43.公女、任される。
「パトリス子爵閣下の温かいお言葉に、このマノン。ソランジュ殿下になり替わって厚く感謝申し上げます」
スッと嫌味なく、パトリスにカーテシーの礼を執ったマノンは、やはり律儀なだけではなく、第二王女の側近にふさわしい敏腕の侍女なのだと思う。
殿下のお忍びでの来訪を交渉するこの場面で、味方になってくれたパトリスに対して即座に拝礼を捧げ、場の空気を誘導する。
「う、ううん……。お姫様、温泉に入れるといいね……」
少し頬を赤くしたパトリスから、この発言を引き出した。
――乱れた風紀を忌まれたソランジュ殿下が離宮に引き籠られているとはいえ……、魑魅魍魎の跋扈する王都で側近としてお支えするとは、こういうことなのだ。
パトリスの反応は予想されたものではなかったであろうに、機を見るに敏な、鮮やかな交渉手腕の一端を垣間見て、小柄なマノンがひと回り大きく見えた。
わたしも、兄ナタンの来襲を控えている。強く賢くならないといけない。
隣に立つカトランを見上げた。
「……わたしとしては、パトリスもこう申しておりますし、ソランジュ殿下をお迎えしたく存じます」
「アデール様……」
マノンの呟きが重なった。
向き直って、マノンの瞳を見詰める。
「……ですが、マノン。我が領の民や兵士もいるところに……、という形になってしまいます。ソランジュ殿下がそれでも構わないということであれば、お断りする理由はありません」
「はい。きっと、殿下はお喜びになられます! きっとです!」
「ふふっ、そう」
「はいっ! 間違いありません」
わたしがもう一度、カトランを見上げると、マノンも食い入るようにカトランを見詰めた。
「……と、いうことのようですが、カトランはお許しくださいますか」
「はははっ」
カトランは気の抜けたような笑い声を漏らして、真っ赤な瞳をほそめた。
その思いがけない反応に、わたしとマノンは意表を突かれ、ふたりで同時に背筋を伸ばした。
マノンの交渉手腕に軽い驚きを覚えたばかりだというのに、さらに大きな器に包み込まれたかのよう。
カトランがあごを撫でる。
「……ふふっ、侍女殿から、そのように激しい『殺気』を込めた目で睨まれては、認めぬわけにはいくまい」
「さ、殺気だなんて……。え? こもってましたか?」
動揺したマノンが首を左右にカクカクと振って、あたりを見回す。
大口をあけたマルクが、自分の額をポンッと手で打った。
「がははははははっ! 認めるか、さもなくば死かという、見事な気迫でしたな!」
「し、し、し、死だなんて、そんな恐れ多いことは……」
「……見事な忠義だ」
カトランが労うような声を、優しげに響かせた。
「侍女殿のような臣下をひとり抱えれば、大陸の覇権も狙えようというもの。……ソランジュ殿下が羨ましい」
「……み、身に余るお言葉、光栄に存じます……」
「かの温泉のことは、アデールに任せる。思うように取り計らっていい」
「かしこまりました。ありがとうございます」
わたしがカーテシーの礼を執ると、慌てたようにマノンも続く。
そして、頬を紅潮させたマノンと微笑み合った。
Ψ
城に戻って、マノンの出立を見送る。
ソランジュ殿下ご来訪の詳細は、マノンが王都に戻ってからの調整になる。
兄ナタンが押しかけてくるという『闘技会』が終わったあとがいいだろう。どうせ、騒がしく、乱れたことになる。
せっかく足をお運びくださるなら、静かな環境でお迎えしたい。
本当に最後になるのかは分からないけど、わたしも旧交を温めたいし、よい思い出にしてもらいたい。
そして、カトランの執務室に向かう。
「ん? ……どういうことだ?」
「で、ですから……、つ、妻にしていただけるという話をですね……、パトリスになんと説明すればいいかと……」
ようやく相談できた。
ここならパトリスは入ってこないし、念のため扉の外ではザザに立ってもらってる。
温泉地で展開された、パトリス監督による『仲良し大作戦』の経緯を説明する。
いや、最後の方はもはや『イチャイチャ大作戦』か『ラブラブ大作戦』だった。
「しょ、正直なことを申します」
「ああ……、なんだ?」
頭を抱えるふりをして、顔を隠した。
「……わ、わたしでは、ふしだらな言葉か、みだらな言葉か……。と、ともかく、6歳のパトリスにも聞かせられる適切な説明が思い浮かばないのです」
かなり、考えた。考え続けていた。
自分では清純だなんて思っている者の方が、実際には〈ふしだら〉なことばかり考えているのではないかと、ちょっと自己嫌悪してしまうほどに。
でも、どうやっても、わたしでは無理だ。
夫人が妻になる――、この機微を〈ふしだら〉抜きで解説することができない。
ザザは笑うばかりで当てにならない。
もはや、カトランを頼るしかない。
「そういうことだったのか……」
「はい」
「いいのではないか? いまは誤解したままでいても」
「……え?」
「可愛らしいではないか。そのうち、時がくれば自然と気が付く」
「ほ、ほんとうに、いいのですね?」
「ああ」
「続きますよ?」
「……ん?」
「その……、手をつながせられたり、膝枕をさせられたり、馬に一緒に乗せられたり、壁にドンってしたりされたり……」
わたしもさせられた。
背伸びをして、カトランの後ろの壁に手を突いて、ふくらはぎがプルプルした。
カトランが目をしかめて、睨むようにして見詰めるものだから、わたしはちょっと傷付いた。気持ちは分かるけど。
「ははっ……、そうだな。パトリスの期待に応えられるものは応えて、そうでないものは、やんわり断ればいい」
「……カトランが、そう言うのなら……」
正直、困ってはいるけど、嫌ではない。
パトリスが、村娘のお姉様方からの教えを熱心にメモしていたことは、少し気になるけど、嫌ではない。
きっと、これから指令がエスカレートしていく予感はしてる。けど、嫌ではない。
カトランには伏せたけど、そのうちパトリスが「ふたりで『抱っこゲーム』をやったらいいよ」と言い出さないか、戦々恐々としている。けど……、嫌ではない。
いや、『抱っこゲーム』を本当にやるかどうかはともかく、ふしだらには、ならない範囲で……。嫌ではない。
久しぶりの書類仕事で目が疲れてしまったのだろうか。カトランが親指と人差し指で目頭を軽くつまんだ。
「……俺がアデールを追い出すことはないとパトリスが納得すれば、自然と収まるだろう」
「そ、そうですわね……」
「パトリスには前歴もある。いまは少々の『ワガママ』なら聞いてやりたい」
「……分かりました。が、頑張りましょう」
「え?」
「え?」
眉間から手を放したカトランと見詰め合い、どちらからともなく笑い出した。
――頑張るって、なんなんだ?
というカトランの反応がおかしい。自分の発言もおかしい。
「もう、カトラン……?」
「アデールこそ」
パトリスの『期待』に応えようと、カトランと約束した。
その日の晩餐の時間。
すごく考えたであろうパトリスが、ガルニエ家では無言をもって旨とする時間に、
「養父上……。は、発言しても、よろしいでしょうか」
と切り出した。
「ああ、なんだ?」
「……ア、アデールは、養父上にスプーンでスープを飲ませてあげたらいいと思う」
「……え?」
という声が、カトランとそろった。
「ボ、ボクには、ときどきやってくれるでしょう?」
「え、ええ……、そうね」
「あっ! ……ちゃんと『あーん』って言わないとダメらしいよ?」
苦笑いのカトランが、ナイフを置いた。
「パトリス。晩餐の席では今日だけだぞ?」
「はいっ! 養父上!」
カトランがわたしに向かって口を開けようとして、パトリス監督の鋭い指示が飛ぶ。
「ダメです、養父上! アデールが、あーんって言ってからでないと」
「そ、そうか……」
「はい」
ふたりの視線がわたしに向く。
静寂が支配するはずの晩餐の席で、ザザも給仕の兵士も見て見ぬふりをしながら、必死に笑いを堪えている気配がした。
「あ、あーん……」
カトランも、わたしには余裕のある態度を見せながら、実際にやると耳の先を赤くしないでほしい。
わたしまで赤くなる。
そして、兄ナタンを迎える日がやってきた。
本日の更新は以上になります。
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