40.公女、預けた。
次々にパトリス監督からの指令が飛ぶ。
「アデール、養父上の髪が跳ねてるよ! 直してあげてよ!」
櫛を通す。
カトランの表情も、なにか『異変』を感じ始めている。
だけど、みんなの目もあるところで、どう相談したものか分からない。
――妻になる……、ということをパトリスが誤解してるようで……。
と、いう話を、ふたりきりなら相談しやすいかといえば、そんなこともない気がするのだけど、みんなのいるところでは、なおさらだ。
パトリスがジッとわたしを見詰める。
「アデール、疲れた?」
「あ……、ううん、そんなこと……。うん、疲れたわ」
「養父上の肩を借りるといいよ」
「……えっ?」
「疲れたとき、肩に頭を乗せると仲良しになれるんだって」
妙に指示が具体的だなと思ったら、村娘のお姉様方に相談していたらしい。
「……男の人と女の人は、どんなときに仲良しになるの?」
兵士たちとの〈お試し初回〉の真っ最中なので、お姉様方は自分たちのことを聞かれたと思い、
「えぇ~っ? ……パトリス様。それ聞きます?」
と、嬉し恥ずかし、あれやこれやとパトリスにご教授くださったらしい。
パトリスが、お姉様方から『おマセさん』だと誤解されていないか、ちょっと心配。
「まあ……、パトリス坊ちゃんも真剣な様子だったし、大丈夫なんじゃない?」
ザザが呆れ笑いをしながら、囁いた。
「もう……、見てたんなら、止めてあげてよう……」
「いや、そんなことはできないでしょ。聞かれた娘さんたちも嬉しそうだったし」
「うっ……。そ、そうなのね」
「いいんじゃない? この場で、正式な夫婦はアデールと辺境伯様だけなんだし、清らかなる男女のあり方を、みんなに見せ付けてやれば」
「み、見せ付けるだなんて……」
ザザは絶対楽しんでるし、マノンは天を仰いでばかりいる。
ランタンの明かりがいくつも灯る夜の中庭で、カトランの肩にそっと頭を乗せる。
――か、堅いのね……。
岩のように微動だにしない。
「……す、すみません。重くはありませんか……?」
「ぷは……」
ぷは? 頭上から降ってきた意外な音に、顔を見上げてしまった。
――カトラン……、息を止めていたんだわ……。
それが意味することは分からない。
ただ、カトランの身体の強張りがゆっくりと解けていくのが、触れている部分から直接、ロングジレ越しに伝わってくる。
「……大丈夫だ」
「はい」
「パトリスが考えていることは分からないが……、ここではアデールがルールだ」
「え?」
「……嫌ならアデールが断ればいいし、俺から断ることはない」
「……はい」
わたしのライムグリーンのドレスと、カトランのロングジレが擦れ合う感覚がする。
自分でも分からない何かの拍子に、ふぅ~っと息が抜けていき、カトランの肩に体重を預けた。
「その方が楽だな」
「……え?」
わたし……、語彙力を失っている。
「力を込められているより、しっかり身体を預けてくれた方が楽だ」
「……はい」
そういうものかと、より身体から力を抜くように心がける。
わたしたちの前では村娘と兵士たちが和やかに歓談し、ふたりきりでクスクスと笑い合いながら散策する者や、何人かの男女で輪になって語らっている者たちもいる。
子どもを肩車して遊んでやる兵士と、その母親もいる。
皆が思い思いに、この穏やかな時間を過ごしている。
「……見事なものだな」
カトランが感慨深げに呟いた。
「荒っぽい兵士たちが、村の娘たちの垣根を越えられるのは、もっと先になると思っていた……」
「……はい」
「アデールの見事な手腕の賜物だ。俺だけでは、こうはいかなかっただろう」
「そ、そんなことは……」
「いや、感服している」
「……お、恐れ入ります」
いまにも立ち上がってターンしたい気持ちでいっぱいだったけど、静かにこの喜びを噛みしめる。
カトランの肩の上で。
衣越しにカトランの体温を感じる。温かい。それから息づかい。そして、わたしが思っていたのとは違う、速い心拍。
いつもとおなじ冷静な声とは裏腹な、カトランの鼓動に気が付いて、なぜだか、わたしの顔が火照る。呼吸も浅くなる。
――カトランも、なにか……、特別な時間だと感じてくれているんだ……。
そう思いが定まって、カトランの逞しい肩に身を預けていることが、なおさら居心地よく感じてしまう。
おなじ景色を眺め、おなじ思いを抱きながら、覚えのない安心感に包まれていた。
そのころのパトリス監督はというと――。
わたしたちの視界からスッと姿を消すという『ご配慮』を覚えていた。
賢い。成長が著しい。
きっと名君になるに違いない。
翌朝。カトランの寝室から、パトリスが一目散にわたしに駆け寄った。
そして、チョイチョイッと可愛らしい手を振って、内緒話を要求してくる。
「ふふっ、なになに?」
しゃがんで膝を抱くと、両手でわたしの耳元を覆った。
「あのね……、養父上も……」
「うん……」
耳元で囁くパトリスの吐息がくすぐったい。
「アデールと『仲良し』になりたいんだって!」
「そ、そう……、嬉しいわ」
「もっと、頑張ろうね!」
「え、ええ、そうね。頑張ろう」
両拳を握ってみせると、パトリス監督は嬉しそうに頷いた。
――が、頑張っちゃうのかぁ~……。
パトリスは駆けていき、わたしも立ち上がる。
両手を腰にあて、駆けていくパトリスの背中を苦笑い気味に見送った。
パトリスは、とても元気になった。
自分の新しい『使命』を見付られたからだろう。
わたしが城から追い出されないように――、というパトリスの頑張りを、セリアに投げ捨てられた過去に重ねると、切ない思いもよぎる。
それでも、二度と城を攻め落とされないようにと、まだ幼い身で兵法の修得に思い詰めていた頃よりは、ずっと笑顔が明るい。
わたしも……、ちょっと嬉しい。
カトランとの距離が縮まったような気もしている。
「……おはよう」
「え?」
朝の挨拶をしてくれるカトランが、わたしを廊下の壁に押し付けるようにして、腕を突き立てた。
わたしは壁とカトランとの間に、完全に閉じ込められている。吐息が近い。
「……え?」
「パトリスが、朝はこのように挨拶するのだと力説していたのだが……」
「ぷっ……。ええ、おはようございます」
微かに耳の先を赤くして困惑するカトランの表情に、思わず吹き出してしまった。
「……城に帰ったら、ご相談が」
「分かった。ここではアデールがルールだ。パトリスの言うことも聞いておこう」
「ええ、そうしてあげてください」
くすぐったいものを感じながら、壁に腕を突き立てたままのカトランと、至近の距離でヒソヒソ話。
きっと、ふたりでおなじ表情をしている。
それからも、頬を赤くしたり、胸を高鳴らせたり、パトリス監督からの数々の指令をこなしながら、いよいよ〈お試し初回〉は最後の夜を迎えた。




