42.公女、打ち明けていない。
マノンは小さな頭の眉間にシワを寄せ、もどかしげに話す。
「……実は、ソランジュ殿下には、王太后陛下のご領地を継承されるお話が持ち上がっております……」
「まあ……」
「そうなられましたら、今よりもさらに自由の利きにくい身となられますゆえ……」
マノンの硬い声には、隠そうにも隠し切れない、忸怩たる思いが滲んでいた。
王太后陛下は、ご子息であられる国王陛下との折り合いが悪く、自身のご領地に逼塞してお暮らしだ。
第二王女たるソランジュ殿下がそのご領地を継がれるとなれば、額面通りの慶事と受け止めるべきか、実質的な王都追放と見做すべきか……、判断の難しいところだ。
マノンが眉間のシワを深くする。
「……このまま、関係を持った異性の数を競い合うような、乱れた王都におられるよりは、よほど心安らかにお過ごしいただけるかとは思うのです……、が」
侍女としてマノンが、喜ばしいことだとは思っていないのだと、ひしひしと伝わる。
王太后の領地に未婚の王女が身を寄せるというのは、政治の表舞台からのフェードアウト。修道院に入るのと似たようなニュアンスがある。
典型的な「政争の敗北」パターン。
厄介払いされた――、とも受け取れる。通例であれば王都に戻ることもないし、この先に縁談がくることもない。
意を決したように、再びマノンが口をひらいた。
「最後……、と申し上げたら不敬にあたるかもしれませんが……、最後にもう一度。ソランジュ殿下によき思い出をつくっていただきたいのです」
「……そうでしたか」
「はい」
顔を上げたマノンは、風に揺れる菜の花畑を静かに眺めた。
臣下の身にして、マノンにできることは、わたしに直訴するところまで。それも、まだ機密事項であろう、殿下の王太后領継承の話まで打ち明けてくれた。
あるいは越権かもしれない。
けれど、できることはすべてやり終え、あとはわたしの判断を待つという澄んだ眼差し。ソランジュ殿下に捧げる純朴なまでの忠誠心に胸を打たれる。
実は、わたしにも、マノンに打ち明けていない話がある。
〈お試し初回〉への出発直前、ソランジュ殿下から内密に親書を頂戴したのだ。
――幼少のみぎりより私に仕えるマノンが、初めて長期の休暇がほしいと言うので快く許したのですが、よもやアデール様のもとに赴いていたとは……。
マノンの母、コルベール伯爵夫人とのお茶会で、ことの次第が殿下のお耳に届いたらしい。
――ご迷惑をおかけしますが、どうぞマノンをよろしくお願いいたします。
という、ふたりの絆を感じさせられる、丁重な文面が、几帳面なご気性をそのまま映したような、美しく整った文字で綴られていた。
――マノンとは何度も、御家の温泉郷での思い出を語り合いました。恋しくなってのことかと存じます。どうぞ、よろしく御取り計らいくださいませ。
そして、意外な『お詫び』も添えられていた。
――過日。御家を訪問させていただいた折には過分のご配慮を賜りながら、アデール様のお心にまで思いが至っておりませんでした。
とても格調高い流麗な文体で、とても婉曲に、とても雅やかに……、わたしなりに要約すると、
『あのとき、私がカトランを〈独り占め〉にしちゃって、アデールに〈やきもち〉を焼かせちゃってたよね? ほんとに、ごめん。そんなつもりじゃなかったのよ?』
という内容が綴られていた。
苦笑い。
ソランジュ殿下は24歳。カトランの武威に匹敵するだけの威厳と気品を漂わせ、スラリとしたご長身に水色がかかった銀髪が雪景色によくお映えになっていた。
――ひょっとして、王家もカトランとの政略結婚を企図して、堅物王女を勅使に選んだのでは……。
と、不安をよぎらせ、和やかに歓談するソランジュ殿下がカトランとお似合いに見えてしまって、『わたしなんて……』と、卑屈な気持ちを覚えた。
あれが『やきもち』だったのかどうか、自分では判断のつかないところだけど、それにしても……、
――今さら、わざわざ謝ってくるようなこと?
と、ソランジュ殿下の底抜けの生真面目さというか『堅物』っぷりに、呆れるやら、感心するやら。
殿下からのお申し出で個人的なご交誼を結ばせてもらった『お友だち』として、わたしにできる精一杯の雅な文体で、
『気にしないで! 殿下!』
というお返事をしたためた。
ただ、ソランジュ殿下は、それだけ『あのとき』のことを何度も何度も思い返し、何度も何度もマノンと語り合われたのだ。
だから、あのときのわたしの心持ちにまで、改めて思いが至られた。
乱れた王都で、ひとり籠城するように離宮で息を潜めてお暮らしのソランジュ殿下。
ガルニエ辺境伯領での思い出を、まるで宝物のように大切にしてくださっていることが、痛切に理解できた。
だからこそ、マノンは休暇を願い出てまで、殿下には伏せてわたしに直訴すべく、北の辺地に足を運んだ。
内密に、わたしだけに『こっそりと』ではなくて、この菜の花畑の前でカトランや他のみながいる場所での嘆願は、マノンの覚悟の表れだろう。
隣にいるカトランの表情をうかがう。
そして、少し離れてザザと一緒に立つパトリスの様子を、横目でそっと確かめた。
菜の花を眺めている。
マノンの声が届いていないということはないだろう。
――ふふっ。……可愛らしい子爵閣下であること。
温泉でソランジュ殿下に抱き締められ、パトリスは身を強張らせた。
ソランジュ殿下に悪意はなかった。
オーレリアン事件や、カトランの辺境伯叙爵交渉などが無事に解決したという、開放的なご気分が〈堅物王女〉の羽目をはずさせ、目の前で湯に浸かる『可愛らしい子爵』をつい、抱き締めてしまった。
ただ、パトリスにとっては大事件だった。
自分を抱き締めて落城する城から脱出した実母セリアから、森の中で投げ捨てられたという、悲しい記憶を刺激された。
ソランジュ殿下が出立される日、殿下は丁重に膝を折られ、パトリスは堂々と胸を張って立派な答礼を果たした。
『パトリス子爵。……性分にもなく、はしゃいでしまい、大変、不躾なことをしてしまいました。お許しくださいませ』
『いいえ。どうか、お気になさらず』
幼少の身ながらも子爵にして辺境伯令息に相応しい、ふる舞いだった。
だけど、パトリスの中で、ソランジュ殿下がどのように記憶されているのか、その後に話を聞いたことはない。
わたしにとっては大切なお友だちでも、パトリスにとってどうかは、分からない。
ふと、わたしの視線に気が付いたパトリスと目が合った。
小さな口が、モゾッと動いた。
「……お姫様は、アデールのことが好きだと思う」
「……え?」
「アデールに会いたいんだと思う」
「う、うん……」
「ボクとおなじ。……温泉に入れてあげたらいいと思う。きっと、お姫様、喜ぶと思う。うん、喜ぶよ」
まっすぐに見詰め返す透んだグリーンの瞳に、かつてソランジュ殿下に身を強張らせた怯えは、欠片も浮かんでいなかった。
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