100マイルをやるということ
結局どうなったか。結論から言おう。
六月、あれは確か二十三日だったと思う。木曜日の夜十時、スタートを切ることができた。募集期間は一ヶ月も設けることができず、それでも百名ほどの参加者が来てくれた。もちろん、大赤字である。その数字だけ見れば大失敗だ。それでも、奇跡は起こった。開催することができたのだから。
時間を少しだけ戻そう。
当初の開催地から死刑宣告を受けて、チームで一度ミーティングを行った。僕は、次の候補地として考えていた魚沼市の、これまでの対応についてチームに共有した。
魚沼市は、当初から違った。僕がどこの誰かも分からないはずの、一番最初のミーティング。市役所に、県議会議員、市議会議員、区長——大会開催に必要な三者が集まってくれた。中でも一番印象に残っているのは、地元市議会議員からの一言だ。
"これは、この地に光を当てる、素晴らしい機会だ"
他の自治体や、その関係者の反応とは、一線を画していた。他があまりに冷徹だったからなのか、その言葉は心に染み渡り、ただただ感謝の念が湧いたことを覚えている。直感で、ここだけは違う、と思えた。
そのエピソードも、ミーティングで共有した。このギリギリのタイミングで会場を変えられるのか。変えられるとすれば、もうあそこしかない。その候補地を、チーム内で共有した。
結論は、こうだった。ここまで来たら、やるだけやってみよう。ダメだったら、100マイルじゃなくて、短いレースでいいじゃないか。
その時、経験豊富なチームメンバーが、最後にこう言った。
"100マイルをやるっていうのは、こういうことだ"
頭から心に、そして遺伝子にまで刻まれそうな一言だった。なぜなら、ここまでの過程で、本当にその通りだと、心底感じていたからだ。




