに。
対戦が始まり、兄が拳を繰り出す。
カトランは軽い身のこなしで、こともなげにそれをかわす。
勢い余ったといった体裁で兄がわざと転んでみせる。対面から歓声が湧く。
――王太后陛下の御前になったというのに、まだ続けるつもりなのか……。
兄が拳を出し、カトランがかわす。転んで痛がり、品のない笑い声が響く。
「……アデール」
「は、はいっ!」
王太后陛下が、わたしに身体を寄せておられた。
ハスキーなお声には親愛の情がこもる。
「そなたや皆が、妾に威厳というものを感じてくれるのなら……、それは普段、王都の乱痴気騒ぎとは一線を引き、領地で沈黙を守っているがゆえのこと」
「……金言、胸に刻みます」
「実態は、夫には先立たれ、功に逸る国王陛下からは疎まれる、寂しい老婆であるというのにな」
「お、お戯れを……」
「ふふっ、まあよい。……カトラン公には妾から『決着をつけるな』と頼んだ」
「……え?」
闘技場では、相変わらず道化のように揺ら揺らと舞う兄ナタンを、カトランが軽くかわし続けている。
それも、兄の拳が触れるか触れないかのギリギリの距離を見極めた無駄のない動きであると、わたしでも分かった。
「ふふっ……、噂に違わぬ、卓越した武人であられることよのう」
「……はい」
「惚れ惚れするのう」
「あ……、え?」
思わず、王太后陛下のお顔を二度見した。
ただ、自分が王太后陛下の何に反応してしまったのかが、自分でも分からない。
「……はははははっ! す、すまぬ」
「え?」
「アデールの初心な反応がなんとも……」
「あ……、はい。も、申し訳ございません」
ようやく、王太后陛下の仰った「惚れ惚れする」というお言葉に、図星を突かれたように感じた自分に気が付いて、赤面する。
それを、王太后陛下に見透かされていたことも、ますます恥ずかしい。
「王都ではとんと見かけなくなった、よいものを見せてもらった」
「……きょ、恐縮です」
「見よ、アデール」
王太后陛下が、扇で隠した手元で、対面の観覧席を指さした。
「……令息どもは騒がしいままだが、令嬢たちは静まり始めたぞ?」
「え……?」
王太后陛下は忍び笑いを漏らされる。
たしかに、対面の令嬢たちは嬌声をあげることをやめ、その瞳は地に転がる兄ナタンではなく、カトランの姿を追っている。
「……女子たるもの、逞しい男子にこそ惹かれて当然。享楽だの退廃だの、粋の無粋のとうそぶいていても、本能には抗えぬと見えるな」
ククッと笑った王太后陛下が、皮肉げに目元をゆるめた。
「……淫売を乙女に変える武威よの」
対面の令嬢たちは大きく開いたドレスの胸元をそっと引っ張り上げたり、手や扇で覆う者もいる。
令息たちはどうにか囃し立てようと煽るのだけど、令嬢たちはつれない。はじらうような素振りも見える。
荒く息を切らし動きの鈍くなった兄ナタンに、令嬢たちは目もくれていない。
わたしの隣で、ソランジュ殿下が微笑まれた。
「……アデール様が羨ましいですわ。あのように逞しいカトラン公と結ばれて」
ポンッと顔が燃え上がる。
「む、結ば……、は、はい。……ありがとうございます」
高貴な王族のおふたり。両サイドからまじまじとわたしの顔を観賞しないでほしい。
「さて……、そろそろ真に『絶望』というものを教えてやらねば、人道にもとるというものよのう」
王太后陛下が静かに闘技場を見詰めた。
本日の更新は以上になります。
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