死刑宣告
だんだんと、感情が体から抜けていく。
とにかくスケジュールが迫っていた。早く告知をしなければいけない。募集を開始しなければいけない。一月には募集を始めるはずだったのに、その一月になっても、許可申請は半分以上が降りていない。そんな状況で、感情的になっても意味がなかった。断られ、そこをコースにできないと分かれば、すぐに代替コースを瞬時に作り出す。その繰り返しだった。
刻一刻と、一日一日が過ぎていく。雪が降って山に入れない。コースを見に行けない。それでもコース変更に迫られ、地元の方に、山に詳しい方に聞いてコースをつなげたり、雪の中を走り回ったり。豪雪地域まで足を運び、この大会の許可をいただきたいと、区長の家で土下座をする。そんな日々が続いた。
こちらの思いなんて関係なく、だめなものはダメ。一箇所だめだったら、五十キロぶんのコースを変更する。それを何回も、何回も繰り返した。
そう、急いでいたんだ。感情的に反応している暇はない。だめだと言われれば、もうだめなのだから、早く代替案を出して次のところへ行かなければいけない。一刻も早く。だからこそ、完璧なイエスマンになれた。だんだん感情が引いていくのが、自分でも分かった。そうしないと、生きていけない感じだった。
四月になった。コースはおよそ決まり、さあ募集を開始したい、という段階になった。その時だった。スタートとゴール地点に考えていた施設から、「許可できない」という、冷徹な、そして死刑宣告のような知らせが届いた。
これには本当に、もう終わったと思った。万事休す。
最後にたどり着いた心境は、こうだった。
——無理やりこの扉をこじ開けるのは、もうやめよう。無理なものは無理だ。でも、もしこの大会がこの地域に必要で、この地域のためになるのであれば、きっと実現するだろう。やることは全てやる。けれど、コントロールはもう手放そう。運命に、全てを委ねよう。
そんな思いで、四月を、そして五月を迎えた。大会開催予定日の、一ヶ月と少し前のことである。




